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第3章
好きなものはなんですか?
しおりを挟む頬に強い衝撃を受け、レオはまどろみから目覚めた。
「......なんという寝相だ」
いつの間にかレオのベッドで熟睡していたシオンの足を乱暴に払いのける。
ベッド脇に立て掛けていた剣を取り、制服に通したベルトで固定する。
椅子の背もたれに掛けておいたジャケットはそのままにし、薄手の白シャツだけを羽織っておく。
部屋に備え付けられている洗面台の蛇口をひねり、冷たい水を顔に浴びせ、気合いを入れた。
聖樹のある森、オリジンの隣に存在する小さな街<サンク>。
ここにはアストライア団員用の宿泊施設がある。
二階建てのこじんまりとした石造りの建物は街の入り口から歩いて数分でたどり着ける位置にあった。
街を囲む塀は高く、門を出る以外には海を眺める方法はない。
毎日表情を変える海を眺めることと引き替えに、平滑な塀ばかりの退屈な景色は、聖樹を狙う襲撃者や自然災害から街人を守っている。
レオが宿泊施設の扉を開け、階段を五段下り、石畳に右足を着けた所でアミナが紙袋を両手に抱えて歩いてくるのが見えた。
あ、と少し離れた所で気がついたアミナは口だけでおはようございます、と言うと、小走りでレオの前まで来て今度は声に出してお辞儀をした。
「おはようございます」
「おはよう。ずいぶんと早いな」
「あ、はい、部屋から市場が見えたので、朝ごはんの材料を....」
「冷蔵庫や台所に材料はあったはずだが」
「そうなんですけど....」
重そうに紙袋を抱え直すと、アミナは苦笑した。
「シオンが全部食べ尽くしちゃいます。申し訳ないので、買ってきました。なので、あの、ついでに皆の分も作ろうかと」
「私の分もいいのか?」
「はい!もちろんです!」
勝手なことはするなと言われてしまうかもしれないと思っていたが、レオは「私の分の材料費は後で払おう」と生真面目に言うだけだった。
「....シオンか。たしかに大食いだった。昨夜も用意されていた料理全体の半分以上食べていたな」
「はい。痩せてるのに、すごく食べるんです。だからいつも元気なのかな……あっすみません!いいですよ!レオさん、これからお出掛けですよね?」
材料の入った紙袋をレオはアミナの腕から取り上げ、さきほど下りた階段を上がると玄関扉を開けてアミナを促した。
アミナは恐縮し、ぺこぺこと何度も頭を下げながら先に中へと入る。
「す、すみませんっありがとうございます....!」感謝と謝罪を繰り返し、所在無さそうに指を組むアミナにレオはわずかに口角を上げた。
宿泊施設共用の台所は一階にある。玄関の奥にある階段の手前を左に曲がり、管理人室の前を過ぎればダイニングルームだ。
廊下を進み、小さな窓から射す朝の光を見上げながら、レオはアミナに聞いた。
「飯の世話までしてやるとは。君とシオンはどういう関係なんだ?」
アミナはレオの日差しを受けてきらめく銀髪に眩しそうに目を細めて首をひねる。
「どういう関係....ですか?友達です」
「友達?」
「はい。あ、あと、一緒に住んでるので家族....あと、仕事仲間、とも思っています」
「仕事仲間?....一緒に住んでるとは?」
「ええっと....セゾニエールのプランタン図書館、ってご存知ですか?」
「ああ....山側にある」
考えるように金色の瞳を上に向けたレオにアミナは「はい。山の方の」と微笑んだ。
「シオンも私も、そこで住み込みの従業員....みたいな。だから、家族で、仕事仲間で、友達なんです」
ダイニングテーブルに置いた紙袋から食パンや玉ねぎ、チーズやハムを取り出して並べていく。
「....ふむ。なるほどな。だが、友達の為にここまでするとはな」
レオは何気なく思ったことを言っただけだろう。 しかし、その言葉はアミナの手を少しの間静止させた。
アミナは「....します、しますよ」と明るい声を出した。
「だって、あの、パンのお粥、作りますよ。昨日、リナリアが朝は消化に良いものが食べたいって言ってたから。そう、そうです。リナリアにも、食べてほしいんです」
食パンを手に持ち、「友達だから、作ってあげたいって、思うんです」とアミナは口角を上げた。
なぜかその時だけは、レオの目を見ることができなかった。
「そういうものか」
「はい」
そういうもの、です。心の中で呟いた。
「あ、レオさん。レオさんはパンをどうやって食べるのが好きですか?あの、トーストしたのがいい、とか、しない方がいい、とか。あと、チーズはお好きですか?」
「私は.....」
玉ねぎの皮を剥き始めたアミナに口を開いたレオの言葉が止まった。顎に指を添え、少しの間難しい顔をした彼はダイニングルームの入り口へ足を向けた。
「好き嫌いはない。鍛練に行ってくる。一時間ほどで戻る」
「あ、はい。いってらっしゃい....」
足早に出ていった背中を見送り、アミナは玉ねぎに包丁を入れた。
料理を作る時は、いつも食べてくれる人の笑顔を想像する。
リナリアの胃の調子はどうだろう?白湯を作っておこうか。
レオさんは.....好き嫌いはないって言っていたけど、甘いものはあまり好きじゃないかもしれない。
昨日の歓迎会の料理で、デザートにまったく手をつけていなかった。
シオンは....。
焼いたハムと目玉焼きをのせた食パンをきっといつものように大きな口で食べるのだろう。
アミナは緩んだ口許に気がつくと、きゅっと噛み、首を左右に振った。
玉ねぎを切らなければ。まな板に包丁の触れる規則正しい音が時を刻むように流れていた。
「おはよう」
ほどなくして、リナリアが目をこすり、ふわふわとした動作でダイニングテーブルに着いた。
両手の指を組み、上に伸びると「早起きなのねぇ」と手で口許を隠して欠伸をした。
「おはよう。リナリア、食欲、ある?よかったらどうぞ」
「ありがとう!.....はぁ~....沁みる....」
マグカップの白湯を少しずつ唇に含む。ぬるめの柔らかい湯が胃を温めるのをリナリアは瞼を閉じて味わった。
「うん、食べれるわ。ていうか、私も手伝うわよ。起こしてくれて良かったのに」
「....い、いいの?」
「ええ」
「.......ありがとう」
照れたようにはにかむアミナにリナリアは少しくすぐったそうに笑う。
玉ねぎがよく溶け込んだスープを二人で味見する。リナリアが満足そうに親指を掲げた。
「たのしい」
腕を後ろで組み、鍋を覗き込んでいたアミナはスープにそっと溶かすように呟いていた。
思うよりも先に心から滲み出た言葉は、アミナ自身を驚かせた。
「私も、楽しい。....不思議ね。あなたが相手だと素直になれるの」
鮮やかな緑を細め、リナリアは鼻の下をこすった。
剣を鞘に納めたレオは頬に流れる汗を手の甲で払い、息を整えるように腰に手を当て俯いた。
「………」
何かを考え込むように眉間に皺を寄せる。
しかし、カチ、と時計の針の音が耳元でしたかと思った瞬間、人形のように整った顔を上げ、再び剣を抜いた。
裂いた空気の感触がなんとなく気持ち悪く、拭いきれない違和感を振り払うように、レオはもう一度構え直した。
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