僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二章

洗濯機に両手を、1

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 翌十六日、日曜日の午前三時。
「次の魔想は煤霞怨想。直径95センチの最終形態。油断さえしなければ大丈夫なはずにゃ」
「煤霞怨想、直径95センチの特煤とくすすで、油断禁物。末吉、おっけ~」
 ゴールデンウイーク初日の闇油との死闘は、僕と末吉に様々な変化をもたらした。その一つが、討伐中の会話。以前の僕らは祖父に教えられた通り、厳格な言葉遣いで討伐に臨んでいた。けど今はただ一つの例外を除き、普通の友達言葉を用いるようになっている。理由は、その方が自然だからだ。今の僕らに、言葉遣いごときで緊張が途切れてしまうような甘さは、もう無い。闇油との死闘が僕らにそれを、骨の髄まで刻み込んでくれたのである。
「眠留、分断数は四つ? それとも両断で決めるかにゃ?」
「両断で決めるつもりだ」
「了解にゃ」
 前方に、蠕動しつつ移動する煤霞怨想の最終形態を捕捉。僕は動体視力を四倍、生命力を十六倍、そして猫丸を刃渡り五尺に巨大化させ、煤霞へ全速直進。煤霞の二度の攻撃を、それぞれ0.02秒の百圧で躱しすれ違いざま、0.1秒の百圧で斬撃を放った。
 カッッ!
 以前とは明らかに異なる硬質の音が辺りに響き渡る。真っ二つに高速両断された煤霞怨想の魔素の気配が、後方から消えていった。
「消滅確認、戦闘領域に魔想無し」
 末吉の報告を受け、僕は静止し精神集中。今の戦闘で消失した生命力190を、1秒で補充して末吉に報告する。
「補充完了!」
「よし、次にゃ」
「ああ、行こう」
 僕らは肩を並べ、次の魔想へ翔けて行った。
 
 どろどろした怨念から生まれた怨想は、どろどろと体を蠢かせることで独立意識生命体としての自我を保っている。然るにそれを断ち切る斬撃を弱点とするが、幾つに分断すれば自我を保てなくなり消滅するかは、怨想の成長段階によって変化する。消滅分断数は怨想の成長に伴い増えていき、煤霞なら二つ、闇油なら四つが基本だ。けれどもこれは、あくまで基本。無念極まりないが翔人の腕が悪いと、消滅分断数は増加してゆくのである。
 例えば煤霞も、下手な斬撃のせいできっちり二等分できなければ、二つに分断しても消滅しない。最も弱い煤霞と言えど大きい方と小さい方の二つに切り分けられれば、小さい方は霧散しても、大きい方はそのまま残ってしまう。また同じ煤霞でも、特煤まで成長すると両断するだけでは消滅しない。特煤は大きさが1メートル近くあるので、真っ二つに両断しても二つの怨想に分かれるだけになるのだ。とはいえ、方法がまったく無いわけでもない。ある方法なら、両断しただけで特煤を消滅させることができる。それこそが、つい先程の方法なのだった。
 最終形態まで大きくなった特煤を一度の斬撃でしとめるきもは、高速両断。剣速が速ければ速いほど怨想の自我を一瞬で断ち切り、大ダメージを与えることができる。よって高速斬撃で瞬時に両断すれば、特煤を一撃で仕留めることが可能となるのだ。以前の僕はそれができず、末吉に片方を吹き飛ばしてもらい、各個撃破で四つに分断して仕留めるという方法を採用していた。先程の戦闘で末吉が「分断数は四つ?」と訊いてきたのは、「以前のように片方を吹き飛ばして手伝おうか?」という意味だったのである。ゴールデンウイークの死闘を経て、僕もちょっとだけ成長したという事なのだろう。
 ただ、これは文字通り「ちょっと」の成長でしかない。例えば超が二つ付くほどの高速斬撃を繰り出せる祖父は、闇油怨想の最終形態を、なんと一撃で仕留めてしまう。ノロノロ斬撃では十六等分しても十六の煤霞に分かれるだけのあの巨大な特闇を、祖父はたった一撃で葬り去るのだ。祖母も目にも留まらぬ高速二連撃で、特闇を一瞬で葬ってしまう。そんな二人と比べれば僕の成長など、「ちょっと」ですら多過ぎなのかもしれない。いや慢心しないためにも、多過ぎだと考える事にしよう。よ~し、そうするぞ。僕はちょっとではなく、ちょびっとだ!
 なんて、考えが若干変な形にまとまった丁度その時、末吉の声が耳に届いた。
「次の魔想は煤霞圧想。直径98センチの最終形態。周囲に同程度の圧想はいないから、戦闘中に闇油へ成長することは無いはずにゃ」
 単に融合するだけなら、魔想は互いの大小など気にせず融合する。だが煤霞から闇油へ、そして闇油から魔邸へ成長するためには、同程度の大きさの最終形態同士が融合せねばならない。一段上の階層へ行くということは、きっとそういう事なのだろう。
「煤霞圧想、直径98センチの特煤で、戦闘中成長の危険性は低い。と言っても、うかうかしているワケにはいかないから」
「今回も両断で決めるかにゃ?」
「ああ、両断で決めるつもりだ」
「了解にゃ」
 前方に、煤霞圧想の最終形態を捉えた。僕は猫丸に生命力を流し入れ、刃渡り五尺の大太刀に変化させる。それを確認し、更に生命力を流し入れ、大太刀の幅を三倍にする。長さと厚みは変えず、幅だけを三倍にしたのだ。
 ストレスや抑圧した思いから生まれる圧想は軸に骨を持つため、骨を打ち砕く打撃を弱点としている。然るに強い打撃特性を得られる峰打ちが有効なのだが、実は峰打ちが通用するのは、中程度の煤霞まででしかない。その名の通り霞の如き希薄な体しか持たない煤霞は、中程度の大きさまでなら、峰打ちでも剣速を落とさず骨を打ち砕ける。しかし特煤まで成長すると体が無視できない粘度を持つようになり、峰打ちでは剣速が落ちてしまい、骨を砕くことが困難になるのだ。よって以前は、骨をかすめる斬撃を放ち圧想を分断し、骨の無い方を末吉に吹き飛ばしてもらってから、残った方を骨ごと両断するという方法を採っていた。いや採っていたというより、腕が未熟でそれしかできなかったのである。う~ん、ヘコムなあ。
 けど今は、一撃討伐が可能になった。その理由は、三倍幅の翔刀術を習得したから。空気のある場所では空気抵抗を目安にできるので、単調な動作なら幅広の太刀の方が刃筋を通しやすい。だが空気抵抗のない今の状況ではその目安がなく、以前の僕は三倍幅の猫丸を使いこなせなかった。しかし今は三倍幅の翔刀術を習得したので、煤霞圧想の最終形態を一撃討伐することが可能になったのである。平たく言うと、僕はちょびっとだけ成長したという事なのだろう。
 幅の三倍化を成した僕はすぐさま動体視力四倍と十六圧を実行し、圧想へ全力直進。圧想の二度の攻撃を0.02秒の百圧で躱しすれ違いざま、0.1秒の百圧で猫丸を一気に打ち付けた。
 ガッッ!
 以前とは異なる甲高い打撃音が辺りに響き渡る。その数瞬後、骨ごと両断された圧想特煤が、静かに消えていった。
「消滅確認、戦闘領域に魔想無し」
 今の僕らにとって唯一の厳格な口調で末吉が報告する。僕は静止し、消費した生命力370を1秒で補充して、告げる。
「補充完了!」
「よし、次にゃ」
「ああ、行こう」
 末吉と肩を並べて夜空を翔ける。小さな体に無限の信頼を凝縮させたその姿に、ふと思った。翔人の主家が翔描を遣わしたとして、一体何が変わると言うのか?
 何一つ、変わりはしないのだ!
 心の中で、僕は主家にそう叫んだ。

 僕は昨日、翔人の主家が日本のどこかにある事と、その主家がご先祖様に翔猫を送り届けた事を、輝夜さんに教えてもらった。それは僕の心を二度破壊したにもかかわらず、魔想討伐をこうして遂行できるのは、間違いなく輝夜さんと末吉のお陰。輝夜さん以外の人にそれを教えられ、そして末吉がパートナーでなかったら、心の表れである翔体になっても不都合をまったく感じないなど、絶対あり得なかったからだ。
 ――ありがとう末吉。
 隣を翔けるパートナーに、胸中そう囁く。
 そして視線を前方に向けたまま、昨日の輝夜さんの言葉に想いを馳せた。
『譬えるなら、水道管が太くなった感じかな。以前は壁の圧迫が強すぎて、細い水道管を辛うじて通すことしかできなかった。でも今は壁の一部が消え圧迫が少なくなったから、太い水道管を通せるようになった。その変化に気付かなかった私は、以前と同じ調子で蛇口をひねった。だから、水を大量に溢れさせてしまった。生命力の激増はただそれだけの事だったって、わたし判ったんだ』
 ――その通りだったよ輝夜さん!
 空を翔けつつ、胸の中で彼女にそう呼びかけた。水道管が太くなったから、蛇口を一生懸命回す必要がなくなった。以前より少ない時間と労力で、同じ水量を得られるようになった。それを僕は今日、生命力の戦闘後補充を通じて、実感したのである。
 するとそこから貴重な副産物が生まれた。それは、生命力消費が巧くなったことだ。人は不思議な生き物で、生命力の短時間流入に上達すると、生命力の短時間にも上達するらしい。それが功を奏し、今日の僕の『火花』は冴えまくっている。輝夜さんも、今日は冴えているのかな。そうだったらいいなあ・・・・・
「本日最後の魔想は闇油怨想。直径1.6メートルの並闇。眠留、聞いてたかにゃ」
「うん、ちゃんと聞いてたよ。今日最後の魔想は闇油怨想。追尾攻撃のない、直径1.6メートルの並闇。これでいいんだよね」
 しまった、ボ~ッとしていて、末吉の報告を危うく聞きそびれるところだった。耳に残っていた言葉を鸚鵡おうむ返しにすることで何とか復唱できたけど、きっとバレバレなんだろうな。
 そう思い、ちらっと横を盗み見る。末吉は案の定、じっとり湿った眼差しをこちらへ向けていた。でも小さなため息を一つ付いただけで、末吉は話題を変えてくれた。
「眠留、各個撃破かにゃ? それともいかずちにするかにゃ?」
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