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立場逆転

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 クリスマス会当日。

 流れは看護師や研修医による寸劇、子どもたちとの合唱、ボランティアたちが作ったプレゼントの配布、そして最後にケーキを食べて終了、というところだ。

 もちろん表舞台に立つわけではなく、裏方としても当日の手伝いをするつもりはなかった優人ゆうとは、今、この場にいる必要はない。ないのだが――唯香ゆいかから誘われて、会場である病棟のデイルームの片隅に佇んでいる。彼女には「行けるかどうか判らない」という彼らしくない曖昧な返事をし、目が覚めた時から午後時間の今まで迷った末に、結局、来てしまったのだ。

(だが、そもそもこれを始めた理由を知る、一番の機会じゃないか)
 優人は、妙に言い訳めいた口調で、独り言ちる。
 何故、唯香がボランティアをするのか、その理由を知ること。
 それが彼女の活動を手伝い始めた目的だった。

 唯香曰く、子どもたちの喜ぶ顔を見ればボランティアをする理由が解かるだろうとのことなのだ。
 クリスマス会は一年の中でも子どもが一番喜ぶというイベントで、その答えを得るには最適のはず。

 はず、だが。

 優人は壁に寄り掛かり、腕を組んでデイルーム内を一望する。
 確かに、スタッフたちが演じる劇に、子どもたちは大はしゃぎだ。しかし、その姿、その表情を見てどう思うかと問われても、正直、彼らのその姿には別に何も感じない。忌憚のない感想を口にしても良いというならば、こんなものでこれほど喜ぶとは、子どもとはずいぶんと簡単なものだな、といったところだ。
 つまり、優人にとっては、ボランティアをした相手からのメリットは何一つない、ということだ。

 とは言え、まったくの時間の無駄かというと、そうとも言えず。

 優人は少し離れたところにいる唯香に目を遣った。
 数名のボランティア部員の輪の中にいる彼女は、はしゃぐ子どもたちと同じくらい満面の笑みを浮かべている。その顔を見ていると、何だか気分が良い。

(これも、巡り巡って『ひとが喜ぶ顔を見たいから』ということになるのか?)
 優人は眉間にしわを寄せて考えてみたが、彼が見たいと思うのは唯香が楽しんでいる姿だけで、この場にいる他の人間の『喜ぶ顔』を見ても、別に何も感じないのだ。

 これで、「ボランティアをする理由が理解できた」とは、あまり思えない。

(もう、ここらが引き上げ時か?)
 優人は指で腕を叩いた。
 唯香に誘われ、彼女の活動に参加してから、もう二ヶ月だ。それだけの時間を費やしたにも拘わらず解らなかったということは、きっと、優人にはとことん適性がないもので、彼の人生において知る必要がないものなのだ。

 きっと、そう。
 ――だが。

 ボランティアに見切りをつけるということは、唯香との接点がなくなるということだ。
 そう思った瞬間、チクリと何かが胸を刺す。
(それは、困る)
 ――気がする。

 また、根拠のない曖昧模糊としたものが自分の行動を左右しようとしている。それが、優人には気に入らないのだが、ソレに背こうとするとムカムカしてならないから、どうしようもない。

(まったく……)
 唯香と出会って以来日に日に訳が解からない事態が増えている気がする。

 優人は溜息を一つつき、再び唯香を目で追った。と、まるで彼の視線を感じたかのように、彼女が振り返る。
 目が合って、パッと唯香の笑みが輝いた。瞬間、世界の色彩が三割増しになったような錯覚に襲われる。もとよりクリスマス仕様に飾り立てられたデイルーム内だったが、その色彩とは違う何かが色づいたような気がした。

 思わず優人が目をしばたたいているうちに、唯香は隣の部員に何かを言ってそこを離れ、彼の方へとやってくる。

「優人さん、来てくれたんですね」
 嬉しそうに見上げられれば、来るつもりはなかったとは言えない。
「……時間ができたので」
 言葉少なに答えた優人を、唯香は目を輝かせて覗き込んでくる。

「来てくれて嬉しいです。で、どうですか?」
「?」
「ボランティアをする理由、実感できましたか?」
 子どもたちの顔を見て、と彼女は首をかしげた。

 優人はチラリと歓声を上げる患者たちを一瞥し、かぶりを振る。
「あまり」
「そっかぁ、残念」
 唯香は肩をすくめたが、言葉とは裏腹に表情はそう見えない。
 ――彼女と同じように感じられないことを残念に思う優人の気持ちの方が、よほど強いように思われる。

 何か、微妙に、悔しい。

「僕に解って欲しいとは思わないのですか?」
「え?」
「自分と同じように感じて欲しいと、思わないのですか?」
 むっつりと訊いた優人に、唯香は一つ瞬きをして、それからふわりと微笑んだ。
「だって、それは無理でしょう? 優人さんが何かをどう感じるかなんて、わたしにはどうこうできません。優人さんが感じるなら感じるし、感じないなら感じない。それでいいんじゃないですか?」

 彼女に近づこうとしているのに、トンと胸を突いて遠ざけられたような感覚。

「でも、僕は――」
 ――あなたが見ているものを見て、あなたが感じるように感じたい。

 優人はそう声を上げかけた口をつぐむ。
 唯香の言葉は、常日頃彼が思っていることのはずだ。今、彼の胸の内にあることの方が、普段、どうして人はそんなことに拘るのだろうと首をかしげているようなことだった。

 不意に、彼は気づく。

(そうか。皆、これが不満なのか)

 今、それが判った。
 しかし、今、知りたかったのは、ソレじゃない。

 優人は、唯香と同じものを感じたいという気持ち以上に、彼女にも、優人に同じように感じることを求めて欲しかった。それを拒否されると、とてつもなく、とてつもなく――そう、ショック、だった。

 かつて優人から離れていった者たちも、今の彼と同じように感じたのかもしれない。そう感じたから、彼に見切りをつけて、去って行ったのだろう。

(じゃあ、僕も彼女から離れるべきなのか?)
 優人はムッと眉間にしわを刻む。
 いや、そうは思わない。
 というよりも、そうできそうもない。
 離れるどころか、より一層、彼女を理解したい、彼女に近づきたいという思いが彼の中では強くなっている。

 だが、果たしてどうすればいいのかがわからない。

 優人は、憮然と隣に立つ唯香を見下ろした。と、彼女の顔に浮かぶ表情に眉をひそめる。
 唯香はもう彼のことを見上げてはおらず、微かに頬を強張らせ、一点を見つめていた。合唱を始めた子どもたちを、ではない。彼女のその眼は、デイルームの外に向けられている。

(何を見ているんだ?)
 彼女が見ている方へ視線をやると、そこにいたのは車椅子に乗った一人の少女だった。背後でハンドルを持っているのは、母親だろうか。少女は室内だというのに毛糸か何かで作られたらしい帽子を被り、二重でマスクをかけている。
 恐らく、癌に対する治療を受けているのだろう。帽子は髪が抜けていることを隠すためで、マスクは感染対策に違いない。優人も病棟には何度か顔を出したが、今まで見かけたことがない。きっと、無菌室にでも入っていたのだろう。

 小児の癌患者はそう多くないだろうが、この規模の病院ならば入院していてもおかしくはないはずだ。
 しょっちゅう出入りしている唯香には、珍しいものでもないと思うが。

(あの子が、何か?)
 優人は再び唯香に目を戻した。が、唯香は、もうその少女を見ておらず、音程がずれた歌を歌っている子どもたちへと一心に視線を注いでいる。リズムに合わせて手拍子を打つ彼女は、いつも通りに屈託なく見えた。

(気のせいか?)
 だが、よくよく見れば、唯香の眼にはまだ微かな翳りが残っていて、浮かんでいる笑顔もさっきまでのものとは違っていた。

(あの子に、何かあるのか?)
 唯香の顔や眼差しにその答えを求めても、見つからない。
 見つからないことがもどかしくて、少しばかりの苛立ちも、覚える。
 苛立ちと共に、強い衝動も込み上げてきた。

 彼女のことを、知りたい。
 笑う理由だけでなく、その笑顔を翳らせる理由も、全て。

 ――そんな、衝動が。

(いや、違う)
 そうではなかった。万人に向けられる笑顔なんて、どうでもいい。知りたいのは、それが曇る理由の方だ。多分、彼女は隠そうとしているその翳の理由の方こそが、知りたくてたまらない。きっと、それに気付いているのは優人だけだろうから。
 自分しか知らない彼女の一部を、もっと、理解したかった。

(だが、どうしたらいいんだ?)
 ムゥと優人は眉根を寄せる。
 さっぱり、見当もつかない。こんなに手も足も出ないようなことは、初めてだ。

 楽しそうな歓声と満面の笑みが弾ける中、優人一人、これ以上はない渋面で唇を引き結ぶばかりだった。
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