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十二章
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「サッカーの練習試合で、敵チームとゴール前のせめぎ合いをしている最中、電気放電に似た衝撃が脳を駆け巡るのを俺も幾度か経験している。その中で一番新しい、春休み最終日の練習試合後、俺はふとこう思ったんだよ。閃きを基に体を動かす精度が、やっと上って来たみたいだなって」
友の思考をじゃませぬよう、ヒューという声を極力抑えて同意と感嘆を僕は示したのだけど、それを耳で捉えたまさにそのタイミングで智樹は親指をグッと立て、先を続けた。
「閃きを、ただの思い付きとして軽んじるヤツらがいる。そいつらが何を根拠にそうしているのか俺には判らんが、電気放電の翻訳という眠留の言葉で、少なくとも俺自身は、閃きと思い付きの区別がつくようになった。思い付きは日常的に意識している心の中で発生するが、閃きは眠留が言ったように、『心の外からやって来る』んだ。心の外からやって来たものだから、心はそれを日常の思いに翻訳しなければならない。その精度が最近やっと上って来たみたいだって、俺は春休み最終日の練習試合で思ったんだよ」
感心の表情でしきりと頷く女子たちへ、サッカーのセットプレーについて僕は説明した。
「ボールを地面に置き、攻撃側がそれを蹴ってから試合を再開する場面が、サッカーにはある。ボールを地面にセットするからセットプレーと呼ばれるそれは、得点に結びつく確率が高く、セットプレーの習熟は非常に重視されている。そしてそれが、智樹は大の得意でさ。練習でも本番でも高確率でセットプレーを成功させて、たった一年で準レギュラーの座を獲得したんだ。今の話にあった、閃きを日常の思いに翻訳する精度の向上は、サッカー未経験にもかかわらず僅か一年で智樹を準レギュラーに押し上げた理由の一つだって、僕は思ったよ」
パチパチパチ~~と女の子たちに拍手され、先程を超えるデレデレ顔になった智樹を温かく放置し、僕は持論を述べた。
「刀術を足かけ八年習ってきた僕は、刀術の鍛錬中に得た電気放電を、正確に翻訳する自信がある。けど研究とかで文を綴っている時は、自信が持てなくてさ。この表現じゃ閃きを正確に伝えられないって分かっていても、ならどう変えれば適切な表現になるかが分からず、いつも四苦八苦しているんだよ」
「俺も俺も」
「私も」
こんな感じに智樹と那須さんはすぐ同意したが、香取さんは静かに座っているだけだった。その静けさに惹かれ皆で目を向けるも、話を続けて下さいというジェスャーをするだけの香取さんに、「香取さんは今まさに翻訳しているんだ」という閃きが脳を駆け巡る。僕らは黙って居住まいを正し、香取さんの望みを叶えた。
「論文執筆中は四苦八苦しても刀術の鍛錬中はそれを免れる僕と同じく、作家の香取さんは、執筆中に悩んだりしないのかもしれない。心の外からやって来た閃きを文字に置き換える技術を長年成長させてきた香取さんは、剣道で得た閃きも、即座に翻訳できたのかもしれない。香取さんの言った『磨いてゆく』が僕の感覚とピッタリ重なったから、文の専門家はそういう事に関しても専門家なのかなって、思ったんだ」
僕らが香取さんの気配を探るより早く、香取さんはおどけて手を合わせた。日本人は、謝罪や感謝や祈願などの複数の理由で手を合わせる。そして香取さんのそれが「お願い」であることを瞬時に悟った僕らは、自由発言モードへ移行した。その最初のお題目を、得意なセットプレーを決めるが如く智樹が放った。
「なあみんな。サッカー部の一年を振り返ると、磨くより『身に付ける』の方が俺はしっくり来るんだよね。この違いって、一体何なんだろう?」
「陸上走者の私の感覚からすると、『身に付ける』は未修得の技術を指し、『磨いてゆく』は呼吸法やペース配分といった、習得済みの技術を指すように思う」
「那須さん鋭い。俺はサッカー未経験だったから、やる事なす事が全部、身に付けるべき未修得技術だったんだな。ん? でも変だぞ。磨いてゆくの方がしっくりくる経験を俺もしている気が、急にしてきたんだが?」
「智樹それ、閃きを基に体を動かす精度の向上、じゃないか?」
「おお眠留、それだそれそれ!」
「ん~、福井君のその感覚は『磨いてゆく』だと私も思うけど、結も同じなのかな。だって結は福井君と同じで、剣道未経験だったから」
「・・・おい智樹、気持ちは分からないでもないが、香取さんと同じってとこに反応して幸せ顔になるのは、後にしてくれ」
「テメェ眠留、覚悟しろ!」
「望むところだ、智樹!」
「あのね二人とも、仲の良い男の子の間でそのやり取りが流行っているのは理解できるけど、それは後にしてくれないかな」
「「はい、那須さんゴメンナサイ」」
僕と智樹は声と動作をシンクロさせ、那須さんにペコリと頭を下げた。誤解を恐れず明かすと、那須さんにツッコミ役の才能があったのは、嬉しい誤算だった。智樹と漫才コンビを組むようになるのは二年初日から予想していたけど、そこに那須さんも加わりトリオ漫才を繰り広げることになったのは、完全な想定外だったのである。それは当の本人も同じだったらしく、トリオの一員としてツッコミを成功させると、嬉しくてたまらないと言った笑みを那須さんは浮かべる。その笑みが皆の一体感と友情を益々高めるため、こうして四人で過ごすお昼休みを、僕らはまこと心待ちにしていた。だから、
「夏菜のその笑顔、好き~~」
熟考を終えた香取さんは唯一の同性としての特権を行使し、那須さんに抱き付いた。那須さんも慣れっこになっていて、二人は年頃娘特有の華やかさでコロコロ笑い合っている。最近しばしば見るようになったその光景は僕と智樹を幸せな気分にしてくれるのだけど、今回は幸せなだけでなく、ワクワクした気持ちが加わっていた。友愛溢れるこの素晴らしい瞬間は、香取さんが新たな人生へ一歩を踏み出す瞬間にもなるのではないかと、僕らは胸の中心で感じていたのである。ほどなく、それは正しかったことが証明された。笑いを収めた香取さんが、
「よしっ」
と気合いを入れ、
「頑張れ」
その背中を那須さんが叩く。任せておいてと拳をグッと握り、香取さんは言った。
「私は小説家になりたいと思っていたけど、今は違う。今私は自分の中にある文の才能を、『育ててあげたい』って感じているんだ」
友の思考をじゃませぬよう、ヒューという声を極力抑えて同意と感嘆を僕は示したのだけど、それを耳で捉えたまさにそのタイミングで智樹は親指をグッと立て、先を続けた。
「閃きを、ただの思い付きとして軽んじるヤツらがいる。そいつらが何を根拠にそうしているのか俺には判らんが、電気放電の翻訳という眠留の言葉で、少なくとも俺自身は、閃きと思い付きの区別がつくようになった。思い付きは日常的に意識している心の中で発生するが、閃きは眠留が言ったように、『心の外からやって来る』んだ。心の外からやって来たものだから、心はそれを日常の思いに翻訳しなければならない。その精度が最近やっと上って来たみたいだって、俺は春休み最終日の練習試合で思ったんだよ」
感心の表情でしきりと頷く女子たちへ、サッカーのセットプレーについて僕は説明した。
「ボールを地面に置き、攻撃側がそれを蹴ってから試合を再開する場面が、サッカーにはある。ボールを地面にセットするからセットプレーと呼ばれるそれは、得点に結びつく確率が高く、セットプレーの習熟は非常に重視されている。そしてそれが、智樹は大の得意でさ。練習でも本番でも高確率でセットプレーを成功させて、たった一年で準レギュラーの座を獲得したんだ。今の話にあった、閃きを日常の思いに翻訳する精度の向上は、サッカー未経験にもかかわらず僅か一年で智樹を準レギュラーに押し上げた理由の一つだって、僕は思ったよ」
パチパチパチ~~と女の子たちに拍手され、先程を超えるデレデレ顔になった智樹を温かく放置し、僕は持論を述べた。
「刀術を足かけ八年習ってきた僕は、刀術の鍛錬中に得た電気放電を、正確に翻訳する自信がある。けど研究とかで文を綴っている時は、自信が持てなくてさ。この表現じゃ閃きを正確に伝えられないって分かっていても、ならどう変えれば適切な表現になるかが分からず、いつも四苦八苦しているんだよ」
「俺も俺も」
「私も」
こんな感じに智樹と那須さんはすぐ同意したが、香取さんは静かに座っているだけだった。その静けさに惹かれ皆で目を向けるも、話を続けて下さいというジェスャーをするだけの香取さんに、「香取さんは今まさに翻訳しているんだ」という閃きが脳を駆け巡る。僕らは黙って居住まいを正し、香取さんの望みを叶えた。
「論文執筆中は四苦八苦しても刀術の鍛錬中はそれを免れる僕と同じく、作家の香取さんは、執筆中に悩んだりしないのかもしれない。心の外からやって来た閃きを文字に置き換える技術を長年成長させてきた香取さんは、剣道で得た閃きも、即座に翻訳できたのかもしれない。香取さんの言った『磨いてゆく』が僕の感覚とピッタリ重なったから、文の専門家はそういう事に関しても専門家なのかなって、思ったんだ」
僕らが香取さんの気配を探るより早く、香取さんはおどけて手を合わせた。日本人は、謝罪や感謝や祈願などの複数の理由で手を合わせる。そして香取さんのそれが「お願い」であることを瞬時に悟った僕らは、自由発言モードへ移行した。その最初のお題目を、得意なセットプレーを決めるが如く智樹が放った。
「なあみんな。サッカー部の一年を振り返ると、磨くより『身に付ける』の方が俺はしっくり来るんだよね。この違いって、一体何なんだろう?」
「陸上走者の私の感覚からすると、『身に付ける』は未修得の技術を指し、『磨いてゆく』は呼吸法やペース配分といった、習得済みの技術を指すように思う」
「那須さん鋭い。俺はサッカー未経験だったから、やる事なす事が全部、身に付けるべき未修得技術だったんだな。ん? でも変だぞ。磨いてゆくの方がしっくりくる経験を俺もしている気が、急にしてきたんだが?」
「智樹それ、閃きを基に体を動かす精度の向上、じゃないか?」
「おお眠留、それだそれそれ!」
「ん~、福井君のその感覚は『磨いてゆく』だと私も思うけど、結も同じなのかな。だって結は福井君と同じで、剣道未経験だったから」
「・・・おい智樹、気持ちは分からないでもないが、香取さんと同じってとこに反応して幸せ顔になるのは、後にしてくれ」
「テメェ眠留、覚悟しろ!」
「望むところだ、智樹!」
「あのね二人とも、仲の良い男の子の間でそのやり取りが流行っているのは理解できるけど、それは後にしてくれないかな」
「「はい、那須さんゴメンナサイ」」
僕と智樹は声と動作をシンクロさせ、那須さんにペコリと頭を下げた。誤解を恐れず明かすと、那須さんにツッコミ役の才能があったのは、嬉しい誤算だった。智樹と漫才コンビを組むようになるのは二年初日から予想していたけど、そこに那須さんも加わりトリオ漫才を繰り広げることになったのは、完全な想定外だったのである。それは当の本人も同じだったらしく、トリオの一員としてツッコミを成功させると、嬉しくてたまらないと言った笑みを那須さんは浮かべる。その笑みが皆の一体感と友情を益々高めるため、こうして四人で過ごすお昼休みを、僕らはまこと心待ちにしていた。だから、
「夏菜のその笑顔、好き~~」
熟考を終えた香取さんは唯一の同性としての特権を行使し、那須さんに抱き付いた。那須さんも慣れっこになっていて、二人は年頃娘特有の華やかさでコロコロ笑い合っている。最近しばしば見るようになったその光景は僕と智樹を幸せな気分にしてくれるのだけど、今回は幸せなだけでなく、ワクワクした気持ちが加わっていた。友愛溢れるこの素晴らしい瞬間は、香取さんが新たな人生へ一歩を踏み出す瞬間にもなるのではないかと、僕らは胸の中心で感じていたのである。ほどなく、それは正しかったことが証明された。笑いを収めた香取さんが、
「よしっ」
と気合いを入れ、
「頑張れ」
その背中を那須さんが叩く。任せておいてと拳をグッと握り、香取さんは言った。
「私は小説家になりたいと思っていたけど、今は違う。今私は自分の中にある文の才能を、『育ててあげたい』って感じているんだ」
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