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2章 未来のふたり(仮)
第12話 価値観は擦り合わせるもの
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顔面蒼白の紗奈に気付いているのかいないのか、雪哉さんは続けて口を開く。
「せやから、家庭的な子がええとか、そんなんや無いけど、支え合える人が理想やねん。悔しいけどどうしても給料がなかなか上がらんで、先々どうなるか分からんにしても、奥さんになってもらう人にも働いてもらわなあかんと思う。せやから自立してる女性が理想やねん」
そんなの、紗奈と正反対では無いか。生活費を入れ始めたとは言え実家暮らしだし、家事だって最近ようやく始めたばかり。家の洗濯機の使い方を覚えたのもつい先日のことだ。掃除だって、丁寧にすればあんなに手間が掛かるだなんて思いもよらなかったのだ。
マイナス面がぐるぐると頭を駆け巡る。だが思考力が落ちているので、ただただその事実に押し潰されるばかりだ。本当に自分はまだまだなのだと、瞬きを忘れて乾いた目を伏せるしか無かった。
「せやから、社会人になっても親に頼ってばかりの紗奈やったら、結婚は難しいかもなって思ってしもうてん。けど、紗奈は仕事始めてから料理を通じて、家事ができんことをあかんって思ったんやろ? 家に生活費入れんで良かったってのはさすがにびっくりしたけど、それも入れる様になったんやん」
紗奈は虚ろな表情のまま、小さく頷く。
「俺は紗奈が好きやけど、結婚ってそれだけでできるもんや無いと俺は思うねん。その先の生活があるからな。子どもができたらその責任かて出て来る。それを背負うには、それぞれの自立心も必要なんや無いかなって俺は思ってる。支え合うって依存するとイコールや無いと思うねん。そりゃあどっちかの病気とか、それこそ奥さんが妊娠したら仕事どころや無いと思うから、当分稼ぎは俺だけってことになると思う。でもそれまでにその地盤を作っとかなと思うんよ。まずは自分がしっかりして、相手への依存を減らして、支え合える、寄り添える様にせなあかんなって。俺、おかしいこと言ってるやろか」
紗奈は反射的にゆるりと首を振る。紗奈の今の価値観と照らし合わせても、それが妥当だと言えた。いちばん身近な夫婦である自分の両親とは違う。だが今の情勢を見れば、二馬力は珍しく無い。
「良かった。紗奈はまだ就職したばかりやし、結婚なんか考えられへんと思うし、俺もまだ若いし今や無いって思ってる。せやから先々ふたりの気持ちとかがどうなるんか分かれへん。もしかしたらめっちゃええ男とか出て来て、俺が振られるかも知れんし」
紗奈はまた大きく首を振った。そんな分かりもしない未来の話をしても仕方が無いし、今、現時点で雪哉さんとの別れは考えもしないものだったから、無いと言い切りたい気持ちだった。
「せやから、紗奈の意識が変わってくれて良かったなって。上から目線ちゅうか何さまやっちゅう話なんやけど、俺が結婚できたらなって思うんは、そういう自立心のある人やねん」
「そんなん」
つい漏らした声は震えていた。確かに互いに結婚にはまだ早いのかも知れない。だが雪哉さんがどんな相手を求めているのかなんて、聞かされたことが無いのだから分かるわけが無いでは無いか。
確かに先日までの紗奈は雪哉さんが思い描く女性では無かったのかも知れない。言われた通り、紗奈は親に頼りっぱなしの甘ったれだった。職場できっかけをもらい、考え方や価値観を変えることができた。それは紗奈にとって大きな成長だったと思う。
だがそれは雪哉さんのためでは無い。紗奈のためだ。そして応援してくれていた事務所の方々のためだ。紗奈を甘やかしていた万里子も、紗奈がお料理を始めると言ったら見守ってくれた。そして紗奈の変化を喜んでくれた。
「言ってくれへんと分からんや無いですか」
紗奈の声には鋭い怒りが混じっていたと思う。雪哉さんは慌てて「だ、だってな」と言い繕う。
「こういうのって、自分で気付かんと身にならんやろ。せやから俺は待っとったんや。それで紗奈は変わってくれた。せやから」
「ほんまに、何さまですか」
紗奈はぴしゃりと言い放つ。雪哉さんの結婚観、夫婦の在り方を否定するわけではない。確かに支え合える夫婦は理想なのだと思う。共働きするのなら、家事だって子育てだって協力し合わなければならない。そんなこと紗奈にだって理解している。だから雪哉さんの言いたいことは解る。
だが、雪哉さんは紗奈に自分の価値観を押し付けようとしたのだ。
それは雪哉さん自身が言ったばかりの「寄り添い合う」と対極なのでは無いのか。雪哉さんこそが紗奈に寄り添うつもりが無かったということでは無いか。紗奈と雪哉さんの価値観が合わなければ擦り合わせる、それが本来の在り方なのでは無いだろうか。
これまでも小さな喧嘩はあった。だがこんなにも腹が立ったことは無かった。紗奈は雪哉さんに軽く見られていたのだ。自分の思い通りにしようと思われていたのだ。自ら変わらなければ別れようだなんて、いったい人を、紗奈を何だと思っているのだ。
さっきまでのショック、動揺はすっかりとかなたに消えり、代わりに沸き上がっているのは紛れも無い怒り。頭に血が昇っているのが判る。
「今日は帰ります」
このままでまともに話ができる気がしない。紗奈は半分ほどが残っているサンドイッチのお弁当箱の蓋を手早く閉じ、ナフキンで雑に包んでバッグに突っ込むとすっくと立ち上がる。シートの脇に置いてあったサンダルを履くのももどかしく、早足でその場を去った。
「紗奈!」
雪哉さんの焦った声が追い掛けて来たが、紗奈は振り返らず走る様に雪哉さんから離れる。憤怒と同時に情けなさも沸いて来て、紗奈は泣きそうになりながら長居公園を突っ切り、長居駅に向かった。
「せやから、家庭的な子がええとか、そんなんや無いけど、支え合える人が理想やねん。悔しいけどどうしても給料がなかなか上がらんで、先々どうなるか分からんにしても、奥さんになってもらう人にも働いてもらわなあかんと思う。せやから自立してる女性が理想やねん」
そんなの、紗奈と正反対では無いか。生活費を入れ始めたとは言え実家暮らしだし、家事だって最近ようやく始めたばかり。家の洗濯機の使い方を覚えたのもつい先日のことだ。掃除だって、丁寧にすればあんなに手間が掛かるだなんて思いもよらなかったのだ。
マイナス面がぐるぐると頭を駆け巡る。だが思考力が落ちているので、ただただその事実に押し潰されるばかりだ。本当に自分はまだまだなのだと、瞬きを忘れて乾いた目を伏せるしか無かった。
「せやから、社会人になっても親に頼ってばかりの紗奈やったら、結婚は難しいかもなって思ってしもうてん。けど、紗奈は仕事始めてから料理を通じて、家事ができんことをあかんって思ったんやろ? 家に生活費入れんで良かったってのはさすがにびっくりしたけど、それも入れる様になったんやん」
紗奈は虚ろな表情のまま、小さく頷く。
「俺は紗奈が好きやけど、結婚ってそれだけでできるもんや無いと俺は思うねん。その先の生活があるからな。子どもができたらその責任かて出て来る。それを背負うには、それぞれの自立心も必要なんや無いかなって俺は思ってる。支え合うって依存するとイコールや無いと思うねん。そりゃあどっちかの病気とか、それこそ奥さんが妊娠したら仕事どころや無いと思うから、当分稼ぎは俺だけってことになると思う。でもそれまでにその地盤を作っとかなと思うんよ。まずは自分がしっかりして、相手への依存を減らして、支え合える、寄り添える様にせなあかんなって。俺、おかしいこと言ってるやろか」
紗奈は反射的にゆるりと首を振る。紗奈の今の価値観と照らし合わせても、それが妥当だと言えた。いちばん身近な夫婦である自分の両親とは違う。だが今の情勢を見れば、二馬力は珍しく無い。
「良かった。紗奈はまだ就職したばかりやし、結婚なんか考えられへんと思うし、俺もまだ若いし今や無いって思ってる。せやから先々ふたりの気持ちとかがどうなるんか分かれへん。もしかしたらめっちゃええ男とか出て来て、俺が振られるかも知れんし」
紗奈はまた大きく首を振った。そんな分かりもしない未来の話をしても仕方が無いし、今、現時点で雪哉さんとの別れは考えもしないものだったから、無いと言い切りたい気持ちだった。
「せやから、紗奈の意識が変わってくれて良かったなって。上から目線ちゅうか何さまやっちゅう話なんやけど、俺が結婚できたらなって思うんは、そういう自立心のある人やねん」
「そんなん」
つい漏らした声は震えていた。確かに互いに結婚にはまだ早いのかも知れない。だが雪哉さんがどんな相手を求めているのかなんて、聞かされたことが無いのだから分かるわけが無いでは無いか。
確かに先日までの紗奈は雪哉さんが思い描く女性では無かったのかも知れない。言われた通り、紗奈は親に頼りっぱなしの甘ったれだった。職場できっかけをもらい、考え方や価値観を変えることができた。それは紗奈にとって大きな成長だったと思う。
だがそれは雪哉さんのためでは無い。紗奈のためだ。そして応援してくれていた事務所の方々のためだ。紗奈を甘やかしていた万里子も、紗奈がお料理を始めると言ったら見守ってくれた。そして紗奈の変化を喜んでくれた。
「言ってくれへんと分からんや無いですか」
紗奈の声には鋭い怒りが混じっていたと思う。雪哉さんは慌てて「だ、だってな」と言い繕う。
「こういうのって、自分で気付かんと身にならんやろ。せやから俺は待っとったんや。それで紗奈は変わってくれた。せやから」
「ほんまに、何さまですか」
紗奈はぴしゃりと言い放つ。雪哉さんの結婚観、夫婦の在り方を否定するわけではない。確かに支え合える夫婦は理想なのだと思う。共働きするのなら、家事だって子育てだって協力し合わなければならない。そんなこと紗奈にだって理解している。だから雪哉さんの言いたいことは解る。
だが、雪哉さんは紗奈に自分の価値観を押し付けようとしたのだ。
それは雪哉さん自身が言ったばかりの「寄り添い合う」と対極なのでは無いのか。雪哉さんこそが紗奈に寄り添うつもりが無かったということでは無いか。紗奈と雪哉さんの価値観が合わなければ擦り合わせる、それが本来の在り方なのでは無いだろうか。
これまでも小さな喧嘩はあった。だがこんなにも腹が立ったことは無かった。紗奈は雪哉さんに軽く見られていたのだ。自分の思い通りにしようと思われていたのだ。自ら変わらなければ別れようだなんて、いったい人を、紗奈を何だと思っているのだ。
さっきまでのショック、動揺はすっかりとかなたに消えり、代わりに沸き上がっているのは紛れも無い怒り。頭に血が昇っているのが判る。
「今日は帰ります」
このままでまともに話ができる気がしない。紗奈は半分ほどが残っているサンドイッチのお弁当箱の蓋を手早く閉じ、ナフキンで雑に包んでバッグに突っ込むとすっくと立ち上がる。シートの脇に置いてあったサンダルを履くのももどかしく、早足でその場を去った。
「紗奈!」
雪哉さんの焦った声が追い掛けて来たが、紗奈は振り返らず走る様に雪哉さんから離れる。憤怒と同時に情けなさも沸いて来て、紗奈は泣きそうになりながら長居公園を突っ切り、長居駅に向かった。
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