僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十四章

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 老夫婦によく似た顔立ちの主人に案内され、男子部員十四人は二階へ上がった。階段のすぐ先にある、ふすまで仕切られただけの三つ続きの八畳間を、僕らは一目で気に入った。床の間付きの上部屋を三巨頭に、続く部屋を四年生と三年生に、階段とトイレに近い下部屋を二年生と一年生に割り振っても、襖を開けさえすれば、十四人全員が同じ空間を共有することができるからだ。こんなふうに過ごせるのはこれが最初で最後の僕らにとって、三つ続きの和室はまさに理想の宿泊場所だったのである。
 それから十分も経たず昼食時間となった。評判どおりの美味しい料理を脇目もふらずかっこみ続けた僕ら男子は、食堂のある一階から二階へ戻るというたったそれだけの事に、大層難儀したのだった。
 三枝木さんには一階の部屋が割り当てられていた。唯一の女子部員だからそれで当然なのだけど、それでも「つまらないんじゃないかな」と僕ら男子は思わずにいられなかった。けど幸い、旅館の娘さんが三枝木さんと同学年だったらしく、男子が昼食をがっついている内に、二人は互いを名前で呼び合う仲になっていた。小笠原なぎさという名の、気立ても器量も良い女の子に給仕してもらえたのも、動けなくなる寸前までご飯のお代わりを止められなかった理由の一つだった。
 渚さんには颯太そうたという名の小学六年生の弟がいて、まめまめしくちょこまか働くこの子を僕はあっという間に気に入った。それは新忍道部員全員に共通しており、特に一年の松竹梅は後輩のように可愛がっていた。颯太君も年の近い松竹梅にすぐなつき、そんな末っ子の様子を、姉と両親と祖父母は目を細めて見つめていた。
 消化を促進すべく昼食後の二時間強を休憩に充て、十六時から運動場の下見に出かけた。インハイ開始は明後日でも全国制覇を目指す湖校新忍道部にとって、これは戦場検分に等しい重要任務だった。のだけど、
「メダカが沢山いる!」「ドジョウでけえ!」「うおお、初めてタガメを見た~!」
 僕らは検分そっちのけで、旅館横手の小川の水生生物に大興奮してしまった。信州長野の本物の自然に、男の狩猟本能が炸裂したのである。いや狩猟本能だけでなく、
「ゲンゴロウ、水カマキリ、そしてタガメ」
「肉食水生昆虫の体は、こうも理に適った形状をしているんだな」
 海洋資源開発ロボットの研究をしている真田さんと荒海さんにとって、水中で素早く動き獲物を捉える生物は、研究者魂に火をつける形状をしていたようだ。颯太君がたちどころに捕まえた水生昆虫をめつすがめつしながら、お二人は専門用語を駆使して議論を交わしていた。とはいえ、下見の時間は限られている。よって水遊びを始めた男子達に呆れ気味だった三枝木さんが本来の任務に戻る頃合いを計ってくれていたのだけど、
 カッコウ カッコウ カッコウ
 郭公がその独特の声で夏の夕暮れの空気を震わせてしまった。女子とは総じて、雰囲気に弱いもの。高原のおもむきただよう郭公の鳴き声が、山彦となり白樺の森に染みてゆくのを感じた三枝木さんは、うっとりした表情でその声に聴き入っていた。すると、
「都会から来た人は、郭公に感傷を抱くようね」「地元の人は違うの?」「う~ん地元と言うか、郭公ってほら、閑古鳥とも書くでしょ」「そういえば、私がアルバイトをしていた喫茶店の店長も、閑古鳥って言いたくなさそうだった」「ああ、なるほど」「なになに?」「お昼ごはんで梨花が皆さんのお代わりをよそう姿、とても様になってたから」「渚ほどじゃないよ、でもせめて心だけは込めるようにしているんだ」「うん、母も祖母もすっごく褒めてたよ」「やった~~」
 なんて感じに、年頃娘達はおしゃべりを始めてしまったのである。けど世の中とは面白いもので、聞きなれた「娘たちのおしゃべり」のお陰で現状認識力を回復させた僕は、任務再開を促す役を三枝木さんの代わりに果たすことが出来た。
「みなさん、そろそろ運動場に行きませんか」
 運動場ってなんだっけ、に類する放心顔を大部分の男子が浮かべるも、そこはさすが部長と副部長。水生昆虫を優しく水へ帰すお二人の姿に皆慌てて小川から出て、靴下に足を通し靴を履き、身だしなみを整えた。
 そして僕らは表情を改め、湖校の戦場となる第二運動場へ歩を進めたのだった。 
 
 とは言うものの、取り立てて注意すべき点は何もなかった。運動系部活にとって、長野は夏合宿の定番地だったからだろう。痒い所に手が届く細やかな配慮を施された運動場に、先輩方は満足したようだった。それを渚さんと颯太君はいたく喜び、はしゃいで両親と祖父母へ報告していた。そんな家族の様子に、この地域の経済がスポーツ競技者にその多くを負っていることを僕は肌で感じた。
 六時からの夕食は、昼食以上に僕らを危機的状態へ追いやった。さっきは難儀しつつも二階へ戻れたが、今回はそれすら不可能だったのである。主人に勧められ食堂横の板間へ移動し、男子全員でそこに寝っ転がった。非礼を詫びる部長と副部長へ、主人はとんでもないと両手を振った。
「寝転ぶしかできなくなるなんて、作り手としては嬉しい限りです。それに、皆さんの学校の教育AIから、アスリート用料理の追加料金を頂いております。育ち盛りの子供達に、高品質の料理をお腹いっぱい食べさせてあげてくださいと、教育AIは仰っていました。どうぞ心ゆくまで召し上がってください」
 僕は胸の中で手を合わせ、世界的な専門家になって学校に寄付を沢山します、との誓いを立てた。
 楽しみにしているわと、咲耶さんに微笑んでもらえた気がした。

 膨れ上がったお腹を抱えてウンウン唸るだけの十数分が過ぎたころ、テーブルの片づけを終えた三枝木さんが颯太君を伴い板間に入って来た。詫びを入れようとする部長と副部長を笑顔で躱し、三枝木さんは颯太君の肩を抱き自分の前に立たせた。
「颯太君が皆さんに、お聞きしたいことがあるそうです」
 世話好きの三枝木さんは、颯太君を最初から親戚の弟のように可愛がっていた。それは可愛がられる方も同じで、渚さんと同い年の三枝木さんに颯太君は最初から頭が上がっていなかった。これも新忍道部の男子達が颯太君に親近感を覚えた、理由の一つだった。
「皆さん、どうかそのまま聞いてください。僕も座りますね」
 そう言ってちょこんと正座する様子が嵐丸と瓜二つに感じられ、場がすこぶる和む。真面目顔を懸命に作り、けど千切れんばかりに尾を振って、颯太君は切り出した。
「僕は、研究学校生になりたいんです。どうすれば入学できますか」
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