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十二章
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「岩手先輩、第八寮で幾度もお世話になった、猫将軍眠留です。先輩の後ろの席に、座らせて頂けないでしょうか」
岩手先輩は学年が一つ上の第八寮生で、月に一度寮に泊まらせてもらっている僕は、先輩と単なる知り合い以上の仲になっていた。岩手さんは新忍道部の先輩の緑川さんや森口さんととても仲が良く、お二人を介し度々言葉を交わしていたのである。にもかかわらず「第八寮で幾度もお世話になった」と言及するのは本来失礼なのだけど、同期の女の子たちに配慮し、僕はそれをあえて口にしたのだ。そんな僕の気持ちを、この先輩は即座に理解してくれた。
「後ろではなく左に座ってくれ。お前がいてくれると、俺も心強いからさ」
岩手さんは横に並ぶよう、隣席を気さくに指さした。こういう人だからこそ緑川さんや森口さんと仲が良いのだし、僕もぜひ近くに座りたかったが、促されたのは言わばナンバー2の席なので、僕の一存だけで決める訳にはいかない。僕は振り返り、女の子たちの意見を聞こうとした。
のだけど、
「岩手先輩、初めまして」「「「初めまして!!」」」
女の子たちは挨拶と自己紹介を小気味よく行い、腰を次々下ろしていく。しかも彼女達は、最前列中央の二席を取り囲むように着席したので、僕は空いている唯一の席である岩手さんの左隣を、選ばざるをえなかったのだった。
その後、一年生達が挨拶に訪れた。口上を最初に述べた瓜生という一年生は第八寮生だったらしく、寮でも騎士会でも先輩に当たる岩手さんへ腰を折ったのち、美鈴のクラスメイトとして僕に挨拶してくれた。美鈴のクラスメイトなら、松井とも同じクラスという事。二人から聞いていたネタを披露するや瓜生はノリノリになり、僕らは大層盛り上がった。そこへ、同じく美鈴のクラスメイトかつ薙刀部員の米原という女の子が加わった。この子のことは、美鈴はもちろん輝夜さんと昴からも毎日のように聞いていたので、初対面の気がまるでせず僕らは打ち解けた会話をすぐ交わすようになった。猛の後輩の陸上部員と、真山の後輩のサッカー部員と、芹沢さんの後輩の撫子部員も似たようなものだったから、ふと気づくと十人以上の一年生達が周囲に集まっていた。僕は慌てて立ち上がり岩手さんへ無礼を詫び、少し早いが着席するよう後輩達へ呼びかけた。すると驚いたことに、
「「はいっ!」」
瓜生と米原さんが敬礼付きで声を合わせた。いきなりそんな事をされたら普段の僕なら絶対動転したはずだが、二人はなぜか新忍道部の敬礼をしたため、体に染み込んだ敬礼を僕は返すことができた。それが事によると、一年生の目にカッコよく映ったのかもしれない。一年生達はてんでバラバラの、見様見真似の敬礼をし、岩手さんに一礼して講義室後方へ去って行った。僕は暫し逡巡したのち、体ごと右へ向けて尋ねた。
「岩手さん、湖校共通の敬礼を後輩達に教えたら、藤堂さんの迷惑になるでしょうか?」
「やってみろ」
岩手さんは椅子に座ったまま僕に正対し、野太い声で応えた。緑川さんと森口さんが言っていた通りの、腹に芯を持つ漢へ、僕は湖校共通の敬礼を捧げる。岩手さんは、大きく頷いた。
「猫将軍が敬礼の予習をしたら、藤堂は喜ぶだろう」
「ありがとうございます」
岩手さんに謝意を述べ、講義室後方へ体を向けた。正直、少なからず驚いた。横六列縦八列に整然と並べられた机に、空席がまったく無かったのである。この部屋には一人の三年生と十三人の二年生がいるから、一年生は三十四人になる。騎士見習いの一年時の定員は四十八なので、なんとその七割がこの講義を選んだ計算になるのだ。美鈴の兄の僕目当てかという想いが脳をよぎるも、それを意識の外へ押しやり、僕は口を開いた。
「講義開始までの五分を使い、湖校共通の敬礼の予習を行う。強制ではないから、興味のある一年生だけ注意を向けて欲しい」
一年生達の中央に座っていた瓜生と、その左隣の米原さんが、伸びた背筋を更に伸ばした。残りの三十二人も、二人に習い姿勢を正す。瓜生が准士三年長に、米原さんが准士三年副長になる未来を幻視しつつ、僕は話した。
「先ほど僕がした敬礼は、新忍道の敬礼だ。戦闘を第一とする新忍道ではこのように、右腕を胴体に付けたまま肘を曲げ、指先を右こめかみに合わせる。一方湖校共通の敬礼は、右腕を地面と平行になるまで上げ、指先を右こめかみ上部に合わせる。アイ、一年生の前に、2D鏡を出してあげて」
教育AIに出してもらった鏡とにらめっこしながら、一年生達が敬礼の練習を始めた。手の平が前を向き「こんにちは」になっていたり、力が入って手首が曲がっていたり、腕と一緒に肩も上がっていたりする後輩達の姿が、微笑ましかったのだと思う。二年生の女の子たちは立ち上がり、後輩達の初々しい間違いを手ずから直してあげて行った。上級生のお姉さんに優しくしてもらった一年男子達は頬を赤らめた真剣顔に、一年女子達は憧憬に染められた真剣顔になり、2D鏡と向き合っていた。そんな後輩達に目元を緩ませていた岩手さんが、僕に語りかけた。
「お前は、底の知れん漢だな」
それは過分を突き抜けた的外れな評価だったが、先輩の言葉を全否定する訳にはいかない。かと言ってどこをどう部分否定すれば良いかも解らなかった僕は、それをそのまま顔に出しアタフタするしかなかった。
幸い、藤堂さんがそろそろ到着する旨を教育AIが皆に呼びかけてくれたお蔭で、僕のアタフタは終了した。着席した僕に、岩手さんが不可解なことを告げる。
「二年時入会者が准士三年長や副長になった前例はないが、一年時入会者に優位性があるのはそこまでだ。お前は、全力で走れ」
前半と中盤と後半は理解不能でも終盤だけは理解可能だったことが、きっとそのまま顔に出ていたのだろう。全力で走れという箇所になって初めて「はい、走ります!」と元気よく答えた僕に、岩手さんは口をへの字にして笑いを堪えていた。だが開け放たれた入り口の向こうに藤堂さんが現れるなり、
「起立!」
岩手さんは号令を放つ。筋肉に覆われた太い首だからこそ出せるその重厚な声に、
ザッッ
全員が一斉に立ち上がった。藤堂さんから感謝の眼差しを向けられた岩手さんはしかし、
「礼!」
先程とは異なる恭しい声で、後輩達の先頭に立ち講師へ頭を下げた。
その声と姿に込められた覚悟を知った僕は藤堂さんへ腰を折りつつ、右隣の岩手さんへ、胸中深々と頭を下げたのだった。
岩手先輩は学年が一つ上の第八寮生で、月に一度寮に泊まらせてもらっている僕は、先輩と単なる知り合い以上の仲になっていた。岩手さんは新忍道部の先輩の緑川さんや森口さんととても仲が良く、お二人を介し度々言葉を交わしていたのである。にもかかわらず「第八寮で幾度もお世話になった」と言及するのは本来失礼なのだけど、同期の女の子たちに配慮し、僕はそれをあえて口にしたのだ。そんな僕の気持ちを、この先輩は即座に理解してくれた。
「後ろではなく左に座ってくれ。お前がいてくれると、俺も心強いからさ」
岩手さんは横に並ぶよう、隣席を気さくに指さした。こういう人だからこそ緑川さんや森口さんと仲が良いのだし、僕もぜひ近くに座りたかったが、促されたのは言わばナンバー2の席なので、僕の一存だけで決める訳にはいかない。僕は振り返り、女の子たちの意見を聞こうとした。
のだけど、
「岩手先輩、初めまして」「「「初めまして!!」」」
女の子たちは挨拶と自己紹介を小気味よく行い、腰を次々下ろしていく。しかも彼女達は、最前列中央の二席を取り囲むように着席したので、僕は空いている唯一の席である岩手さんの左隣を、選ばざるをえなかったのだった。
その後、一年生達が挨拶に訪れた。口上を最初に述べた瓜生という一年生は第八寮生だったらしく、寮でも騎士会でも先輩に当たる岩手さんへ腰を折ったのち、美鈴のクラスメイトとして僕に挨拶してくれた。美鈴のクラスメイトなら、松井とも同じクラスという事。二人から聞いていたネタを披露するや瓜生はノリノリになり、僕らは大層盛り上がった。そこへ、同じく美鈴のクラスメイトかつ薙刀部員の米原という女の子が加わった。この子のことは、美鈴はもちろん輝夜さんと昴からも毎日のように聞いていたので、初対面の気がまるでせず僕らは打ち解けた会話をすぐ交わすようになった。猛の後輩の陸上部員と、真山の後輩のサッカー部員と、芹沢さんの後輩の撫子部員も似たようなものだったから、ふと気づくと十人以上の一年生達が周囲に集まっていた。僕は慌てて立ち上がり岩手さんへ無礼を詫び、少し早いが着席するよう後輩達へ呼びかけた。すると驚いたことに、
「「はいっ!」」
瓜生と米原さんが敬礼付きで声を合わせた。いきなりそんな事をされたら普段の僕なら絶対動転したはずだが、二人はなぜか新忍道部の敬礼をしたため、体に染み込んだ敬礼を僕は返すことができた。それが事によると、一年生の目にカッコよく映ったのかもしれない。一年生達はてんでバラバラの、見様見真似の敬礼をし、岩手さんに一礼して講義室後方へ去って行った。僕は暫し逡巡したのち、体ごと右へ向けて尋ねた。
「岩手さん、湖校共通の敬礼を後輩達に教えたら、藤堂さんの迷惑になるでしょうか?」
「やってみろ」
岩手さんは椅子に座ったまま僕に正対し、野太い声で応えた。緑川さんと森口さんが言っていた通りの、腹に芯を持つ漢へ、僕は湖校共通の敬礼を捧げる。岩手さんは、大きく頷いた。
「猫将軍が敬礼の予習をしたら、藤堂は喜ぶだろう」
「ありがとうございます」
岩手さんに謝意を述べ、講義室後方へ体を向けた。正直、少なからず驚いた。横六列縦八列に整然と並べられた机に、空席がまったく無かったのである。この部屋には一人の三年生と十三人の二年生がいるから、一年生は三十四人になる。騎士見習いの一年時の定員は四十八なので、なんとその七割がこの講義を選んだ計算になるのだ。美鈴の兄の僕目当てかという想いが脳をよぎるも、それを意識の外へ押しやり、僕は口を開いた。
「講義開始までの五分を使い、湖校共通の敬礼の予習を行う。強制ではないから、興味のある一年生だけ注意を向けて欲しい」
一年生達の中央に座っていた瓜生と、その左隣の米原さんが、伸びた背筋を更に伸ばした。残りの三十二人も、二人に習い姿勢を正す。瓜生が准士三年長に、米原さんが准士三年副長になる未来を幻視しつつ、僕は話した。
「先ほど僕がした敬礼は、新忍道の敬礼だ。戦闘を第一とする新忍道ではこのように、右腕を胴体に付けたまま肘を曲げ、指先を右こめかみに合わせる。一方湖校共通の敬礼は、右腕を地面と平行になるまで上げ、指先を右こめかみ上部に合わせる。アイ、一年生の前に、2D鏡を出してあげて」
教育AIに出してもらった鏡とにらめっこしながら、一年生達が敬礼の練習を始めた。手の平が前を向き「こんにちは」になっていたり、力が入って手首が曲がっていたり、腕と一緒に肩も上がっていたりする後輩達の姿が、微笑ましかったのだと思う。二年生の女の子たちは立ち上がり、後輩達の初々しい間違いを手ずから直してあげて行った。上級生のお姉さんに優しくしてもらった一年男子達は頬を赤らめた真剣顔に、一年女子達は憧憬に染められた真剣顔になり、2D鏡と向き合っていた。そんな後輩達に目元を緩ませていた岩手さんが、僕に語りかけた。
「お前は、底の知れん漢だな」
それは過分を突き抜けた的外れな評価だったが、先輩の言葉を全否定する訳にはいかない。かと言ってどこをどう部分否定すれば良いかも解らなかった僕は、それをそのまま顔に出しアタフタするしかなかった。
幸い、藤堂さんがそろそろ到着する旨を教育AIが皆に呼びかけてくれたお蔭で、僕のアタフタは終了した。着席した僕に、岩手さんが不可解なことを告げる。
「二年時入会者が准士三年長や副長になった前例はないが、一年時入会者に優位性があるのはそこまでだ。お前は、全力で走れ」
前半と中盤と後半は理解不能でも終盤だけは理解可能だったことが、きっとそのまま顔に出ていたのだろう。全力で走れという箇所になって初めて「はい、走ります!」と元気よく答えた僕に、岩手さんは口をへの字にして笑いを堪えていた。だが開け放たれた入り口の向こうに藤堂さんが現れるなり、
「起立!」
岩手さんは号令を放つ。筋肉に覆われた太い首だからこそ出せるその重厚な声に、
ザッッ
全員が一斉に立ち上がった。藤堂さんから感謝の眼差しを向けられた岩手さんはしかし、
「礼!」
先程とは異なる恭しい声で、後輩達の先頭に立ち講師へ頭を下げた。
その声と姿に込められた覚悟を知った僕は藤堂さんへ腰を折りつつ、右隣の岩手さんへ、胸中深々と頭を下げたのだった。
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