僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

騎士見習いの講義、1

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 新学年が始まった日の丁度一週間後にあたる、四月十四日。騎士会本部地下一階で行われた騎士見習いの講義に、僕は初めて出席した。六月末まで水曜と木曜に開かれるこの講義は、週一回どちらかに出席すれば良いことになっていたから、藤堂さんが講師を務める木曜日を僕は初受講日に選んだのだ。今月から新忍道部に週三回参加する決意をしていた僕にとって、藤堂さんが毎週木曜を受け持つことは、まこと都合が良かった。土日の疲労を月火で癒し水曜の部活に臨み、木曜は講義を受け、金曜を休みとし英気を養う。こんなローテーションを組む事ができたからだ。騎士見習いの初講義は、このローテーションの成否を分かつ重要な日だった事もあり、僕は決死の覚悟で騎士会本部へ歩を進めていた。大げさ過ぎと思われるかもしれないが、事実だから仕方ない。なぜならその講義に出席する二年男子は、僕一人だったからである。
 二年進級時に見習い騎士の試験を受けた同学年男子は、僕を含めて二十四人いた。しかし望みを叶えたのは僕ともう一人の、二人しかいなかった。一方女子は二十二人もいて、1対11というその男女比に恐れをなした僕は、教育AIに頼みその男子へすぐメールを送った。彼も同じ想いだったことを返信で知り、親交を深める意味からも同じ講義を受ける提案をし、彼もそれを快諾したのだけど、受講希望日を照らし合わせた結果それは諦めざるを得なかった。ラグビー部の彼は、同じラグビー部の先輩が講師を務める水曜日を希望していたのである。かくいう次第で僕は藤堂さんが受け持つ講義の、ただ一人の二年男子となったのだった。
 でもまあ、それだけなら決死の覚悟を持つ必要はさほど無かった。同学年女子に頭の上らない一年間を過ごし、頭の上らない状態こそが日常になっていた僕にとって、唯一の男子として目立たず静かにしているのは、己の分際を弁えた当然のことだった。同期となった二十二人の女の子たちと面識はほぼなくとも、彼女達が優秀なことは見習い試験のさい実感していたから、彼女達の役に立つべく身を粉にしながらも隅でちょこんとしている事を、僕は少しも苦に思わなかったのだ。けどそこに、「美鈴の同級生が僕にどのような印象を持つか」という要素が加わると、頭が混乱した。騎士見習いの講義は二年の新会員だけでなく、一年生の新会員も、席を並べて受講する事になっていたからである。
 一般的に、女子は男子より早く第二次成長期を迎える。よって小学校高学年における女子の立場は男子より高く、それは小学校卒業とともに少しずつ是正してゆくのだけど、僕らの学年に限れば、男女の格差は去年一年で益々広がったのが現実だった。昴を筆頭とする頭の上らない系美少女を同学年に多数得た僕ら男子達は、よく言えば騎士道精神を、悪く言えば下僕根性を、一年時に育んだからである。その悪い方の筆頭とも呼べる僕が、いかに女性達のためとはいえ心の命ずるまま行動したら、後輩達はどのような印象を持つのか。ただでさえ美鈴と釣合っていないダメ兄貴なのだから、ここは自分を曲げてでも、美鈴に相応しい兄を演じるべきではないのか。この二つの想いに、僕の頭は混乱していたのだ。だから、
「輝夜さん、どう思う?」
 翔薙刀術の朝稽古にやって来た輝夜さんが僕のもとを訪ねる僅かな時間を利用し、意見を訊いてみた。
「昨日の夕食会ではそんな素振りを見せなかったのに、眠留くん本当は悩んでいたの?」
「ううん、これについて悩み始めたのは皆が帰った後の、お風呂の最中なんだ」
 そう、これは僕が騎士見習いになった、翌日の朝の話。騎士見習いの試験に合格したことを藤堂さんに直接聞いていた僕は、正式な合格通知を夕食会後に初めて目にした。そのとたん心に暗雲が立ち上り、そして湯船に浸かっている最中、この問題にやっとたどり着いたのである。然るに急いでお風呂を終え、もう一人の男子合格者へメールし、同じ講義を諦めざるを得なかった事まで話したところで、
「睡眠は充分とれた?」
 小首を傾げ、輝夜さんが問いかけてきた。ばっちり寝たよと、僕はガッツポーズですぐさま応じる。すると輝夜さんは、もともと不安を感じていませんでしたというスポンジケーキに、やっぱり大丈夫だったのねという生クリームをかけ、そこに悪戯心というお菓子をトッピングしたような、胸が甘酸っぱさではち切れそうになる笑顔を浮かべた。
「うん、知ってる。眠留くん、寝ぼけ顔してないもん」 
「えっ、寝ぼけ顔を見せた事、僕あったっけ?」
「湖校に入学して仲良くなった私のお隣さんは、入学して一か月くらいは、授業中いつも寝ていたの。授業終了のチャイムで目を覚ましたお隣さんは寝ぼけ顔のまま暫くぼんやりしているのだけど、急に顔をパッと輝かせ、その輝いた顔で私に話しかけてくれていたわ。だからそのお隣さんは、寝ぼけ顔をしっかり見られていたのを、知らなかったのね」
 アッチャ~と頭を抱える声と、アハハと笑う声が、早朝の境内にこだました。その活き活きした音の反響が、いつもより若干長く感じられたのは、僕だけではなかったらしい。
「木々や石畳や建物も、クスクス笑っているね」
 輝夜さんは周囲を見渡しそう呟いてから、質問に答えてくれた。
「大抵の人は、自分の顔をよく知っていると思っている。でもその大部分は、鏡に映る自分の顔の記憶でしかない。自分が普段どんな顔をしていて、そしてどんな表情で日常生活を送っているかは、親しい間柄の人の方が、ずっと良く知っているものなの」
 その刹那、出会ってからそれこそ無数に見てきた輝夜さんの姿が、光の塊となって脳裏を駆け抜けて行った。人は目に映った光景を二次元映像として記憶していて、それは輝夜さんの姿にも当てはまったけど、あまりに多くの映像が一瞬でやって来たため、二次元を超えた三次元の塊として脳裏を駆け巡ったのである。にもかかわらず、その一つ一つを鮮明に覚えていた僕は、輝夜さんと過ごした一年と一日を、刹那と呼ばれる時間で追尾体験したのだ。それを経て改めて知った。この人を、僕がどれほど好きなのかを。
「眠留くん、とても嬉しいのですが、時間もないので表情をもとに戻して頂けませんか」
 大規模な火災が発生すると、その地域の天候が急変する場合があるという。大火事によって温められた空気が大量の上昇気流を生み、その上昇気流が、地域の天候を短時間で変えてしまう事があるのだそうだ。然るに僕は、それをちょっぴり危惧した。顔をこれほど茹であがらせた人が二人もいたら、天候を変える上昇気流が発生しかねないと思ったのだ。僕は頬を二度叩き、表情を二つ前の状態へ戻した。今が茹蛸状態で、その前が輝夜さんを好きな自分を再確認した状態だったから、「もとの状態にもどして」という願いを叶えるには、頬を二度叩かねばならなかったのである。輝夜さんもそれに倣い、頬を二度こすって話を再開した。
「この世界には、他者の役に立つため身を粉にする人を揶揄する風潮が、まだ少し残っている。けどそれに疑問を覚え、そこから遠ざかる努力をしてこなかった人に、研究学校の入学案内が届くことはない。だから眠留くんは騎士見習いの講義を、心の赴くまま受けていいと思う。眠留くんは気持ちがそのまま顔に出る人だから、後輩達は眠留くんを誤解しないどころか、手本にするって私は思うよ」
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