僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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「ああなるほど、オリハルコンはそういう金属だったのか!」
 との霊験を得ることができたのである。電子の逃亡が円板に生じない仕組みの前に、受け取った霊験を僕は言葉にした。
「織春紺の織は、特殊な性質を付与する結晶構造。春は、陽子と電子と中性子が新たに芽吹いた命のように働き始める事。紺は、原子一つ一つの青色の生命力が重なって見える様子。オリハルコンとは、そういう金属だったのでしょう」
 僕はここで少々脱線し、量子力学者の中には天動説を唱える人がいることを話した。天動説とは、地球こそが宇宙の中心で太陽や惑星は地球の周囲を回っているとする説だ。それは数百年前に否定されているにもかかわらず、その正当性を主張する量子力学者が世界には多数いるらしいのである。「宇宙の根本は量子であり、そして量子は人間が観測して初めて粒子になるのだから、人間こそが宇宙の中心なのだ」と、その人達は主張しているのだと言う。シュレーディンガー博士の有名な反証も、「人が観測しようが観測しなかろうが猫には自我がある」とすればまるで難しくないのに、人を宇宙の中心と考える慢心した量子力学者には、まったく別の思考実験として解釈されるとの事だった。
 という話をしたところ、武蔵野姫が憤怒の形相をしている様子が脳裏に映し出されたので、僕は慌てて脱線を修正し、円板の仕組みに移った。
「円板の純チタンは、オリハルコンではありません。しかし、半ば目覚めた中性子によって電子が有形の友となっているのは、オリハルコンと同じです。友ですからイオン化せず、有形ですからトンネル効果も生じない。この純チタンが電子を放出しないのは、そういう仕組みだと僕は感じました」
 輝夜さんが拍手したのを皮切りに、廊下は拍手一色に染まった。武蔵野姫の嬉しげな声が、それに重なる。
「素晴らしい友人達とかけがえのない青春を生きている、そなたならではの言葉じゃ。眠留、母は嬉しかったぞ」
 母という語彙に固まってしまった僕を地母神の眼差しで見つめていた姫様は、その眼差しを輝夜さんとミーサと凛ちゃんへ向けた。
「育ち盛りの子供達がすくすく育つ様子を見るのは、母の最大の幸せじゃ。眠留、輝夜、ミーサ、凛、そなたらと過ごした時間は、我にそれをもたらしてくれた。我が子らよ、母を幸せにしてくれて、ありがとう」
 僕はこの時やっと理解した。武蔵野姫が、少女の面影の残るお姫様から貫禄たっぷりのお后様に変わった理由は、母親として凛ちゃんに接するためだったのだと。
 友漿は、翔人見習いの心根と生命力を浴びて誕生する。その経緯だけに着目すれば、友漿の親は翔人見習いと感じられるが、翔人見習いが親鳥の役を任されるのは、たった三才でしかない。初めて浴びた人の心は三歳の誕生日を迎えた子供の心で、その子と一緒に育ってゆき羽化を迎えるのだから、友漿にとって翔人見習いは、気心の知れた兄や姉なのではないだろうか。その兄や姉が親に抱く想いを浴びて育つのだから、翔人見習いの親を、友漿も親と感じるのではないか。僕には、そう思えるのである。
 そしてそう考えると、凜ちゃんの特殊性が浮かび上がってくる。予言の翔人である輝夜さんが心根と生命力において他の翔人と一線を画すのは間違いなく、またそれは、凛ちゃんが友漿の段階で月鏘の鈴の音を奏でられた理由でもあるのだろう。しかしそれは同時に、友漿は翔人見習いの負の面も受け継いでしまうという事でもある。母親の優しさや温かさを感じず育った輝夜さん同様、凜ちゃんにとっても葉月さんは、優しく温かな母親ではなかった。いや、友漿は翔人見習いの親を間接的に親と感じているにすぎないから、凛ちゃんはおそらく、自分に母親はいないと考えていたのではないだろうか。「生まれたばかりの凜ちゃんは私とだけ意思疎通できる、それはそれは物静かな子だったの」という輝夜さんの言葉が、それを裏付けていると僕には思えてならなかった。
 だがその、自分に母親はいないという想いは、武蔵野姫との邂逅による生まれ変わりも凛ちゃんにもたらした。悠久の歳月を生きてきた地母神の母性は、自分に母親はいないという凛ちゃんの負の面を吹き飛ばし、その結果凛ちゃんは、格調高い鈴の音を奏でるようになった。また活発になった凛ちゃんは昴を通じて友情を知り、生徒達を教える輝夜さんを通じて後輩への愛情を知り、そしてミーサによって遂に今日、輝夜さんを経由しない自分自身の友人を得た。そんな今日を迎えた凛ちゃんを、準備が整ったと武蔵野姫は判断した。母親として愛情を注いでも、母親に依存しない娘に成長したと、武蔵野姫は判断した。然るに貫禄ある大人の女性として凛ちゃんに接し、そして別れ際、我は凜の母であり凜は我が娘であると、姫様は語り掛けた。
 それを僕は今やっと、理解したのである。
 しかし理解したからといって、すぐさま達観するのは不可能。
 僕も輝夜さんもミーサも凛ちゃんも、完全な大人とはまだ言えない年齢なのだから、冷静な対応をいきなりできる訳がない。
 凛ちゃんは感極まり浮くことができなくなり、そんな凜ちゃんを支えたはずの輝夜さんとミーサも泣き崩れるほかないという状態に、娘達はなったのである。
 だがなればこそ、僕は胸を張ろう。
 準備が整った凜ちゃんに、準備が整った僕を見てもらおう。
 なぜなら僕は、凜ちゃんが新たに得た、家族なのだから。
「武蔵野国の母神様が妹の凛へそそがれた愛情を、僕らは生涯忘れません。母神様、我ら四人の成長を、今後とも見守ってください」
 姫様はひときわ明るく輝き、元の次元へ戻って行った。
 その光に魂の活力をもらった僕は新しくできた妹に寄り添い、頼もしい兄として振舞ったのだった。

 家族としての揺るぎない愛情を共有した僕らはいつまでもその幸せに浸っていたかったが、それは叶わぬ願い。僕は輝夜さんの祖父母に暇乞いをせねばならぬ立場だったし、そして十中八九それより早く、凜ちゃんの限界が訪れるからである。武蔵野姫の助力がなくなった今、僕ら四人が第一に考えるべきは、凜ちゃんが物質次元にいられる内に聖鏘の講義を終了させる事。凛ちゃんに訊いたところ姫様は十五分間の活力を去り際に渡してくれたとの事だったので、講師を務める輝夜さんはもちろん僕ら全員が、今日最大の意気込みでもって講義に臨んだ。
 のだけど、
「この円盤に電子の逃亡が発生しない仕組みに関する眠留くんの推察は、白銀家のそれと寸分たがわず符合します。眠留くん、さすがです!」
 に伴う拍手が鳴り終わり、
「天海によると聖鏘は陽鏘の成長した姿ではないそうですが、それ以上は天海自身も知らないそうです」
 との解説をもって、講義は終わってしまった。聖鏘の後半は今の言葉で締めくくられているそうだし、またトンネル効果を始めとする円盤関連の話は、先祖が添えていた覚書に由来するオマケ的な講義だったからである。よって、
「ええっと、どうしようか?」
「そ、そうですね」
「う~ん」
 ★ん~★
 ほぼ手付かずのまま残っているこの意気込みをどう消費すれば良いか思いつけず、僕らは困ってしまった。ここが猫将軍家の神社だったら各種センサーを使えるミーサは除外されたはずだが、輝夜さんの祖父母の家だったため、ミーサも僕と輝夜さんと凛ちゃんに加わり、四人で顔を突き合わせてウンウン唸っていたのだ。
 然るに誰も気づかなかった。
「ただいまですにゃ~~」
 そう挨拶されるまで、末吉がすぐそばにやって来ていた事を。
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