僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
243 / 934
七章

敷庭、1

しおりを挟む
 翌日の、午前三時四十分。台所の勝手口から僕は裏庭に出た。
 本当は身を切るほどの寒さなのだろうが、大量の速筋を足腰に抱えているお陰か、脚を使っている限り寒さを感じることはない。けどそのせいで来年の夏は今年より暑く感じるんだろうな嫌だなあ、などと十二月一日から考えている自分に、思わず笑ってしまった。
 猫丸と肩掛けをベンチに置き、ストレッチを始める。昨夜寝入る直前、一本丸太の専用肩掛けを用意し忘れていることに気づき、僕は慌てて大離れに向かった。使い古した手ぬぐいを八枚縫い合わせ綿を詰めた専用肩掛けを押し入の奥から引っ張り出したのは、その十分後の事。
 ――これを作った母さんが、忘れているのを気づかせてくれたのかな。
 そんなことを考えつつ寝たからか、今朝はいつになく体が軽い。心身軽やかに、僕は準備運動に励んだ。
 準備を終え、祖父母の離れに向かう。星明りに助けられ、危なげなく昨夕の場所に着いた。音をたてぬよう丸太を縦に抱え、赤外線視力に切り替え、小屋の裏手に回る。そしてそこから、鎮守の森の中へ入って行った。
 まばらに植えられた高さ3メートルの木を、右へ左へ避けながら歩いてゆく。丸太を担ぐと木を傷つけてしまうので、縦に抱えたまま歩を進めてゆく。小屋から北北西に30メートル進むと植生が変化し、木の高さは一気に20メートルへと替わる。夜明けまで二時間半以上ある常緑樹の森は、赤外線視力をもってしても足元に危険を感じずにはいられない。可視域を遠赤外線まで拡大しそれに強化視力を加え、ここで初めて丸太を右肩に担ぎ、高い木々の森へ僕は入って行った。
 通常なら漆黒の見本と呼ぶべき森の中を、一歩一歩慎重に歩いてゆく。遠赤外線強化視力で安全を確保しつつも、長く重い丸太を担ぎ道なき森を歩いているという現実が、僕の足を必要以上に遅くしていた。
 小屋から北北西へ150メートル行った場所で、目印の大岩に出くわした。精霊猫の黒により人の意識を逸らす結界がこの岩を起点に張られているため、今の視力をもってしても、眼前に大岩が突如出現したような気がしてくる。幽霊や妖怪の類いを恐れていずとも、闇の入り口のような大岩のシルエットは、はっきり言って不気味。歩調を速め大岩を迂回し、僕は進路を西へ変えた。
 切り株や倒木のない、腐葉土に覆われた地面が歩きやすいのは否定しない。だがそれでも、昼なお暗い森の中を冬の午前四時前に丸太を担いで歩くには、体力と精神力を大量消費する必要があった。大岩から西へ50メートル進んだ場所で丸太を左肩に移し、そこから更に100メートル進み、ようやく第一目的地の生垣に着いた。頼むから一息入れようよという体の訴えを、僕は非情な決意でねじ伏せねばならなかった。
 一辺14メートルの正方形の生垣を、左回りに沿って歩く。東西南北に準じて造られたこの生垣の、北西の角が目指す場所だ。そこが最終目的地ではないが、とりあえずそこに着けばこの丸太とオサラバできる。それだけを胸に、僕は足を動かしていた。
 北西の角に着いた。丸太を地面に立て、息を大きく吐く。暫くこうしていたいと駄々をこねる心身に鞭を打ち、高さ3メートル幅1メートルの生垣へ赤外線視力を使う。生垣内部に隠された、御影石の柱の先端近くに丸い穴を認めた僕は、丸太の先端をそこにあてがう。そして丸太を持ち上げ穴に差し込み、生垣に近づけ、丸太の後端を地面の岩の窪みに固定した。傾斜角80度の一本梯子を、やっと作り終えたのだ。僕は崩れるように地べたに座り込む。お尻に感じる痛いほどの冷たさを無視し、深呼吸三回分の時間、そのまま腰を下ろしていた。
 意を決して立ち上がり、肩掛けを外し枝にかけ、準備運動を始める。体から凝りと寒さが取れ、柔らかさと温かさが戻った処で、一本梯子に足を掛ける。幅5センチの木片が打ち付けられただけの梯子を上り、柱の上部に着く。そこに両手を置き、右足を乗せ、体重を慎重に移してゆく。体重を移し終え左足を引き寄せ、御影石の柱の上に立ち上がる。眼下4メートル半の地面へ翔化視力を使い、安全を確認する。前回ここに立った時はお昼だったにもかかわらず、次の動作を始めるまで一分以上の時間を要した。けどそれを、今の自分に許すわけにはいかない。生命力を百倍に圧縮した僕はここに来た目的を果たすべく、柱から敷庭へ飛び降りたのだった。

 猫将軍家に連なる翔人以外で敷庭の存在を知る人が、この世にいるのか。去年の夏、敷庭の存在を初めて明かされ、そして連れてこられた僕と美鈴は、この疑問を数日間話し合った。結論は、「限りなく100%いない」だった。第一の理由は、鎮守の森に足を踏み入れるのが事実上不可能だからだ。この森の境界には、精霊猫が管理する枝の多い低木が、滑りやすい粘土質の土壌の上に密集して植えられている。よって人が無理やり分け入ろうとすると足を滑らせ、必然的に大量の枝を折るため、緊急避難以外の目的でそれをすると、その人は犯罪者確定になる。故に精霊猫が犯罪者をすぐさま失神させ、そして人の声で近所の交番へ電話を掛け、不法侵入者がいる旨を通報するという仕組みができあがっているのだ。祖父の両親が子供だった頃まではそんな人が極稀ごくまれにいたそうだが、祖父の生まれる十年以上前から、つまりここ百年ほどは一人も現れていないと精霊猫は話していた。
 祖父母の離れの北側と、道場へ続く道の両側に密集した木々はないが、分断された渡り廊下の先は精霊猫の黒によって人の意識を逸らす結界が張られているため、犯罪者以外が立ち入ることは滅多にない。探検好きの悪ガキが稀にそこを越えると、人に化けた精霊猫が悪ガキを捕まえ、こっぴどく叱るのが四世紀半つづく習わしになっている。しかもその子にとって最も怖いタイプの大人に化け最も怖い叱り方をするから、子供達は小便を漏らす寸前で震えあがるそうだ。同じ男子として探検精神は理解できても、私有地に無許可で入るのは犯罪だよというテレパシーを無視し続ける子供には、それくらいキッチリ叱ってやるのが愛情なのだと僕は考えている。
 敷庭は限りなく100%知られていないと思う第二の理由は、上空からも見ることができないからだ。敷庭周辺には鎮守の森の中で最も高い、30メートル越えの木々が生えている。しかもそれらすべてが枝ぶりの良い杉なので、敷庭は常緑の天蓋に守られていると言っても過言ではない。また敷庭は家屋ではなく、生垣に囲まれただけの土地なので、役所に届け出る法的義務もない。地質も周囲と変わらず盛土もないから、人工衛星の地質調査レーザーも用をなさない。つまり公共機関の量子AIすら、敷庭の存在を知らないのである。以上の理由により、僕と美鈴はこの結論に辿り着いたのだった。
 その敷庭に僕は降り立った。一年四カ月前に来た時は夏で、とても涼しい場所だと思ったが、今は逆にとても温かな場所だと感じる。赤外線視力には映らなかったのに、この温かさはどういう事なのだろう。またそれは錯覚ではなく、今日は十二月一日のはずなのに、牧草に似た草が地面を豊かに覆っている。しかも植物が元気な季節の芳しい草の匂いまで漂っているものだから、僕の季節感は完全に狂ってしまった。まあでも今僕のいる環境を一言で表現すると、「超心地よい」になるのは疑いようのない事。僕はその心地よさを享受し、最高の敬意をもって一礼して、12メートル四方の敷庭の中心へ歩いて行った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

ママはヤンママ女子高生! ラン&ジュリー!!

オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
キャラ文芸
神崎ランの父親の再婚相手は幼馴染みで女子高生の高原ジュリーだった。 ジュリーは金髪美少女だが、地元では『ワイルドビーナス』の異名を取る有名なヤンキーだった。 学校ではジュリーは、ランを使いっ走りにしていた。 当然のようにアゴで使われたが、ジュリーは十八歳になったら結婚する事を告白した。 同級生のジュリーが結婚するなんて信じられない。 ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。 そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。 まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。  その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。 こうしてジュリーとの同居が決まった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

私の守護霊さん

Masa&G
キャラ文芸
大学生活を送る彩音には、誰にも言えない秘密がある。 彼女のそばには、他人には姿の見えない“守護霊さん”がずっと寄り添っていた。 これは——二人で過ごした最後の一年を描く、かけがえのない物語。

少しの間、家から追い出されたら芸能界デビューしてハーレム作ってました。コスプレのせいで。

昼寝部
キャラ文芸
 俺、日向真白は義妹と幼馴染の策略により、10月31日のハロウィンの日にコスプレをすることとなった。  その日、コスプレの格好をしたまま少しの間、家を追い出された俺は、仕方なく街を歩いていると読者モデルの出版社で働く人に声をかけられる。  とても困っているようだったので、俺の写真を一枚だけ『読者モデル』に掲載することを了承する。  まさか、その写真がキッカケで芸能界デビューすることになるとは思いもせず……。  これは真白が芸能活動をしながら、義妹や幼馴染、アイドル、女優etcからモテモテとなり、全国の女性たちを魅了するだけのお話し。

異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる

家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。 召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。 多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。 しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。 何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。

処理中です...