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新婚旅行編
糞親父が(長男ジャン視点)
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父を探して何度も何度も森に入っては、暗い顔をして傷だらけで帰ってくる、真ん中の弟。
「僕が風邪を引いちゃったから?だから父さんは帰ってこないの?」と息を殺して布団の中で泣く、末の弟。
そして、元気に振る舞っているようでいて……夜中にひっそりと涙を流す、母。
「……母ちゃん、風邪引くぞ」
泣き疲れ、食卓に突っ伏して眠ってしまった母にそっと毛布をかけてやった時のこと。ジャンは、母が小箱を抱えているのに気がついた。母を起こさないように、そぅっと箱の蓋を開けると……そこに入っていたのは、千切れた首飾りだ。朱色の小さな宝石が連なった古びた首飾りは、結婚式の時父に贈られたものだと聞いたことがある。
純度も低い、屑石寸前の代物だったが、母はたまにこの小箱を開いてはジャンたち兄弟に自慢してくれていた。
『ほら、素敵だろ? お父ちゃんの瞳そっくりの朱色でサ!……アタシの宝物なんだ』
そう言って頬を染める母は“母ちゃん”ではなく、“恋する女の子”の顔をしていたのをよく覚えている。雨上がりに見える雲のように、キラキラと瞳を輝かせてうっとりと小箱の中をのぞきこんでいた母。それが今や――
「……糞親父が」
小箱の蓋を、しっかりと閉じる。錆の浮き始めた金具に、忌々しい屑石と同じ色の瞳をした子どもが映っていた。子どもの瞳は、恋する母と、家族を捨てた、糞親父と同じ……朝焼けの色をしている。
母は、ジャンの瞳を見る度にきっとあの糞父を思い出して苦しむのだろう。いっそ抉り取ってしまいたいけれど、そんな事をしたら母に心配をかけてしまう。治療費だって馬鹿にならない。
「惚れた母ちゃんを泣かせてんじゃねぇよ」
◆◇◆
自慢だった父も、父を大好きだった幼い自分も、幸せだった家族も、今この瞬間ジャンの中で壊れて崩れた。しかし、それに膝をついて泣く暇はない。父がいなくなった今。母を護り、弟たちを護るのは、長男であるジャンの役目だ。
この日から、どんなに揶揄われても虐められてもジャンは泣かなくなり、やがて家計を助ける為にさる商店の下働きに出て数年。今では一応、家庭をもっている。
……冷めた顔をした大人の中に、泣きっぱなしの子どもの残骸を隠したまま。
あれから、今もずっと。
ジャンは、家族を捨てて消えた糞親父が憎くて、大嫌いだ。
「糞親父って……お父ちゃんの事をそんな風に言うもんじゃ」
「糞に糞っつって何が悪いんだよ。家族を捨てて蒸発した男なんざ糞で充分だろ」
「そ、それには理由があって……」
「どんな理由があっても、アイツが俺らを置いて消えた事に変わりない。俺らが泣いた事も、母ちゃんがした苦労も、無くならねぇだろうが!!」
ジャンが食卓に向かって拳を振り下ろす。鈍い音が響き、その衝撃で、タギ苺と殻が跳ねて散らばってしまった。しかし、腕っ節の強い父に合わせて頑丈に仕立てた天板は、軋みもせずにしっかりと拳を受け止めている。
それにまた腹が立って、ジャンはギリリと奥歯を噛みしめた。
忌々しい。父が蒸発した後も、母は父に関するものを隠すことも捨てることも無かった。だからか、実家は何処もかしこもあの糞父の名残が散らばっている。何なら、今弟ガルラが座っている大きめの椅子だって昔父が使っていたものだ。ああ、忌々しい。
ジャンの怒りを表すように、窓から見える空は俄に曇り、特大の雷が轟いた。音からして、この家の大分近くに落ちたようだが――知ったことではない。
「悪いが俺ぁ、認めらんねぇよ」
散らばったタギ苺を雑に掻き集めて籠に戻し、ジャンは立ち上がった。食卓の向こうで母の声がしたが、足を止めずに玄関へ向かう。このまま此処にいたら、きっともっと酷い言葉を母に放ってしまう。あの糞父と再婚しようが愛する母だ、それはどうしても避けたかった。
弟たちの引き止める声にも耳を貸さずに、玄関の戸を思い切り開け放って大きく一歩踏み出す。
グニッ!
「――あ゛、あぁ!? 何だこれ!?」
踏み込んだ足に違和感を感じて、慌てて足を上げる。
玄関先に落ちていた――何故だか背中が血まみれの大男を、ジャンは思い切り踏みつけていたのだった。
「僕が風邪を引いちゃったから?だから父さんは帰ってこないの?」と息を殺して布団の中で泣く、末の弟。
そして、元気に振る舞っているようでいて……夜中にひっそりと涙を流す、母。
「……母ちゃん、風邪引くぞ」
泣き疲れ、食卓に突っ伏して眠ってしまった母にそっと毛布をかけてやった時のこと。ジャンは、母が小箱を抱えているのに気がついた。母を起こさないように、そぅっと箱の蓋を開けると……そこに入っていたのは、千切れた首飾りだ。朱色の小さな宝石が連なった古びた首飾りは、結婚式の時父に贈られたものだと聞いたことがある。
純度も低い、屑石寸前の代物だったが、母はたまにこの小箱を開いてはジャンたち兄弟に自慢してくれていた。
『ほら、素敵だろ? お父ちゃんの瞳そっくりの朱色でサ!……アタシの宝物なんだ』
そう言って頬を染める母は“母ちゃん”ではなく、“恋する女の子”の顔をしていたのをよく覚えている。雨上がりに見える雲のように、キラキラと瞳を輝かせてうっとりと小箱の中をのぞきこんでいた母。それが今や――
「……糞親父が」
小箱の蓋を、しっかりと閉じる。錆の浮き始めた金具に、忌々しい屑石と同じ色の瞳をした子どもが映っていた。子どもの瞳は、恋する母と、家族を捨てた、糞親父と同じ……朝焼けの色をしている。
母は、ジャンの瞳を見る度にきっとあの糞父を思い出して苦しむのだろう。いっそ抉り取ってしまいたいけれど、そんな事をしたら母に心配をかけてしまう。治療費だって馬鹿にならない。
「惚れた母ちゃんを泣かせてんじゃねぇよ」
◆◇◆
自慢だった父も、父を大好きだった幼い自分も、幸せだった家族も、今この瞬間ジャンの中で壊れて崩れた。しかし、それに膝をついて泣く暇はない。父がいなくなった今。母を護り、弟たちを護るのは、長男であるジャンの役目だ。
この日から、どんなに揶揄われても虐められてもジャンは泣かなくなり、やがて家計を助ける為にさる商店の下働きに出て数年。今では一応、家庭をもっている。
……冷めた顔をした大人の中に、泣きっぱなしの子どもの残骸を隠したまま。
あれから、今もずっと。
ジャンは、家族を捨てて消えた糞親父が憎くて、大嫌いだ。
「糞親父って……お父ちゃんの事をそんな風に言うもんじゃ」
「糞に糞っつって何が悪いんだよ。家族を捨てて蒸発した男なんざ糞で充分だろ」
「そ、それには理由があって……」
「どんな理由があっても、アイツが俺らを置いて消えた事に変わりない。俺らが泣いた事も、母ちゃんがした苦労も、無くならねぇだろうが!!」
ジャンが食卓に向かって拳を振り下ろす。鈍い音が響き、その衝撃で、タギ苺と殻が跳ねて散らばってしまった。しかし、腕っ節の強い父に合わせて頑丈に仕立てた天板は、軋みもせずにしっかりと拳を受け止めている。
それにまた腹が立って、ジャンはギリリと奥歯を噛みしめた。
忌々しい。父が蒸発した後も、母は父に関するものを隠すことも捨てることも無かった。だからか、実家は何処もかしこもあの糞父の名残が散らばっている。何なら、今弟ガルラが座っている大きめの椅子だって昔父が使っていたものだ。ああ、忌々しい。
ジャンの怒りを表すように、窓から見える空は俄に曇り、特大の雷が轟いた。音からして、この家の大分近くに落ちたようだが――知ったことではない。
「悪いが俺ぁ、認めらんねぇよ」
散らばったタギ苺を雑に掻き集めて籠に戻し、ジャンは立ち上がった。食卓の向こうで母の声がしたが、足を止めずに玄関へ向かう。このまま此処にいたら、きっともっと酷い言葉を母に放ってしまう。あの糞父と再婚しようが愛する母だ、それはどうしても避けたかった。
弟たちの引き止める声にも耳を貸さずに、玄関の戸を思い切り開け放って大きく一歩踏み出す。
グニッ!
「――あ゛、あぁ!? 何だこれ!?」
踏み込んだ足に違和感を感じて、慌てて足を上げる。
玄関先に落ちていた――何故だか背中が血まみれの大男を、ジャンは思い切り踏みつけていたのだった。
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