僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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「「「ウオオオ―――ッッ!!」」」
 プリンター室に雄叫びがこだました。するとその直後、
「「ォォォォ……」」
 かすかな歓声が遠くであがった。それは途切れ途切れに聞こえてくる小さな歓声だったが、二年に進級してからずっと耳にしてきたそれを、僕らが聞き間違えるなどあり得ない。二十組の方角から、クラスメイト達の歓喜の声が届けられたのだ。教室にいる級友達は、何らかの方法で葉と枝の塗装が成功したことを知り、ああして喜んでいるのである。ならば喜びを分かち合いたいと願うのが、人というもの。二十組の方角へ、みんな素早く顔を向けた。だが無情にも、実技棟のプリンター室から見えるのは、二十組との間に立ちふさがる渡り廊下だけだった。皆の顔に、ふと哀しみの影が差す。今は分かち合えないんだ、教室に戻るまでお預けなんだ、そう諦めかけたその耳朶を、
 シュワ~ン
 慣れ親しんだ効果音がくすぐった。それは誰もがすぐピンと来る、何かが出現する際に用いられる効果音だった。それに合わせて皆の視線の先に、ある場所の様子を映した3D映像が出現した。その場所は、二十組だった。僕らの視線の先に、二十組の様子を教えてくれる大画面が浮かび上がっていた。向こうにも同種の映像が映し出されたらしく、級友達はこちらへ手を振り拍手し、はしゃぎまくっている。その光景を目にした製作者八人は小声でやり取りし、頷き合い横一列に並んで、
「「「やったぞ~~!!」」」
 葉と枝を高々と掲げた。そんな八人を、
「「「「おめでとう~~!!」」」」
 級友達は声を一つにして、称えたのだった。

 実技棟と教室棟の二カ所で同時に沸き起こった喧騒が一段落着いたころ、
「教育AI、ありがとう」
 の声が方々から上がるようになった。二つの場所を映像で繋ぎ、喜びを共有させてくれたのは教育AIだと、級友達が気づき始めたのだ。この機を、名委員長が逃す訳がない。智樹の音頭により、二十組の皆は声を合わせて教育AIにお礼を述べた。それを受け「もう、照れるじゃない」とフレンドリーに文句を垂れつつ校章が現れる。再び沸き起こった喧騒は、校章と映像が消える事をもって終了した。
 
 その後、悲しい気配がプリンター室を覆った。枝の塗装に95点、葉の塗装に100点満点を出したので、
「私がみんなに教えることは、もう無いわね」
 との千家さんの言葉どおり、講義が終わってしまったのだ。皆が千家さんと過ごした時間は、僅かしかない。初顔合わせと、三回の講義と、二回の塗装実習を合計しても、十時間ちょっとしかない。にもかかわらず皆が皆、まるで今生の別れの如き悲しみに襲われたのである。僕もその一員なのは変わらないけど、千家さんが皆からこうも慕われている光景に、無上の喜びを感じていたのも事実だった。
 千家さんは、ほんの数週間前までの十一年間を、素顔を隠して生活してきた。それは素顔のみならず気持ちにも及び、そのせいで千家さんは、小学校でも湖校でも心の通じ合う友人を作れなかった。それゆえ僕は、確信をもって思うのだ。もし千家さんがその生活を続けていたら、僕の目に今こうして映っている光景は、この世に出現しなかったのだと。
 千家さんは変わった。ちょうど一年前の昨年九月、新忍道会員がモンスターと戦う様子を観客席でスケッチしていた頃とは、内面も外見も別人になった。それは千家さんの決意と努力の賜物に他ならず、そしてそれが千家さんに齎したものを、後輩に慕われる光景として今僕は目の当たりにしていた。そう、変わったからこそ、この光景がこの世に現れたのである。それだけでも嬉しいのに千家さんは荒海さんの婚約者で、かつ数世紀前にお世話になりまくった義母でもあるとくれば、無上の喜びを感じて当然なのだ。よって女の子たちが、
「ねえみんな、私達のクラス展示に、千家先生を招待しようよ!」「先生、ぜひ来てください!」「先生、お願します!」「「「先生!!」」」
 と千家さんに取りすがっても、諫めることができなかった。千家さんが以前の気配を若干滲ませているのを目にしても、女の子たちの願いを否定することが僕にはどうしてもできなかった。千家さんの塗装技術にお客様が瞳を輝かせている様子を開発者本人に直接見てもらいたかったし、何より「シュバッッ」という派手な効果音を轟かせて、ある映像が脳裏に映し出されたからだ。それは複数の意味で素敵すぎ、僕は一瞬で虜になってしまい、そして僕のそんなアレコレが、顔にしっかり出ていたのだと思う。僕を一瞥するや千家さんは気配を一変させ、
「みんな、招待してくれてありがとう。あなた達のクラス展示を、私も楽しませてもらうね」
 大人の余裕でそう応えた。それは、凛々しく麗わしい年上女性に憧れる少女にとって、正真正銘のドストライクだったのだろう。実習室にいた男子達と千家さんの前に、教育AIのこんな2D文字が表示された。
『相殺音壁を最大出力で発動しています、無音状態をもう少し我慢してください』
 恐るべきことに、特殊AランクAIの咲耶さんの実力をもってしても、
 ――女の子たちの絶叫
 を個別対処できなかったらしい。声の限りに叫んでいるのがひしひしと伝わって来るあれを消すには、全ての音を一緒くたに相殺するしかなかったようなのである。僕は心の中で咲耶さんに、伏してお礼を述べたのだった。

 教室へ戻るや、髪飾り係の八人のもとへ大勢のクラスメイトが詰めかけた。その様子に頬をほころばせつつ教室を見渡し、目当ての二人を見つけた僕は、二人が並んで座っている場へ歩を進めた。そして小声で、
「小池、遠山さん、みんなを取りまとめてくれてありがとう」
 二人へ謝意を伝えた。そう、小池と遠山さんは文化祭実行委員がいない時のクラスのまとめ役を、いつも決まって買って出てくれていたのだ。 
「ったく毎回言ってんだろ、俺はそんなのしてないよ」
「それより猫将軍君、塗装の成功おめでとう。それに関して髪飾り係の子たちからメールを貰ったんだけど、千家先生をクラス展示に招待・・・」
 けれども二人は、まとめ役を務めている事をいつも決まって否定する。委員不在時は揃って部活を休み、クラス展示の準備に励むみんなを支えてくれているのに、「そんなのしてない」「それより猫将軍君」と二人は毎回必ず言うのだ。それは二つの動機でなされ、うち一つは僕への償いというのが、クラスのほぼ全員の共通見解だった。文化祭の初HRで小池と遠山さんは僕の行動について意見を激しく戦わせたが、二人の主張には僕の胸中が含まれていなかった。他者がどのような想いの元にそれを行ったかを本人に訊かず、推測で事を進めるだけでも忌避されるのに、二人の推測はどちらも的外れだったのである。本来ならそれは黒歴史に該当するのだけど、的外れがきっかけとなりクラスは一致団結し、しかも二人はその最大の功労者だったから、まったく気にしていないという真情を僕は伝えた。二人は苦悶の表情を数瞬浮かべるも、過ちを繰り返さないことを最優先し、首を黙って縦に振った。でも僕が気にしないのと、二人が気にしないのは別問題。小池と遠山さんは責任者不在時のクラスをまとめる事で、僕ら実行委員が講義や実習に後顧の憂いなく臨めるよう、尽力してくれていたのである。
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