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第3部(終章)
噛んで
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(……はぁ~!?)
開いた口が塞がらない。いきなり頓珍漢なことを言い出した花鶏に目が点になった。
(今の状況で心配するのがソレ? もっとこう、現実に戻れるかとか、そういうんじゃなくて、浮気かどうかがこの子にとっては問題ってことか?)
駄目だ。花鶏の発想についていけない。もっと他に気にすることがあるだろうに。
「先生が言ったんですよ!『この先不貞はしないでくださいね。私そういうのは許せない質なので』って」
「え、ああ……言いましたっけね、そんなこと」
カデンルラではじめて花鶏にキスした時だ。確かに言ったけれど。
「ほら!俺にとっては大問題なんですよ!いくら先生本人の姿でも、不貞は不貞じゃないですか」
「じゃあどうしろと言うんですか。貴方をひっぱたいて起きてると信じさせたらいいですか?」
「先生が、俺を、ひっぱたく……?」
花鶏は神妙な顔つきになった。
「先生は割と手が出やすいから、俺、ちょっと慣れてて。そんなに衝撃がないかもしれない」
「なっ、そんなことないでしょう!?」
花鶏に手を上げたことなんて、そんな……。過去を振り返ってみる。蘇芳の目が泳いだ。
(うん、あるな。あれ? 花鶏がのんちゃんをペシペシしてるのって、もしかして俺の影響か?)
「……すみませんでした」
「いえ、それはいいんですけど。でも困ったな。これから紫雲城に行くのに、現実だって実感がないままなのは不安です」
花鶏は真面目な顔をして、ちら、と蘇芳を伺った。
(……ん?)
蘇芳は違和感を覚えた。何に対して分からずもやもやしていると、花鶏がふいに距離を詰めてくる。
「花鶏?」
花鶏が顔を近づけるので、蘇芳はさすがに混乱した。キスされるような状況ではないと思ったのだ。
(さすがに今そんな気分じゃないぞ、っておい)
「あ、と……うぇ!?」
変な声が出た。花鶏がいきなり、自身の指を蘇芳の口に突っ込んできたのだ。
(はあ?なにしてんだ!)
突然のことに目を白黒させていると、花鶏は蘇芳の後ろ首を手で固定して逃げないようにした後、ぐっと顔を寄せ「噛んで」と言った。
(……なんで?)
突っ込まれた指が舌の上にのっている。節くれのある人差し指。付け根が丁度前歯に挟まれていて、蘇芳は無意識に歯を立てないよう、ともすれば口端から唾液が零れそうになる。
「はおい、あに(花鶏、なに)」
「いいから噛んで、先生。思いっきり、血が出るくらい強く噛んで」
(だからなんでだ!?)
「先生に引っ叩かれても、噛まれたことはないから。痛みでこれが現実だって分かるでしょう? それに痕が残るから、万が一、夢に呑まれても俺はこれを見て現実に帰ってこれるよ」
そんな都合よくいくだろうか? 蘇芳の表情を見てとって、花鶏はころりと態度を変えた。哀れっぽく甘えるような顔で、上目遣いに蘇芳を見つめる。
もちろん、人の口の中に指を突っ込んだままだ。しかもさっきから、その指で舌の上や奥歯をなぞって遊んでいる。
「ね、いいでしょう先生。俺のお守りみたいにするから、噛んでよ。痛くして」
ピキ、と蘇芳の額に青筋がたった。荒れた内心とは裏腹に、目を据わらせると、おもむろに自分の薬指を花鶏の唇に押し付ける。乾燥した下唇をなぞってやると、驚いたように目を瞠って、ゆっくり口に含んだ。
(……どうかしてる)
濡れた他人の口内で飴玉を舐るように舌を絡められた。趣旨変わってるじゃねえか、と毒づきたいが、あいにく上手く喋れない。
(まったくどこで覚えてくるんだか)
仕方なく空いている方の手で花鶏の顎を掴んで遊びを止めさせると、目を覗き込んで「合図」した。
花鶏が目を細めて、顎に力を込める。
「いッ、……つ」
同時に、と思ったが蘇芳の方が遅かった。強く噛まれた痛みで歯を食いしばる。
花鶏はわずかに顔をしかめただけで声を上げなかった。
お互いが指を引き抜くと、蘇芳の指からは血が垂れていた。
急いで花鶏の指を見ると、赤い歯型がくっきりついているが、出血はしていない。よかった、と胸を撫で下ろした。
花鶏はしばらく自分の指を見つめ、やがて残念そうに「先生って顎の力弱いんだ」と言った。
「……」
倒錯趣味に付き合わせた挙句、人を老人みたいに。蘇芳は無言で、花鶏の頭を引っ叩いた。
◆
◆
痛い。血が出るくらい強く噛まれたから当然だ。ズキズキするが、確かにこれならどっちが現実か分かるかもしれない。
でも他の方法があったかも。いや、絶対にあった。というか、お互いが噛む必要はあったのか。
釈然としないまま、夜明け前に短い仮眠を取り、またすぐに馬を駆けた。だいぶ体力を消耗したが、城門を前にしてやっと緊張感が高まってくる。通行証を見せようとすると、門番の役人たちは慌てたように蘇芳を止めた。
「中央のお役人の方ですね、どうしたもんか……今人手が出払っていて。なんでも流行病が蔓延しているとか何とか……通行証があっても外から人を入れないようにと言いつかってるんですよ」
早朝だというのに、中に入れずに城門前で右往左往している人間が多いのはこれが原因のようだ。
耳をそばだてると「俺の村が」「親戚が」「いきなり倒れて」などと聞こえてくる。
救援を要請しに来た者も、城下に卸に来た商人たちもいて、辺りは混然としている。
足止めを食らって殺気立つ連中もいたが、多くの者は状況が呑み込めずただ戸惑っているようだ。
「先生、東雲に命じて強行突破しますか」
「いえ、それは」
悪戯に混乱を呼ぶのは避けたい。どうしたものか。
「あっ!蘇芳殿!蘇芳殿じゃないですか、なんでこちらに!?」
声を上げて駆け寄ってきたのは青葉だった。疲労を浮かべているが、蘇芳の姿を見て明らかにほっとした様子で、隣に立つ花鶏を見て慌てて拝礼……を止め目礼した。おかげで人目を引かずに済んだ。
「良かった、門番からの連絡を受けて来てみたら蘇芳殿とは。月代の里からに逗留しているとばかり。……ほかの者は?波瀬や巫女姫様もご一緒ですか」
蘇芳はきょろきょろする青葉の肩をがしっと掴んだ。へ、と変な声を出す青葉を引き摺って壁際に来ると、有無を言わさず抑え込む。
「すまない、詳しく話してる時間がないんだが、彼らとは別行動なんだ。それより今の都の状況を説明してくれるか?あと、なんとか中に入れるよう門番に取り計らってくれ」
「そ、それは勿論ですが……」
開いた口が塞がらない。いきなり頓珍漢なことを言い出した花鶏に目が点になった。
(今の状況で心配するのがソレ? もっとこう、現実に戻れるかとか、そういうんじゃなくて、浮気かどうかがこの子にとっては問題ってことか?)
駄目だ。花鶏の発想についていけない。もっと他に気にすることがあるだろうに。
「先生が言ったんですよ!『この先不貞はしないでくださいね。私そういうのは許せない質なので』って」
「え、ああ……言いましたっけね、そんなこと」
カデンルラではじめて花鶏にキスした時だ。確かに言ったけれど。
「ほら!俺にとっては大問題なんですよ!いくら先生本人の姿でも、不貞は不貞じゃないですか」
「じゃあどうしろと言うんですか。貴方をひっぱたいて起きてると信じさせたらいいですか?」
「先生が、俺を、ひっぱたく……?」
花鶏は神妙な顔つきになった。
「先生は割と手が出やすいから、俺、ちょっと慣れてて。そんなに衝撃がないかもしれない」
「なっ、そんなことないでしょう!?」
花鶏に手を上げたことなんて、そんな……。過去を振り返ってみる。蘇芳の目が泳いだ。
(うん、あるな。あれ? 花鶏がのんちゃんをペシペシしてるのって、もしかして俺の影響か?)
「……すみませんでした」
「いえ、それはいいんですけど。でも困ったな。これから紫雲城に行くのに、現実だって実感がないままなのは不安です」
花鶏は真面目な顔をして、ちら、と蘇芳を伺った。
(……ん?)
蘇芳は違和感を覚えた。何に対して分からずもやもやしていると、花鶏がふいに距離を詰めてくる。
「花鶏?」
花鶏が顔を近づけるので、蘇芳はさすがに混乱した。キスされるような状況ではないと思ったのだ。
(さすがに今そんな気分じゃないぞ、っておい)
「あ、と……うぇ!?」
変な声が出た。花鶏がいきなり、自身の指を蘇芳の口に突っ込んできたのだ。
(はあ?なにしてんだ!)
突然のことに目を白黒させていると、花鶏は蘇芳の後ろ首を手で固定して逃げないようにした後、ぐっと顔を寄せ「噛んで」と言った。
(……なんで?)
突っ込まれた指が舌の上にのっている。節くれのある人差し指。付け根が丁度前歯に挟まれていて、蘇芳は無意識に歯を立てないよう、ともすれば口端から唾液が零れそうになる。
「はおい、あに(花鶏、なに)」
「いいから噛んで、先生。思いっきり、血が出るくらい強く噛んで」
(だからなんでだ!?)
「先生に引っ叩かれても、噛まれたことはないから。痛みでこれが現実だって分かるでしょう? それに痕が残るから、万が一、夢に呑まれても俺はこれを見て現実に帰ってこれるよ」
そんな都合よくいくだろうか? 蘇芳の表情を見てとって、花鶏はころりと態度を変えた。哀れっぽく甘えるような顔で、上目遣いに蘇芳を見つめる。
もちろん、人の口の中に指を突っ込んだままだ。しかもさっきから、その指で舌の上や奥歯をなぞって遊んでいる。
「ね、いいでしょう先生。俺のお守りみたいにするから、噛んでよ。痛くして」
ピキ、と蘇芳の額に青筋がたった。荒れた内心とは裏腹に、目を据わらせると、おもむろに自分の薬指を花鶏の唇に押し付ける。乾燥した下唇をなぞってやると、驚いたように目を瞠って、ゆっくり口に含んだ。
(……どうかしてる)
濡れた他人の口内で飴玉を舐るように舌を絡められた。趣旨変わってるじゃねえか、と毒づきたいが、あいにく上手く喋れない。
(まったくどこで覚えてくるんだか)
仕方なく空いている方の手で花鶏の顎を掴んで遊びを止めさせると、目を覗き込んで「合図」した。
花鶏が目を細めて、顎に力を込める。
「いッ、……つ」
同時に、と思ったが蘇芳の方が遅かった。強く噛まれた痛みで歯を食いしばる。
花鶏はわずかに顔をしかめただけで声を上げなかった。
お互いが指を引き抜くと、蘇芳の指からは血が垂れていた。
急いで花鶏の指を見ると、赤い歯型がくっきりついているが、出血はしていない。よかった、と胸を撫で下ろした。
花鶏はしばらく自分の指を見つめ、やがて残念そうに「先生って顎の力弱いんだ」と言った。
「……」
倒錯趣味に付き合わせた挙句、人を老人みたいに。蘇芳は無言で、花鶏の頭を引っ叩いた。
◆
◆
痛い。血が出るくらい強く噛まれたから当然だ。ズキズキするが、確かにこれならどっちが現実か分かるかもしれない。
でも他の方法があったかも。いや、絶対にあった。というか、お互いが噛む必要はあったのか。
釈然としないまま、夜明け前に短い仮眠を取り、またすぐに馬を駆けた。だいぶ体力を消耗したが、城門を前にしてやっと緊張感が高まってくる。通行証を見せようとすると、門番の役人たちは慌てたように蘇芳を止めた。
「中央のお役人の方ですね、どうしたもんか……今人手が出払っていて。なんでも流行病が蔓延しているとか何とか……通行証があっても外から人を入れないようにと言いつかってるんですよ」
早朝だというのに、中に入れずに城門前で右往左往している人間が多いのはこれが原因のようだ。
耳をそばだてると「俺の村が」「親戚が」「いきなり倒れて」などと聞こえてくる。
救援を要請しに来た者も、城下に卸に来た商人たちもいて、辺りは混然としている。
足止めを食らって殺気立つ連中もいたが、多くの者は状況が呑み込めずただ戸惑っているようだ。
「先生、東雲に命じて強行突破しますか」
「いえ、それは」
悪戯に混乱を呼ぶのは避けたい。どうしたものか。
「あっ!蘇芳殿!蘇芳殿じゃないですか、なんでこちらに!?」
声を上げて駆け寄ってきたのは青葉だった。疲労を浮かべているが、蘇芳の姿を見て明らかにほっとした様子で、隣に立つ花鶏を見て慌てて拝礼……を止め目礼した。おかげで人目を引かずに済んだ。
「良かった、門番からの連絡を受けて来てみたら蘇芳殿とは。月代の里からに逗留しているとばかり。……ほかの者は?波瀬や巫女姫様もご一緒ですか」
蘇芳はきょろきょろする青葉の肩をがしっと掴んだ。へ、と変な声を出す青葉を引き摺って壁際に来ると、有無を言わさず抑え込む。
「すまない、詳しく話してる時間がないんだが、彼らとは別行動なんだ。それより今の都の状況を説明してくれるか?あと、なんとか中に入れるよう門番に取り計らってくれ」
「そ、それは勿論ですが……」
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