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彼side
11 ニセモノのままでは終われない 後編
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———
「へぇー、1年生の途中で転入してきたのー」
さっきから佐藤のねーちゃんばかり喋っている。
出してもらったお茶には手をつけない。
喉は乾かないから、思ったより緊張はしていない。
俺の左には佐藤。
その周りを囲まれる感じでダイニングテーブルに佐藤の両親とねーちゃんが座る。
肝心の佐藤は全然喋らないので、味方の気がしない。
完全、四面楚歌。
だけど、不思議と落ち着いていた。
親父以外の大人なら、俺にとっては全員マシ!
「はい」
と答えながら周りを見た。
「あの、この前いた相川さんはいないんですか」
見かけない。
「あ、タカちゃん今日ゴルフで来られないの。この前留守番させちゃったから、誰かと思ったよね」
喋り方も外見も25歳には見えない。
せいぜい大学生。
元保育士さん、だっけ。幼稚園の先生?
仕事やめたばっかりって言ってたかな、確か。
スッキリしたきれい系の佐藤———だいぶ俺の目にはフィルターがかかっているかもしれない———に比べて、ねーちゃんはかわいい系。
世間一般では可愛い方だ。
なんとかって言うぶりっこの女子アナに似てる。
いると思って、プリン多めに買ってきた事を話し誤魔化す。
居なくてホッとした。
絶対ポーカーフェイスが崩れる自信があった。
ヤツの事もいろいろ聞きたいけど、変に思われても困る。
「———ねぇ、ところで二人はいつから付き合い出したの?」
佐藤のねーちゃんの質問に一瞬考える。
そういや話してなかったな。
打ち合わせみたいなのも要らないって言ったし。
「えーと…1年の終わり?だっけ」
チラっと佐藤を見た。
「2年になってからって言ってなかった?のんちゃん」
ねーちゃんがキョトンとする。
そっちか。
慌てる様子の佐藤を尻目に
「あぁ」
と思い出したように俺は笑顔で言った。
「1年の終わりに僕から交際を申し込んだので、今のは告白した時期でした。正式にOKもらったのは2年になってからです」
あっぶね。
しかも僕から交際、とか自分で言っててキモいけど、今日は爽やかな俺で通す。
やるからにはなりきる。
照れが入るとボロが出るから、俺が佐藤に夢中なように振る舞う。
実際、夢中なんだけど。
だから困ってるんだ。
ポカンとした佐藤の間抜け面が目に入る。
佐藤、分かりやすすぎ。
ていうか、よく今までそんなんで家族騙せたね?
実はねーちゃんにはバレてんじゃないか?
逆に心配になるわ。
「へぇ~。のんちゃんの方が好かれてたんだぁ~」
さっきから喋り続ける姉とは対照的に、佐藤のお父さんとお母さんはお茶を静かに飲んでいる。
ねーちゃんが家族の中で実はキーマンか?
「1年生で転入ってことは、それまでどこにいたの?」
ねーちゃんの質問は続く。
「東京です」
「なんていう高校?」
結構グイグイ来るな。
「K大学附属高校です」
俺は正直に学校名を言った。
「!?」
佐藤がこっちを見た。
「嘘」
嘘じゃねーし。
「あれ、言ってなかったっけ」
すっとぼけたが、友達には言ってない。
知ってるのは学校の一部の先生くらい。
転入の経緯もあって、前の学校に迷惑にならないように親父が学校側にどこからの転入かは伏せるように念を押したらしい。
昔から父親はそういう人だった。
でも母親の元に行く事と転校する事を認める条件の中に入っていたので、わざわざ自分からは言ったりしない。
俺の親権はまだ父親だ。
「ま、まさかぁ~」
信じてない。
まぁそうだよね。
こんな普段ふざけてるやつが有名大学附属の高校から来たとは誰も思わない。
「ホントだって。見る?転入の時必要だったから前の生徒手帳を撮ったの残ってる」
そう言ってスマホを操作した。
写真アプリから、個人証明提出用に前に送った写真付きの生徒手帳の画像を見せた。
佐藤は何回かその写真と俺を見比べた。
そんな拡大しなくても偽造してないから。
ホント失礼だな。
お前が頼んでこんな事になってんのにさ。
佐藤のお母さんが付き合ってるのに前の学校を知らない事を訝しがったので、俺は手を振って答えた。
「初等部からのエスカレーター式なんで、実際はたいした事ないんです。入学しちゃえば誰でも進級できるし、言ったらハードル上がるんで、仲いい友達にも言ってなくて」
実際そうだ。
お受験が難関で大変なだけ。
入ってしまえばよほどの事がない限りは普通に進級できる。
当時はまだ助教授だった父親は、小学校までは地元の公立の小学校でいいという母親の反対を押し切って、意地でも同じ系列の附属校に入れたがった。
結果、俺は通算9年間、遠方の学校へ電車で片道約一時間ほどかけて通学する事となる。
学校から帰って来てからも習い事と塾で毎日遅くまでよく頑張ったと思う。
高校は大学と隣接していたので通学距離は一気に縮まり通学地獄から解放されたものの結局通ったのも数ヶ月だけだった。
「そんな有名校通ってて、なんでこっちの学校に転入したの?」
ねーちゃんはさっきからおっとりしてそうなその外見とは反対に、鋭い質問を繰り出してくる。
実は性格強め?
ま、佐藤の姉だからな。
「それは」
言おうかどうか迷った。
「…高一の時父が再婚したので…新しい家族と馴染めなくてこっちにいる母の方と暮らす事になりました。今は母と二人暮らしです」
そうなんだぁと相槌を打ちながら「お父さん、何してる人?」とさらに被せてくる。
何これ。尋問か。
世の中の彼氏は彼女ん家行ったら、こんな質問責めにあってんのか。
まだ転入試験の面接のがユルいわ。
世の彼氏は大変だな。
でも正直に父が大学で環境学を教えていることを話した。
あんまり父の事は話したくなかったけど。
不肖の息子が停学をくらった挙句、そこよりも偏差値が低い地方の私立高校に転校したなんて父親からしたら汚点でしかない。
「へぇ、環境学」
意外にも佐藤のお父さんが反応した。
ねーちゃんが目の前でスマホで検索し出す。
すげーな、この人。
俺が嘘言ってないか全部調べるつもりか。
徹底したその感じが佐藤と姉妹だなと思った。
別の考え方をすれば、妹の彼氏に相応しいか調べて値踏みしてるのは、妹思いだからではあるだろう。
「あ。この人がお父さん?」
すぐ父に辿り着いたのか、ねーちゃんが学内HPに載っているページを開いて見せた。
久しぶりに見た父の顔は『よそ行き』の顔だった。
「はい、父です」
見たくもなかったけど、俺は正直に答えた。
隣にいた佐藤が今度はねーちゃんのスマホを覗き込んで俺の顔を見比べる。
その顔は半信半疑。
俺の顔立ちはハッキリ言って父似。
ちょっと父のが男っぽい凛々しい感じ。
ありふれた名字だけど、顔がこれだけ似てて親子と言ったら大体信じる。
下の名前も俺の字と同じ字が一字入ってるし。
佐藤のお母さんが
「あれ、この前報道番組にコメンテーターで出てなかった?ホラ…」
と夜のニュース番組で気候変動サミットについて、コメントをしていたと話し出した。
外見は良いので、専攻している分野の特集やニュース番組でコメントを出したりテレビに少し出る事は東京にいた事から何回かあった。
今は連絡取ってないので分かりません、と答えた。
うちのテレビでそんなん付いてたら速攻で消す。
俺と母の間では「もう関係のない人」だ。
養育費だけはきちんと支払ってくれてるので、テレビに出ていたと聞いても、せいぜい頑張って稼いで滞りなく学費を支払ってくれと思う。
嘘は言いたくないので、その後の質問にも正直に答えた。
「そうか、すまんね、いろいろご家庭の事まで聞いて。結夢、失礼だよ」
お父さんがお母さんの方を向いて
「そろそろお昼にしようか」
と促した。
そうね、とお母さんが立ち上がる。
父親から嗜められたにも関わらず、ねーちゃんはスルーして手伝いのため席を立った。
手伝おうと立ち上がりかけた佐藤が断られストン、と座り俺を見ている。
ん?とその瞳を見返す。
佐藤が嘘を貫くなら、俺はウソは言わない。
本当の俺を知って見てほしい。
ありのままの俺を好きになってほしい。
ご飯の準備が出来るまでの間、お父さんと結構喋った。
ちょっと人見知りだけど、話し出すと結構いろいろ話してくれる。
飾ってある佐藤の小さい頃の写真があった。
今はツンとしてるのがデフォルトだけど、昔は姉妹でふざけているかわいいショットもあった。
スマホで撮っちゃおうかな。
子供の頃の思い出を話している佐藤のお父さんを見ていたら、愛されて育ったんだなと感じた。
小さい頃からテレビで見ていたような温かい家庭。
ほんとにあるんだと思った。
うちにはそんなのなかった。
部屋にカレーの匂いがしてくる。
数日前に昼ごはんはカレーでいいかとメッセージが来ていたので、何でもいいと答えていた。
ふと見たピアノの上に飾ってある一枚のCDが目に止まった。
佐藤のお父さんがジャズが好きらしい。
知ってる曲だったので、それを弾くことになった。
ピアノ、触るの3年ぶりくらいかな。
塾との両立が出来なくて途中で辞めたけど、指は長いし、覚えるのも早くて筋がいいと習っていた先生は俺が辞める事を残念がった。
自分がやりたい、やりたくない、より父の言う事は絶対だった。
それでも実家にはピアノがあったから勉強の合間に気晴らしで弾いてた。
はっきり言ってガラじゃない。
今の学校で音楽の時間でも休み時間でも音楽教室のピアノには触った事はない。
水泳とかそろばんとか他の習い事もしてたけど、一番ピアノ歴が長かった。
音をいくつか鳴らす。
ゆっくりと弾きだす。
あの頃に一気に戻った。
指は前ほど動かないし、いくつか間違えた。
昔を思い出す。
小さい頃は女みたいで通わされるの嫌だった。
嫌だったけど、あの時があるから今の自分がある。
———いろんなものを捨てて、諦めてこっちに来た。
惜しいものも失いたくないものもたくさんあった。
でも手に入れたものもたくさんある。
少し離れたところで佐藤のお父さんが笑顔で聴いている。
あの頃はピアノをもう一度弾くとは思わなかった。
自分のピアノで誰かが喜ぶ事なんて想像してなかった。
もう自分で選べるんだ。
欲しいものも要らないものも。
自分の手で選んでいいんだ。
だけど、誰かを傷つけちゃダメだ。
奪っても、その時は手に入れたようでも、自分がすり減っていくだけだよ、佐藤。
自分的には全然50点くらいの出来だったけど、弾き終わったら佐藤のお父さんが拍手をくれた。
小さい頃泣きながら、無理矢理参加させられたピアノコンクールで拍手を貰った時より嬉しかった。
俺は自分で欲しいものを選ぶ。
必要なものも。
守りたいものも。
佐藤。
お前にその覚悟はないだろ?
ピアノの椅子に座ったまま、佐藤のお父さんと話しているとカレーが出来たよーと運ばれてきた。
「————何これ、めっちゃうま!」
一口カレーを食べて思わず素が出た。
「あ、すいません、おいしいです」
慌てて言い直した。
佐藤のお母さんは笑って、いいのよ、どんどん食べて、と言った。
佐藤の話ではお母さんは口うるさいらしいが、全然そんな事はなかった。
髪の事も言われなかった。
佐藤が事前に何か言ったんだろうか?
出された目の前のカレーはスパイスの調合から一から作ってると聞いて、ビックリした。
うちにたまにしか登場しないカレーはレトルトが多い。
ていうかレトルトしかない。
まぁ、あれも美味しいけど、こっちはお店のカレーみたい。
「そう、うちのお母さんのカレー、香辛料から買ってきて作るの。これ食べるとルーで作ったカレー食べられなくなるよね~」
———なんだかんだで話が弾み、3時半を過ぎた頃、俺が買ってきたプリンと一緒にコーヒーを出してもらった。
プリンを見て佐藤のお父さんが
「プリンにしたんだね」
と言った。
「友達に聞いたら、ここの駅前のケーキ屋のプリンが美味しいって言われたんで」
と正直に話した。
「まさかお父さんとかぶるとは思いませんでした。って言うか、近所で買うなって話ですよね」
でも逆にそれが良かったのかもしれない。
あの時ケーキ屋に寄ってなかったら、こうなってないかもしれなかった。
佐藤のお父さんが首を振った。
「いや、我が家はみんなここのプリンが好きでね。ありがとう」
確かに和幸が言う通り、プリンはトロトロで美味かった。
今度、母親に買って帰ろう。
食べ終えたあと、一呼吸置いて姿勢を正す。
「すいません、謝らないといけない事があります」
いきなりの俺の発言に、コーヒーを飲もうとしていたお父さんだけではなく、片付けようとしていたお母さんも手を止めた。
「今日話した中で嘘…というか黙っていた事があります」
嘘というか、厳密に言えば言いそびれた事だ。
「うん」
お父さんがカップを置く。
「———僕がこっちに来た理由…再婚した家族と馴染めなくて、と言いましたが…もちろんそれもあるんですけど、前の学校で停学をくらってます。はしょりました。すいません」
頭を下げた。
「父親が再婚して…反抗してやろうと思ってバイクの免許を無断で取ったのが学校にバレたのと、その件で告げ口した同級生と喧嘩して一週間ですが停学になりました。もともと父とは折り合いが悪かったので反発してて」
もちろん法律的には免許は取れる歳だったけど、進学校だった前の学校では大問題になった。
しかもチクった同級生を殴ったら向こうの親が出てきて大騒ぎになった。
そこからは一気に転落人生。
もともと父親の再婚以来、反抗して隠れて塾をサボって悪い友達とも遊ぶようになっていたので、学校の成績もガタ落ちだった。
久しぶりに長期出張から戻って来た父親は息子の停学の話と荒んだ生活ぶりを見て激昂した。
初めて面と向かって反抗した俺は殴られて歯が折れた。
体格は変わらないくらいになっていたけど、今みたいにバイトで鍛えられてもなく腕力もなかったから負けた。
文字通りボコボコにされたけど、リビングにあった椅子で応戦して父親の腕の骨にはヒビが入った。
壮絶な親子喧嘩だった。
初めて母を捨てた事を責めた。
恨みつらみを吐き出し、口汚く罵った。
母と離婚した後はほとんど家では父親と口を聞かなくなっていた中での出来事だったので、ついに父親は俺を見放した。
お前なんか俺の息子でも何でもない。何処にでも行け。と。
もうそこには父の言う通りに文句も言わず、毎週休みナシで塾も習い事もこなし、学校でも明るくリーダー的な存在の優等生の面影はもうどこにも無かった。
「小さい頃から父親も厳しかったので、停学の件でさらに関係も悪化して。ただでさえ家に居場所もなくて、学校の方にも居づらくなって…こっちにいた母に頼んで今の学校に転入してもらえるようにしました。正直言うと、ここへは東京から逃げて来たようなもんです」
俺は積み上げて来たものを全て放り出し、ここへ逃げて来た。
そうして自分には数えるくらいの少ないものしか残らなかった。
「今考えると子供でバカな事をしたと思います…それでもここに来て良かったと思ってます。一回離れた母とは暮らせるようになったし、父とはまだ和解出来てませんが、自分もバイトし始めて、学費を出してもらう事に感謝はできるようになりました。友達もたくさん出来たし———佐藤さんにも会えたし。こんな見た目なんで信用出来ないかもしれませんが、自分なりに真面目に付き合って行こうと思ってます」
よろしくお願いします、と頭を下げた。
正直な気持ちだった。
今まで誰にも言わなかった、いや、言えなかった事を話した。
こっちに来たばかりの時は、田舎さ加減に辟易した。
好きなブランドのショップも40分以上電車に乗らないと辿り着かない。
品揃えは悪い。
さらにお気に入りのうちのいくつかのブランド店はこっちにまだ上陸すらしていない。
近くには遊ぶような場所もない。
近所の店はコンビニ以外は9時で閉まる。
今まで俺の主食だった某ファストフードのチェーン店は隣の駅前まで行かないとない。
気分は僻地に飛ばされたサラリーマン、もしくは島流しに遭った流刑人のようだった。
だけど友達ができ、好きな子も出来た。
女の子はみんなかわいいし、バイトも始めて世界が広がった。
海と山どちらもあるこの街が結構気に入り始めていた。
昔みたいに頑張らなくてもいいその環境に安心した反面、その自由さと緩さに退屈さを感じ始めていた。
頑張って、期待され、優等生をやったところで報われない。
適当でいい。
一生懸命何かをしたところで、評価は下がってしまえば上がる事はない。
それなら初めから適当でいいんだ。
だけど、佐藤には負けたくなくて勉強だけは継続して頑張っていた。
大学行って有名企業に入って年収500万以上稼ぐという目標も佐藤のおかげだ。
俺は顔を上げて、佐藤の両親をまっすぐ見つめた。
佐藤は隣で何も言わない。
「…小林くん。また家おいで」
佐藤のお父さんと目が合う。
優しげな目だった。
「希望が居なくてもいいから。また気分転換に弾きに来て聴かせて」
お父さんの温かい言葉にお母さんの優しい眼差し。
今度来るなら何の料理がいいかと話している。
受け入れてもらえた事にホッとした。
素直にお礼を言ったあと佐藤の方を見た。
「…」
佐藤は何も言わない。
佐藤。
俺は今自分が持っているものの中で出来る事をした。
次はお前の番だ。
その時、佐藤のねーちゃんがリビングに入って来た。
「結夢、大丈夫?」
お母さんが席を立つ。
「ん、大丈夫。やっぱ戻しちゃったぁ」
「え、お姉ちゃん、なんかあたった?」
佐藤が慌てて言う。
「あ、違うの。ものすごく食欲あってずっと食べ続けたいんだけど、食べ過ぎちゃうと吐いちゃうんだよねぇ」
「…」
それって…。
佐藤の横顔を見る。
お母さんが
「だから少しずつを分けて食べなさいって言ったじゃない」
と言った。
「食べづわり、の方みたい」
ずっと佐藤の顔を見ていたので、それを聞いて佐藤が固まったのが分かった。
———挨拶をして佐藤家を後にした。
帰り道、2人で駅までの道のりを歩いてる。
佐藤は黙ったままで心ここにあらず。
「…いい両親、だな」
俺は素直な気持ちを言った。
「…うん…」
また沈黙。
駅までの道のりの半分あたり。
俺は
「佐藤」
と声をかけた。
「ここでいいよ、道分かるから」
「…ううん、駅まで行く。本当に今日はありがとう」
佐藤が軽く頭を下げる。
「…でもピアノ弾けるなんて知らなかった。K大附属…はホントなんだよね…?どこからどこまでが作り話か分かんなくて、びっくりして途中から頭ついていかなかったよ。適当にやるって言ってたけど、結構しっかりシナリオ考えてくれてたんじゃない」
そう言って明るく振る舞って肘で俺を押した。
「作り話じゃないよ。全部ホント」
俺が立ち止まるとつられたように佐藤も立ち止まった。
「ウチの事も、向こうの学校停学になったのも、父親との事も全部。…うち、小さい頃から父親が本当にスパルタで、あっちではずっと優等生を演じてたから、どうやったら大人からいい子に見えて、受け入れてもらいやすいか分かる」
別に今日の俺もニセモノじゃないけど。
やっぱり東京にいた頃の俺は無理をしていた。
でも長年頑張ってそう見られようとしてたから、どっちが本当の自分だったのか分からない。
今の方が伸び伸び出来てるけど、実際にはチャラいのを演じてるし。
「…」
「ピアノやってて良かったな。お父さんに喜んでもらえて。無駄に習い事いっぱいしてたけど、あんま役に立った事なかったから」
首をすくめる。
「佐藤」
俺は佐藤を真っ直ぐ見た。
目は逸らさない。
「前に、一回ウソついたら突き通さないといけなくなるって言ったよな?自分のクビ締めるだけだって。」
「…うん」
「…俺は嘘つくの嫌いだ。特に人を傷つける嘘。お前がしている事は誰も幸せにならない。アイツをまだ好きなのも信じられないし、ねーちゃんを裏切って、両親が悲しむのを分かってても諦めないとか言うお前の思考がわかんね」
「…」
「———俺と約束したよな。彼氏役やったら何でもひとつ言う事聞くって」
俺は振り返って一歩戻った。
佐藤に近づく。
ニセモノの彼氏役を引き受けた時から、何を頼むかは決めていた。
「ニセモノの彼氏は今回でおしまい。俺と付き合って。今日から俺が本当の彼氏になる」
「…え?」
佐藤が目を見開く。
「俺が諦めるって言ったらお前も諦めるっつったろ?俺はもうとっくに友海の事は諦めてる。邪魔するつもりも奪うつもりもないし、これからもない。だからお前も諦めろ」
一人でずっと我慢して、一人で泣いて、一人でそんな重大な過ちを抱えてどうするんだよ。
好きで居続けたって苦しいだけだ。
「…何でそんな事言うのよ…」
「大事な家族を悲しませても?当たり前にあると思ってたものを失って気づくことはたくさんあるよ」
失った俺からしたら、当たり前に持っている佐藤が羨ましい。
「ねーちゃんに子供出来たんだろ?そんな顔してないで祝ってやれよ。家族が増えんだろ」
「…」
「いいか。今、人の幸せを喜べないのは自分だけのせいじゃない。アイツも同罪だ。それに気づけよ。そんなやつのどこがいいんだよ」
佐藤が首を振った。
分からず屋だな。
こんなに好きなのに。
俺は佐藤の手を掴んだ。
捕まえないとそのまま逃げて行きそうだった。
「———うちの両親、離婚したっつったろ?…父親の浮気のせいで別れたんだよ。それが原因なのにうちの母親は一円も慰謝料貰わずに泣き寝入りで別れたよ。しかもうちの父親は離婚した後一年もしないうちに浮気相手と再婚した。それが戸籍上の義母。…母親なんて呼んだ事ないけど。…人ん家を壊しといて、奪っといて、今も俺や母親に謝りもしないで、父親と暮らしてるよ。今も恨んでる。うちの母親は結果的に今、離婚して幸せに暮らしてるけど、子供の俺は未だに自分がもっと頑張っていたら…いい子でいたら両親を繋ぎ止める事ができたのかもしれないって思う時があるよ。後悔ばかりだ。ずっと苦しんでるよ。…佐藤は人の物を欲しがって奪って、不幸になるヤツがいるの分かっててすんの?人を傷つけても自分の幸せばっか考えんの?お前、そんなヤツだったのかよ」
佐藤は震える唇を噛み締めて、何も言わない。
「…今日挨拶しに来たのは、佐藤の嘘を本当にするつもりで来た。諦めるって、ねーちゃんや家族にバレたくなくて、別れさせたいわけじゃないって、言ったからだ。嘘を突き通すつもりなら、諦めるんだよな?…嘘つくんなら墓場まで持っていく覚悟持てよ。それが出来ないなら最初から嘘なんてつくな。俺が墓場でも地獄でもどこでも一緒に行ってやる。俺が半分抱えてやる。大事な人たちを傷つけて、自分の事ばっか言ってんじゃねえよ。…あんまり見損なわせんな。お前のやってる事は最低だぞ」
パッと手を離した。
母と俺から父親を奪っていった女の顔が浮かぶ。
佐藤はあんな女と同じなのか?
違うだろ?
「…俺は今の佐藤は嫌いだ」
俺は低い声で言った。
本当は大好きだと伝えたい。
でも。
大好きだけど、嫌いというのも本当だ。
俺は
「もうここでいい」
と言ってそのまま駅の方に歩き出した。
「へぇー、1年生の途中で転入してきたのー」
さっきから佐藤のねーちゃんばかり喋っている。
出してもらったお茶には手をつけない。
喉は乾かないから、思ったより緊張はしていない。
俺の左には佐藤。
その周りを囲まれる感じでダイニングテーブルに佐藤の両親とねーちゃんが座る。
肝心の佐藤は全然喋らないので、味方の気がしない。
完全、四面楚歌。
だけど、不思議と落ち着いていた。
親父以外の大人なら、俺にとっては全員マシ!
「はい」
と答えながら周りを見た。
「あの、この前いた相川さんはいないんですか」
見かけない。
「あ、タカちゃん今日ゴルフで来られないの。この前留守番させちゃったから、誰かと思ったよね」
喋り方も外見も25歳には見えない。
せいぜい大学生。
元保育士さん、だっけ。幼稚園の先生?
仕事やめたばっかりって言ってたかな、確か。
スッキリしたきれい系の佐藤———だいぶ俺の目にはフィルターがかかっているかもしれない———に比べて、ねーちゃんはかわいい系。
世間一般では可愛い方だ。
なんとかって言うぶりっこの女子アナに似てる。
いると思って、プリン多めに買ってきた事を話し誤魔化す。
居なくてホッとした。
絶対ポーカーフェイスが崩れる自信があった。
ヤツの事もいろいろ聞きたいけど、変に思われても困る。
「———ねぇ、ところで二人はいつから付き合い出したの?」
佐藤のねーちゃんの質問に一瞬考える。
そういや話してなかったな。
打ち合わせみたいなのも要らないって言ったし。
「えーと…1年の終わり?だっけ」
チラっと佐藤を見た。
「2年になってからって言ってなかった?のんちゃん」
ねーちゃんがキョトンとする。
そっちか。
慌てる様子の佐藤を尻目に
「あぁ」
と思い出したように俺は笑顔で言った。
「1年の終わりに僕から交際を申し込んだので、今のは告白した時期でした。正式にOKもらったのは2年になってからです」
あっぶね。
しかも僕から交際、とか自分で言っててキモいけど、今日は爽やかな俺で通す。
やるからにはなりきる。
照れが入るとボロが出るから、俺が佐藤に夢中なように振る舞う。
実際、夢中なんだけど。
だから困ってるんだ。
ポカンとした佐藤の間抜け面が目に入る。
佐藤、分かりやすすぎ。
ていうか、よく今までそんなんで家族騙せたね?
実はねーちゃんにはバレてんじゃないか?
逆に心配になるわ。
「へぇ~。のんちゃんの方が好かれてたんだぁ~」
さっきから喋り続ける姉とは対照的に、佐藤のお父さんとお母さんはお茶を静かに飲んでいる。
ねーちゃんが家族の中で実はキーマンか?
「1年生で転入ってことは、それまでどこにいたの?」
ねーちゃんの質問は続く。
「東京です」
「なんていう高校?」
結構グイグイ来るな。
「K大学附属高校です」
俺は正直に学校名を言った。
「!?」
佐藤がこっちを見た。
「嘘」
嘘じゃねーし。
「あれ、言ってなかったっけ」
すっとぼけたが、友達には言ってない。
知ってるのは学校の一部の先生くらい。
転入の経緯もあって、前の学校に迷惑にならないように親父が学校側にどこからの転入かは伏せるように念を押したらしい。
昔から父親はそういう人だった。
でも母親の元に行く事と転校する事を認める条件の中に入っていたので、わざわざ自分からは言ったりしない。
俺の親権はまだ父親だ。
「ま、まさかぁ~」
信じてない。
まぁそうだよね。
こんな普段ふざけてるやつが有名大学附属の高校から来たとは誰も思わない。
「ホントだって。見る?転入の時必要だったから前の生徒手帳を撮ったの残ってる」
そう言ってスマホを操作した。
写真アプリから、個人証明提出用に前に送った写真付きの生徒手帳の画像を見せた。
佐藤は何回かその写真と俺を見比べた。
そんな拡大しなくても偽造してないから。
ホント失礼だな。
お前が頼んでこんな事になってんのにさ。
佐藤のお母さんが付き合ってるのに前の学校を知らない事を訝しがったので、俺は手を振って答えた。
「初等部からのエスカレーター式なんで、実際はたいした事ないんです。入学しちゃえば誰でも進級できるし、言ったらハードル上がるんで、仲いい友達にも言ってなくて」
実際そうだ。
お受験が難関で大変なだけ。
入ってしまえばよほどの事がない限りは普通に進級できる。
当時はまだ助教授だった父親は、小学校までは地元の公立の小学校でいいという母親の反対を押し切って、意地でも同じ系列の附属校に入れたがった。
結果、俺は通算9年間、遠方の学校へ電車で片道約一時間ほどかけて通学する事となる。
学校から帰って来てからも習い事と塾で毎日遅くまでよく頑張ったと思う。
高校は大学と隣接していたので通学距離は一気に縮まり通学地獄から解放されたものの結局通ったのも数ヶ月だけだった。
「そんな有名校通ってて、なんでこっちの学校に転入したの?」
ねーちゃんはさっきからおっとりしてそうなその外見とは反対に、鋭い質問を繰り出してくる。
実は性格強め?
ま、佐藤の姉だからな。
「それは」
言おうかどうか迷った。
「…高一の時父が再婚したので…新しい家族と馴染めなくてこっちにいる母の方と暮らす事になりました。今は母と二人暮らしです」
そうなんだぁと相槌を打ちながら「お父さん、何してる人?」とさらに被せてくる。
何これ。尋問か。
世の中の彼氏は彼女ん家行ったら、こんな質問責めにあってんのか。
まだ転入試験の面接のがユルいわ。
世の彼氏は大変だな。
でも正直に父が大学で環境学を教えていることを話した。
あんまり父の事は話したくなかったけど。
不肖の息子が停学をくらった挙句、そこよりも偏差値が低い地方の私立高校に転校したなんて父親からしたら汚点でしかない。
「へぇ、環境学」
意外にも佐藤のお父さんが反応した。
ねーちゃんが目の前でスマホで検索し出す。
すげーな、この人。
俺が嘘言ってないか全部調べるつもりか。
徹底したその感じが佐藤と姉妹だなと思った。
別の考え方をすれば、妹の彼氏に相応しいか調べて値踏みしてるのは、妹思いだからではあるだろう。
「あ。この人がお父さん?」
すぐ父に辿り着いたのか、ねーちゃんが学内HPに載っているページを開いて見せた。
久しぶりに見た父の顔は『よそ行き』の顔だった。
「はい、父です」
見たくもなかったけど、俺は正直に答えた。
隣にいた佐藤が今度はねーちゃんのスマホを覗き込んで俺の顔を見比べる。
その顔は半信半疑。
俺の顔立ちはハッキリ言って父似。
ちょっと父のが男っぽい凛々しい感じ。
ありふれた名字だけど、顔がこれだけ似てて親子と言ったら大体信じる。
下の名前も俺の字と同じ字が一字入ってるし。
佐藤のお母さんが
「あれ、この前報道番組にコメンテーターで出てなかった?ホラ…」
と夜のニュース番組で気候変動サミットについて、コメントをしていたと話し出した。
外見は良いので、専攻している分野の特集やニュース番組でコメントを出したりテレビに少し出る事は東京にいた事から何回かあった。
今は連絡取ってないので分かりません、と答えた。
うちのテレビでそんなん付いてたら速攻で消す。
俺と母の間では「もう関係のない人」だ。
養育費だけはきちんと支払ってくれてるので、テレビに出ていたと聞いても、せいぜい頑張って稼いで滞りなく学費を支払ってくれと思う。
嘘は言いたくないので、その後の質問にも正直に答えた。
「そうか、すまんね、いろいろご家庭の事まで聞いて。結夢、失礼だよ」
お父さんがお母さんの方を向いて
「そろそろお昼にしようか」
と促した。
そうね、とお母さんが立ち上がる。
父親から嗜められたにも関わらず、ねーちゃんはスルーして手伝いのため席を立った。
手伝おうと立ち上がりかけた佐藤が断られストン、と座り俺を見ている。
ん?とその瞳を見返す。
佐藤が嘘を貫くなら、俺はウソは言わない。
本当の俺を知って見てほしい。
ありのままの俺を好きになってほしい。
ご飯の準備が出来るまでの間、お父さんと結構喋った。
ちょっと人見知りだけど、話し出すと結構いろいろ話してくれる。
飾ってある佐藤の小さい頃の写真があった。
今はツンとしてるのがデフォルトだけど、昔は姉妹でふざけているかわいいショットもあった。
スマホで撮っちゃおうかな。
子供の頃の思い出を話している佐藤のお父さんを見ていたら、愛されて育ったんだなと感じた。
小さい頃からテレビで見ていたような温かい家庭。
ほんとにあるんだと思った。
うちにはそんなのなかった。
部屋にカレーの匂いがしてくる。
数日前に昼ごはんはカレーでいいかとメッセージが来ていたので、何でもいいと答えていた。
ふと見たピアノの上に飾ってある一枚のCDが目に止まった。
佐藤のお父さんがジャズが好きらしい。
知ってる曲だったので、それを弾くことになった。
ピアノ、触るの3年ぶりくらいかな。
塾との両立が出来なくて途中で辞めたけど、指は長いし、覚えるのも早くて筋がいいと習っていた先生は俺が辞める事を残念がった。
自分がやりたい、やりたくない、より父の言う事は絶対だった。
それでも実家にはピアノがあったから勉強の合間に気晴らしで弾いてた。
はっきり言ってガラじゃない。
今の学校で音楽の時間でも休み時間でも音楽教室のピアノには触った事はない。
水泳とかそろばんとか他の習い事もしてたけど、一番ピアノ歴が長かった。
音をいくつか鳴らす。
ゆっくりと弾きだす。
あの頃に一気に戻った。
指は前ほど動かないし、いくつか間違えた。
昔を思い出す。
小さい頃は女みたいで通わされるの嫌だった。
嫌だったけど、あの時があるから今の自分がある。
———いろんなものを捨てて、諦めてこっちに来た。
惜しいものも失いたくないものもたくさんあった。
でも手に入れたものもたくさんある。
少し離れたところで佐藤のお父さんが笑顔で聴いている。
あの頃はピアノをもう一度弾くとは思わなかった。
自分のピアノで誰かが喜ぶ事なんて想像してなかった。
もう自分で選べるんだ。
欲しいものも要らないものも。
自分の手で選んでいいんだ。
だけど、誰かを傷つけちゃダメだ。
奪っても、その時は手に入れたようでも、自分がすり減っていくだけだよ、佐藤。
自分的には全然50点くらいの出来だったけど、弾き終わったら佐藤のお父さんが拍手をくれた。
小さい頃泣きながら、無理矢理参加させられたピアノコンクールで拍手を貰った時より嬉しかった。
俺は自分で欲しいものを選ぶ。
必要なものも。
守りたいものも。
佐藤。
お前にその覚悟はないだろ?
ピアノの椅子に座ったまま、佐藤のお父さんと話しているとカレーが出来たよーと運ばれてきた。
「————何これ、めっちゃうま!」
一口カレーを食べて思わず素が出た。
「あ、すいません、おいしいです」
慌てて言い直した。
佐藤のお母さんは笑って、いいのよ、どんどん食べて、と言った。
佐藤の話ではお母さんは口うるさいらしいが、全然そんな事はなかった。
髪の事も言われなかった。
佐藤が事前に何か言ったんだろうか?
出された目の前のカレーはスパイスの調合から一から作ってると聞いて、ビックリした。
うちにたまにしか登場しないカレーはレトルトが多い。
ていうかレトルトしかない。
まぁ、あれも美味しいけど、こっちはお店のカレーみたい。
「そう、うちのお母さんのカレー、香辛料から買ってきて作るの。これ食べるとルーで作ったカレー食べられなくなるよね~」
———なんだかんだで話が弾み、3時半を過ぎた頃、俺が買ってきたプリンと一緒にコーヒーを出してもらった。
プリンを見て佐藤のお父さんが
「プリンにしたんだね」
と言った。
「友達に聞いたら、ここの駅前のケーキ屋のプリンが美味しいって言われたんで」
と正直に話した。
「まさかお父さんとかぶるとは思いませんでした。って言うか、近所で買うなって話ですよね」
でも逆にそれが良かったのかもしれない。
あの時ケーキ屋に寄ってなかったら、こうなってないかもしれなかった。
佐藤のお父さんが首を振った。
「いや、我が家はみんなここのプリンが好きでね。ありがとう」
確かに和幸が言う通り、プリンはトロトロで美味かった。
今度、母親に買って帰ろう。
食べ終えたあと、一呼吸置いて姿勢を正す。
「すいません、謝らないといけない事があります」
いきなりの俺の発言に、コーヒーを飲もうとしていたお父さんだけではなく、片付けようとしていたお母さんも手を止めた。
「今日話した中で嘘…というか黙っていた事があります」
嘘というか、厳密に言えば言いそびれた事だ。
「うん」
お父さんがカップを置く。
「———僕がこっちに来た理由…再婚した家族と馴染めなくて、と言いましたが…もちろんそれもあるんですけど、前の学校で停学をくらってます。はしょりました。すいません」
頭を下げた。
「父親が再婚して…反抗してやろうと思ってバイクの免許を無断で取ったのが学校にバレたのと、その件で告げ口した同級生と喧嘩して一週間ですが停学になりました。もともと父とは折り合いが悪かったので反発してて」
もちろん法律的には免許は取れる歳だったけど、進学校だった前の学校では大問題になった。
しかもチクった同級生を殴ったら向こうの親が出てきて大騒ぎになった。
そこからは一気に転落人生。
もともと父親の再婚以来、反抗して隠れて塾をサボって悪い友達とも遊ぶようになっていたので、学校の成績もガタ落ちだった。
久しぶりに長期出張から戻って来た父親は息子の停学の話と荒んだ生活ぶりを見て激昂した。
初めて面と向かって反抗した俺は殴られて歯が折れた。
体格は変わらないくらいになっていたけど、今みたいにバイトで鍛えられてもなく腕力もなかったから負けた。
文字通りボコボコにされたけど、リビングにあった椅子で応戦して父親の腕の骨にはヒビが入った。
壮絶な親子喧嘩だった。
初めて母を捨てた事を責めた。
恨みつらみを吐き出し、口汚く罵った。
母と離婚した後はほとんど家では父親と口を聞かなくなっていた中での出来事だったので、ついに父親は俺を見放した。
お前なんか俺の息子でも何でもない。何処にでも行け。と。
もうそこには父の言う通りに文句も言わず、毎週休みナシで塾も習い事もこなし、学校でも明るくリーダー的な存在の優等生の面影はもうどこにも無かった。
「小さい頃から父親も厳しかったので、停学の件でさらに関係も悪化して。ただでさえ家に居場所もなくて、学校の方にも居づらくなって…こっちにいた母に頼んで今の学校に転入してもらえるようにしました。正直言うと、ここへは東京から逃げて来たようなもんです」
俺は積み上げて来たものを全て放り出し、ここへ逃げて来た。
そうして自分には数えるくらいの少ないものしか残らなかった。
「今考えると子供でバカな事をしたと思います…それでもここに来て良かったと思ってます。一回離れた母とは暮らせるようになったし、父とはまだ和解出来てませんが、自分もバイトし始めて、学費を出してもらう事に感謝はできるようになりました。友達もたくさん出来たし———佐藤さんにも会えたし。こんな見た目なんで信用出来ないかもしれませんが、自分なりに真面目に付き合って行こうと思ってます」
よろしくお願いします、と頭を下げた。
正直な気持ちだった。
今まで誰にも言わなかった、いや、言えなかった事を話した。
こっちに来たばかりの時は、田舎さ加減に辟易した。
好きなブランドのショップも40分以上電車に乗らないと辿り着かない。
品揃えは悪い。
さらにお気に入りのうちのいくつかのブランド店はこっちにまだ上陸すらしていない。
近くには遊ぶような場所もない。
近所の店はコンビニ以外は9時で閉まる。
今まで俺の主食だった某ファストフードのチェーン店は隣の駅前まで行かないとない。
気分は僻地に飛ばされたサラリーマン、もしくは島流しに遭った流刑人のようだった。
だけど友達ができ、好きな子も出来た。
女の子はみんなかわいいし、バイトも始めて世界が広がった。
海と山どちらもあるこの街が結構気に入り始めていた。
昔みたいに頑張らなくてもいいその環境に安心した反面、その自由さと緩さに退屈さを感じ始めていた。
頑張って、期待され、優等生をやったところで報われない。
適当でいい。
一生懸命何かをしたところで、評価は下がってしまえば上がる事はない。
それなら初めから適当でいいんだ。
だけど、佐藤には負けたくなくて勉強だけは継続して頑張っていた。
大学行って有名企業に入って年収500万以上稼ぐという目標も佐藤のおかげだ。
俺は顔を上げて、佐藤の両親をまっすぐ見つめた。
佐藤は隣で何も言わない。
「…小林くん。また家おいで」
佐藤のお父さんと目が合う。
優しげな目だった。
「希望が居なくてもいいから。また気分転換に弾きに来て聴かせて」
お父さんの温かい言葉にお母さんの優しい眼差し。
今度来るなら何の料理がいいかと話している。
受け入れてもらえた事にホッとした。
素直にお礼を言ったあと佐藤の方を見た。
「…」
佐藤は何も言わない。
佐藤。
俺は今自分が持っているものの中で出来る事をした。
次はお前の番だ。
その時、佐藤のねーちゃんがリビングに入って来た。
「結夢、大丈夫?」
お母さんが席を立つ。
「ん、大丈夫。やっぱ戻しちゃったぁ」
「え、お姉ちゃん、なんかあたった?」
佐藤が慌てて言う。
「あ、違うの。ものすごく食欲あってずっと食べ続けたいんだけど、食べ過ぎちゃうと吐いちゃうんだよねぇ」
「…」
それって…。
佐藤の横顔を見る。
お母さんが
「だから少しずつを分けて食べなさいって言ったじゃない」
と言った。
「食べづわり、の方みたい」
ずっと佐藤の顔を見ていたので、それを聞いて佐藤が固まったのが分かった。
———挨拶をして佐藤家を後にした。
帰り道、2人で駅までの道のりを歩いてる。
佐藤は黙ったままで心ここにあらず。
「…いい両親、だな」
俺は素直な気持ちを言った。
「…うん…」
また沈黙。
駅までの道のりの半分あたり。
俺は
「佐藤」
と声をかけた。
「ここでいいよ、道分かるから」
「…ううん、駅まで行く。本当に今日はありがとう」
佐藤が軽く頭を下げる。
「…でもピアノ弾けるなんて知らなかった。K大附属…はホントなんだよね…?どこからどこまでが作り話か分かんなくて、びっくりして途中から頭ついていかなかったよ。適当にやるって言ってたけど、結構しっかりシナリオ考えてくれてたんじゃない」
そう言って明るく振る舞って肘で俺を押した。
「作り話じゃないよ。全部ホント」
俺が立ち止まるとつられたように佐藤も立ち止まった。
「ウチの事も、向こうの学校停学になったのも、父親との事も全部。…うち、小さい頃から父親が本当にスパルタで、あっちではずっと優等生を演じてたから、どうやったら大人からいい子に見えて、受け入れてもらいやすいか分かる」
別に今日の俺もニセモノじゃないけど。
やっぱり東京にいた頃の俺は無理をしていた。
でも長年頑張ってそう見られようとしてたから、どっちが本当の自分だったのか分からない。
今の方が伸び伸び出来てるけど、実際にはチャラいのを演じてるし。
「…」
「ピアノやってて良かったな。お父さんに喜んでもらえて。無駄に習い事いっぱいしてたけど、あんま役に立った事なかったから」
首をすくめる。
「佐藤」
俺は佐藤を真っ直ぐ見た。
目は逸らさない。
「前に、一回ウソついたら突き通さないといけなくなるって言ったよな?自分のクビ締めるだけだって。」
「…うん」
「…俺は嘘つくの嫌いだ。特に人を傷つける嘘。お前がしている事は誰も幸せにならない。アイツをまだ好きなのも信じられないし、ねーちゃんを裏切って、両親が悲しむのを分かってても諦めないとか言うお前の思考がわかんね」
「…」
「———俺と約束したよな。彼氏役やったら何でもひとつ言う事聞くって」
俺は振り返って一歩戻った。
佐藤に近づく。
ニセモノの彼氏役を引き受けた時から、何を頼むかは決めていた。
「ニセモノの彼氏は今回でおしまい。俺と付き合って。今日から俺が本当の彼氏になる」
「…え?」
佐藤が目を見開く。
「俺が諦めるって言ったらお前も諦めるっつったろ?俺はもうとっくに友海の事は諦めてる。邪魔するつもりも奪うつもりもないし、これからもない。だからお前も諦めろ」
一人でずっと我慢して、一人で泣いて、一人でそんな重大な過ちを抱えてどうするんだよ。
好きで居続けたって苦しいだけだ。
「…何でそんな事言うのよ…」
「大事な家族を悲しませても?当たり前にあると思ってたものを失って気づくことはたくさんあるよ」
失った俺からしたら、当たり前に持っている佐藤が羨ましい。
「ねーちゃんに子供出来たんだろ?そんな顔してないで祝ってやれよ。家族が増えんだろ」
「…」
「いいか。今、人の幸せを喜べないのは自分だけのせいじゃない。アイツも同罪だ。それに気づけよ。そんなやつのどこがいいんだよ」
佐藤が首を振った。
分からず屋だな。
こんなに好きなのに。
俺は佐藤の手を掴んだ。
捕まえないとそのまま逃げて行きそうだった。
「———うちの両親、離婚したっつったろ?…父親の浮気のせいで別れたんだよ。それが原因なのにうちの母親は一円も慰謝料貰わずに泣き寝入りで別れたよ。しかもうちの父親は離婚した後一年もしないうちに浮気相手と再婚した。それが戸籍上の義母。…母親なんて呼んだ事ないけど。…人ん家を壊しといて、奪っといて、今も俺や母親に謝りもしないで、父親と暮らしてるよ。今も恨んでる。うちの母親は結果的に今、離婚して幸せに暮らしてるけど、子供の俺は未だに自分がもっと頑張っていたら…いい子でいたら両親を繋ぎ止める事ができたのかもしれないって思う時があるよ。後悔ばかりだ。ずっと苦しんでるよ。…佐藤は人の物を欲しがって奪って、不幸になるヤツがいるの分かっててすんの?人を傷つけても自分の幸せばっか考えんの?お前、そんなヤツだったのかよ」
佐藤は震える唇を噛み締めて、何も言わない。
「…今日挨拶しに来たのは、佐藤の嘘を本当にするつもりで来た。諦めるって、ねーちゃんや家族にバレたくなくて、別れさせたいわけじゃないって、言ったからだ。嘘を突き通すつもりなら、諦めるんだよな?…嘘つくんなら墓場まで持っていく覚悟持てよ。それが出来ないなら最初から嘘なんてつくな。俺が墓場でも地獄でもどこでも一緒に行ってやる。俺が半分抱えてやる。大事な人たちを傷つけて、自分の事ばっか言ってんじゃねえよ。…あんまり見損なわせんな。お前のやってる事は最低だぞ」
パッと手を離した。
母と俺から父親を奪っていった女の顔が浮かぶ。
佐藤はあんな女と同じなのか?
違うだろ?
「…俺は今の佐藤は嫌いだ」
俺は低い声で言った。
本当は大好きだと伝えたい。
でも。
大好きだけど、嫌いというのも本当だ。
俺は
「もうここでいい」
と言ってそのまま駅の方に歩き出した。
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