僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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「恐竜の住む大陸に赴いた若者の20%は、十日以内に亡くなるわ。でも恐竜との駆け引きに負けて落命することは、他の生物を捕食してきた肉食獣の私達にとって、自然の摂理として受け入れられる事でもあるの。冬が始まるまでに亡くなる5%も、運の悪い個体を捕食してきた肉食獣の本能が、どうにかこうにか納得させてくれるわね。けど、冬の二ヵ月間で25%が餓死することは、問答無用に心を傷つける。同世代の九割を戦争で失っていた二千年間に図らずも獲得した、故郷を飢餓にするより敵と戦って死のうとする後天的本能が、心に重度の傷を負わせるのよ。私は、七人の親友の絶筆をもらった。私はその後の人生を、七人の親友の分も、生きたの」
 生還した若者にはその後、自由な五年間が与えられる。しかしそれはほぼ形骸化していて、心身に著しい失調がない限り、専門技能を身に付けるための学校へすぐさま入学するのが常らしい。翔子姉さんが目指したのは脳学者で、猫人類屈指の脳学者となり、新人類を更に進化させた新々人類の誕生を生涯追い求めたそうだ。しかしそれは叶わず百二十歳で学者を辞し、辞すなり区の議員となるよう要請され、百三十歳で議長となった。百四十歳でそれも辞し、百五十歳で天寿を全うしたと思っていたが、気づくと光に満たされた空間に浮いていたと言う。そしてそこで、こんな声を聴いた。
「創造主の補佐ができる人材を、我々は宇宙全域で探している。我々はあなたを、適者と判断した。あなたに赴いて欲しいのは、この惑星だ。しかしこの惑星に赴くのも、あなたの偉大な先祖らが転生して行った次なる惑星に生まれ変わるのも、あなたの自由だ」
 どこからともなくその声が聞こえてきて、眼前に見知らぬ惑星が映し出された。その惑星では、猫人類の赤子より小さな体に入らねばならない等々の制約が沢山あったが、
「二年後に生まれる男の子の赤ちゃんと、その翌年に生まれる女の子の赤ちゃんが映されたとたん、この星に行きますって叫んでいたの」
 翔子姉さんはそう言って、僕と美鈴を抱きしめた。僕と美鈴が滂沱の涙を流したのは言うまでもない。男の僕は羞恥を覚え一分足らずで身を離したが、美鈴の涙は三分経っても止まらず、翔子姉さんは美鈴を優しくあやしていた。その間に僕は翔子姉さんから、この前世の話がテレパシーで成された理由を教えてもらった。大吉と中吉は前世を思い出していても末吉はまだそれを完全に忘れており、自分を地球の猫と考えているから、伏せるべきと判断したそうだ。僕も翔子姉さんに同意した。狭山丘陵の一歳猫達の先輩を務めるには、自分を地球の猫と信じていた方が良いと思えたのである。そう述べるや、翔子姉さんは再び僕を抱きしめようとした。それを逃れるには初恋云々を白状するしかないと覚悟してそれを実行したのだけど、
「そんなのとっくに気づいているから観念なさい」
 恐竜の大陸の生還者であるこの姉にとってその程度の覚悟は、塵芥ちりあくたに等しかったらしい。だがすんでの処で、会心の閃きを得られた。
「美鈴はなぜ、こうも泣いているのかな」
 翔子姉さんは僕に伸ばしていた右腕を引き戻し、美鈴を両腕で支えてその背をさすった。その手と亡くなった母の手に、僕は区別を付けられなかった。
「美鈴に話がありそうな眠留を目にしたら、私の前世が役立ちそうな気がしたの。眠留、待たせてごめんね。ほら美鈴も泣き止んで、お兄さんの話をきちんと聴きなさい」
 なんて言いつつも厳しいのは口だけで、相変わらず美鈴を支え続けている翔子姉さんへ謝意を述べたのち、僕は三十分越しに尋ねた。
「美鈴は湖校で、どんな研究をしているんだい」
 翔子姉さんの前世の話と今の示唆からだいたい判っていたが、
「お姉ちゃんお兄ちゃんごめんなさい。中途半端な私は、人生を賭けた研究を、まだ見つけていないのです」
 美鈴は予想どおりの返答をしたのだった。

 興味のある分野なら、沢山ある。昴の料理も、輝夜さんと紫柳子さんのAI開発も、翔子姉さんの量子力学も、神道と新神楽も、また撫子部の指導員になる道も、興味があるから進もうと思えば進めるし、そこそこの成果を上げる自信もある。だが、それに生涯を捧げる決意をした人達と比べたら、自分の興味は子供のお遊びでしかない。そんな中途半端な動機では、皆に失礼だとしか感じられない。だからどうしても、研究分野を決めることができない。美鈴は苦悶に身をよじらせ、そう告白したのだ。
 それについて僕は先ほど、ある閃きを得ていた。いや閃きではなく、正解を得ていた。それは、
『輝夜さんと紫柳子さんは地球より一段進んだ惑星から転生して来て、美鈴は二段進んだ惑星から転生して来た』
 という正解だった。一段進んでいるだけなら、地球の最難関学問である量子AI開発に充分な手応えを感じられる。しかし二段進むと、それを感じる学問はもはや存在しない。想像を絶する心を獲得しているため地球人を見下したりせず、こんな僕でも兄として慕ってくれるが、生涯を捧げる学問分野となると、どれもこれも物足りなく思えてしまう。輝夜さんの祖父母宅を訪れ、輝夜さんを一段進んだ星の転生者と確信したことが、美鈴は二段進んだ星の転生者であることを、僕に気づかせてくれたのだ。
 とは言えその気づきは、美鈴の苦悩の解決に役立たない。苦悩の原因の解明という前進を成したのは事実でも、それは美鈴の転生の秘密を知らなかった、僕にとっての前進でしかないからだ。よって僕はその気づきを、役に立たない発言として伏せる事にした。
 けど、光明はある。というか溢れんばかりにそれはあるため、今回の件に関する美鈴への心配を、僕は一切していなかった。その光明は、愛情だった。学問は無理でも愛情なら、美鈴の心を満たすことができる。物心つく前からの付き合いなので美鈴が祖父母と僕と猫達を家族として慕う気持ちに嘘はないと言い切れるし、僕の仲間や撫子部の部員達、そしてクラスメイト等々の大勢の人達と友情を育んでいるのも同じく断言できる。隔絶した心を持つからこそ美鈴は誰よりも、愛情に価値を置く人生を歩んでいるのだ。その事に、翔子姉さんの前世の話が加わったのだから、心配の権化たる僕も安心して成り行きを見守ることができた。落ち着くところへ落ち着く様子を、微笑みをもって見つめることが出来た。それは背を丸める美鈴にかけた、翔子姉さんの呆れ声から始まった。
「あのねえ美鈴、私が生涯を捧げる研究を決めたのは、二十一歳だったの。あなたなら理解できるわよね。七人の親友の分も生きる決意をした私にとって、その研究がどれほど重く、そして価値があったかを」
 美鈴は弾けるように背筋を伸ばすも数秒を待たず俯き、再びその背を丸めた。しかし今回は自力で顔を上げ姿勢を正し、悲しみに打ち勝つ意思を示した。その意思のあるうちが唯一の勝機と見定めた姉は、妹の手を取って命じた。
「美鈴、心の赴くままになさい。悩みもがき、喜び笑い、うれし涙と悲しみの涙の両方を流しなさい。その日々があなたに、あなたの進む人生を指し示す、その時まで」
 美鈴は無理に笑おうとした。美鈴は頬に両手を当て、それが叶ったことを確認し、僕にお休みの挨拶をした。しかし僕が挨拶を返すや負けそうになり、翔子姉さんに助けを求めて笑顔を何とか保った。そして翔子姉さんに付き添われ、自室へ戻って行った。
 その、二人の後ろ姿に僕は悟った。
 ああ美鈴は、僕があと数年でこの星を去ることを、知っているんだな、と。
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