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十九章
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という僕の胸中を、輝夜さんが気づかぬ訳がない。
「ジュレ、いいね! 昴のためにも、ここは命をかけてね眠留くん!」
昴の最大最強最高のライバルであり、かつ唯一無二の親友である輝夜さんは、命をかけることを僕に当然の如く促した。それに微塵の疑問も抱かないのが、僕と輝夜さんと昴の仲なんだろうな・・・
とは言うものの、本格的なフランス料理を初めて体験する僕にとって、ジュレが難敵なのもまた事実だった。それを素直に打ち明けると、
「冷たい料理と温かい料理、味覚がすぐさま全開で働くのは、どちら?」
美人新米教師のヒントが鼓膜に届いた。僕はこれまた当然のこととして、ヒントを基に命懸けで返答を構築し、それを告げる。
「冷たい料理は、人の味覚を鈍くする。ジュレは氷や冷水ほど冷たくはないけど、口の中でゼリーを温めてから咀嚼しないと、シェフの意図した繊細な風味を味わい損ねてしまうって事かな」
「うん、私が東京の本店で食べたジュレは、そう作られていた。あの料理はある意味、長い時間をかけゆっくりフランス料理を楽しめるか否かを別つ、前哨戦のような料理なのね」
輝夜さんによると、ジュレは二段ロケット系とマリアージュ系に大別されると言う。ゼリーが具の引き立て役になっている二段ロケット系は、一段目のゼリーをしっかり味わうほど二段目の具の飛翔力が高まり、美味しさも増す。マリアージュ系も、ゼリーの味をきちんと把握するほど、具との調和を楽しむことができる。そうつまり、ジュレを堪能する肝は、その名のとおりゼリー部分にあるのだ。
「輝夜さん、こういう事かな。ジュレの肝であるゼリー部分は慌てない方が味わいやすく、そしてそれは、優美な所作と相性が良い。然るにフランス料理店では、優美なマナーを心掛け、ゆっくり流れる時間を楽しむべし」
「満点、と言いたいところだけど、一つだけ注意して。優美にこだわると、フランス料理にありがちな、鼻に掛けたイメージになりやすいの。ショッピングモールのお店は、一流のマナーを要求するお店じゃないから、考え過ぎず、自然に振舞ってね」
普段の僕なら、自然が一番難しいんですけど、と泣きを入れるのがこの場面のお約束。だが、狭山湖畔のレストランで英国風お茶会のもてなしをされて以来、食事を自然に楽しむ輝夜さんをずっと見てきた僕には、確信があった。
――この人となら、いかなる時も自然でいられる
この確信が、心の中心にあったのである。よって心配の必要は微塵もなく、またそんな些事より、もっと重要なことがあると僕の戦闘勘が叫んでいた。それは、白銀家が東京の本店の常連客か否かを知ることだった。然るに僕はそれを話題に乗せ、そしてそれは涙が出るほど正しかった。予想どおり白銀家が初鴨料理を食べるのは東京の本店である事と、またその伝手を頼り、北海道の獲れたて天然鴨と天然タラバ蟹を輝夜さんがショッピングモールのお店に手配するつもりだった事を、電話の最中に知ることができたからである。
「輝夜さん、今それを知れて良かったよ。お店で初めてそれを知ったら、僕は取り乱しちゃったかもしれないからさ」
へなちょこな僕は真実そう思ったのだけど、電話の向こうの人は違ったらしい。輝夜さんは、初デートの時に僕を救った言葉を、表現だけ変えて再び贈ってくれた。
「ううん、そんなことない。眠留くんは、真剣勝負に絶対負けない人。あの日、私の命と誇りを救ってくれたように、眠留くんは困難な局面であればあるほど、実力を発揮する人なの。だから初めてのフランス料理も、きっと大丈夫。眠留くん、私はそれを知っているからね」
自覚はないが、輝夜さんは正しいのだろう。なぜなら僕はこの重大局面で「任せて」と、胸を張り即答できたからである。輝夜さんは天に昇るように「うん!」と応え、それが嬉しくて僕はふにゃふにゃ顔になり、それが向こうにも伝わって、それから暫く時間を忘れて無関係な事柄を喋りまくってしまった。
それを危うんだ美夜さんが、午後九時まで残り十分しかないことを教えてくれてようやく僕らは、蟹を使ったジュレの傾向と対策を五分間だけ、話題にする事ができたのだった。
そして、今。
あの日から二日経った、フランス料理店。
輝夜さんに教えてもらった傾向と対策に則り、僕は人生初のジュレを、フォークとナイフでちょっぴり大きめに切り分けた。大きめにした理由は、小さくするとジュレが壊れ、見た目を悪くする傾向があるかららしい。ジュレとは真逆だけど表面をサクサクにしたクリームケーキをイメージしてみてとの助言は、本当に的を射ていたと感心しつつ、綺麗に切ったタラバ蟹のジュレを口に含んだ。
予習してなかったら「味が薄いな」系の感想を、僕は今、絶対持っただろう。
けれどもそれは、冷たさで味覚が鈍っているだけ。舌に乗せたジュレに歯が食い込まぬよう注意し、僕は顎をゆっくりゆっくり動かしてゆく。
温まったジュレが液体に変わり、口内に広がる。それと共に、蟹の味が味覚を刺激し始めた。蟹独自の風味を思い出した体が、蟹を堪能したいという欲求を脳に伝える。
それを叶えるべく、具に初めて歯を食い込ませる。
その途端、ゼリーに封じ込められていた蟹の旨味が、口の中いっぱいに広がった。大満足した僕は感嘆も兼ね、鼻から息を大きく吐く。
と同時に、
カッッ!
僕は目を見開いた。
ゼリーが封じ込めていたのは、旨味だけではなかった。
旨味だけが解き放たれ、味覚を刺激したのではなかった。
具を奥歯ですりつぶした事により、蟹の香りも口内に広がっていて、それが感嘆の息と共に、鼻腔の嗅覚を一気に刺激したのである。僕はコントのように喉を上下させたのち、極限の自制心を発揮して輝夜さんに伝えた。
「これは二段じゃない、三段ロケットだったんだね!」
「ジュレ、いいね! 昴のためにも、ここは命をかけてね眠留くん!」
昴の最大最強最高のライバルであり、かつ唯一無二の親友である輝夜さんは、命をかけることを僕に当然の如く促した。それに微塵の疑問も抱かないのが、僕と輝夜さんと昴の仲なんだろうな・・・
とは言うものの、本格的なフランス料理を初めて体験する僕にとって、ジュレが難敵なのもまた事実だった。それを素直に打ち明けると、
「冷たい料理と温かい料理、味覚がすぐさま全開で働くのは、どちら?」
美人新米教師のヒントが鼓膜に届いた。僕はこれまた当然のこととして、ヒントを基に命懸けで返答を構築し、それを告げる。
「冷たい料理は、人の味覚を鈍くする。ジュレは氷や冷水ほど冷たくはないけど、口の中でゼリーを温めてから咀嚼しないと、シェフの意図した繊細な風味を味わい損ねてしまうって事かな」
「うん、私が東京の本店で食べたジュレは、そう作られていた。あの料理はある意味、長い時間をかけゆっくりフランス料理を楽しめるか否かを別つ、前哨戦のような料理なのね」
輝夜さんによると、ジュレは二段ロケット系とマリアージュ系に大別されると言う。ゼリーが具の引き立て役になっている二段ロケット系は、一段目のゼリーをしっかり味わうほど二段目の具の飛翔力が高まり、美味しさも増す。マリアージュ系も、ゼリーの味をきちんと把握するほど、具との調和を楽しむことができる。そうつまり、ジュレを堪能する肝は、その名のとおりゼリー部分にあるのだ。
「輝夜さん、こういう事かな。ジュレの肝であるゼリー部分は慌てない方が味わいやすく、そしてそれは、優美な所作と相性が良い。然るにフランス料理店では、優美なマナーを心掛け、ゆっくり流れる時間を楽しむべし」
「満点、と言いたいところだけど、一つだけ注意して。優美にこだわると、フランス料理にありがちな、鼻に掛けたイメージになりやすいの。ショッピングモールのお店は、一流のマナーを要求するお店じゃないから、考え過ぎず、自然に振舞ってね」
普段の僕なら、自然が一番難しいんですけど、と泣きを入れるのがこの場面のお約束。だが、狭山湖畔のレストランで英国風お茶会のもてなしをされて以来、食事を自然に楽しむ輝夜さんをずっと見てきた僕には、確信があった。
――この人となら、いかなる時も自然でいられる
この確信が、心の中心にあったのである。よって心配の必要は微塵もなく、またそんな些事より、もっと重要なことがあると僕の戦闘勘が叫んでいた。それは、白銀家が東京の本店の常連客か否かを知ることだった。然るに僕はそれを話題に乗せ、そしてそれは涙が出るほど正しかった。予想どおり白銀家が初鴨料理を食べるのは東京の本店である事と、またその伝手を頼り、北海道の獲れたて天然鴨と天然タラバ蟹を輝夜さんがショッピングモールのお店に手配するつもりだった事を、電話の最中に知ることができたからである。
「輝夜さん、今それを知れて良かったよ。お店で初めてそれを知ったら、僕は取り乱しちゃったかもしれないからさ」
へなちょこな僕は真実そう思ったのだけど、電話の向こうの人は違ったらしい。輝夜さんは、初デートの時に僕を救った言葉を、表現だけ変えて再び贈ってくれた。
「ううん、そんなことない。眠留くんは、真剣勝負に絶対負けない人。あの日、私の命と誇りを救ってくれたように、眠留くんは困難な局面であればあるほど、実力を発揮する人なの。だから初めてのフランス料理も、きっと大丈夫。眠留くん、私はそれを知っているからね」
自覚はないが、輝夜さんは正しいのだろう。なぜなら僕はこの重大局面で「任せて」と、胸を張り即答できたからである。輝夜さんは天に昇るように「うん!」と応え、それが嬉しくて僕はふにゃふにゃ顔になり、それが向こうにも伝わって、それから暫く時間を忘れて無関係な事柄を喋りまくってしまった。
それを危うんだ美夜さんが、午後九時まで残り十分しかないことを教えてくれてようやく僕らは、蟹を使ったジュレの傾向と対策を五分間だけ、話題にする事ができたのだった。
そして、今。
あの日から二日経った、フランス料理店。
輝夜さんに教えてもらった傾向と対策に則り、僕は人生初のジュレを、フォークとナイフでちょっぴり大きめに切り分けた。大きめにした理由は、小さくするとジュレが壊れ、見た目を悪くする傾向があるかららしい。ジュレとは真逆だけど表面をサクサクにしたクリームケーキをイメージしてみてとの助言は、本当に的を射ていたと感心しつつ、綺麗に切ったタラバ蟹のジュレを口に含んだ。
予習してなかったら「味が薄いな」系の感想を、僕は今、絶対持っただろう。
けれどもそれは、冷たさで味覚が鈍っているだけ。舌に乗せたジュレに歯が食い込まぬよう注意し、僕は顎をゆっくりゆっくり動かしてゆく。
温まったジュレが液体に変わり、口内に広がる。それと共に、蟹の味が味覚を刺激し始めた。蟹独自の風味を思い出した体が、蟹を堪能したいという欲求を脳に伝える。
それを叶えるべく、具に初めて歯を食い込ませる。
その途端、ゼリーに封じ込められていた蟹の旨味が、口の中いっぱいに広がった。大満足した僕は感嘆も兼ね、鼻から息を大きく吐く。
と同時に、
カッッ!
僕は目を見開いた。
ゼリーが封じ込めていたのは、旨味だけではなかった。
旨味だけが解き放たれ、味覚を刺激したのではなかった。
具を奥歯ですりつぶした事により、蟹の香りも口内に広がっていて、それが感嘆の息と共に、鼻腔の嗅覚を一気に刺激したのである。僕はコントのように喉を上下させたのち、極限の自制心を発揮して輝夜さんに伝えた。
「これは二段じゃない、三段ロケットだったんだね!」
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