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彼side

10 ニセモノのままでは終われない 前編

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———佐藤からメッセージが来ていたのは知っていた。

アカウントのところに最初の数行くらいはメッセージが表示される。

お礼と謝罪のようだった。

だけど、開けなかった。

まだ俺の中で頭の整理が出来ていなかった。

いや、頭の整理じゃない。

気持ちの整理だ。

頭の方は分かっている。

恋人の妹に手を出すなんて許される事じゃない。

ましてや結婚を控えている。

結婚したあとは離婚しない限り一生付き合いは続く。

どんなに遠くに離れて暮らしていても、冠婚葬祭のたびに顔を合わせる事になるだろう。

一度限りの過ちでさえ許しがたいのに、そんな事をするやつをそれでも好きで居続けるなんて信じられない。

姉を裏切り、親も裏切り、叶わないのにそんなヤツを思い続ける。

俺からしたら佐藤も馬鹿としか言いようがない。

そんな関係に未来はないし、自分のエゴだけで周りも巻き込んで傷つけて、本人が一番傷ついてボロボロになるのは目に見えている。

佐藤の恋は間違っている。

でもそれは頭で考えて、の話だ。

気持ちとなるとそうはいかない。

自分なら諦めるし、関係ないと言われても佐藤を諦めさせたい。

でもどうやって諦めさせる?

正論を言ったところで聞かない。

そんなの本人が一番分かっているんだろう。

それでも諦められないから、どうやったら振り向かせられるか悩んで、好きでもないヤツとセックスして男を知ろうなんて突拍子もない事するんだ。

少しでも可能性がある方向へ。

ずっと分からない佐藤の気持ちを解きたいと思っていたけど、史上最強の難問に俺は解く気にすらなれなかった。

あの日以来、口を聞いていない。

教室で会っても挨拶すらしない。

席が前後なので、佐藤の視界には俺は入ってるんだろう。

でも俺は佐藤の方を振り返る事は無かった。

見たら、またひどい事を言ってしまう。

あんなに嫌がっていたキスもしてしまった。

佐藤も怒っているんだろう。

入れはしなかったものの、無理矢理なんてほぼ暴行未遂だ。

罪悪感と後悔と怒りと悲しみと虚無感…なのに佐藤の事は好きだ。

好きだけど、嫌いだ。

なんなんだ。

自分の気持ちさえ分からない。

こんな事は初めてだった。

必然的に二人で行動しないといけない委員会が今月はないというのだけが救いだった。


このまま何もないと思っていた俺たちの間に進展があったのは二週間後の事だった。

昼休み、教室の端で山林が持ってきた雑誌を囲んで騒いでいた。

雑誌っていうか、ほとんど布の面積が小さい水着を着たグラビアだけどね。

そんな中佐藤が、こちらに来た。

「小林」

まさか話しかけてくるとは思わなかったのでチラ、と佐藤に目線をやって、雑誌を見た。

「何」

山林が
「ちょっと佐藤、先生に言うなよ」
と俺が持ってる雑誌を取り上げて隠そうとする


「話があるんだけど。…今度の委員会の」

「ここでいいじゃん」

俺は言った。

大体、委員会は来月じゃん。

「何?お前ら委員会の事で喧嘩してんの?こ、ここいいよ…?」

不穏な空気を察した山林が邪魔にならないように隣に避けた。

佐藤が山林の持っているグラビア雑誌を取り上げて
「こんなエロ雑誌の横で真面目な話ができるわけないでしょ!」
と言った。

近くにいた男子たちが「ちょっと没収する前に見せて!」と佐藤の持っている雑誌に群がる。

「…」

何やってんだ。

俺はため息をついた。

佐藤の手から雑誌を取り上げて山林に投げて返した。

「いいよ、あっちいこ」

ポン、と肩を叩く。


誰もいない屋上に移動した。

「…何」

ポケットに手を突っ込んだまま聞いた。

メッセージを無視してるから直接言いに来るあたりが佐藤らしい。

俺も無視するなんて男らしくなかったなと思った。

佐藤は
「この前はごめん」
と頭を下げた。

「彼氏のフリ引き受けてくれたのに、ひどい事言った」

「それはいいけど」

友海のことだろうか。

「それで…」

その後は、家族がまた会いたがってること、今週来れないかということ、その時だけでいいからまた付き合ってるフリをしてくれないかという内容の事を淡々と言った。

また懲りずに嘘つくの?

ニセモノの彼氏なんか仕立てて、守りたいのはアイツや自分の恋だろ?

俺は頭をかいた。

「…だから言ったじゃん。一回嘘つき出したらずっとつかないといけなくなるよって。そんなにアイツ守りたいの?」

「…違う」

佐藤が顔を上げた。


「エッチのテクニック磨いて落としたい相手がねーちゃんの婚約者なんだろ?バレずにニセモノの彼氏立てて、落とす手助けなんて俺はごめんだ」

「…もう貴典さんを振り向かせるのは諦める」

俯いて佐藤は消え入りそうな声で言った。

「…お姉ちゃんと別れてほしいわけじゃない。嘘をつき続けるのはお姉ちゃんを傷つけたくないから。私と貴典さんのことがバレたら破談になる」

確かに、それでバレないようにずっと動いているんだから、別れさせたい訳じゃないのは本当なんだろう。

なのに…別れさせたい訳じゃないのに、またアイツに抱かれたい?

そのための俺なんだろ?

でも嘘を突き通したとして、これから結婚後も諦められず、ずっと近くで二人を見て苦しむんじゃないのか?

佐藤一人だけが…。

それであのおっさんは嚢嚢と何事もなかったかのように、家族として佐藤の側に居続けるんじゃないのか。

「…」

俺はしばらく黙っていたが「いいよ」と言った。

「土曜バイト入ってないし」

「ありがと…」

「その代わり、これが終わったら俺の言うことなんでも一つだけ聞いてもらっていい?この前みたいに」

「言うこと?…何?」

「終わったら話す。やりたくないならいい。俺も協力しない」

「…あんまお金かかるのは無理だけど、お小遣い範囲なら」

「ん。…やるからには佐藤ん家行ってる間はニセモノでも彼氏だから、何言われても最後まで付き合ってるフリをしつづけて。あと頼まれてもニセモノの彼氏役するのはこれが最後。いい?」

もうニセモノなんてまっぴらごめんだった。
これで最後。

「…わかった」

佐藤からは当日いろいろ聞かれた時のため、打ち合わせをしたいと言われた。

そんなの適当にやると答えて断った。

階段に続く入り口へと向かう。

「時間分かったらまた連絡ちょうだい」

それだけ言ってその場を去った。

佐藤が嘘をつかずに済んで、なおかつアイツを諦めて、誰も傷つけずに済む方法がないもんだろうか?


———自分の親が離婚すると言った時の衝撃は忘れられない。

足元にしっかりと築き上げて来た、硬いと思っていた地面が砂になって崩れていくような感覚。

あの時、俺は中学生だった。
何も出来なかった。

その後も逃げてばかりだった。

考えろ。

どうすれば佐藤は諦める?

俺の頭の中がフル回転で動き出した気がした。

それから土曜日まで佐藤とは一言も喋らなかった。


———土曜日。

「ちょっとあっくん、出かけるなら帰りに洗剤買ってきてくれない?いつも使ってる柔軟剤入りのやつ」

靴を履こうとしていた俺は座ったまま振り返る。

今日休みの母は一日家にいるらしかった。

化粧してないので、出かける気はないんだろう。

もう高校生なんだから、あっくん呼びはもうやめてほしい。

「いいけど、帰り夕方くらいになるよ」

「あ、いいわよ。どこ行くの?」

俺はしばらく考えて
「…彼女ん家」
と答えた。

「えっ!ちょっといつのまに彼女出来たの!?」

急にテンション上がる。

ニセモノの彼女だけど。

「今度うちにも連れて来てよ!」

もう何回も連れ込んでるし。

しかも泊まった事もあるし。

母に言ったら殺されるから言わない。

「えー、どんな子!?お母さん、娘と買い物行くの夢だったんだよね~!息子しかいないから諦めてたけど、お嫁さんと行くのもいいわよね~」

息子ですいませんね。

そして話が飛躍しすぎ。

「まっ、あっくんはカッコいいから、彼女もきっとかわいいよね!」
後ろから座ってる俺に抱きつく。

母さんは40代には見えない美形。

母方のじいちゃんがちょっと外国の血が入ってるから、肌は白くて、鼻筋も通ってる。

今でこそ明るく、スキンシップが多い母だけど、昔は専業主婦でもっと地味だった。

父の顔色を伺い、家ではこんなにニコニコしていなかった。

小さい頃は母が俺を抱きしめる時は父がいない時だけで、毎日習い事の送り迎えをしてくれる時や父の厳しい躾と教育に泣いている時だけだった。

ごめんね、ごめんねと。

父の前で庇って抱きしめようもんなら、甘やかしてると余計に怒られるから。

あのつらい時抱きしめてくれた母の手は今では堂々とした愛に満ち溢れている。

「あ、手土産は?準備したの?」

「一応、友達にめぼしい店聞いたから行く途中で買ってく」

「じゃあ。ハイ」

母が財布から2000円出す。

「いいよ、バイト代この前出たから」

「子供が遠慮しないの!あ、母からですとか言わなくていいからね」

「…ありがと」

そのまま素直に受け取る。

「だけど」

母が俺を見下ろして
「そのカッコで行くの?」
と腕組みで言った。

「変?」

「変じゃないけど…」

んーと考えて、あっちのジャケットの方がきちんとして見えるかも、と言って奥から持って来た。

たしかにジャケットかパーカーか悩んで、結局パーカーにしたんだけど。

「彼女ん家行くなら、向こうのお父さんお母さんにも会うんでしょ。きちんとした印象の方がいいって」

同じ子を持つ親としての意見。

素直に聞こう。

立ち上がって、そっちを羽織る。

別々に暮らしている間に母の背はとうに越した。

見下ろす形になる。

「うん!あっくん、カッコいい!さすが私の子!」

母が俺を見上げて親指を立てる。

だからあっくんてやめてよ。

もう子供じゃないんだから。

「いってらっしゃい!お行儀よくね!」

お行儀よくって…。

母は俺の背中をパンと叩いて送り出してくれた。



———電車を待っていると、佐藤からメッセージが入った。

駅まで迎えに行くと来たが、道は分かるからいいと断った。

この前の帰りに回り道じゃない、真っ直ぐ行けば駅に通じるルートはもう分かった。

それに先に二人で会って、家に行く前に喧嘩になったら嫌だ。

電車に乗って、佐藤の家の最寄り駅に着く。

そのまま反対方向の出口に出た。

和幸にどっか美味しいとこあるか聞いたら、駅前のこのケーキ屋が美味しいと言っていた。

いや、できれば佐藤家の生活圏内ではない、別の市内の有名店とかが良かったんだけど。

まぁ、いいや。高校生が背のびしたってしょうがない。

すでに持っている物は敵わないんだから。

ケーキ屋に入ってショーケースを眺める。

うーん、違う種類のを人数分買って行った方がいいのか。

和幸のおすすめはプリン。

とろけてめっちゃ美味いらしい。

だけど人気商品なのかすでに3個しかない。

「お決まりでしたらどうぞー」

店員の女性から話しかけられる。

佐藤ん家四人家族に…アイツも来んのかな。

この前の佐藤の姉の婚約者を思い浮かべる。

来るだろうな、この前家にいたし。

買って行くの癪だな。

でもしょうがないか。合計5個。

俺は顔を上げて店員に
「このプリンてこれで最後ですか」
と尋ねた、
「あー…それで最後…」
と言いかける店員に
「ありませんか?」
と出来るだけスマイル。

店員がちょっと赤くなったのが分かった。

「奥にあるか確認して来ますね」

引っ込んで行く。

しばらくして
「あと3個ならありますけど」
と出てきた。

お、ラッキー。

自分も一緒に食べるか分かんないけど、念のため一個多めに買おう。

「あ、じゃあコレと合わせて6個全部ください」

よそ行きの笑顔を貼り付けて頼んだ。

持っているものは限られてるから、最大限に使わないと。

支払いを済ませて、店を出ようとしたら入って来ようとしたおじさんと入り口でお見合い状態になった。

入るらしい。

俺はドアを押さえて、どうぞと譲った。

うちの父親と同じくらいかな。

うちの父親とは比べもんにならないくらい、人の好さそうな人だけどね。

少し驚いた感じだったけど、お礼を言って入って行った。

この髪のせいで、年齢が上の人にはあんまり第一印象が良くない。

そんなん気にしない加藤みたいな先生もいるけど、慣れてるから平気。

駅を通り抜けて反対側に出る。

通りを真っ直ぐ歩いた。

住宅街がすぐ広がる。

その時
「あれ」
と声をかけられた。

「あつ…小林くん?」

振り向くと犬を連れた女の子、もとい元カノ。

何で会うかな?

いや、佐藤と友海は同じ中学だから校区は一緒だ。

会ってもおかしくない。

和幸は昔この辺だったけど、小学校の時一回引っ越して、またこの辺りに戻って来たらしい。

佐藤は和幸はどのあたりに住んでたのかは知らないと言っていた。

友海に会うという事は和幸にも会うかもしれない。

「何でこんなとこ来てるの?」

犬のリードを引っ張りながら近づいてくる。

犬が足元に来て擦り寄ってきた。

かわいい。

ケーキの箱を持っていない方の手で首周りを撫でる。

猫は懐いて来ないけど、犬には好かれる俺。

「いやちょっとね」

「また本屋?」

「いや、違うんだけど…」

ヤバい、そろそろ行かないと約束の時間に間に合わない。

「あ、時間ないからそろそろ行くわ」

片手を上げていこうとすると、友海の犬が足元で、身体を擦りつけてくる。

「…メス?」

「うん、よく分かるね」

何となく勘です。

そのまま別れ、佐藤ん家に急いだ。

友海が振り返って見てた気がするけど、見ないフリした。

遅刻したら印象が悪い。

第一印象は会って数秒で決まるというけど、遅刻はそれ以前の問題。

会う前にレッテル貼られてしまう。

何とか5分ほど前に佐藤の家の前に着いた。

間に合った。

着いたら連絡してって言ってたな。

一度連絡するか。

そう思ってスマホを操作していると、少し先に人の気配。

…中年の男性。

こちらを見ている。

「…あ」

見た事あると思ったら、さっきのケーキ屋の入り口で会った男性。

向こうも同じ箱持ってる。

「…」


しばし二人でお互いを見たまま黙った。

違う。

見た事あると思ったのは、さっき会ったからじゃない。

口元が佐藤に似てる。

佐藤の家の前で、明らかにここに用事がある感じ。

ちょっとそこまで出てきたような格好で…そこまで考えて、俺はスマホをすぐポケットに閉まった。

第一印象の5割強は視覚から。

残りのうち約4割が聴覚。

出会って数秒で印象が決まると言われているのは、外見や態度、表情から読み取る情報がほとんどだからだ。

だから、もうすでに5割以上がここではないさっきのケーキ屋で決まってるなら残りでカバーするしかない。

ハッキリとした口調で元気よく。

大きい声でしっかりと。

「初めまして。佐藤さんと同じクラスの小林と言います」

俺は頭を下げた。

こんな礼、学校の号令の時なんてしない。

最初にお母さんから攻略と思ってたのに、いきなりラスボス登場かよ。

「…あぁ、いらっしゃい」

思ったより優しい声が返ってきて頭を上げた。

同じケーキの箱がまた目に入る。

まさかのかぶりか。

和幸、ちょっと恨む。

いや、和幸に聞いた俺が悪いか。

俺の視線に気づいてないフリをして佐藤のお父さんであろう男性は

「よく来たね。…どうぞ、中に」

と案内をしてくれた。

———玄関に入ると
「電車で来たの」
と聞かれた。

「ハイ」

「ここまで迷わなかった?」

朴訥とした喋り方だけど、優しさと温かさがある。

その時
「おとーさん?」
と声がして、廊下の奥から佐藤が顔を出した。

目を丸くする。

「ちょうどそこで偶然一緒になってね」

お父さんがどうぞ、とスリッパを履くように促してくれた。

「はい、お邪魔します」

俺は頭を下げて靴を揃えて脱いだ。

中に上がる。

まさかの佐藤のお父さんとのフライングに焦ったけど、息を吸って気持ちを整える。

大丈夫、昔から本番には強い。

「あら、いらっしゃい。どうぞ」

お母さんも奥から出てくる。

お母さんは思ったより好意的で、ちょっと拍子抜け。

お母さんにも挨拶をすると、隣にいる佐藤と目があった。

こうして向かい合うのはあの屋上の時ぶり。

私服を見るのは二回目。

やっぱりかわいいなと思った。

ケーキの箱を軽く持ち上げる。

「かぶっちゃった」

ピンチもチャンスに。

さっきのケーキ屋で態度は悪くなかったはずだからあまり気にしない。

逆に失礼な態度を取らなくてラッキーだったと思おう。

「どうぞ」

お母さんに手渡す。

「まぁ気を使わせてごめんなさいね」

お母さんがお礼を言って受け取る。

はっきりと、丁寧できびきびと。
笑顔で落ち着いて。
礼儀正しく言葉遣いにも気をつけるけど、固くなりすぎず、高校生らしく。

服装と身だしなみは母親のおかげで多分大丈夫。

優等生でいようとしていた東京に居た頃を思い出す。

出来るだけ爽やかにお母さんの目をしっかり見た。

表情から、評価は上々なのが分かった。

奥に案内され、佐藤の前をスッと横切る。

立ったままの佐藤に視線をチラリとやって
「佐藤、約束忘れんなよ」
と小声で言った。

…俺にニセモノの彼氏役を頼んだ事、後悔させてやる。
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