僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十五章

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 こぶしを命懸けで握り続けた甲斐あって、気絶をどうにかやり過ごすことができた。それが意外だったのか、輝夜さんは少し驚いたようだ。そのさい生じた会話の空白を、身の潔白を証明する絶好の機会と捉えた僕は、素早くハイ子を取り出し、とある表を空中に映し出した。
「輝夜さん、これは松果体の年齢別の活性度と、僕の活性度を比較した表です。このように、今年四月における僕の活性度は、同学年男子平均の十倍を示しています。松果体には、せ」
 次の語彙が出てこず口ごもるも、その語彙に察しを付けられたら今度は気絶を免れない予感がして、一気にまくし立てた。
「松果体には性欲を抑制する働きがあると医学的に証明されています。ですから輝夜さん、僕があの事ばかり考えているのではないと、どうか信じてください」
「眠留くん、私も自分の活性度を知りたい。どうしたら調べられるの?」
 潔白証明の成否は判らずとも、輝夜さんの興味を松果体へ移すことには成功したみたいだ。しかしそれが油断にならぬよう僕は気を引き締め、研究者として答えた。
「これを調べてくれたのは、猛と芹沢さん。どちらか一方の資格では権限外らしいけど、二人合わせたら可能だって咲耶さんが教えてくれたから、実技棟の設備で測定してもらったんだ」
「キャー素敵! 龍造寺君と清良は、互いを補い合う研究をしているのよね。ロマンチックだなあ、いいなあ・・・」
 世界に通用する専門家を目指す研究学校生は、青春真っただ中の男女でもある。よって生涯の伴侶となる人が、研究においても生涯のパートナーである事は、研究学校生にとって最高の憧れの一つなのだ。輝夜さんはひとしきり羨ましがってから「私も測定してもらえるかな?」と瞳を輝かせた。
「もちろん測定してくれるよ。良い実技訓練になったって、二人は僕にお礼を言ってくれたんだ。正確には、『丁度いい実験体』ってほざいた猛の脇腹に肘鉄ひじてつを喰らわせた芹沢さんが、『良い実技訓練』って言い直したんだけどね」
「あはは、あの二人らしいね!」
  なんてやり取りを経て、輝夜さんが小気味よく手を打ち鳴らす。
「そうそう、昴の母方の女性が老けにくい理由は、松果体にあると思うの。おばさんと話している最中に私は幾度も、おばさんの頭部から青い光が漏れるのを見てるんだ」
「僕も見たことある。輝夜さん、青い光が漏れ出るのは、この窪みだよね」
 僕はテーブルに身を乗り出し頭頂部を輝夜さんに見せ、そして頭頂の少し後頭部よりを指で差した。僕としては公的な名称のないこの窪みを指し示しただけで、それ以外の意図はなかったのだけど、
「えっ、ひょっとして眠留くんも!」
 喜び一杯の銀鈴の声が頭頂に振り注いでからの数分間、僕は幸せ極まる豆柴と化してしまった。輝夜さんが親指以外の指で僕の頭を固定し、そして自由に使える二本の親指で、窪みをグリグリ押し始めたのである。個人的に頭頂眼、略して頂眼址ちょうがんしと呼んでいるこの場所を指でマッサージしてもらえるのが、僕はたまらなく好きだったのである。至福に悶える豆柴と化しながらも、銀鈴の声を一言も聞き漏らさぬよう僕は意識を集中した。
「量子AI研究で脳が疲れて動かなくなったら、私はいつもこの窪みを指圧するの。この窪みと松果体を繋ぐ神経はないのに、ここを指で揉みほぐすと松果体が活発になって、脳がまた働いてくれるんだ」
 指圧に慣れているという輝夜さんの指の力加減は絶妙の一言に尽き、あまりの心地よさに集中が途切れ始めた僕は、テーブルに置いていたハイ子を掴み口元に持って来て「頂眼址命名の由来」と呟いた。賢いミーサはこれだけで僕の意図を察し、研究ファイルの中から該当箇所を抜粋して空中に映してくれた。輝夜さんがファイルに目を通している内に、集中力を復活させようとしたのだ。けどこれは、完全な読み違いだった。顱頂眼ろちょうがんから発想を得てこの窪みを頂眼址と命名した経緯に興奮した輝夜さんが、「なるほど」「盲点だった」と感嘆するたび親指に力が入り、豆柴化が促進されてしまったのである。とはいえ、
「眠留くん、頂眼址命名の由来、凄く面白かった。私もこの呼び方を使っていい?」
 なんて興奮冷めやらぬ声で請われたら、至福の豆柴時間を捨てて人に戻らねばならない。頭をスッキリさせてもらったお礼を述べ、身を起こし背伸びをしてから、
「もちろんだよ、どんどん使って!」
 僕は元気はつらつ、そう応えたのだった。

 それから僕らは頂眼址について意見交換した。
「私は初め頂眼址を、大泉門だいせんもんの名残と考えていたの。でももしそうなら前頭骨と頭頂骨の接合部分が窪んでいるはずだし、同様の理由で小泉門の線も薄かったし、それにこの窪みを人に話した事もあまり無かったから、自分なりの名前を付けようって思わなかったのね」
 大泉門や小泉門は新生児のみに存在する頭蓋骨の隙間を指し、僕も初めはそう考えていたので輝夜さんにそれを伝えたかったが、黙って頷くだけに留めた。小学校時代の輝夜さんは量子AI開発者を目指していることを誰にも打ち明けられず、よって研究中に発見した頂眼址指圧の効能も誰にも話せなかったのだと、気づいたからである。眠留くんには隠し事できないねと、輝夜さんは先を続けた。
「鳥類以下の脊椎動物は、顱頂眼と呼ばれる特殊な眼を稀に持っている。漁師の間では古くから知られていて、近代以降は松果体そうと呼ばれていたけど、松果体窓の利用方法をファイルで読んだら、できれば私も別の言葉を使いたいって思っちゃった」
「魚をなるべく苦しませないためには仕方ないにせよ、あれはちょっとね」
 僕は棒を持つ仕草をして、それを頂眼址に突き刺しグリグリした。こうすると魚は一瞬で死亡し、苦悶による傷等も付かず商品価値を下げないから漁師はこの方法を好むそうだが、翔人は松果体を身近に感じている関係で、僕と輝夜さんは顔を引き攣らせずにはいられなかった。
「これも知らなかったけど、中国では顱頂眼を第三隻眼せきがんって言うのね。ファイルに添付されていた鳥やカエルやトカゲの第三隻眼の画像、とても興味深かった」
「特にカエルは額にあるから、フィクションに登場する第三の目にそっくりだよね」
「魚類、両生類、爬虫類、そして鳥類にはあるのに、哺乳類にはなぜ無いのかしら。それとも見過ごされているだけで眠留くんや私や昴・・・あっ忘れてた!」
「うん、僕や美鈴ほど窪んでないけど、昴にも頂眼址がある。子供のころ触らせてもらった感じでは、昴は祖父母と同じくらいだったよ」
「おじいちゃん、おばあちゃん、美鈴ちゃんにもあるんだ!」
「頂眼址のある僕の知っている最後の一人は北斗なんだけど、北斗はちょっと変わっててさ。生まれた時は無かったのに引っ越して来てから頂眼址ができ始めたらしくて、今では昴と同じくらい窪んでいるよ」
 後天的に窪む人もいるのねと呟き、輝夜さんは瞑目した。
 遠くから聞こえてくるミンミン蝉の鳴き声が、二回繰り返される。
 そして三回目に入ると同時に輝夜さんは瞼を開け、綺麗なアーモンド形の瞳を真っすぐ向けて問いかけた。
「北斗君は、翔人になると思う?」
 予感に従い黙っていて正解だったと、僕は心中秘かに胸をなでおろしたのだった。
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