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相応しい相手
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ルーカスは、小さなことでも見逃さない、鋭く観察する眼差しでフィオナを見下ろしてくる。
「疲れた?」
アランブール伯爵と同じことを問われて、彼女は眉根を寄せた。
そんなに、疲労困憊に見えるのだろうか。
「フィオナ?」
無言の彼女に、ルーカスの目に浮かんでいた案じる色が濃さを増す。
「あ、いえ、大丈夫です。疲れては――少し、疲れてはいますけれど、大丈夫です」
疲れてはいないと口にしようとしてルーカスに睨まれ、フィオナはちょっとばかり言い換えた。
「まったく、君は不慣れなのに、初っ端っからこんな大きな会に連れてくるとはな」
ルーカスが不服そうにそう呟いた。
そんなに場慣れしていないことが見え見えなのだろうか。
フィオナは、優雅にふるまっているアデライドやコンスタンスの姿を思い返した。確かに、彼女達のようには、できていない。きっと、ビクビクして、笑顔も引きつっていて、会話もしどろもどろで、こんな自分では、隣にいるのは恥ずかしいはずだ。
「ごめんなさい」
思わず謝罪を口走ったフィオナに、ルーカスの眉間にしわが寄る。
「何で謝るの?」
「あ、え、と……」
自分が考えていたことを彼にそのまま伝えたら何だか怒らせてしまうような気がして、フィオナは口ごもった。と、会話が途切れたところで、すかさず横合いから声が割り込んでくる。
「可愛らしいお嬢さん、私と踊っていただけませんか?」
振り返ると、すらりと見栄えの良い青年が、断られるとは夢にも思っていないのだろう、自信に満ち溢れた笑顔を浮かべて立っていた。
「お嬢さん?」
咄嗟に答えられずにいたフィオナに、彼は再び誘いをかけてくる。
こういう時は応じなければ礼儀に反するはずだ。けれど、フィオナは自分が踊れるとは思えない。
どう断ればいいのだろうと口ごもったフィオナを隠すように、ルーカスが立ち位置を変える。目の前にそびえる大きな背中を、ホッとした思いで彼女は見上げた。
「申し訳ないが、彼女は私の連れだ」
冷やかな声でそう言った彼は堂に入っていて、相手の男性はおもねるような笑みを浮かべた。
「おや、別の犬がくわえている骨を奪おうとするほど、無粋じゃないよ」
そう言ってルーカスにニヤリと笑いかけると、彼は遠ざかってく。
男性が見えなくなってもルーカスは渋い顔で周囲を睥睨していた。と思ったら、渋面のままフィオナに眼を移す。
「踊ろうか」
ルーカスのその言葉は確かに耳には入ってきたけれど、頭まで到達しなかったようだ。
「え?」
戸惑い目をしばたたかせたフィオナの手を、ルーカスが取る。
「え、でも、わたくしはダンスなんて……」
「大丈夫、私に合わせて適当に動けばいいだけだから」
ルーカスは屈託のない笑みでそう言うと、有無を言わさずフィオナの手を取り、踊る人たちの中へと足を進めてしまう。
フィオナは右手を取られ、次いで、深くくれて剥き出しになった背には大きな手が広げて置かれる。ルーカスが着けている手袋は薄いものだったから、すぐに彼の温もりが彼女の冷えた肌に滲み込んできた。
フィオナは束の間その温もりに気を取られていて、ふと我に返ったときにはもうダンスホールの真ん中に立たされていた。
(え、うそ、待って)
踊るなんて、絶対ムリ。
そう思っていたけれど、ルーカスに誘われるままに動きだすと、フィオナはまるで背に羽が生えたかのような心地になった。
ダンスの足運びなんて知らないのに――記憶にないのに、不思議なほどに軽やかだ。
腰に置かれた彼の手に力が入っているようには感じられないのに、それのお陰なのか、履き慣れない踵のある靴でクルリと回るときにも、少しもふら付かない。
幾度も幾度もドレスを膨らませているうち、自然と、フィオナの口からは笑い声がこぼれ落ちた。見上げた目にはルーカスの優しい微笑みが映る。
「ほら、大丈夫だっただろう?」
からかうようなルーカスのその声は、以前の、打ち解けていた頃の彼のようだ。
「はい、楽しいです」
心の底からの気持ちでフィオナがそう答えると、ルーカスの笑みが深まった。そして、曲に合わせてひと際勢いよくフィオナを回す。その拍子に彼の胸に引き寄せられて、触れ合った場所から伝わる温もりに鼓動が速まった。
ボウッとのぼせたようになったフィオナの耳に、身を屈めたルーカスが囁きかけてくる。
「で、誰か記憶に引っかかる顔はあった?」
「かお……?」
「そう、こういう場に来て、何か思い出せたかい?」
続けて問われて、ルーカスの意図を悟った。
記憶。
そうだ。
彼にしてみれば一刻も早くフィオナに記憶を取り戻させたいに違いない。こうやって踊ってくれたのも、きっとその為だろう。かつてしていたことをすれば、何か思い出すに違いない、と、そう考えての行動だ。
スゥッと熱が引いたような心持になって、フィオナはかぶりを振る。
「いいえ、何も……誰も」
「そう」
問いはしてもルーカスも別に期待はしていなかったのか、あっさりと頷いただけだった。そして、折よく曲も終わる。
「顔色が優れないな。やはり疲れているのではないのか? 帰る――のは、無理か。少し何か飲み食いした方がいいな」
フィオナの背に手を添えたまま、彼女の顔を覗き込むようにしてルーカスが言った。が、その声が終わるか終わらないかというところで、鋭い呼び声が二人の間に割って入ってくる。
「ルーカス様!」
ルーカスの向こうに、コンスタンスが立っていた。彼の肩越しに見えるその顔は、怒りに満ちている。
と。
「チッ」
すぐ傍から小さな舌打ちが聞こえたような気がしたのは、気のせいだろうか。
近さと方向からするとその主はルーカスしかあり得ないけれども、彼がそんな礼を欠いたことをするはずがない。
(気の、せい?)
目をしばたたかせるフィオナから、ルーカスが手を放す。あっという間に彼の温もりが消えていってしまうのが、寂しかった。
彼が振り返ると同時に、魔法さながら、コンスタンスの憤怒の表情は咲き誇る真紅の薔薇のような笑みに取って代わられる。
「踊れないなんて、ウソばっかり」
腰を揺らして優雅に歩み寄ってきたコンスタンスは、片手をルーカスの胸に押し当てた。
「わたくしとも踊ってくださるでしょう?」
甘い声でねだられて、断れる男性はいないだろう。
もちろん、ルーカスも例外ではない。
「喜んで」
柔らかく微笑みながらそう言って、ルーカスはたった今までフィオナの手を握っていたその手でコンスタンスの繊手を取った。
曲に乗ろうとする前に、彼はフィオナを振り返る。
「フィオナ、私の視界に入るところにいるように。絶対に人気のないところに行ってはいけないよ?」
幼い子どもに注意するようなことを言い置いて、ルーカスはコンスタンスに向き直った。
滑らかに踊り出した彼らは、とてもお似合いだった。きっと、さっきまでのフィオナたちとは全然違う。
まさに、対になるべき二人、だ。
そして、そう感じたのは、フィオナだけではなかったらしい。
「あの方、どなたかしら?」
「ほら、アデライド嬢と踊っていらっしゃる方」
「まあ、ホント、素敵」
ひそひそと、周囲の令嬢たちが囁き合っている。うっとりと、ルーカスたちを見つめながら。
かつてのフィオナは、『警邏隊の中でのフィオナ』はルーカスの隣にいられたかもしれないけれど、この身一つになってしまった『ただのフィオナ』は、この人たちと一緒だ。
遠巻きに、ルーカスを眺めるしかできないこの人たちと。
優雅に舞う彼らを目の当たりにして、改めてその事実が身に染みた。目と胸が、しくしくと痛む。
――でも、これからは、それが当然になるのかもしれない。
追い討ちをかけるように頭をよぎったその予感に耐えられず、フィオナは身を翻してその場を離れた。
「疲れた?」
アランブール伯爵と同じことを問われて、彼女は眉根を寄せた。
そんなに、疲労困憊に見えるのだろうか。
「フィオナ?」
無言の彼女に、ルーカスの目に浮かんでいた案じる色が濃さを増す。
「あ、いえ、大丈夫です。疲れては――少し、疲れてはいますけれど、大丈夫です」
疲れてはいないと口にしようとしてルーカスに睨まれ、フィオナはちょっとばかり言い換えた。
「まったく、君は不慣れなのに、初っ端っからこんな大きな会に連れてくるとはな」
ルーカスが不服そうにそう呟いた。
そんなに場慣れしていないことが見え見えなのだろうか。
フィオナは、優雅にふるまっているアデライドやコンスタンスの姿を思い返した。確かに、彼女達のようには、できていない。きっと、ビクビクして、笑顔も引きつっていて、会話もしどろもどろで、こんな自分では、隣にいるのは恥ずかしいはずだ。
「ごめんなさい」
思わず謝罪を口走ったフィオナに、ルーカスの眉間にしわが寄る。
「何で謝るの?」
「あ、え、と……」
自分が考えていたことを彼にそのまま伝えたら何だか怒らせてしまうような気がして、フィオナは口ごもった。と、会話が途切れたところで、すかさず横合いから声が割り込んでくる。
「可愛らしいお嬢さん、私と踊っていただけませんか?」
振り返ると、すらりと見栄えの良い青年が、断られるとは夢にも思っていないのだろう、自信に満ち溢れた笑顔を浮かべて立っていた。
「お嬢さん?」
咄嗟に答えられずにいたフィオナに、彼は再び誘いをかけてくる。
こういう時は応じなければ礼儀に反するはずだ。けれど、フィオナは自分が踊れるとは思えない。
どう断ればいいのだろうと口ごもったフィオナを隠すように、ルーカスが立ち位置を変える。目の前にそびえる大きな背中を、ホッとした思いで彼女は見上げた。
「申し訳ないが、彼女は私の連れだ」
冷やかな声でそう言った彼は堂に入っていて、相手の男性はおもねるような笑みを浮かべた。
「おや、別の犬がくわえている骨を奪おうとするほど、無粋じゃないよ」
そう言ってルーカスにニヤリと笑いかけると、彼は遠ざかってく。
男性が見えなくなってもルーカスは渋い顔で周囲を睥睨していた。と思ったら、渋面のままフィオナに眼を移す。
「踊ろうか」
ルーカスのその言葉は確かに耳には入ってきたけれど、頭まで到達しなかったようだ。
「え?」
戸惑い目をしばたたかせたフィオナの手を、ルーカスが取る。
「え、でも、わたくしはダンスなんて……」
「大丈夫、私に合わせて適当に動けばいいだけだから」
ルーカスは屈託のない笑みでそう言うと、有無を言わさずフィオナの手を取り、踊る人たちの中へと足を進めてしまう。
フィオナは右手を取られ、次いで、深くくれて剥き出しになった背には大きな手が広げて置かれる。ルーカスが着けている手袋は薄いものだったから、すぐに彼の温もりが彼女の冷えた肌に滲み込んできた。
フィオナは束の間その温もりに気を取られていて、ふと我に返ったときにはもうダンスホールの真ん中に立たされていた。
(え、うそ、待って)
踊るなんて、絶対ムリ。
そう思っていたけれど、ルーカスに誘われるままに動きだすと、フィオナはまるで背に羽が生えたかのような心地になった。
ダンスの足運びなんて知らないのに――記憶にないのに、不思議なほどに軽やかだ。
腰に置かれた彼の手に力が入っているようには感じられないのに、それのお陰なのか、履き慣れない踵のある靴でクルリと回るときにも、少しもふら付かない。
幾度も幾度もドレスを膨らませているうち、自然と、フィオナの口からは笑い声がこぼれ落ちた。見上げた目にはルーカスの優しい微笑みが映る。
「ほら、大丈夫だっただろう?」
からかうようなルーカスのその声は、以前の、打ち解けていた頃の彼のようだ。
「はい、楽しいです」
心の底からの気持ちでフィオナがそう答えると、ルーカスの笑みが深まった。そして、曲に合わせてひと際勢いよくフィオナを回す。その拍子に彼の胸に引き寄せられて、触れ合った場所から伝わる温もりに鼓動が速まった。
ボウッとのぼせたようになったフィオナの耳に、身を屈めたルーカスが囁きかけてくる。
「で、誰か記憶に引っかかる顔はあった?」
「かお……?」
「そう、こういう場に来て、何か思い出せたかい?」
続けて問われて、ルーカスの意図を悟った。
記憶。
そうだ。
彼にしてみれば一刻も早くフィオナに記憶を取り戻させたいに違いない。こうやって踊ってくれたのも、きっとその為だろう。かつてしていたことをすれば、何か思い出すに違いない、と、そう考えての行動だ。
スゥッと熱が引いたような心持になって、フィオナはかぶりを振る。
「いいえ、何も……誰も」
「そう」
問いはしてもルーカスも別に期待はしていなかったのか、あっさりと頷いただけだった。そして、折よく曲も終わる。
「顔色が優れないな。やはり疲れているのではないのか? 帰る――のは、無理か。少し何か飲み食いした方がいいな」
フィオナの背に手を添えたまま、彼女の顔を覗き込むようにしてルーカスが言った。が、その声が終わるか終わらないかというところで、鋭い呼び声が二人の間に割って入ってくる。
「ルーカス様!」
ルーカスの向こうに、コンスタンスが立っていた。彼の肩越しに見えるその顔は、怒りに満ちている。
と。
「チッ」
すぐ傍から小さな舌打ちが聞こえたような気がしたのは、気のせいだろうか。
近さと方向からするとその主はルーカスしかあり得ないけれども、彼がそんな礼を欠いたことをするはずがない。
(気の、せい?)
目をしばたたかせるフィオナから、ルーカスが手を放す。あっという間に彼の温もりが消えていってしまうのが、寂しかった。
彼が振り返ると同時に、魔法さながら、コンスタンスの憤怒の表情は咲き誇る真紅の薔薇のような笑みに取って代わられる。
「踊れないなんて、ウソばっかり」
腰を揺らして優雅に歩み寄ってきたコンスタンスは、片手をルーカスの胸に押し当てた。
「わたくしとも踊ってくださるでしょう?」
甘い声でねだられて、断れる男性はいないだろう。
もちろん、ルーカスも例外ではない。
「喜んで」
柔らかく微笑みながらそう言って、ルーカスはたった今までフィオナの手を握っていたその手でコンスタンスの繊手を取った。
曲に乗ろうとする前に、彼はフィオナを振り返る。
「フィオナ、私の視界に入るところにいるように。絶対に人気のないところに行ってはいけないよ?」
幼い子どもに注意するようなことを言い置いて、ルーカスはコンスタンスに向き直った。
滑らかに踊り出した彼らは、とてもお似合いだった。きっと、さっきまでのフィオナたちとは全然違う。
まさに、対になるべき二人、だ。
そして、そう感じたのは、フィオナだけではなかったらしい。
「あの方、どなたかしら?」
「ほら、アデライド嬢と踊っていらっしゃる方」
「まあ、ホント、素敵」
ひそひそと、周囲の令嬢たちが囁き合っている。うっとりと、ルーカスたちを見つめながら。
かつてのフィオナは、『警邏隊の中でのフィオナ』はルーカスの隣にいられたかもしれないけれど、この身一つになってしまった『ただのフィオナ』は、この人たちと一緒だ。
遠巻きに、ルーカスを眺めるしかできないこの人たちと。
優雅に舞う彼らを目の当たりにして、改めてその事実が身に染みた。目と胸が、しくしくと痛む。
――でも、これからは、それが当然になるのかもしれない。
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