僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十五章

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「ドッヒャ――ッッ!!」 
 この時ばかりは許可時間を少し超過してしまったけど、私もそうだったからいいよと輝夜さんは笑って流してくれた。その優しさに応えるべく、アトランティス人によって薬の材料としても用いられていた鉱漿が、水銀と誤解された可能性について述べた。
「秦の始皇帝を始めとする古代の権力者が、水銀を不老長寿の薬として飲んでいたのは広く知られているよね。中世ヨーロッパの錬金術師にも似た傾向があり、例えば自分を錬金術師と考えていたニュートンは、水銀中毒だったとも言われている。ナノ化した金やプラチナを、肌が灰色になる副作用をものともせず大量に飲む人が現代にいるのも、貴金属の自我生命力を液化した鉱漿を薬の材料にしていたアトランティス人の知識が、残っているからなのかもしれないね」
「水銀を鉱漿と誤解したのも、ニュートンが自分を錬金術師と考えていたのも、どちらも同意。ニュートンの時代には科学者という概念がまだなく、『自然哲学』と呼ばれるほぼ無価値な分野を研究する二流学者とみなされていたの。でもそれが逆転し、科学こそは新時代を拓く学問という認識が広まるにつれ、人類の頂点に君臨すべきは自分達という考えが科学者の間に蔓延し、そしてその人達によってニュートンは、最も偉大な科学者として崇められるようになった。それに伴い錬金術の科学的検証がなされたけど、個人的には当時の科学では、ううん現在の科学でも、錬金術への正当な評価はまだできないと思う。それは置くとして、錬金術が科学者によって否定されたのは歴史的事実でも、『かの偉大なニュートンさえ晩年は錬金術にうつつを抜かした』のような意見は、科学者の慢心だと私は考えているの。あっ、そうだ!」
 みたいな感じに、学術的な話を満面の笑みで突如終えた輝夜さんへ、
「なになに、今度はどんな楽しいことを教えてくれるの!」
 とスムーズに付いていけたのは、複数の要素を並行処理しつつ話す北斗に慣れていたお陰だ。輝夜さん宅訪問という大イベントのきっかけにも北斗はなってくれたから、次に会ったら礼を言わなきゃな。と頭の隅で考えていた僕へ、
「眠留くん、この二つのファイルを読んでおいて!」
 輝夜さんはそう告げるや、風のように走り去ってしまった。さすがにこれは理解できず、凛ちゃんに助けを求めたのだけど、
 ★輝夜は自室に行っただけ、すぐ戻って来るよ★
 とのお言葉を頂戴しただけだった。僕は覚悟を決め、頬を叩く。そして輝夜さんの残した、
『主要金属の標準電極電位一覧』
『中学生にもわかる量子力学のトンネル効果』
 の二つのファイルと、知的戦闘を開始したのだった。

 知的戦闘は予想に反し、とても楽しくかつ有意義な時間となった。その最大の功労者は輝夜さんの用意した、アイスティーとクッキーだった。集中すると他の全てを忘れてしまう癖が僕にあるのを知っていた輝夜さんは、ファイルに没頭する僕のため、飲み物とお菓子を持って来てくれたのである。それがまたとんでもなく美味しいアイスティーとクッキーだったものだから没頭を終えた後も脳は回転しまくり、また輝夜さんも的確なアドバイスを沢山してくれたので、僕としては比較的早く二つのファイルを理解する事ができた。
「簡単に言うと、こういう事かな。金属は、電子が逃げると錆びる。つまり電子が逃げやすい金属は錆びやすく、逃げにくい金属は錆びにくい。これを現す単位が標準電極電位で、純金はこの数値が最も高い、最も錆びにくい金属だ。ただそれとは別に、電子が秘密のトンネルを通るかのようにスルッと逃げてしまう事があって、それをトンネル効果と呼んでいる。輝夜さん、こんな感じでどうかな?」 
「はい、的確な理解だと思います」
 ★眠留さん、頭いい!★
「いやいや凛ちゃん、僕は残念脳味噌の代表選手なんだよ」
 ★もしそうなら、そんな人に輝夜は任せられません。眠留さん、精進して下さい★
「かっ、かしこまりました!」
 なんて和気あいあいな雰囲気のお陰で脳の高回転を維持していた僕へ、輝夜さんが素敵すぎる問いかけをした。
「眠留くん、去年の十二月に眠留くんの部屋を訪れた時の、去り際の約束を覚えてる?」
「忘れるはず無いよ。えっ、ひょっとして」
 僕は眼球が落ちるほど瞼を開いた。
「ひょっとして、クロム櫛に輝夜さんがああも心を動かしていた理由を、教えてくれるの!」
「教えるのではなく、手に取ってご覧ください。はい、どうぞ」
 そう言って差し出された輝夜さんの掌の上に、鏡面仕上げを施されたしずく型のペンダントを認めた僕は、謎が解けたことも相まって、凛ちゃんにこんな不平を呟かせてしまった。
 ★そんなに喜ばれると、眠留さんの指がペンダントに触れることを、恥ずかしく思えてくるじゃないですか★
「あっ、ごめん。でもあの、手に取っていいかな?」
 ★はい、かまいません。けど、無防備な姿で私が過ごしたペンダントの内部は、見ないで頂けるとありがたいです★
「約束する、ペンダントの内部は決して見ない。輝夜さんも要望があったら、何でも言って」
「私の肌に直接触れていたペンダントですから、は、はな、鼻に近づけないでください!」
 ★あのね輝夜。眠留さんは本当に、へんなことは考えてないのよ★
「でも凛ちゃんだって、内部は見られたくないって言ったじゃない」
 ★確かにそうだけど・・・眠留さん、私からもお願いできますか?★
「なにがあっても絶対、鼻は近づけないと誓います!」
 へんなことを僕が本当に考えてないと凛ちゃんが言及したのは、僕の心中をそのまま述べたというより、時間稼ぎの意味合いが強い。実は輝夜さんの「鼻に近づけないで」は的確な未来予測であり、アトランティスの匂いをこのペンダントに感じていた僕は、無意識に嗅覚を働かせていた公算が高かったのだ。しかしペンダントの検分中にそれをすると輝夜さんの赤面は避けられず、すると必然的に僕も赤面し、時間を大幅に失うことになっただろう。それを阻止すべく「鼻に近づけないで」の発言は成されたのだが、その直前の「私の肌に直接触れていた」の個所で輝夜さんは頬を朱に染めてしまい、その直後にヘンタイ禁止命令とも取れるお願いをされたので、僕は内心かなり動揺していたのである。よって動揺が静まるまでの時間を、自然な会話を輝夜さんと交わすことで、凛ちゃんは稼いでくれたのだ。その優しさと賢さに感銘した僕は、凛ちゃんへの好意と信頼を胸にひしひしと感じていた。すると、
「・・・・・」
 何やら不穏な気配がズボンのポケットから伝わってきた。まあでもそれは極々僅かな気配だったし、そもそも勘違いかもしれないから、
「輝夜さん、凛ちゃん、拝見いたします」
 娘達にそう告げ、僕は指をペンダントに触れさせた。
 指先に冷たい感覚が一瞬走るも、ほのかな温かさにそれはすぐ変わった。熱伝導率の良いクロムは指先の熱を素早く奪い、それが冷たさとなって指に伝わる。しかし薄いメッキの下のチタンは逆に熱伝導率が悪く、熱をそれ以上吸収しないから、指はそれをほのかな温かさとして感じるのだ。祖父にもらったクロム櫛と同じ感触に、僕は頬を緩ませた。
 続いて感じたのは、鏡面仕上げされた硬質クロムメッキ特有の、摩擦係数の低いふわふわした感触だった。金属製だから硬いはずなのに、テフロン加工に匹敵するすべすべ感と雫型の曲面の相乗効果により、指先の柔らかさを「ペンダントのふわふわ」と錯覚するのである。けどそれは、この愛らしいペンダントにまことふさわしい感触だったので、僕は頬を益々緩めてしまった。 
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