僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

夏休み残り二日、1

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 翌、三十日の早朝。
 挨拶を終えた輝夜さんは境内に響けとばかりに、凛ちゃんのお披露目パジャマパーティーが大成功した様子を話してくれた。僕も昨夜の就寝前、部屋に現れた美夜さんにあらましを聞いていたが、輝夜さんの語る凛ちゃんの喜び振りはやはり一味も二味も違った。まだ一分ちょっとしか経っていないと感じていたのに、「そろそろ五分が過ぎますよお二人さん」とミーサに教えられ、僕らは泣く泣くそれぞれの場所へ散って行った。と言っても僕は境内の箒掛けを再開し、輝夜さんは袴に着替えるべく小離れに向かっただけだから、十分もせず再会したのはいつもと同じだった。だが、輝夜さんと一緒にやって来た昴の、
「・・・おっ、おひゃよう、ねみゅる」
 噛みまくりの挨拶は、いつもと同じではなかったけどね。
 でもまあそれは予想される未来として輝夜さんとついさっき話し合っていたし、何より耳まで真っ赤にした昴をこのままにしたら翔薙刀術の訓練に支障をきたしてしまうので、僕は笑いを堪え、あらかじめ決めていた提案をした。
「昴の髪飾りは、元気なレモン色にしようと思うんだけど、いいかな?」
「ああ輝夜、ありがろう~~!」
 輝夜さんに抱きつき、期待にたがわず再び噛んでくれた昴を、僕と輝夜さんは爆笑をもって称えたのだった。
 
 それから二時間少し経過した、朝食時。
 昴と美鈴、そして祖母と貴子さんと翔子姉さんの髪飾りの制作を、千家さんへ正式に依頼することが決定した。僕は自明の理として代金を払うつもりだったが、
「眠留、ここは儂に譲ってくれ」
 祖父が絶対に引かない決意を双眸から煌々と放つので、四の五の言わず譲る事にした。それは大正解だったらしく、
「あなた、ありがとう」
「「「ありがとう!!」」」
 台所にいた女性全員に満面の笑みで感謝された祖父は朝食の時間を、青年の如き溌剌さで過ごしていた。
 
 朝食後、千家さんに髪飾りの件をメールするや、直近でいつ会えるかを問うメールが返ってきた。午後一時から部活なので午前中ならいつでも、とキーボードに十指を走らせつつ、僕はようやく理解した。「ああなるほど、千家さんが昨日言っていたのはこれだったのか」と。
 メールから電話に切り替えた数分後、千家さんが午前十時に、この神社へ足を運ぶことが決まった。荒海さんと過ごす貴重な夏休みを奪わぬよう、千家さんにとって最も便利な場所へ赴くつもりだった僕はそれを阻止しようとしたのだけど、完敗したのである。
「依頼主との交渉の場は、猫将軍君の神社で」
「いやあの、それは悪いです」
「技術者として初めて受けた依頼に、ちょっぴり緊張しているの。だから幾度も訪れた場所で落ち着いて臨みたいのだけど、助けてくれないの?」
「全力を尽くすことを誓います!」
 前世でも今生でも、この人に敵うなど有り得なかったのだ。僕は社務所へすっ飛んで行き、千家さんが神社にやって来ることを祖父に伝えた。了承を得るやすっ飛んで自室に帰り話し合いを続けた結果、僕と千家さんの認識の齟齬が発覚した。千家さんの来訪を、僕は単なる打ち合わせと考えていたが、千家さんは祖父と法的契約を結ぶつもりだったのである。「全力を尽くします!」と誓ったにもかかわらず、関連知識をまったく持っていないことを明かすと、六年生の千家さんは選択授業で該当単位を修得しているとの事だった。だが幾ら習ったと言ってもそれは練習にすぎず、本番はこれが初めてだからできれば交渉の場にいて欲しいと頼まれたら、断るなど不可能。髪飾りのデザイナーとして、千家さんの隣に座ることを僕は約束した。千家さんはとても喜び、昨日のうちに準備した契約書を修正してメールで送ってきた。非常に難解だったが千家さんと美夜さんに助けられ、契約書をどうにか理解することができた。けど法的契約なんて、僕にとっても初めての事。よって心の準備をすべく、千家さんが神社にやって来る時間を僕らは十分前倒しした。

 千家さんの乗ったAICAは予定どおり、九時五十分に神社の駐車場に到着した。比較的近くに住んでいるのか、千家さんに大急ぎで準備を整えた気配はなかったが、とても緊張しているようだった。その緊張が悪い方へ転んでいる気がして、つい小言を述べてしまった。
「一流ブランドのオートクチュールだって一目でわかるスーツを着て、一般通念に沿った化粧を施すと、千家さんは美し過ぎます。モデルやアイドルとして、ここに来たのですか?」
 そう、今日の千家さんは美し過ぎたのだ。今回の依頼主は僕の祖父だからよいが、こんなことを続けていたら、いつか必ず厄介事に巻き込まれてしまうだろう。との憂いのもと、僕は小言を述べたのである。
 とは言え、僕は千家さんの四歳年下のお子様にすぎない。こんな豆柴に生意気なことを言われて気を悪くしたかなあ、と本当は内心ビクビクしていた。のだけど、
「きちんと叱ってくれて、ありがとう猫将軍君」
 なんて心底嬉しげに微笑むのだから、この人にはホント敵わないよなあ・・・
 というやり取りが、良い方へ転んでくれたのだと思う。交渉の最終シミュレーションを落ち着いて行った僕らは、満を持すとまでは行かずとも、必要最低限の対策を施した自負を得ることができた。僕と千家さんは、確たる足取りで社務所へ向かった。

 依頼主との交渉は、社務所の応接室で行われた。なんて言ったらカッコつけ過ぎどころか、嘘をついた事になるだろう。交渉相手の祖父が、ビギナーズラックと考えなければ罰が当たるほど素晴らしい人だったからだ。千家さんを駆け出し技術者と侮らず、僕を素人デザイナーと見下さず、お金を払うに値する作品を創造した芸術家として、祖父は僕らに接した。それだけでもありがたくて視界が霞んだのに、人生における仕事の真価を、祖父は僕らに身をもって体験させてくれたのである。提示された金額の多さに、初仕事の自分には不相応ですと千家さんは恐縮するも、祖父は首を重々しく横へ振った。
「では千家さんに、直接ご覧いただきましょう」
 論より証拠ですからな、そう付け加えた祖父は、祖母と貴子さんと翔子姉さんを応接室に呼んだ。その三人へ、気に入った色があったら遠慮しないよう言い、そして千家さんへ、色のバリエーションを見せてくれるよう頼んだ。千家さんが紫から赤に至る二十一色に二種類の白を加えた二十三色の3Dサンプルを表示するや、悲鳴に等しい声が上がった。若葉色のたった一つの髪飾りだけでも三人の心を鷲掴みにしたのに、それと同等の魅力を有する色とりどりの髪飾りが二十三個も眼前に並べられたのだから、悲鳴を上げて当然だったのである。コレも好きアレも素敵ソレも最高と、時間を忘れてはしゃぐ祖母達を、目にハンカチを当てて見つめていた千家さんへ、祖父が語り掛けた。
「八百万の神々との取り次ぎ役を長年務めてきた私には、この塗装技術のもたらす未来がうっすら見えます。命の輝きを感じさせる工芸品を大切にするたび、人々の中に、万物を慈しむ心が育まれてゆく。それは、人と地球が新たな関係を築きつつある時代の、助力の一つとなるでしょう。それが、あなたの開発した技術なのです」
 千家さんはハンカチを膝に乗せ、姿勢を正して謝意を述べたのち、教えを請うた。
「高価な素材と高性能機器が不可欠なこの塗装は、特許料を辞退しても高額になり、販売数を圧迫すると予想されます。その販売数の少なさは稀少性となり、助力を高めるのでしょうか。それとも販売数の少なさは、助力も少なくしてしまうのでしょうか」
「ふむ・・・」
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