僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十四章

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 だがそれは、呼吸一回分しか続かなかった。文字どおり一息ついただけで、僕らは真剣そのものの表情に戻った。シミュレーション上、建物内の黒猿に気づかれる確率が最も高い、二本の巨木を同時に切る作戦へ移行したからである。一本の巨木を切った一度目は心に引っかからずとも、二本を同時に切る二度目に違和感を覚える黒猿が、シミュレーションでは1%いた。建物内にいる黒猿は四匹なので4%となり、それは二十五分の一の確立にすぎなかったが、油断するなど言語道断。建物内のサーモグラフィーを注視する荒海さんの左手を、僕らは十四対の瞳で一心に見つめた。
 幸い、違和感を覚えた黒猿はいなかった。気づかれるのは無風の日が圧倒的に多く、そして今日は風がかすかな葉擦れを奏でていたので、それに紛れてくれたのである。だが今回、僕らに安堵が訪れることはなかった。一秒の作動時間を残し沈黙した三台の糸ノコは、黒猿戦の準備が完了した合図でもあったからだ。作戦の詳細を知らない観客も、本能的にそれを悟ったのだろう。極度の緊張に支配された無音かつ不動の観客席が、第四会場に出現した。それを破り、
 フワッ
 風に舞う綿毛の如く荒海さんが立ちあがった。そしてそのまま宙を漂うように、右端の巨木へ移動を開始する。その技量もさることながら、無防備な背中を建物にさらして歩く荒海さんの胆力を、僕は崇めずにいられなかった。
 続いてそれは、後ろに目の付いた三人の超人への称賛に代わった。巨木の下へ辿り着いた荒海さんは体をゆっくり反転させ、建物の出入り口を銃で狙いつつ、後ずさりして正門側へ向かった。それは真田さんと黛さんも同様で、出入口に狙いを定めつつ正門の方へ後退して行った。そのさい三人は、地面に落ちた小枝や枯葉を一度も踏まなかった。後頭部にもう一つ目が付いていて、その目で背後の地面を確認しているとしか思えない超人ぶりを、三人は魅せてくれたのである。公式AIが気を利かせ、小枝や落ち葉を巧みに避ける様子を拡大して表示した事もあり、新忍道を創設した伝説のおとこの名を口ずさむ人達によって、しじまはその支配力を僅かに減退させたかにみえた。が、
 シン・・・・
 木から3メートルの距離を取り三戦士が立ち止まったとたん、観客席は再度、無音と不動の支配下に置かれた。だが、
 違う!
 心の叫びに従い、僕は感覚体を最高感度で展開した。
 そして知った。
 しじまは観客席に留まらず、第四会場の周囲にも及んでいた。
 第四会場を中心とし、鳴き止む蝉が円を描いて広がっていた。
 空を飛ぶ鳥たちも進路を急激に変え、半球状に広がる領域から逃れて行った。
 絶えざる変化を本質とする世界に、異質な半球が生じていたのだ。
 するとそれを、破壊する者達がいた。
 それは、半球の創造者達だった。
 無音不動の空間を創造した三戦士の中央に立つ真田さんが、右足をゆっくり持ち上げる。そしてその足を、地に横たわる小枝にあてがい、体重を乗せた。
 パキ
 小枝の折れる音が響いた。
 建物から凶悪な殺気がほとばしった。
 そのとき人々は悟った。
 生死を分かつ場に、世界は豹変したのだと。
 たまらず悲鳴を上げそうになった人達の先頭に立つべく、
 ズキューン 
 ズキューン 
 ズキューン
 三戦士は銃弾を各自一発ずつ、建物一階の三つの出入口へ放った。
 その直後、建物が揺れた。
 それを合図に三戦士は木の傍らへ走った。
 と同時に建物の揺れは瞬時に二階へ移動し、
 ドバーン
 二階の三つのドアから三匹の黒猿が飛び出てきた。
 霞むほどの速度で走る三匹の黒猿が、5メートル離れた木へ跳躍する。
 その、黒猿が取り付くであろう場所へ、三戦士は銃口を向けた。
 黒猿は嘲笑した。
 ――腹を見せる跳躍時が我ら最大の危機なのに、人間はそれを見逃した。足が木に触れるや最大脚力で木を蹴り別の場所へ飛び移る我らを狙うなど、笑止千万。人間どもよ、己の愚かさを呪うがよい――
 黒猿は木の直前で体勢を変え、足の裏を幹へ向ける。
 得意の高速移動を始めるべく、足の裏が幹に触れるや脚力全開でそれを蹴った。
 その瞬間、黒猿は驚天動地そのものとなった。なぜなら、
 グラッ 
 億万の信頼を寄せていた巨木が、大きく傾いたからだ。
 仮に黒猿が通常速度で移動していたら脚力はもっと弱く、巨木はさほど傾かなかっただろう。
 驚きこそすれ充分な反発力を得た黒猿は、通常速度に準ずる速度を確保できただろう。
 だが霞むほどの速度で跳躍し、かつ渾身の力で幹を蹴ったことが仇となり、巨木は大きく傾くこととなったのである。
 しかし巨木であるが故に傾いたとしても、反発力はゼロにならなかった。
 ゼロに近くとも完全な無でなかったため、黒猿は極めて遅い速度で幹から飛び立った。
 驚天動地による硬直状態のまま、黒猿は宙に無防備な身をさらす。
 それを、
 ズキューン
 ズキューン
 ズキューン
 三戦士は狙撃した。
 麻酔弾ではない徹甲弾を三発ずつ身に受け、黒猿は地へ落下する。
 そして地表で急所を射抜かれ、黒猿は息絶えた。
 と同時に、
 タンッ タタンッ
 三戦士は建物に銃口を向けたまま後方へ跳躍した。三本の巨木が、
 ズシーン ズシーン ズシーン
 右側の木は右側へ、左側の木は左側へ、中央の木は左寄りへ倒れてゆく。
 真田さんと荒海さんのいる場所に、開けた空間が生じた。
 その空間と正対する一階中央のドアから、
 ドバーン
 ひときわ大きな上黒猿が飛び出てきて右手の吹矢を口にあてがい、
 プッ
 正面に猛毒針を放った。頭上を高速移動する将黒猿の吹矢を避けるのは至難でも、正対する上黒猿の吹矢はその限りでないとばかりに、
 クルッ
 真田さんはそれを右受け身で難なく躱した。すかさず上黒猿は顔を荒海さんへ向け、左手の吹矢を口にあてがい新たな毒針を放つも、荒海さんもそれを左受け身で危なげなく躱した。吹矢は単発なので三針目を放つには、胸の軽鎧から新たな吹矢を引き抜かねばならない。ならばそれをせず四足しそくによる全力疾走で人間を屠ろうと、上黒猿は重心を下げ突撃に移った。いや、それは違う。
 突撃こそが、上黒猿の作戦だったのだ。
 上黒猿は、真田さんに右受け身をさせる位置へ毒針を放ち、かつ荒海さんに左受け身をさせる位置へ毒針を放つことで、二人を接近させていた。
 真田さんは前よりに、荒海さんは後ろよりに受け身をしたため二人がぶつかることは無かったが、それでも上黒猿から見て二人はほぼ同じ直線上に誘導されていた。
 そこへ、上黒猿は突撃したのである。
 麻酔弾を浴びていた埼玉予選の狒々とは異なる、無傷の上黒猿が絞り出すその速度に、二人は回避の間合いを全力で計った。
 回避が早すぎればそれに対応され、体当たりによる即死が待っている。
 回避が遅すぎればそれこそ、体当たりによる即死が待っている。
 早すぎず遅すぎない最善の間合いを見極めるべく二人は射撃をきっぱり捨て、回避のみに全神経を集中した。
 そしてそれも、上黒猿の作戦だった。
 仮に真田さんと荒海さんが回避を捨て射撃に集中したなら、二人の腕前をもってすれば、上黒猿に致命傷を与えることができた。
 それと引き換えに二人が倒されたとしても、致命傷を負った上黒猿では、無傷の黛さんに勝てなかったはずだ。
 然るに上黒猿は、二人が射撃を選ばないことを望んでいた。
 そのためには突撃速度を上げるのが最も効果的であり、またそこには、黛さんによる側面射撃を困難にするという二次的効果も含まれていた。
 つまり真田さんと荒海さんが回避のみに集中しているこの状況は、上黒猿の思惑どおりに事が推移した、結果だったのである。
 それに気づいたのだろう。
 真田さんと荒海さんの表情が、恐怖に染まった。
 愉悦した上黒猿は重心をもう一段落とし、突撃速度を更に上げる。
 回避しようにも回避できない速度を生み出し、木を切り倒した人間を粉々に吹き飛ばそうとした。
 まっしぐらに突撃する上黒猿は、己が勝利を確信した。
 だが、そうはならなかった。
 上黒猿は知らなかったのだ。
 最強魔族との戦いに明け暮れてきた三戦士にとって、それは調な直線運動でしかなかった事を。
 ズキューン
 安全な場所から事態を静観していた黛さんが、上黒猿の脇腹に銃弾を命中させた。
 貫通力に特化した徹甲弾ゆえ側面から狙撃されても進路は変わらなかったが、それでも腹を射抜かれた上黒猿は集中力の著しい欠落に見舞われた。
 よって真田さんと荒海さんは受け身の跳躍をしつつ、
 ズキューン
 ズキューン
 横を素通りしてゆく上黒猿へ、銃弾を一発ずつ命中させた。
 意識を刈り取られた黒い巨猿が、体を地にこすり付け、止まる。
 追加の銃弾三発を命中させた三戦士の頭上に、
 
  YOU WIN!
 
 の文字が燦然と輝いた。
 それからたっぷり十秒間、
「「「「ウオオオ―――ッッッ!!!」」」
 自分達の先頭に立ちモンスターを倒した三戦士へ、観客は忘我の雄叫びを上げ続けたのだった。
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