僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十九章

バキューン、1

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 翌、十月五日。
 学期間休暇最後の日の、午後一時少し前。
 場所は、三年生校舎の校門から北へ100メートルほど行った、湖校に近くとも湖校生を見かけない道路。
 歩道を歩く僕の後方からスルスルッとやって来て、ハザードランプを点けて右斜め前に停車した神社のAICAの運転席に、僕は素早く乗り込んだ。続いてシートベルトも素早く締め、しかし左隣に座る淑女へは、
「輝夜さん、迎えに来てくれてありがとう」
 ゆっくり丁寧にお礼を述べた。助手席にいる輝夜さんの右隣に座るべく車道へ足を踏み入れ、運転席側に歩いて来た身としては、迅速に行動する義務がある。見晴らしが良く周囲に車もなく、他の交通の妨げになる事はなくとも、その心構えを忘れないのが交通マナーなのだ。
 とはいえシートベルトを締めさえすればAICAは発進するのだから、お礼まで急がずともよいのである。という僕の胸中を説明せずとも、本物のマナーを身に付けた淑女が、
「さすが眠留くんだね」
 百点満点の笑顔で百点満点の採点をしてくれるのだから、僕以上に幸せなマナー受講者はいない。宇宙広しと言えどそんな幸運男子、一人もいやしないのだ。しかもそれに加え、
「それより眠留くん、部活直後で疲れてない? 背もたれを倒して横になる? それとも、何かお飲みになりますか?」
 花の妖精と化した超絶美少女があれこれ世話を焼いてくれると来れば、僕の幸運度合いは一体全体どうなってしまっているのだろう。その幸せに浸りつつも昨夕の翔子姉さんの助言を思い出し、
「わあ、丁度喉が渇いていたんだ。ありがとう輝夜さん」
 嘘偽りない真実を僕は伝えた。輝夜さんはパッと顔を輝かせ、バッグからスポーツドリンクの容器を取り出し、僕に手渡してくれる。その際、指先がほんの少し触れ合っただけなのに二人の時が止まり、指先を触れ合わせたまま互いの瞳を見つめ合っている自分達にその後気づき、慌てて手を離し、そして必死になって照れ隠しをするというお約束のひと時を、僕らは過ごしたのだった。

 翔子姉さんに昨夕助言してもらったという個所には、若干の説明が必要かもしれない。夕方にはいささか遅い時間だったし、また翔子姉さん以外にも、助言者は複数いたからである。
 昨夕、末吉を頭に乗せたまま台所に現れた僕を、テーブルに着いていた皆は、爆笑なのか称賛なのか定かでない様相で迎えた。三人娘は特に大喜びし、僕と末吉がこの状態を維持して夕ご飯を食べられないものかと工夫を始めた。言うまでもなく最初は、爆笑後の微笑ましい悪ふざけに過ぎなかったのだけど、輝夜さんと末吉のある会話を機に、工夫は真剣勝負となった。それは、
「それにしても末吉くんは、眠留くんの頭に乗るのが上手いのね」
「もちろんにゃ。魔想討伐を終えたおいら達はいつもこうして、神社に返ってくるのにゃ」
 との会話だった。頭上のことゆえ目視できなかった僕にも、末吉が自信満々かつ飛び切りの笑顔でそう答えたのがありありと感じられたのだから、その末吉を眼前で見た三人娘は、この状態を維持した食事を万難を排して成功させるべき真剣勝負と捉えてしまったのである。「床に置く末吉専用皿を頭に乗せるのは不適切」から始まった議論は、瞬く間に数多の問題を解決してゆき、解決するに従いテンションは鰻登りになり、残すはプラスチック皿を僕の頭に固定するゴムひもの調整のみとなったところで、
「あなた達、おやめなさい!」
 翔子姉さんの叱責が台所に響いた。後になって振り返ると、叱り役として翔子姉さん以上の適任者はいなかったと僕はつくづく感心したものだ。祖父と大吉の成人男性組は娘達のテンションの前にいないも同然になっていたし、祖母と貴子さんの成人女性組が声を荒らげると娘達の後悔が必要以上に長引いたと思うし、水晶だとやんわり叱っただけでも直弟子達は立ち直るまでに数日を要したはずだからだ。そう、翔子姉さんだけがビシッと叱りつつも、
「まったく、あなた達はホント仲がいいわね。その仲の良さを、みんなと夕ご飯を一緒に食べるのが楽しみで仕方ない私にも、分けてくれないかな」
 と続けられた。娘達のテンションをそっくりそのまま別の方角へ向けるというオマケ付きで、ちょっぴり恥ずかしげに、そう続けることが出来たのである。それは効果覿面としか表現しようがなく、三人娘は翔子姉さんに競って詫びた。次いで、
「「「夕ご飯、一気に作るぞ~~!!」」」
 翔子姉さんも加えて鬨の声を上げ、四人はキャイキャイ言いながらキッチンへ移動して行った。僕と末吉だけが、寂しくポツンと残される。いないも同然にされた僕と末吉は、同じ境遇の祖父と大吉に合流し、男性陣全員でしばし背中を丸めたのだった。
 まあでも娘達のテンションが爆上げ状態なのだから、夕ご飯が始まりさえすれば、いつもの和気藹々のテーブルにすぐさま戻っていった。いや今日は娘世代が一人多かったため、普段の五割増しといったところだろうか。人の姿を保っていられる時間が八時間になった小吉は、人に必要な栄養を人の姿で摂取し、消化し、吸収する訓練を定期的にせねばならないと、数日前の朝食時に水晶から説かれていた。それを耳にした祖父母が、とても嬉しげに小吉を夕食に誘った。その光景に中吉が目元を真っ赤にしていた事から、中吉も十年前に同じ理由で同じように夕ご飯のテーブルを囲んだのだろうと察した僕らは、朝食を中断し、中吉と小吉の双方へ祝辞を述べた。まあ述べたのは主に祖父母と大吉と僕で、三人娘は中吉と小吉のもとに赴き、一緒になって涙を流していたんだけどね。という訳で翔子姉さんが加わった夕食はいつにも増して盛り上がり、気づくと輝夜さんと昴が帰宅する時間になっていた。だが娘達はどうにも離れがたかったらしく、
「「「お風呂に入ろう!」」」
 と気炎を上げ、進撃するかの如く四人揃って中離れへ去って行った。僕はその瞬間まで知らなかったのだけど、輝夜さんと昴と美鈴の三人でお風呂を楽しむことが、今までもだいたい月に一度あったらしい。僕が知らないことと月一という回数がミソで、つまり僕が寮に泊まりに行った晩、三人娘はしばしば一緒に入浴していたそうなのだ。どうもそれは、昴の家に輝夜さんが泊まった日はいつも二人でお風呂に入っていると聞き、美鈴が羨ましがったのがきっかけだったらしいから、美鈴の兄としては100%純粋に喜びたかったのだが、そうもいかないのが青少年というもの。
「おや眠留、どこに行くんだい?」
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