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第1章 はじめての異世界
14話 駆ける命
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悲鳴を上げて一斉に広場から逃げ出す村人たち。その人の波にオークの群れが迫る。つい先ほどまで安全圏だったはずのこの広場は、ものの数秒で地獄へとなり果てた。
あり得ないと考えていたものが現実になったことに俺たち二人は言葉も出せず固まってしまう。そんなことをしている暇はないと慌てて頭を振って、俺はフェルテルの腕をつかんだ。
「とりあえず俺たちも逃げるぞ! この数じゃ対処しきれない!」
「は、はい!」
俺はフェルテルの手を引いて広場から走り出た。しかし、この状況をやり過ごせる安全な場所など思いつかない。ひとまずは隠れられそうな場所を探しつつ逃げ回るしかない。フェルテルを任せる、というノルト村長の言葉を思い出し、俺は絶対にこの子を離すまいとフェルテルの手をしっかり握りなおした。
広場から逃げ出した俺たちが見つけたのは一軒の小さな農具倉庫だった。扉の覗き窓から雑多に鍬やら鎌やらが置いてあるのが見えるが、なんとか二人でも隠れられそうな余裕はありそうだ。すぐさま扉を開けて中に飛び込むと、扉の前に農具を置いて即席のバリケードをこしらえた。オークの力の前ではこんなバリケードなど破られてしまうだろうが、それでも時間稼ぎにはなってくれる。
とりあえずの備えを終えて俺は壁に寄りかかって肩で息をする。先ほどの追いかけっこでもうへとへとだったのに、またオークに走らされることになろうとは思いもしなかった。もう少し元の世界で運動して体力をつけておくべきだった、と反省しながら額の汗をぬぐってフェルテルのほうを見やると、彼女は少しも息を切らさずに小屋の外を警戒していた。現地人、強い。
広場へのオークの襲来から十分は経っただろうか。いまだオークの狩りは終わらないようで、時々人間の悲鳴が聞こえてきて心が抉られるような絶望感と無力感が押し寄せる。フェルテルも同じ気持ちらしく、強く拳を握り唇を噛みしめている。このまま俺たちは小屋にこもってオークが去るのを待つしかないのか。
そういえば自警団の人たちはどうなったんだろうか。村人の避難誘導が済んだのなら戻ってきてもおかしくないはずなのに、自警団やノルト村長の姿はいまだに見えない。もしや東の方でもまた新たな問題が発生したのではないか。次々と頭をめぐる不安に気が滅入ってしまいそうだ。……よし、自警団の方へ行って助けが必要そうなら協力、大丈夫そうならこっちに救援を頼みに行ってこよう。幸い、広場に到着してからこの場所に隠れてで時間が稼げたのでマナは多少回復している。もしオークに遭遇しても撒くくらいはできるはずだ。
そう決心して立ち上がると、フェルテルは俺の思考を読んだかのように自身も立ち上がると扉の前に立ち塞がった。どうやら俺に無茶をさせたくないらしい。だがこうしてここでひたすら時間を待つのにはもう飽きた。
「フェルテル、どいてくれ。……大丈夫だよ、無茶は絶対しないから」
俺がフェルテルに言うと、フェルテルは険しい顔になって反論する。
「だめです。さっきも無茶するなって言ったのに結局ぼろぼろになって帰って来たじゃないですか!」
「それはそうだけど……。でも、ここでずっと待ってても何も変わらないよ。俺はお世話になった村の人たちを守りたい。だから行かせてくれ、フェルテル」
俺の懇願を聞いてフェルテルの顔に迷いの色が生まれる。しばらく考えた後、フェルテルは俺の顔をまっすぐに見つめて言った。
「分かりました。じゃあ、私も連れて行ってください。ソーマさんが村のみんなを助けるなら、私がソーマさんを助けます」
予想だにしないフェルテルの言葉に固まってしまう。ノルト村長に保護の対象として頼まれたはずの少女に、俺が助けてもらうというのか。いや、そんな危険な真似はさせられない。フェルテルには安全な場所に隠れててもらいたい。
「いや、だめだ。フェルテルはここに残って隠れててくれ。」
俺だけでもオークから逃げつつ自警団を目指すのは極めて困難なのに、それをフェルテルを守りながらとなるとどれだけ難しいか計り知れない。しかし俺の否定を耳にしても、フェルテルは医師のこもった眼で俺を見てくる。
「ここだって、いつオークが入ってくるか分からないですし、できるだけ多人数で動いたほうが安全だと思います。私のことは守らなくても大丈夫ですよ。ほら、私、体力には自信があるので」
この小屋が絶対に安全な場所ではないのはフェルテルの言う通りだし、確かに多人数で動けば危険を等分することになるのだから、グループのうちの誰かが生存できる確率は増すだろう。反論をしなければと考えるが、どんな反論を返したとてフェルテルは意志を曲げないだろう。彼女の強く輝く青色の目がそう俺に激しく訴えていた。
「……分かった。できるだけフェルテルを守るから、絶対に俺から離れずについてきてくれ」
しぶしぶ了承するとフェルテルはこくりと頷いた。そこまでの覚悟を決めてくれたこの子を絶対に守り抜こうと心に決めた。
「……行こう」
慎重に扉を開くと俺たちは小屋から抜け出して夜の道を東に駆け出した。すでにフェルテルに作戦は伝えてある。村の東にいるはずの自警団に会いに行き、問題が発生しているなら援護、ひと段落ついているなら西へ救援を要請する。それがこの村にお世話になった俺が出来うる最大限の恩返しだ。
南西に位置していた小屋を出て、とりあえずは最初の襲撃地点である村の東方面に向かって走る。大通りの方が道が広いので自警団を探しやすいかもしれないが、その分オークにも発見される危険性があると考え、俺たちは大通りから南に逸れた細道を疾走していた。
「ここから東の果てまであとどれくらいかかる?」
走りながら後方のフェルテルに尋ねる。
「多分あと二メウンくらいです」
この世界では一クロンが一時間ではないのに、なぜか分、秒に当たるメウン、セクンは同じ時間の長さを表していることがこの村で過ごしていくうちにわかった。なんともおかしな世界だ。まあそんなことは置いておいて、なぜオークたちは今日に限っていきなりこの村を襲ってきたのだろうか。頭の中の様々な記憶を掘り返してみる。……だめだ、原因らしいものなど思いつかない。実際、直接的な原因などないというのが正解ということもあり得ない話ではないが。
そんな思案に暮れながら走っていると、突然左前方に人影が視界に入った。目を凝らすとその奥に巨大な影が迫っているのが分かる。
「あそこに誰かいる!」
自分たちの安全を確保することも大事だが、俺たちの最優先の目的は村人を救うことだ。その覚悟をしてやって来たのだからここで引くことはできない。全力でブレーキをかけて体を制止し、右腕を前方およそ十メートル先の怪物──恐らくオークに向けて照準を合わせる。体内のマナを右腕に流し、息切れを強引に押しとどめて素早く呪文を叫んだ。
「テネロ・エメルゲ・ラド:ピントフェウ・デカート:ゼル、デクセウズ、ゼル・ルーン!」
魔法陣が輝くとともに、オークの頭をちょうど覆うように真っ黒い球体が生成される。エメルゲという式句は、状態を指定しなければ自動的に気体として物体を生成するため、先ほどの黒盾や矢のような命を奪うような攻撃ではないが、しかしその性質を十分に生かしてオークの視界を奪うことが出来ている。突然目の前が真っ暗になったオークは動揺したように腕で黒い靄を払いのけようとするが、抵抗もむなしくその手は空を切るだけだ。しかしこれで安全になったとはいえない。というのも、さっき俺が実行した魔法は座標空間を指定したのであり、黒い靄はオークの頭にくっつき続けるわけではないのだ。すなわちオークが黒い靄の位置から動いてしまえば簡単に抜け出せるため、この魔法は意味を成さなくなってしまうということになる。
しかし、この状況においてはその少しの間の妨害で十分だった。取り乱したオークが黒い靄から脱出する前に男は目にも留まらぬ突き気味の斬撃で靄の覆う頭を切断した。ぐらりと巨体が傾いてそのままオークは倒れ伏す。終始びっくりした表情で状況を見守っていたフェルテルにもう大丈夫そうだと声をかけて男のほうを見やった。近づいてきて分かったが、この男の風貌、もしや……。
「すまん、助かった! ……って、ありゃ? なんでソーマたちがこんなところにいるんだ?」
剣の血を振り払って腰の鞘に納め、振り返ったところに俺たちの姿を見つけた男──グアルドは、びっくり仰天といった顔で尋ねてきた。
「西側の広場にも……オークが、襲撃に来た……。自警団を向こうに送って……、村人の救助を!」
ランニング終わりのように息を切らしながら答えた俺に、グアルドは再び驚愕の表情を浮かべた。聞くところによると、グアルドたち自警団は住民たちを避難させたのち、オークの集団を駆逐していたらしい。あらかたのオークを討伐し終え、グアルドは生き残りのオークを探して村の東部を回っていたところで俺たちに出会ったということだった。
状況を呑み込めていない様子のグアルドだったが、くしゃくしゃと逆立った髪をかきむしると真剣な顔で俺たちを見つめ返してきた。
「とりあえず何が何だかわからん状況だが、動かんことには何も解決できねえからな。とりあえず、俺たちに状況を伝えに来てくれてありがとな。本当はお前ら子供は守られるべきで、大人が動かなくちゃいけねえところなんだろうが、ここは平和ボケした村だからな……。ともかく、俺は今から団長に状況を伝えに行く。お前らも二人じゃ危ねえから俺についてこい」
「分かった。俺は大丈夫だからフェルテルを守ってやってくれ」
俺の言葉に力強くグアルドは頷く。フェルテルはどこか不満そうな顔をしているが、こんな状況では安全第一、合理的かつ実際的な手段が肝要だ。気持ちはありがたいが了承いただこう。
「よし、そうと決まればすぐさま向かうぞ。一刻を争う状況だからな。俺から絶対に離れずについてこい、いいな?
……そうだ、ソーマに俺の短剣を貸しとこう。いざって時はそれを使え、ないよりはましだ」
グアルドから使い込まれた短剣を預かった俺は、ごくりと生唾を呑み込んで頷いた。昼の洞窟でのゴブリンを屠った感触がよみがえってくる。いざという時に迷いなく刃を振るえるように、覚悟を決めておかなければ。まあ、この短剣を使わなくてすめばそれが一番良いのだが。
南の小道から北上して俺たちは村の北東部まで走ってきた。どうやらこの辺りがオークが最初に侵入してきたポイントらしく、火事で燃えた家々の向こうに壊れた柵が見える。俺たちの足音を聞いて、振り返った自警団の中に見覚えのある顔が見えた。ノルト村長とライさんだ。
「ソーマさん!? それにフェルテルも! いったいどうしたんです!?」
村長が先ほどのグアルドと同じように驚きの表情を浮かべて尋ねてくる。俺たち三人は、西側にもオークの襲撃が来たこと、そして村人の救助のために自警団を西に送ってほしい旨を簡潔に話した。はじめはノルト村長もライさんも信じられないといった顔だったが、俺たちの話を聞くうちに紛れもない事実だと理解したのか険しい色が宿っていった。
「にわかには信じがたい話ですが、ソーマさんとフェルテルがその目で見たのですから事実なのでしょうな。こちらはおおかたオークの襲撃が鎮まったので、わしが自警団を連れて救助に向かいますぞ。ライ、この二人を守ってやってくれんかの」
ノルト村長の提案にライさんは頷く。
「ノルトも気をつけな、あんたもあの頃ほど若くはないんだからね」
「ふぉっふぉ、まだまだ若い者には負けんわい。……では待機中の団員はわしについて来るんじゃ!」
ノルト村長の一言で自警団の面々が村長に続いて村の西部に走り出した。ノルト村長の体力には驚くばかりだ。
「じゃあ、俺も村長さんについていくからな。お前らも絶対に死ぬんじゃねえぞ。さっきはありがとな!」
ここに来るまで護衛をしてくれたグアルドにエールを送って、俺たちはライさんに向き直った。ライさんも自警団としてここで村を守ってくれていたんだろう。工房では見たことないほどにライさんの表情には疲労の色がはっきりと現れている。
「とりあえずはあたしたちは残りの自警団の連中とここの防衛をするよ。ソーマ、お前さんまだ戦えるな?」
「……はい、マナはまだ少し残っています」
ライさんの問いに真剣な顔で応じる。襲撃が一段落ついたとは言え、また魔物が村に入ってこないとは限らない。ならばここで魔物の侵入をせき止める役割は不可欠だろう。
「上等だ。あたしたちで入ってきた魔物を始末しながら村の柵を補修するよ。それが終わればノルトの方に応援に行く」
ライさんの指示に俺とフェルテルが頷く。フェルテルには後方の安全な場所で待機してもらおう。当然のように最前線で策の修繕をしようとしていたフェルテルをまたもや説得して、不満げながらもなんとか後方で待ってもらうことができた。
オークの討伐から戻ってきた自警団の残りとともに、俺は柵の修繕を進めている。幸い、オークの襲撃の影響か、空いた柵から村に侵入しようとする魔物の姿は見えない。ライさんの指揮の下、柵の補修は数十分ほどで終了した。
「魔物が来なかったおかげで無用な戦いは避けられてよかったよ。とりあえずあたしたちが出来るのはこのくらいかね。これからあたしたちも救助に向かうよ」
フェルテルと合流したのち、少数の自警団を残して俺たちは村の西へ救助に急行した。ノルト村長の安否を不安がるフェルテルを元気づけて、少しでも安心できるよう手をつないで大通りをまっすぐ広場方面へ走る。走ることおよそ五分、俺たちの視界に村人が集まって避難していたはずの広場が見えてきた。しかし今となっては誰一人として姿が見えない。自警団の救助はうまくいっているだろうかと頭に不安がよぎるが、今は考えるよりも少しでも動いて村人を助けるしかない。
広場が位置する丘の前に到着した俺たちを迎えたのはノルト村長だった。
「ソーマさんたちも来たのですな。今自警団の者たちは散り散りになった村人を救助して村の中央南に集めております。団員をつけますのでソーマさんたちも早く向かってください」
ノルト村長が俺たちの身を案じて避難を提案してくるが俺は首を縦には振らなかった。
「ありがとうございます。でも、俺は村のために行動したいんです。俺も自警団の人たちと一緒に村人を助けます」
俺が避難しないことを訴えると、ノルト村長は険しい顔をさらに険しくして言った。
「いや、ソーマさんの気持ちは大変ありがたいですが、わしはそれを認めることはできませんの。ソーマさんは未来ある若者で、わしはもう長くない老いぼれです。こんな状況で若い命を危険にさらすことは愚行ですぞ!」
俺を止めようと、ノルト村長の語気が強くなる。フェルテルが不安そうに俺と村長の顔を見つめるが、俺もここで引くわけにはいかない。俺はすでに命を救ってもらった。この村と人々が存在しなければ失うはずだった命を、この村のために使いたいのだ。
俺とノルト村長が無言で見つめあっていると、ライさんがやれやれといった顔で近づいてきた。
「はいはい、男どもの根性勝負はもう十分さね。ノルト、この坊主は村のために命を賭して戦うって言ってんだ。それなりの覚悟をしてきてるんだよ。それを止めるのはいささか薄情だと思うがね。……ソーマ、お前さんもだ。こいつがお前さんを止めるのは、お前さんのことを本当に大事に思っているからだよ。そこんところ忘れるんじゃないよ」
ライさんに諭されて、俺たち二人はようやく冷静さを取り戻した。まだ不安げな表情でノルト村長は口を開く。
「本当に、村のために戦ってくださるのですな……。ならば、わしと約束してください。絶対に無茶だけはしないでください、いいですかの?」
フェルテルにも言われた言葉を聞いて、やっぱりこの二人は家族なんだと改めて感じながら俺は強く頷いた。
「分かりました。フェルテルも、村も、俺は絶対に守ります!」
俺の力強い返答を聞いて、ライさんはふん、と片頬で笑った。
村人を救助すると決意した俺は、まずフェルテルを次の避難所に送るようにノルト村長に支持された。避難所で待機することに異議を示すフェルテルだったが、ノルト村長とライさんに説得されてしぶしぶ頷いていた。何度だめだと言われようとも村人を助けようとするフェルテルの姿勢に、俺は素直に感心してしまう。フェルテルの気持ちは俺が背負っていこう。
南の避難所までは不思議なことに一度もオークと出会うことなく抜けることが出来た。到着するやすぐさま西に戻ろうとする俺を不安げに見守るフェルテルに、大丈夫だ、と無理やり笑顔を作って走りだした。
とりあえずこれでフェルテルは安全なはずだ。あとは残った村人を助けに行かなければ。痛む体に檄を飛ばして俺は広場のさらに西部を目指した。
あり得ないと考えていたものが現実になったことに俺たち二人は言葉も出せず固まってしまう。そんなことをしている暇はないと慌てて頭を振って、俺はフェルテルの腕をつかんだ。
「とりあえず俺たちも逃げるぞ! この数じゃ対処しきれない!」
「は、はい!」
俺はフェルテルの手を引いて広場から走り出た。しかし、この状況をやり過ごせる安全な場所など思いつかない。ひとまずは隠れられそうな場所を探しつつ逃げ回るしかない。フェルテルを任せる、というノルト村長の言葉を思い出し、俺は絶対にこの子を離すまいとフェルテルの手をしっかり握りなおした。
広場から逃げ出した俺たちが見つけたのは一軒の小さな農具倉庫だった。扉の覗き窓から雑多に鍬やら鎌やらが置いてあるのが見えるが、なんとか二人でも隠れられそうな余裕はありそうだ。すぐさま扉を開けて中に飛び込むと、扉の前に農具を置いて即席のバリケードをこしらえた。オークの力の前ではこんなバリケードなど破られてしまうだろうが、それでも時間稼ぎにはなってくれる。
とりあえずの備えを終えて俺は壁に寄りかかって肩で息をする。先ほどの追いかけっこでもうへとへとだったのに、またオークに走らされることになろうとは思いもしなかった。もう少し元の世界で運動して体力をつけておくべきだった、と反省しながら額の汗をぬぐってフェルテルのほうを見やると、彼女は少しも息を切らさずに小屋の外を警戒していた。現地人、強い。
広場へのオークの襲来から十分は経っただろうか。いまだオークの狩りは終わらないようで、時々人間の悲鳴が聞こえてきて心が抉られるような絶望感と無力感が押し寄せる。フェルテルも同じ気持ちらしく、強く拳を握り唇を噛みしめている。このまま俺たちは小屋にこもってオークが去るのを待つしかないのか。
そういえば自警団の人たちはどうなったんだろうか。村人の避難誘導が済んだのなら戻ってきてもおかしくないはずなのに、自警団やノルト村長の姿はいまだに見えない。もしや東の方でもまた新たな問題が発生したのではないか。次々と頭をめぐる不安に気が滅入ってしまいそうだ。……よし、自警団の方へ行って助けが必要そうなら協力、大丈夫そうならこっちに救援を頼みに行ってこよう。幸い、広場に到着してからこの場所に隠れてで時間が稼げたのでマナは多少回復している。もしオークに遭遇しても撒くくらいはできるはずだ。
そう決心して立ち上がると、フェルテルは俺の思考を読んだかのように自身も立ち上がると扉の前に立ち塞がった。どうやら俺に無茶をさせたくないらしい。だがこうしてここでひたすら時間を待つのにはもう飽きた。
「フェルテル、どいてくれ。……大丈夫だよ、無茶は絶対しないから」
俺がフェルテルに言うと、フェルテルは険しい顔になって反論する。
「だめです。さっきも無茶するなって言ったのに結局ぼろぼろになって帰って来たじゃないですか!」
「それはそうだけど……。でも、ここでずっと待ってても何も変わらないよ。俺はお世話になった村の人たちを守りたい。だから行かせてくれ、フェルテル」
俺の懇願を聞いてフェルテルの顔に迷いの色が生まれる。しばらく考えた後、フェルテルは俺の顔をまっすぐに見つめて言った。
「分かりました。じゃあ、私も連れて行ってください。ソーマさんが村のみんなを助けるなら、私がソーマさんを助けます」
予想だにしないフェルテルの言葉に固まってしまう。ノルト村長に保護の対象として頼まれたはずの少女に、俺が助けてもらうというのか。いや、そんな危険な真似はさせられない。フェルテルには安全な場所に隠れててもらいたい。
「いや、だめだ。フェルテルはここに残って隠れててくれ。」
俺だけでもオークから逃げつつ自警団を目指すのは極めて困難なのに、それをフェルテルを守りながらとなるとどれだけ難しいか計り知れない。しかし俺の否定を耳にしても、フェルテルは医師のこもった眼で俺を見てくる。
「ここだって、いつオークが入ってくるか分からないですし、できるだけ多人数で動いたほうが安全だと思います。私のことは守らなくても大丈夫ですよ。ほら、私、体力には自信があるので」
この小屋が絶対に安全な場所ではないのはフェルテルの言う通りだし、確かに多人数で動けば危険を等分することになるのだから、グループのうちの誰かが生存できる確率は増すだろう。反論をしなければと考えるが、どんな反論を返したとてフェルテルは意志を曲げないだろう。彼女の強く輝く青色の目がそう俺に激しく訴えていた。
「……分かった。できるだけフェルテルを守るから、絶対に俺から離れずについてきてくれ」
しぶしぶ了承するとフェルテルはこくりと頷いた。そこまでの覚悟を決めてくれたこの子を絶対に守り抜こうと心に決めた。
「……行こう」
慎重に扉を開くと俺たちは小屋から抜け出して夜の道を東に駆け出した。すでにフェルテルに作戦は伝えてある。村の東にいるはずの自警団に会いに行き、問題が発生しているなら援護、ひと段落ついているなら西へ救援を要請する。それがこの村にお世話になった俺が出来うる最大限の恩返しだ。
南西に位置していた小屋を出て、とりあえずは最初の襲撃地点である村の東方面に向かって走る。大通りの方が道が広いので自警団を探しやすいかもしれないが、その分オークにも発見される危険性があると考え、俺たちは大通りから南に逸れた細道を疾走していた。
「ここから東の果てまであとどれくらいかかる?」
走りながら後方のフェルテルに尋ねる。
「多分あと二メウンくらいです」
この世界では一クロンが一時間ではないのに、なぜか分、秒に当たるメウン、セクンは同じ時間の長さを表していることがこの村で過ごしていくうちにわかった。なんともおかしな世界だ。まあそんなことは置いておいて、なぜオークたちは今日に限っていきなりこの村を襲ってきたのだろうか。頭の中の様々な記憶を掘り返してみる。……だめだ、原因らしいものなど思いつかない。実際、直接的な原因などないというのが正解ということもあり得ない話ではないが。
そんな思案に暮れながら走っていると、突然左前方に人影が視界に入った。目を凝らすとその奥に巨大な影が迫っているのが分かる。
「あそこに誰かいる!」
自分たちの安全を確保することも大事だが、俺たちの最優先の目的は村人を救うことだ。その覚悟をしてやって来たのだからここで引くことはできない。全力でブレーキをかけて体を制止し、右腕を前方およそ十メートル先の怪物──恐らくオークに向けて照準を合わせる。体内のマナを右腕に流し、息切れを強引に押しとどめて素早く呪文を叫んだ。
「テネロ・エメルゲ・ラド:ピントフェウ・デカート:ゼル、デクセウズ、ゼル・ルーン!」
魔法陣が輝くとともに、オークの頭をちょうど覆うように真っ黒い球体が生成される。エメルゲという式句は、状態を指定しなければ自動的に気体として物体を生成するため、先ほどの黒盾や矢のような命を奪うような攻撃ではないが、しかしその性質を十分に生かしてオークの視界を奪うことが出来ている。突然目の前が真っ暗になったオークは動揺したように腕で黒い靄を払いのけようとするが、抵抗もむなしくその手は空を切るだけだ。しかしこれで安全になったとはいえない。というのも、さっき俺が実行した魔法は座標空間を指定したのであり、黒い靄はオークの頭にくっつき続けるわけではないのだ。すなわちオークが黒い靄の位置から動いてしまえば簡単に抜け出せるため、この魔法は意味を成さなくなってしまうということになる。
しかし、この状況においてはその少しの間の妨害で十分だった。取り乱したオークが黒い靄から脱出する前に男は目にも留まらぬ突き気味の斬撃で靄の覆う頭を切断した。ぐらりと巨体が傾いてそのままオークは倒れ伏す。終始びっくりした表情で状況を見守っていたフェルテルにもう大丈夫そうだと声をかけて男のほうを見やった。近づいてきて分かったが、この男の風貌、もしや……。
「すまん、助かった! ……って、ありゃ? なんでソーマたちがこんなところにいるんだ?」
剣の血を振り払って腰の鞘に納め、振り返ったところに俺たちの姿を見つけた男──グアルドは、びっくり仰天といった顔で尋ねてきた。
「西側の広場にも……オークが、襲撃に来た……。自警団を向こうに送って……、村人の救助を!」
ランニング終わりのように息を切らしながら答えた俺に、グアルドは再び驚愕の表情を浮かべた。聞くところによると、グアルドたち自警団は住民たちを避難させたのち、オークの集団を駆逐していたらしい。あらかたのオークを討伐し終え、グアルドは生き残りのオークを探して村の東部を回っていたところで俺たちに出会ったということだった。
状況を呑み込めていない様子のグアルドだったが、くしゃくしゃと逆立った髪をかきむしると真剣な顔で俺たちを見つめ返してきた。
「とりあえず何が何だかわからん状況だが、動かんことには何も解決できねえからな。とりあえず、俺たちに状況を伝えに来てくれてありがとな。本当はお前ら子供は守られるべきで、大人が動かなくちゃいけねえところなんだろうが、ここは平和ボケした村だからな……。ともかく、俺は今から団長に状況を伝えに行く。お前らも二人じゃ危ねえから俺についてこい」
「分かった。俺は大丈夫だからフェルテルを守ってやってくれ」
俺の言葉に力強くグアルドは頷く。フェルテルはどこか不満そうな顔をしているが、こんな状況では安全第一、合理的かつ実際的な手段が肝要だ。気持ちはありがたいが了承いただこう。
「よし、そうと決まればすぐさま向かうぞ。一刻を争う状況だからな。俺から絶対に離れずについてこい、いいな?
……そうだ、ソーマに俺の短剣を貸しとこう。いざって時はそれを使え、ないよりはましだ」
グアルドから使い込まれた短剣を預かった俺は、ごくりと生唾を呑み込んで頷いた。昼の洞窟でのゴブリンを屠った感触がよみがえってくる。いざという時に迷いなく刃を振るえるように、覚悟を決めておかなければ。まあ、この短剣を使わなくてすめばそれが一番良いのだが。
南の小道から北上して俺たちは村の北東部まで走ってきた。どうやらこの辺りがオークが最初に侵入してきたポイントらしく、火事で燃えた家々の向こうに壊れた柵が見える。俺たちの足音を聞いて、振り返った自警団の中に見覚えのある顔が見えた。ノルト村長とライさんだ。
「ソーマさん!? それにフェルテルも! いったいどうしたんです!?」
村長が先ほどのグアルドと同じように驚きの表情を浮かべて尋ねてくる。俺たち三人は、西側にもオークの襲撃が来たこと、そして村人の救助のために自警団を西に送ってほしい旨を簡潔に話した。はじめはノルト村長もライさんも信じられないといった顔だったが、俺たちの話を聞くうちに紛れもない事実だと理解したのか険しい色が宿っていった。
「にわかには信じがたい話ですが、ソーマさんとフェルテルがその目で見たのですから事実なのでしょうな。こちらはおおかたオークの襲撃が鎮まったので、わしが自警団を連れて救助に向かいますぞ。ライ、この二人を守ってやってくれんかの」
ノルト村長の提案にライさんは頷く。
「ノルトも気をつけな、あんたもあの頃ほど若くはないんだからね」
「ふぉっふぉ、まだまだ若い者には負けんわい。……では待機中の団員はわしについて来るんじゃ!」
ノルト村長の一言で自警団の面々が村長に続いて村の西部に走り出した。ノルト村長の体力には驚くばかりだ。
「じゃあ、俺も村長さんについていくからな。お前らも絶対に死ぬんじゃねえぞ。さっきはありがとな!」
ここに来るまで護衛をしてくれたグアルドにエールを送って、俺たちはライさんに向き直った。ライさんも自警団としてここで村を守ってくれていたんだろう。工房では見たことないほどにライさんの表情には疲労の色がはっきりと現れている。
「とりあえずはあたしたちは残りの自警団の連中とここの防衛をするよ。ソーマ、お前さんまだ戦えるな?」
「……はい、マナはまだ少し残っています」
ライさんの問いに真剣な顔で応じる。襲撃が一段落ついたとは言え、また魔物が村に入ってこないとは限らない。ならばここで魔物の侵入をせき止める役割は不可欠だろう。
「上等だ。あたしたちで入ってきた魔物を始末しながら村の柵を補修するよ。それが終わればノルトの方に応援に行く」
ライさんの指示に俺とフェルテルが頷く。フェルテルには後方の安全な場所で待機してもらおう。当然のように最前線で策の修繕をしようとしていたフェルテルをまたもや説得して、不満げながらもなんとか後方で待ってもらうことができた。
オークの討伐から戻ってきた自警団の残りとともに、俺は柵の修繕を進めている。幸い、オークの襲撃の影響か、空いた柵から村に侵入しようとする魔物の姿は見えない。ライさんの指揮の下、柵の補修は数十分ほどで終了した。
「魔物が来なかったおかげで無用な戦いは避けられてよかったよ。とりあえずあたしたちが出来るのはこのくらいかね。これからあたしたちも救助に向かうよ」
フェルテルと合流したのち、少数の自警団を残して俺たちは村の西へ救助に急行した。ノルト村長の安否を不安がるフェルテルを元気づけて、少しでも安心できるよう手をつないで大通りをまっすぐ広場方面へ走る。走ることおよそ五分、俺たちの視界に村人が集まって避難していたはずの広場が見えてきた。しかし今となっては誰一人として姿が見えない。自警団の救助はうまくいっているだろうかと頭に不安がよぎるが、今は考えるよりも少しでも動いて村人を助けるしかない。
広場が位置する丘の前に到着した俺たちを迎えたのはノルト村長だった。
「ソーマさんたちも来たのですな。今自警団の者たちは散り散りになった村人を救助して村の中央南に集めております。団員をつけますのでソーマさんたちも早く向かってください」
ノルト村長が俺たちの身を案じて避難を提案してくるが俺は首を縦には振らなかった。
「ありがとうございます。でも、俺は村のために行動したいんです。俺も自警団の人たちと一緒に村人を助けます」
俺が避難しないことを訴えると、ノルト村長は険しい顔をさらに険しくして言った。
「いや、ソーマさんの気持ちは大変ありがたいですが、わしはそれを認めることはできませんの。ソーマさんは未来ある若者で、わしはもう長くない老いぼれです。こんな状況で若い命を危険にさらすことは愚行ですぞ!」
俺を止めようと、ノルト村長の語気が強くなる。フェルテルが不安そうに俺と村長の顔を見つめるが、俺もここで引くわけにはいかない。俺はすでに命を救ってもらった。この村と人々が存在しなければ失うはずだった命を、この村のために使いたいのだ。
俺とノルト村長が無言で見つめあっていると、ライさんがやれやれといった顔で近づいてきた。
「はいはい、男どもの根性勝負はもう十分さね。ノルト、この坊主は村のために命を賭して戦うって言ってんだ。それなりの覚悟をしてきてるんだよ。それを止めるのはいささか薄情だと思うがね。……ソーマ、お前さんもだ。こいつがお前さんを止めるのは、お前さんのことを本当に大事に思っているからだよ。そこんところ忘れるんじゃないよ」
ライさんに諭されて、俺たち二人はようやく冷静さを取り戻した。まだ不安げな表情でノルト村長は口を開く。
「本当に、村のために戦ってくださるのですな……。ならば、わしと約束してください。絶対に無茶だけはしないでください、いいですかの?」
フェルテルにも言われた言葉を聞いて、やっぱりこの二人は家族なんだと改めて感じながら俺は強く頷いた。
「分かりました。フェルテルも、村も、俺は絶対に守ります!」
俺の力強い返答を聞いて、ライさんはふん、と片頬で笑った。
村人を救助すると決意した俺は、まずフェルテルを次の避難所に送るようにノルト村長に支持された。避難所で待機することに異議を示すフェルテルだったが、ノルト村長とライさんに説得されてしぶしぶ頷いていた。何度だめだと言われようとも村人を助けようとするフェルテルの姿勢に、俺は素直に感心してしまう。フェルテルの気持ちは俺が背負っていこう。
南の避難所までは不思議なことに一度もオークと出会うことなく抜けることが出来た。到着するやすぐさま西に戻ろうとする俺を不安げに見守るフェルテルに、大丈夫だ、と無理やり笑顔を作って走りだした。
とりあえずこれでフェルテルは安全なはずだ。あとは残った村人を助けに行かなければ。痛む体に檄を飛ばして俺は広場のさらに西部を目指した。
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