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十七章
三つ巴、1
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「へッ、変態だなんて、僕はそんな変態だなんて、うわ――っっ!!」
認めたくないが僕にとって変態は、トラウマ級の衝撃を心にもたらす言葉だった。しかもそのトラウマに僕は友人を巻き込んでいるらしく、更に加えて、それが噂になっていると知ったのだから堪らない。僕は椅子に座ることすら覚束なくなりかけていた。が、
――生物学の言葉で、意味は異なるから安心しなさい。美夜、咲耶――
との指向性2Dがすんでのところで目の前に表示された。椅子に座る事をどうにかこうにか保った僕に、秋吉さんが種明かしをしてくれた。
「猫将軍君の家のHAIにとても良くしてもらったから、猫将軍君が同学年の女子にどれほど高く評価されているかを話したら、天狗にならないよう協力してくれますかって頼まれたのよ」
秋吉さんによると、誤解を避けるため女子達はメタモルフォーゼの方を使ってくれているそうだが、美夜さんに「あの子が天狗にならないよう協力をお願いできるかしら」と微笑まれたのだと言う。
「あの子って言った時のHAIは血の通う人間にしか、ううん、猫将軍君のお姉さんにしか見えなかった。きっと猫将軍君は友人だけでなく、AIも進化させるのでしょうね」
メタモルフォーゼは、芋虫が蛹を経て蝶になるような、一見まったく別の生物に変身することを指し、進化という意味ではないとの事だった。ならば女の子たちは、メタモルフォーゼをどのような意味で使っているのかな・・・と思考を巡らせかけた時、秋吉さんは2Dキーボードに十指を走らせ「変態」という字をデカデカと空中に映し出した。条件反射で顔を引きつらせた僕に、秋吉さんは粛々と講義を始めた。
「日本の生物学会はメタモルフォーゼに、変態という訳語を長く用いていました。しかしこの変態は、女性の敵という意味での変態と同形同音です。よって両者を区別すべく語頭に超を付け『超変態』と呼んでいた時期もありましたが、十代の女子を中心に『超なになに』という表現が流行し、女性の不倶戴天の敵という意味での『超ヘンタ~イ』と超変態は・・・」
「どうか、どうかその辺で勘弁してください~~!」
僕に向けられたヘンタイではないと頭では分っていても、ヘンタイという発音をこうも繰り返され、しかも女子特有の口調で「超ヘンタ~イ」をそこに加えられると、土下座して慈悲を請うことしか僕にはできなかったのである。すると、
「これも噂どおり、真面目顔の冗談に弱いのね」
秋吉さんはクスクス笑った。メタモルフォーゼとは異なり、こっちの噂は全貌を容易く把握できたので、僕はテーブルから額を離して土下座を解いた。確かに僕はその噂どおり、真面目顔の冗談に弱い。小学三年生以来、真面目顔で冗談を言う北斗に笑わされ続けたため、いつの間にかそうなっていたのだ。でもまあそれは幸せな想い出だし、秋吉さんにも楽しんでもらえたから、僕は嬉しくなってニコニコしていた。しかしそれは、油断だったのだろう。笑いを納めた秋吉さんはたった一つの質問をしただけで、僕の心胆を震わせたのである。その質問は、これだった。
「真面目顔の冗談を猫将軍君の弱点にした人のクラス展示が『あっぱれ、おにぎり道』なのは、知ってる?」
二年一組のクラス展示の名称『あっぱれ、おにぎり道』に、僕はどうやら十秒ほど、時間の概念を忘れていたらしい。
「猫将軍が時間停止の魔法をかけられたように動かなくなったから、心配やら可笑しいやらで大変だったよ」
「ちょっと待て、心配やら可笑しいやらって言ったけど、実際は爆笑してただけじゃんか!」
「いや、だってさあ」「問答無用!」
などとヘッドロックとクスグリの応酬を始めた子猿二匹を、
「はいは~い、話を続けますよ~」
秋吉さんは手を二度パンパンと打ち鳴らしただけで完璧に従わせた。そんな秋吉さんに、この人には年の離れた弟がいるんじゃないかな、と何となく思った。
「猫将軍君の考えをまずは聴かせて。傑物として名高い七ッ星君は前期委員ですが、文化祭のクラス展示に関与していると思いますか?」
秋吉さんは北斗を名字で呼ぶんだな珍しいなあ、なんて考えを脇に置き、僕はフレンドリーさ増し増しで答えた。
「100%関与しているはず。そう断言できる根拠は、小学三年生の冬に『おにぎり道』なるものを北斗は創ってね・・・」
四年半前、母が亡くなったショックで食事をしなくなった僕のため、北斗がおにぎりを、昴がお惣菜を作ってくれたことを二人に話した。軽さを保つべくフレンドリーさを増し増しにしたのだけどそれは徒労となり、台所を重い空気が覆った。けど、
「猫将軍スマン。そんな背景があるのに、さっきは大笑いしてしまった」
久保田の勘違いのお陰で、換気を兼ねる訂正に無理なく入れた。久保田、ありがとな!
「久保田スマン、僕こそ誤解させてしまった。さっきの時間停止は、北斗と競争する立場に初めてなった事に、時間を忘れて驚いたんだよ。秋吉さんが言ったように北斗はとんでもない傑物だから、僕はこれまで、北斗の計画を助ける事しかしてこなかった。でも今回、五年半の付き合いで、僕は初めて北斗と戦うことになった。文化祭の総合優勝を賭けて、競争する立場になったんだよ。それが衝撃的すぎて時間が経つのを忘れていたんだから、笑われて当然。久保田、気にしないでね」
正直言うと、その衝撃はまったく目減りせず、今も胸の中にある。北斗が所沢に引っ越してきたのは、自分のダメっぷりに最も落ち込んでいた小学三年生の時だった。あの頃の僕にとって北斗の親友になれたことは、唯一と言っても過言ではない心の支えだった。親友になってからの五年と半年、北斗の考案した計画に協力していれば、僕は快適な学校生活を送れた。バカ話も真面目話も充実した部活もすべて阿吽の呼吸でこなせる、最高の日々を過ごすことができた。それが当たり前になり過ぎていたせいで、北斗と競争する未来など永遠に来ないという想いが、いつの間にかこの胸に構築されていたのである。
と、これまでの五年半を回想していた僕に、久保田が問いかけた。
「猫将軍がそう言うなら気にしないけど、疑問も残るんだよね。今年の体育祭は、競争じゃなかったの?」
その刹那、北斗の二年越しの行動が僕の脳裏を駆けた。それは、北斗に関するある勘違いを僕に気づかせてくれた。北斗は去年、文化祭とクリスマス会を一纏めに計画したと僕は考えていたが、それは違った。なんと北斗は去年のうちから、今年の文化祭とクリスマス会も視野に入れて行動していたのである。その凄まじい傑物ぶりに、二度目の時間停止に陥った僕を気遣ったのか、秋吉さんが僕に代わって久保田の問いに答えてくれた。
「あらかじめ決められたプログラムをなぞるだけの体育祭は、受動的な印象が強い。対して文化祭は自由度が圧倒的に高く、そして猫将軍君は実行委員としてクラス展示に深く係わっているから、七ッ星君との競争を強烈に意識したのではないかしら。どうかな、敏腕議長さん」
「敏腕議長だなんて、滅相もございません~~」
過大評価に過剰反応した僕に、笑いのデュエットが奏でられた。つい数分前まで台所を覆っていた重い空気が完全に取り払われたことを確認した僕は、北斗の二年越しの行動に話題を変えるべく舵を切った。
認めたくないが僕にとって変態は、トラウマ級の衝撃を心にもたらす言葉だった。しかもそのトラウマに僕は友人を巻き込んでいるらしく、更に加えて、それが噂になっていると知ったのだから堪らない。僕は椅子に座ることすら覚束なくなりかけていた。が、
――生物学の言葉で、意味は異なるから安心しなさい。美夜、咲耶――
との指向性2Dがすんでのところで目の前に表示された。椅子に座る事をどうにかこうにか保った僕に、秋吉さんが種明かしをしてくれた。
「猫将軍君の家のHAIにとても良くしてもらったから、猫将軍君が同学年の女子にどれほど高く評価されているかを話したら、天狗にならないよう協力してくれますかって頼まれたのよ」
秋吉さんによると、誤解を避けるため女子達はメタモルフォーゼの方を使ってくれているそうだが、美夜さんに「あの子が天狗にならないよう協力をお願いできるかしら」と微笑まれたのだと言う。
「あの子って言った時のHAIは血の通う人間にしか、ううん、猫将軍君のお姉さんにしか見えなかった。きっと猫将軍君は友人だけでなく、AIも進化させるのでしょうね」
メタモルフォーゼは、芋虫が蛹を経て蝶になるような、一見まったく別の生物に変身することを指し、進化という意味ではないとの事だった。ならば女の子たちは、メタモルフォーゼをどのような意味で使っているのかな・・・と思考を巡らせかけた時、秋吉さんは2Dキーボードに十指を走らせ「変態」という字をデカデカと空中に映し出した。条件反射で顔を引きつらせた僕に、秋吉さんは粛々と講義を始めた。
「日本の生物学会はメタモルフォーゼに、変態という訳語を長く用いていました。しかしこの変態は、女性の敵という意味での変態と同形同音です。よって両者を区別すべく語頭に超を付け『超変態』と呼んでいた時期もありましたが、十代の女子を中心に『超なになに』という表現が流行し、女性の不倶戴天の敵という意味での『超ヘンタ~イ』と超変態は・・・」
「どうか、どうかその辺で勘弁してください~~!」
僕に向けられたヘンタイではないと頭では分っていても、ヘンタイという発音をこうも繰り返され、しかも女子特有の口調で「超ヘンタ~イ」をそこに加えられると、土下座して慈悲を請うことしか僕にはできなかったのである。すると、
「これも噂どおり、真面目顔の冗談に弱いのね」
秋吉さんはクスクス笑った。メタモルフォーゼとは異なり、こっちの噂は全貌を容易く把握できたので、僕はテーブルから額を離して土下座を解いた。確かに僕はその噂どおり、真面目顔の冗談に弱い。小学三年生以来、真面目顔で冗談を言う北斗に笑わされ続けたため、いつの間にかそうなっていたのだ。でもまあそれは幸せな想い出だし、秋吉さんにも楽しんでもらえたから、僕は嬉しくなってニコニコしていた。しかしそれは、油断だったのだろう。笑いを納めた秋吉さんはたった一つの質問をしただけで、僕の心胆を震わせたのである。その質問は、これだった。
「真面目顔の冗談を猫将軍君の弱点にした人のクラス展示が『あっぱれ、おにぎり道』なのは、知ってる?」
二年一組のクラス展示の名称『あっぱれ、おにぎり道』に、僕はどうやら十秒ほど、時間の概念を忘れていたらしい。
「猫将軍が時間停止の魔法をかけられたように動かなくなったから、心配やら可笑しいやらで大変だったよ」
「ちょっと待て、心配やら可笑しいやらって言ったけど、実際は爆笑してただけじゃんか!」
「いや、だってさあ」「問答無用!」
などとヘッドロックとクスグリの応酬を始めた子猿二匹を、
「はいは~い、話を続けますよ~」
秋吉さんは手を二度パンパンと打ち鳴らしただけで完璧に従わせた。そんな秋吉さんに、この人には年の離れた弟がいるんじゃないかな、と何となく思った。
「猫将軍君の考えをまずは聴かせて。傑物として名高い七ッ星君は前期委員ですが、文化祭のクラス展示に関与していると思いますか?」
秋吉さんは北斗を名字で呼ぶんだな珍しいなあ、なんて考えを脇に置き、僕はフレンドリーさ増し増しで答えた。
「100%関与しているはず。そう断言できる根拠は、小学三年生の冬に『おにぎり道』なるものを北斗は創ってね・・・」
四年半前、母が亡くなったショックで食事をしなくなった僕のため、北斗がおにぎりを、昴がお惣菜を作ってくれたことを二人に話した。軽さを保つべくフレンドリーさを増し増しにしたのだけどそれは徒労となり、台所を重い空気が覆った。けど、
「猫将軍スマン。そんな背景があるのに、さっきは大笑いしてしまった」
久保田の勘違いのお陰で、換気を兼ねる訂正に無理なく入れた。久保田、ありがとな!
「久保田スマン、僕こそ誤解させてしまった。さっきの時間停止は、北斗と競争する立場に初めてなった事に、時間を忘れて驚いたんだよ。秋吉さんが言ったように北斗はとんでもない傑物だから、僕はこれまで、北斗の計画を助ける事しかしてこなかった。でも今回、五年半の付き合いで、僕は初めて北斗と戦うことになった。文化祭の総合優勝を賭けて、競争する立場になったんだよ。それが衝撃的すぎて時間が経つのを忘れていたんだから、笑われて当然。久保田、気にしないでね」
正直言うと、その衝撃はまったく目減りせず、今も胸の中にある。北斗が所沢に引っ越してきたのは、自分のダメっぷりに最も落ち込んでいた小学三年生の時だった。あの頃の僕にとって北斗の親友になれたことは、唯一と言っても過言ではない心の支えだった。親友になってからの五年と半年、北斗の考案した計画に協力していれば、僕は快適な学校生活を送れた。バカ話も真面目話も充実した部活もすべて阿吽の呼吸でこなせる、最高の日々を過ごすことができた。それが当たり前になり過ぎていたせいで、北斗と競争する未来など永遠に来ないという想いが、いつの間にかこの胸に構築されていたのである。
と、これまでの五年半を回想していた僕に、久保田が問いかけた。
「猫将軍がそう言うなら気にしないけど、疑問も残るんだよね。今年の体育祭は、競争じゃなかったの?」
その刹那、北斗の二年越しの行動が僕の脳裏を駆けた。それは、北斗に関するある勘違いを僕に気づかせてくれた。北斗は去年、文化祭とクリスマス会を一纏めに計画したと僕は考えていたが、それは違った。なんと北斗は去年のうちから、今年の文化祭とクリスマス会も視野に入れて行動していたのである。その凄まじい傑物ぶりに、二度目の時間停止に陥った僕を気遣ったのか、秋吉さんが僕に代わって久保田の問いに答えてくれた。
「あらかじめ決められたプログラムをなぞるだけの体育祭は、受動的な印象が強い。対して文化祭は自由度が圧倒的に高く、そして猫将軍君は実行委員としてクラス展示に深く係わっているから、七ッ星君との競争を強烈に意識したのではないかしら。どうかな、敏腕議長さん」
「敏腕議長だなんて、滅相もございません~~」
過大評価に過剰反応した僕に、笑いのデュエットが奏でられた。つい数分前まで台所を覆っていた重い空気が完全に取り払われたことを確認した僕は、北斗の二年越しの行動に話題を変えるべく舵を切った。
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