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第3部(終章)
江雪
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青葉の口添えで城門をくぐると、城下は思ったよりは普段の様子を保っていた。しかし行き交う人の波が少なく、物売りの姿もない。荷馬車や馬も歩いていないし、毎朝聞こえてくる行商人たちもすっかり軒をしまっている。
静かだった。一方で、家々から慌ただしく人が走ってきて、医者らしき人間の袖を引っ張る様子も見られる。
「ご覧の通りです。疫病かと思われましたが、その兆候がなく、皆ただ眠っているようで医者も手をこまねいています。<蟲術>かと思い我々も出向きましたが、はじめて見る症状で……そうしている間も徐々に眠り出す人が増えて、どうやら都の外にまで広がっているらしいのです」
青葉とともに紫雲城へ向かう道中、彼は目の下のクマを擦りながら説明した。
「相当疲れてるな。すまない、こんな時に留守にして」
というか、この事態を引き起こしたのが<三觜>をはつりに渡しておいたせいでもあるので、二重の意味で蘇芳は謝罪した。
いえ、と青葉は顔の前で手を振った。
「皇子様方は皆、後宮に避難されています。もし疫病なら感染対策をしなくてはなりません。外部との接触はすべて禁止です。あ、花鶏殿下も本来そうしていただくべきなのですが」
「私のことは気にするな。このまま先生と行動を共にするから。それより、兄上はどうしてる?」
花鶏がさり気なく聞くと、兄上が誰を指すのかすぐに伝わったようだ。
この状況で後宮に篭らない皇子は一人しかいない。
「雨月殿下は政務殿で状況調査と、各省に指示を出されています。当面はご典医も総動員で民の診断に当たっているとか」
花鶏が蘇芳に目配せする。
「私たちも雨月兄上に拝謁して指示を承ろう。先生もそれで良いですか? 外で見てきた様子も報告しに行かねばですし」
実に自然な誘導に、蘇芳は指の痛みを忘れて頷いた。
青葉も賛同するかと思いきや、返事がない。立ち止まって振り返ると、青年はふらふらと道の脇に座り込もうとしていた。
(おい、まさか)
花鶏も同じことを考え、慌てて青葉を揺すり起した。蘇芳がぺちぺちと頬を叩く。
「おい、起きなさい!いいか、何が起きてもそれは夢だからな!現実じゃないから、すぐにこっちへ戻ってこないとそのままミイラみたいに干からびて死んじまうぞ!」
「みいら? ……蘇芳殿、なんかだか波瀬みたいな話し方になってますよ」
青葉はふらり、と顔を上げた。その腹から、ぐうきゅるる~と音が聞こえた。
「……」
「すみません、昨晩からこの騒動が起きたせいで何も食べてなくて……お腹がすいちゃって」
蘇芳と花鶏は顔を見合わせた。今、青葉が眠ったら、絶対に絢爛豪華な食事が食卓一杯に乗っている夢を見るに違いない。
結局、ふらつく青葉を叱咤して政務殿に向かい、途中、黒曜宮の前でいったん別れた。
残念ながら花浴とは会えなかったが、居間の机の上に手紙が置かれ、子供たちと友人宅に避難する旨が書かれていた。
事が起これば都のどこにいても同じだろうが、それでも、彼女の優しい筆跡を見て安堵した。
「先生は兄上が怪しいと思っていますか?」
すぐには返答できなかった。原作の主人公闇落ちには、そうなるべくの伏線があった。親しい人間の裏切りだとか、周囲からの過度な期待、幼少期からの重圧と抑圧……そのどれも、この世界の雨月とは縁がないと思っていた。
(でも、はつりの言ったことも気にかかる)
はつりの言葉が真実なら、雨月は心から頼りにできる人間がいないまま、成長して今に至る。
(花鶏を羨んでたっていうのは、本心かもしれない)
権力闘争から弾かれてきたからこそ、花鶏は雨月の感じてきた重圧とは無縁だったのも事実だ。
(俺が気づいてないだけで、雨月にも闇落ちしてもおかしくないだけの理由があったってことか?)
「決めつけるのは尚早だと思いますが、警戒は必要ですね」
「兄上が父上を……想像がつかないな」
「主上は無事なはずです。もし完全に沙羅を支配下に置いているなら、あっという間に国全土の人間が意識を失くしますから」
今はまだじわじわと、その範囲を広げている途中と言ったところか。
雨月は花鶏にとって兄弟の中で一番良好な関係だった相手だ。複雑な心境だろう。
「花鶏、まだ決まったわけではないから気を落とさず」
「昔から先生を見る目が気に喰わなかったんですよ……もしそうならさっさと捕まえて反逆罪で天牢へ……え?なんですか、先生」
蘇芳は伸ばそうとした腕をそっと引っ込めた。この弟ときたら……。
「決めつけないでと言ったでしょう。それに、私としてはまだ気になることがあって」
「気になる事?」
確証はない。が、記憶の隅に引っかかったものが、草見と話していて浮上してきた。
とっくに癒えたはずの背中の傷跡が疼いた気がした。
「政務殿に参りましょう。……まったく、何か面倒が起きるのは大抵あの場所ですね」
◇
政務殿に続く大門の前で、衛兵が蹲り寝息を立てていた。この光景を見ても、もう驚きは浮かんでこない。
「あと数日もすれば、自力で目覚める者も出てくるはずです」
建物内はバタバタと忙しなく、人の行き交う気配がする。対応に追われているのかと思いきや、違った。荷物を行李や風呂敷にまとめ、あろうことか、通路にある調度品や装飾品を外している者達を見て、一瞬、年越しの大掃除でも始まったかと思った。
首から上が瞬間沸騰したように熱くなり、蘇芳は怒号を発した。
「何をしている、貴様らっ!」
空気をびりびりと振動させる怒声に、花鶏も思わず身を竦めた。蘇芳に怒りを向けられたことも一度や二度ではないが、根底には花鶏に対する心配や愛情があってのことだった。これは、それとは全然違うものだと分かった。
「皇家と国に仕える者が、殿下の御前で恥を晒すな!貴様らの顔をひとり残らず覚えたぞ、持ち場に戻れ!」
ひっ、と誰かが息を呑んであたふたと荷物を落とした。高価な宝飾品がじゃら、と床に散らばった。
花鶏は後ろからそっと蘇芳の袖を引いた。
「先生、それくらいにしてやろう」
「殿下!? ですがっ」
いつもと逆だ。興奮した蘇芳を、花鶏が宥めている。花鶏はなるべく先生を刺激しないよう、固まっている宮仕えたちに目線で「行け」と促した。泡を食って逃げてゆく連中に、蘇芳はまだ気がおさまらないようで歯ぎしりしている。
「先生。みんな情報がない中で宮中に足止めされてるんです。もし伝染病なら、家族が心配だろうし自分の身も危ない。普段通り勤めに励んでいる青葉たちが偉いんだ。普通はもっと、利己的になってもしょうがないよ」
それに、と付け加える。
「もし、これを起こしている張本人が皇族なら、彼らには見捨てる権利があると思う」
蘇芳が驚いて花鶏を振り返った。
「本当に統制の取れた国家なら、非常事態が起こってもすぐに対処できるはずだ。一番近くで皇族と接してきた者たちが、真っ先にああして逃げ出すんです。本当に彼らだけが悪いんでしょうか」
蘇芳の身体から力が抜けた。花鶏がそんなことを言うなんて、予想もしなかった。
今まで、神力に……ひいては皇族に対して穿った見方をしていたのは蘇芳の方だった。それなのにいざ問題に直面したら、花鶏の方がよっぽど冷静に、臣民の側に立った物の見方をする。
(この国で皇族は絶対的な存在のはずなのに……ゲームではこんな展開、描写されてなかった)
暗い表情の蘇芳に、花鶏が励ますように微笑んだ。
「そんな顔しないで、先生。問題を解決したら、改めてこの国の皇族の在り方を考えてみればいいだけだよ」
「素晴らしいお考えです、花鶏殿下。まさしく、国難に立ち向かうにはそうした寛容な姿勢が必要ですね」
場にそぐわない明るく深みのある声がした。
蘇芳の肩が小さく跳ねるのを見て、花鶏はとっさに前に出た。
ちょうど大広間に渡る回廊の奥から、悠々とした足取りで歩いてくるのは、見知った相手だ。
蘇芳にとってはかつての後見人、花鶏にとっては養い親ともいえる人物。
端正な顔立ちに穏やかな微笑を浮かべ、赤みがかった髪は肩に垂れている。一見して文人の様相だが、堂々とした足取りと体格には武人の素養もあるように見える。
蘇芳が近寄りがたい佳人の風貌であるのに対し、彼は朗らかさと包容力を身に纏っている。
「……江雪」
静かだった。一方で、家々から慌ただしく人が走ってきて、医者らしき人間の袖を引っ張る様子も見られる。
「ご覧の通りです。疫病かと思われましたが、その兆候がなく、皆ただ眠っているようで医者も手をこまねいています。<蟲術>かと思い我々も出向きましたが、はじめて見る症状で……そうしている間も徐々に眠り出す人が増えて、どうやら都の外にまで広がっているらしいのです」
青葉とともに紫雲城へ向かう道中、彼は目の下のクマを擦りながら説明した。
「相当疲れてるな。すまない、こんな時に留守にして」
というか、この事態を引き起こしたのが<三觜>をはつりに渡しておいたせいでもあるので、二重の意味で蘇芳は謝罪した。
いえ、と青葉は顔の前で手を振った。
「皇子様方は皆、後宮に避難されています。もし疫病なら感染対策をしなくてはなりません。外部との接触はすべて禁止です。あ、花鶏殿下も本来そうしていただくべきなのですが」
「私のことは気にするな。このまま先生と行動を共にするから。それより、兄上はどうしてる?」
花鶏がさり気なく聞くと、兄上が誰を指すのかすぐに伝わったようだ。
この状況で後宮に篭らない皇子は一人しかいない。
「雨月殿下は政務殿で状況調査と、各省に指示を出されています。当面はご典医も総動員で民の診断に当たっているとか」
花鶏が蘇芳に目配せする。
「私たちも雨月兄上に拝謁して指示を承ろう。先生もそれで良いですか? 外で見てきた様子も報告しに行かねばですし」
実に自然な誘導に、蘇芳は指の痛みを忘れて頷いた。
青葉も賛同するかと思いきや、返事がない。立ち止まって振り返ると、青年はふらふらと道の脇に座り込もうとしていた。
(おい、まさか)
花鶏も同じことを考え、慌てて青葉を揺すり起した。蘇芳がぺちぺちと頬を叩く。
「おい、起きなさい!いいか、何が起きてもそれは夢だからな!現実じゃないから、すぐにこっちへ戻ってこないとそのままミイラみたいに干からびて死んじまうぞ!」
「みいら? ……蘇芳殿、なんかだか波瀬みたいな話し方になってますよ」
青葉はふらり、と顔を上げた。その腹から、ぐうきゅるる~と音が聞こえた。
「……」
「すみません、昨晩からこの騒動が起きたせいで何も食べてなくて……お腹がすいちゃって」
蘇芳と花鶏は顔を見合わせた。今、青葉が眠ったら、絶対に絢爛豪華な食事が食卓一杯に乗っている夢を見るに違いない。
結局、ふらつく青葉を叱咤して政務殿に向かい、途中、黒曜宮の前でいったん別れた。
残念ながら花浴とは会えなかったが、居間の机の上に手紙が置かれ、子供たちと友人宅に避難する旨が書かれていた。
事が起これば都のどこにいても同じだろうが、それでも、彼女の優しい筆跡を見て安堵した。
「先生は兄上が怪しいと思っていますか?」
すぐには返答できなかった。原作の主人公闇落ちには、そうなるべくの伏線があった。親しい人間の裏切りだとか、周囲からの過度な期待、幼少期からの重圧と抑圧……そのどれも、この世界の雨月とは縁がないと思っていた。
(でも、はつりの言ったことも気にかかる)
はつりの言葉が真実なら、雨月は心から頼りにできる人間がいないまま、成長して今に至る。
(花鶏を羨んでたっていうのは、本心かもしれない)
権力闘争から弾かれてきたからこそ、花鶏は雨月の感じてきた重圧とは無縁だったのも事実だ。
(俺が気づいてないだけで、雨月にも闇落ちしてもおかしくないだけの理由があったってことか?)
「決めつけるのは尚早だと思いますが、警戒は必要ですね」
「兄上が父上を……想像がつかないな」
「主上は無事なはずです。もし完全に沙羅を支配下に置いているなら、あっという間に国全土の人間が意識を失くしますから」
今はまだじわじわと、その範囲を広げている途中と言ったところか。
雨月は花鶏にとって兄弟の中で一番良好な関係だった相手だ。複雑な心境だろう。
「花鶏、まだ決まったわけではないから気を落とさず」
「昔から先生を見る目が気に喰わなかったんですよ……もしそうならさっさと捕まえて反逆罪で天牢へ……え?なんですか、先生」
蘇芳は伸ばそうとした腕をそっと引っ込めた。この弟ときたら……。
「決めつけないでと言ったでしょう。それに、私としてはまだ気になることがあって」
「気になる事?」
確証はない。が、記憶の隅に引っかかったものが、草見と話していて浮上してきた。
とっくに癒えたはずの背中の傷跡が疼いた気がした。
「政務殿に参りましょう。……まったく、何か面倒が起きるのは大抵あの場所ですね」
◇
政務殿に続く大門の前で、衛兵が蹲り寝息を立てていた。この光景を見ても、もう驚きは浮かんでこない。
「あと数日もすれば、自力で目覚める者も出てくるはずです」
建物内はバタバタと忙しなく、人の行き交う気配がする。対応に追われているのかと思いきや、違った。荷物を行李や風呂敷にまとめ、あろうことか、通路にある調度品や装飾品を外している者達を見て、一瞬、年越しの大掃除でも始まったかと思った。
首から上が瞬間沸騰したように熱くなり、蘇芳は怒号を発した。
「何をしている、貴様らっ!」
空気をびりびりと振動させる怒声に、花鶏も思わず身を竦めた。蘇芳に怒りを向けられたことも一度や二度ではないが、根底には花鶏に対する心配や愛情があってのことだった。これは、それとは全然違うものだと分かった。
「皇家と国に仕える者が、殿下の御前で恥を晒すな!貴様らの顔をひとり残らず覚えたぞ、持ち場に戻れ!」
ひっ、と誰かが息を呑んであたふたと荷物を落とした。高価な宝飾品がじゃら、と床に散らばった。
花鶏は後ろからそっと蘇芳の袖を引いた。
「先生、それくらいにしてやろう」
「殿下!? ですがっ」
いつもと逆だ。興奮した蘇芳を、花鶏が宥めている。花鶏はなるべく先生を刺激しないよう、固まっている宮仕えたちに目線で「行け」と促した。泡を食って逃げてゆく連中に、蘇芳はまだ気がおさまらないようで歯ぎしりしている。
「先生。みんな情報がない中で宮中に足止めされてるんです。もし伝染病なら、家族が心配だろうし自分の身も危ない。普段通り勤めに励んでいる青葉たちが偉いんだ。普通はもっと、利己的になってもしょうがないよ」
それに、と付け加える。
「もし、これを起こしている張本人が皇族なら、彼らには見捨てる権利があると思う」
蘇芳が驚いて花鶏を振り返った。
「本当に統制の取れた国家なら、非常事態が起こってもすぐに対処できるはずだ。一番近くで皇族と接してきた者たちが、真っ先にああして逃げ出すんです。本当に彼らだけが悪いんでしょうか」
蘇芳の身体から力が抜けた。花鶏がそんなことを言うなんて、予想もしなかった。
今まで、神力に……ひいては皇族に対して穿った見方をしていたのは蘇芳の方だった。それなのにいざ問題に直面したら、花鶏の方がよっぽど冷静に、臣民の側に立った物の見方をする。
(この国で皇族は絶対的な存在のはずなのに……ゲームではこんな展開、描写されてなかった)
暗い表情の蘇芳に、花鶏が励ますように微笑んだ。
「そんな顔しないで、先生。問題を解決したら、改めてこの国の皇族の在り方を考えてみればいいだけだよ」
「素晴らしいお考えです、花鶏殿下。まさしく、国難に立ち向かうにはそうした寛容な姿勢が必要ですね」
場にそぐわない明るく深みのある声がした。
蘇芳の肩が小さく跳ねるのを見て、花鶏はとっさに前に出た。
ちょうど大広間に渡る回廊の奥から、悠々とした足取りで歩いてくるのは、見知った相手だ。
蘇芳にとってはかつての後見人、花鶏にとっては養い親ともいえる人物。
端正な顔立ちに穏やかな微笑を浮かべ、赤みがかった髪は肩に垂れている。一見して文人の様相だが、堂々とした足取りと体格には武人の素養もあるように見える。
蘇芳が近寄りがたい佳人の風貌であるのに対し、彼は朗らかさと包容力を身に纏っている。
「……江雪」
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