後にも先にも

煙 亜月

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後夜祭

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 翌くる日の婚礼がつつがなく終わり、先般の婿殿の不始末を取り上げることもなく済んだことが、わたしの目にはかえって不自然に映った。――前夜に、弟のわたしを婿と間違えたふりをして襲った姉にも、一切のお咎めもなく儀は結びを迎え、ふたりは門出を果たした。

 儀の終えるもう少し前、夕刻――

 老人方は夜通し話し合ったらしい。前日、昔の恋人との最後の逢瀬を味わったという義兄の粗相を揉み消す方向で考えを纏めようとしていた。そこへ来ての近親相姦騒ぎである。どうにか利用できないかと真夜中から早朝にかけて知恵を絞り合った。

「紺――」姉の目は潤んでいる。「今までありがとね、紺。大学、頑張ってね。学者になって、みんなを養ってね」そういうと両手で顔を覆い、ウェディンググローブで洟をかんだ。
「ああ、何も心配あらへ――ないから、安心して行っておいで」
「もう、いつの間に関西人になったんよ。寂しゅう、なる、じゃ――ない」と、泣き出した姉がその場にかがみ込む。手を差し伸べようとすると、それより早く義兄の太い腕が姉の方へ伸ばされ、軽々と姫抱っこをする。黄色い歓声がそこここで上がり、義兄はそのままの姿勢でブーケトスをする。わあとかきゃあとかいいながら女の子たちが群がり、ここぞとばかりに新婚夫婦は口づけをする。姉は照れ隠しに義兄の胸に顔をうずめる。女の子たちがかしましく騒ぎ立て、叫び出す者さえ出た。

「紺君!」
「はぁい!」
「ありがとう!」
 フェリーに向かって何度も何度も手を振り、義兄と姉が再びキスをするところでわたしは背を向けた。これから起こる諸々の手順へ、思索と算段とを繰り広げながら。
 
「それで、紺」
「はい、父さん」
 あぐらをかいて仏間に座るわたしたちはしばらく腕を組んで黙り込む。父は顔を上げると般若の形相でわたしの頬を殴りつけ、倒れ込むところを引き起こし、なおも殴打を加え続けた。
「ちょっと!」
 母が白い割烹着姿で駆けつけ、父をとめようとする。母の声を聞いた父はすぐさまわたしの襟ぐりを離し、灰皿に近づいて煙草に火をつけた。——単なるポーズか。少し唇と頬の内側を切っただけ、鼻と口への直撃は避けたようだ。
「まったく――実の姉と――聞くに堪えん。早いうちに花房さんとこへ貰われてよかったんだ」
「申し訳――ありませんでした」座布団を外し、仏壇に尻に向けない下座に素早く移動し頭を下げる。しばらくそのままでいた。「母さんは少し外してくれ」ここからでは母の顔はうかがえない。衣擦れの音のあと、静かに戸を閉める音が聞こえた。

「紺」
「はい」
「顔を上げても話はできるだろう」
「――はい」
「理系だからと金をやっているのに大学で遊べてないのか知らんが、よりにもよって実の姉との同衾行為とは――花房さんも嘆いておった。幸いにして――実際的なことには及ばなかったそうだが、向こうの家の面子を考えてもみろ」
「大変、申し訳――」

「まあ、紺。近う」
 腰を上げず、膝頭で移動する膝行で父の方へにじり寄る。
「ん」煙草を勧められる。「お与りします」
 激しくむせこみ、涙ながらにショートピースを喫うわたしを父は呵々と笑い、真顔に戻るや「で、本当のところはどうだったんだ」といった。「まさか、老人方がいうようなことが起こった訳じゃないだろ?」
 畳に正座をしたままわたしは握りこぶしを震わせる。ぽつ、と涙がこぼれ、眼鏡を外すと涙は礼服のスラックスに短時間のしみを幾度も幾度も作った。「――紺?」

「あ――」
「うん、どしたね、紺。な、何かあったんか? それか、その、一体、何なんだ?」

「あの晩――僕の部屋には姉さんは来ていないんです。酔って寝ぼけた義兄さんが、義兄さんが、僕の部屋に入ってきて、義兄さんは、義兄さんは――嫌がってるのに、本当は気づいたはずなのに!」

「お、おお――そ、そんな、ほ、ほんとか、紺。そんな、そんなことをしでかしたら真ん中の部屋で寝てた祖父さんや祖母さんも起きるはずなのに――じゃ、じゃあ、お前と姉ちゃんはまさかっ、はっ、花房さんを庇って?」

 わたしは礼装用の白いハンカチで盛大に洟をかむ。涙もハンカチでぬぐい取る。
「そもそも花房さんは婚礼前夜のこともあり、婚姻取り消しさえ騒がれてました。そんな折に、まさか番われていない花嫁の部屋へ夜這いだなんて、それこそ婚姻解消です。いえ、花嫁を襲うならまだいい、その弟を襲っただなんて、悲劇です。そんなことをして、わが家が花房家への心証を悪くしたり、あるいは姉さんに悪い風聞が立ったりしたらと考えると――それなら、僕が姉さんを襲ったことにして、花房家の不始末はわが家の不始末で相殺して、手っ取り早く片を付けた方がいい。そのためなら、僕が義兄さんに犯されたことを黙っているくらい、屁でもありません。でも本当に、怖かった――あんな図体の男に組み敷かれて、迷いもなく――」

「あ、ああ、紺、ああ、すまんかった、わしが悪かった。そうか、そうだったのか、それはつらかったろう、しんどかったろう。しかも婚姻のために、お家のために黙っててくれたんじゃな。お、お前は立派に成長した。誰ひとり褒めんと、わしが褒めちゃる。誇りに思う。はあ――紺。すまなんだ。父は、一人娘のことで舞い上がっとったようじゃ。なんぼにも、すまん」

 わたしは眼鏡も顔も拭きあげ、父へ向き直る。「このことは、誰にも、お袋にも――」
「ああ、黙っとく。誰にもいわん。二十歳そこそこでこんな苦労させて、父を許してくれ」

 鉄道の切符を持って、父と母に向かって手を振った。姉さんやお袋がこのことを知るのは、もう何十年も先のことになるかもしれないし、そうでもないかもしれない。父はわたしより早く禁煙し、わたしよりずっとずっと早く逝った。
 研究室に所属しても、ラボにこもりきりというのは少なく、学会や発表会、勉強会であちこちを飛び回っている。

 姉さんがわたしに夜這いをかけたのは事実だ。が、同時に姉さんとわたしがどこまで事に及んだか、母屋の老人方が把握しているかは不明だ。しかし、わたしが義兄に犯されたかどうかは証拠がないので、事実かどうかさえ誰も知らない。もしかしたらわたしと父だけに留保する嘘っぱちである可能性もあり、わたしが姉さんを庇った方便だということもありうる。このことは誰に訊いても否定するだろうし、父でさえ頑として口を閉ざすだろう。

 姉夫婦とはあれから一度も会わず、この話は後にも先にも完全なる秘密となった。
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