僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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 僕が意識を取り戻してからも、三人はタッグを解消しなかった。娘達は完璧な連係プレーで、テーブルに夕食を並べ始めたのである。普段より二十分ほど遅い帰宅だったにもかかわらず、目の前に次々置かれてゆくホカホカ御飯に、貴子さんから叱られた理由をようやく悟った。「女の子を待たせるんじゃないよ」という言葉どおり、僕は彼女達を待たせていたのだ。それなのに、
「お兄ちゃんは麦茶だと飲み過ぎるから、熱々のお茶ね」
「眠留の大好きな猟師汁、山盛りにしておいたわ」
「猟師汁にはやっぱりこれよね。眠留くん、はい山盛りご飯」
 と、彼女達は嬉々として僕の御飯を用意してくれる。まさしく僕は、安物のビニールスリッパで頭をはたかれて当然の、ダメ男だったのだ。
 いや違う、と僕はすぐさま思い返した。
 貴子さんは今回も、その役を買って出てくれた。
 ただでさえ彼女達を待たせているのに、しょうもない妄想で更に時間を浪費する僕の叱り役を、率先して引き受けてくれた。
 僕らを大切に想うからこそ、あえて貴子さんはそうした。
 それが今は、痛いほど解ったのである。
 それが無かったら、
「よし、準備完了ね」
「眠留くんビシッと決めて」
「お兄ちゃん頑張って」
 僕は彼女達の期待に応えられなかったかもしれない。
 何の含みもなく、表も裏もなく、ただ純粋に、皆で楽しくご飯を食べる。
 それを胸に僕は言った。
「手を合わせたら、せ~ので頂きますにしよう。じゃあいくよ、せ~のっ」
「「いただきます!」」
 僕ら四人は心を一つにして、音と光が織りなす真球のダンスを、かの次元で造り上げたのだった。

「石畳でお師匠様にお礼を述べる場面で、眠留が省略しまくりの三文芝居さんもんしばいを打ったとき、眠留の後ろにお師匠様が現れたのよ」
 三文芝居とはこれまた古い言い回しをしたものだと、僕は口をもぎゅもぎゅ動かしながら感心した。
「眠留くんは気付いていなかったけど、お師匠様はその時の本当の様子を、眠留くんの後ろに映し出してくれたの」
 ご飯をのみ込みお茶で喉を潤した輝夜さんが、昴の後を滑らかに引き継いだ。再度感心しつつ、口をもぎゅもぎゅ動かす。
「しかもお兄ちゃんの表情を、下から拡大して見せてくれたの。だから私達、あの時のことを思い出しちゃって」
 昴と輝夜さんのコンビネーションを、今度は輝夜さんと美鈴のペアで目の当たりにした僕は、もぎゅもぎゅも感心も忘れてひたすらニコニコしてしまった。そんな思考停止状態の僕へ、娘達は矢継ぎ早に命じた。
「とりあえず眠留、ごはん茶碗とお箸を置いて、口の中のものを呑み込みなさい」
「うん、そうして。じゃないと眠留くん、絶好の機会を逃してしまうよ」
「お兄ちゃん、表情はそのままで、食べ物だけ呑み込んでね」
 訳は分からずとも、この三人に否を唱えられるはずが無い。僕は言われたままをした。三人娘はいかにも楽しげにクスクス笑い、僕を超特大のアワアワ状態へ叩き落とした。
「私達なら違うってわかるけど」
「他の人がその表情を見たら話の流れから」
「私達に抱き付かれた時のことをイヤラシク思い出してるって、誤解されちゃうよ」
「!#$%&@*¥!」
 六つのふくらみに視線が行ってしまわぬよう固く目を閉じつつ全身全霊でアワアワするという半端なくしんどい事を、心と体の余剰エネルギーが尽きるまで、僕はきっちりやり遂げたのだった。
 
 とまあこんな感じで、僕が自分の役目をことさら意識せずとも、彼女達は僕をダシにして始終大いに盛り上がっていた。それでも彼女達は夕ご飯が長びき僕を疲れさせないよう、とても気を使っているようだった。美鈴の言った「あの時のことを思い出しちゃって」がその後話題に上らなかったことが、その証拠なのだろう。 
 半月前、彼女達は写真の話題で盛り上がり、気づくと僕はカメラを用意する役を仰せつかっていた。女性に頭が上がらないのは僕の宿命だからそんなのまったく気にしていなかったけど、彼女達は気に掛けてくれて、僕のいぬ間にある決定をした。それは、二枚目の写真で僕に抱き付くという事だった。ただしそれには条件が付いた。一枚目の写真を見てそうしたいと思ったらそうする、という条件を付けたのである。僕には未知の領域すぎて想像つかないが美鈴によると、年頃娘たちにとってそれ関連の意思疎通は、まばたき程度の些事でしかないらしい。娘達は一枚目の写真を見るなり条件クリアを全員一致で採択し、そして僕に、自分達用の写真も欲しいと要求した。分かるような分からないようなが本音だったが、僕は己の宿命に基づきすぐさま腰を上げ二枚目を準備した。昴によると「それがますます気に入っちゃった」そうで、輝夜さんによると「だから夢中で抱き付いちゃった」そうだ。後に美鈴が教えてくれたところによると、最近僕はある状況である表情をするようになったらしく、それを見れば僕の胸中をたなごころを指すが如く読み取れると言う。「ただし!」と美鈴はまなじりを吊り上げ僕に詰め寄り、「お兄ちゃんのその表情は乙女心を貫くから私達以外に絶対見せちゃダメよ!」と厳命した。自分でも気づいてないのにどうすれば良いでしょうかと問うダメダメな兄へ、次はちゃんと教えてあげるから安心してねと、しっかり者の妹は笑顔で約束してくれた。だが次の刹那、美鈴は瞳の表情だけを変え、
「だって私はその機会が一番少ないから」
 そう呟き、自室へ去ってしまったのだった。
 
 半月前のあの約束を、今日美鈴は叶えてくれた。それを察したのか、それともこれ以上僕をアワアワさせないためなのか定かでないが、輝夜さんと昴はあの時のことを話題にしなかった。けど僕は二人の気遣いに反してでも、「私はその機会が一番少ないから」の返答を、今ここでせねばならないと感じた。僕は調味料の残りを確認する振りをしてテーブルから離れ、台所に立つ美鈴の横に並んだ。
「なあ美鈴」
「うんそうだね。善光寺の七味唐辛子の買い置きが残り少ないから、そろそろ注文しないとね」
 僕の猟師汁のお代わりを、僕が特に好きな具だけを選び丁寧に注いでくれているその姿に、返答を聴く美鈴の気構えを感じて僕は先を続けた。
「大切な妹が誰かのお嫁さんになっても、妹を大切に想う兄の気持ちは少しも変わらない。だから僕の都合で機会が少なくなるなんてことは、無いからね」
 美鈴は手を止めこちらを向き、不思議そうな瞳で僕を見つめた。驚いているのではなく不思議がっているその様子に、とんでもなく的外れなことを口走ったのだと僕は悟る。七味唐辛子の容器を手にテーブルから離れた音を背中で聞いただけで僕の意図を十全に理解してくれたこの素晴らしい妹へ、僕はなんて無理解なことをしてしまったのだろう。僕は顔を青くして立ちつくした。
「ん~、私に関してこうも間違うなんて、初めて見たなあ」
 美鈴は顔をお鍋に戻し、お玉を動かす。すると突然、強烈な違和感が立ち昇った。それは天を突く竜巻の如く、僕の眼前にいきなり出現した。だがそれを冷静に分析する間を与えず、美鈴はその正体を中途半端に明かした。
「私はここで、大好きなある言葉を使わなかった。それが、ヒントだからね」
 美鈴はそう言い残し、テーブルへ戻ってゆく。
 僕はコップをつかみ溢れるほど水道水をそそぎ、それを一気に飲み干す。
 だが逆巻く苦悶を抑えきれず、僕はシンクに吐露した。
「お兄ちゃんを使わなかったことが、何のヒントになるって言うんだよ、美鈴」と。
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