後にも先にも

煙 亜月

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前夜祭

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 明日は三つ離れた姉の婚姻の儀であり、当日は式の終わりまで酒を飲めないことも手伝ってか、早々の祝杯をあげた者が大量に雑魚寝をしていた、その晩のことである。婚前交渉の禁も固く守られる土地柄で、花嫁は母屋、花婿は離れの客間といった風に遠く離され、火事でも起きない限りその二人が鉢合わせないように思われた。が――。
 
 ――どうやら花婿が最後だから、と街に残した恋人と数日前、事に及んだという話がわたしにも入ってきた。あってはならない不始末、婚姻の取り消しも視野に入れるべきだ、とすっかり酒の抜けた老人方が深夜車座になって話し込んでいるのを便所に起きたわたしは見た。そして聞いた。

 ――ああ。あの義兄さんならな。なくはないな。

 畢竟、どうでもよかったのである。これで姉が行き遅れてもまたこの集落では次があるし、わたしへは何の累も及ばない。休業中も講義の内容を纏め、覚えなくては。残寒厳しい折、さっさと寝ようと母屋の一番端の部屋で夜具に潜りこんだ。

 時を経るごと四半刻ののち。
 掛け布団をじりじりと足の方へ下げられ、目が覚めた。「ねえ、恭二さん――あたし、何番目でもいい。何番目でもあなたに爪痕、残したいんよ。だから、ね? 日付も変わったし、あたしも、恭二さんも、何も悪くない。だってそういう風にできてるんだもの。だから、ごめんね?」
 覆いかぶさるや、わたしの口腔内に酒の匂いの残る舌をぬるりと入れてきた姉に、もごもごと抵抗しながらも(待て。嫁入り前の女の毀誉褒貶でもある――ただ拒むだけではいけない)と、無い知恵を絞った。

 わたしは両手両足で姉の身体をひしと抱き、動きを封じた。「あ、ん――」
 弱いものの、胸郭へ圧力をかけているのだ。肺は息を吐いてしぼんだら、今度はより多くの力をかけて吸気のために肺を膨らませなくてはならない。そうと悟られない程度にわたしは姉を酸欠にしていった。ちょうどアナコンダが獲物を締め付けて殺す、ボイルの法則の縮小版だ。

 早馬のような姉の鼓動が伝わる。鼓膜を通じ、胸腔を通じ、闇夜を通じ、わたしの耳へ、胸へ、そして心臓へと伝わった。つまり、耳の中で鳴り響く鼓音が姉のものか、自分のものか分からなかったのだ。 
 面を割られまいと遠ざけていた姉の顔が目の前に来る。甘ったるいような、熱く、湿り気の帯びる姉の吐息。再び顔を互い違いにし、そのまま姉の寝息が聞こえるのを待つ。わずかに、ゆるやかに酸欠状態に傾く姉をそうしてしばらく抱いた。
 すう、すう、と規則的な呼吸に変わった様子を認める。立ち上がって確認する。姉を夜具でくるみ、抱き上げて運ぶ。花嫁用の布団へ寝かせ、袂も直してどうかこのまま寝静まりますように、と祈った。

「あ――うん、ありがとね」姉がうわごとのようにいい、

「おやすみ――紺」

 と、わたしの名を呼んだ。
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