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私とクロヴィス様の過去
しおりを挟む狼狽えながらクロヴィス様の脛を蹴り続けている私を、クロヴィス様は特に痛がる様子もなく、にやけた口元を引き締めて真面目な顔で眺めていた。
あまりの凝視ぶりに、私も蹴るのをやめて思わずその顔をみつめかえしてしまう。
瞼に被ったフードからのぞく紫色の瞳は神秘的に輝いている。
高い鼻梁やすっとした顎、形の良い唇。
見慣れた顔立ちだけれど、年々男らしさを増しているクロヴィス様をきちんと見ることができなくて、私は視線を逸らした。
◆◆◆
クロヴィス様があまり公爵家に来なくなったのは、私が十三歳、クロヴィス様が十四歳の頃からだった。
成長するにつれて当たり前だけれど私は、身長も伸びて体つきも女らしくなり、クロヴィス様は男らしくなった。
私は女で、クロヴィス様は男性。私たちは、婚約者。それを意識し始めたときには、クロヴィス様は私から距離を置くようになっていた。
どうしてなのかしら、と思った。
ルシアナに相談したら「殿下は十六歳になられたら魔道学園に入りますし、それ以外にも王としての教育も受けなければいけません。きっとお忙しいのでしょう」と慰めてくれた。
ネメシア公爵家で大切に育てられていた私は、自分で言うのもなんだけれどかなり素直な人間だった。
だからルシアナの言葉に納得して、「それなら邪魔したらいけないわよね」と思って、自分から城に近づくことも控えるようになった。
だって城に遊びに行っても、「リラ、悪いが忙しい」とかなんとか言って、相手にしてくれないし。
相手にされないのは悲しいし、惨めな気持ちになる。
理由が良く分からなくて苦しかったけれど、本当に「忙しい」というのなら仕方ない。
王家の主催する晩餐会は、季節ごとに行われる。
とりわけ一番大きい晩餐会は、年末に行われる人獣戦争の終結を祝う『越冬の祭典』である。
これは王家による晩餐会と共に、王都の街でもお祭りが行われるので、一年の中で一番国がにぎやかになる日である。
誕生日を迎えて十四歳になっていた私は、久々にクロヴィス様に会えることが嬉しくて、クロヴィス様の瞳の色に合わせた薄紫色のドレスを身に纏って両親と共に城へと向かった。
城では華やかに着飾ったご令嬢や、貴族の子息の方々、大人たちが集まっていた。
楽隊の奏でる音楽が広間には響き渡っている。中心にある広いダンスホール。広間の端には食べきれないぐらいの沢山の料理がおかれた丸テーブルが並んでいる。
リリーナお母様は、王妃ヴィヴィアナ様と会えたことを喜び、アスベルお父様と一緒に城の奥へと行ってしまった。
私ももう大きいので一人でも大丈夫だと判断したのだろう。
十六歳には私も魔道学園に入学する。いつまでも親の庇護下に居られないことぐらいは分かっている。
それに、卒業したらクロヴィス様の伴侶として、王妃になるのだ。だから、広間に残されて不安だなんて言っていられない。
ややあって、クロヴィス様が私の元へと来てくれた。
本来なら広間の入り口まで迎えに来てくれるとか、公爵家まで迎えに来てくれるというのが婚約者としてのマナーなのだけれど、忙しいらしいから、仕方ない。
きちんと来てくれたから良いじゃないと自分に言い聞かせて、私は素直にクロヴィス様に会えたことを喜んだ。
「リラ。久しぶりだな」
「はい。ロヴィ、久しぶりですね。お元気でしたか?」
私は差し伸べられたクロヴィス様の手を取って、にこにこ笑った。
前回の晩餐会で会ったきりだったから、おおよそ半年ぶりの再会だった。
以前は毎日のように会っていたのに、会おうとすればいつでも会えるのにと思うと、不思議だった。
クロヴィス様は私よりもずっと背が高くなっていて、丸みを帯びていた獣耳も三角形になって先がとがっていた。
青年になりつつある容姿のクロヴィス様は、元々の容姿の良さが年々際立っているようで、少々気後れしてしまう。
私には可愛らしい耳も尻尾もないし、何かが突出して優れているというわけでもない。
公爵家の家人たちが私に甘いことは重々承知だから、あまり勘違いしないように気を付けていた。
言葉を額面通り受け取ってしまえば、自分が優れていると勘違いした愚か者になってしまうと思っていた。
「あぁ」
クロヴィス様はそれだけ言ったきり、黙り込んでしまった。
「あの、ロヴィ……」
挨拶も、してくれない。
悲しく思った私は、もう少し話をしようと声をかけてみた。
クロヴィス様は私をちらりと一瞥して、それからふいっと視線を逸らしてしまった。
嫌われているのかしらと、思った。
嫌われているのか、面倒だと思われているのか。
何も話すことができないまま隣に立っている私にさらに追い打ちをかけるように、クロヴィス様にご挨拶をしに貴族の子供たちが近づいてくる。
にこやかに、クロヴィス様はそれにこたえた。やがてダンスが始まると、誘われるままに、私を置いてクロヴィス様は他のご令嬢の方とダンスホールへと行ってしまった。
私は所在なく立っているしかなかった。
それでも公爵家の長女として情けない姿を晒すことはできなかったので、表情だけは硬く引き締めていた。
「あら。リラ様、こんなところで一人きりで、まるで壁の花のよう」
話しかけられて顔をあげると、私を昔から嫌っているディシード侯爵家の長女、エイダが目の前に立っていた。
私を嘲笑うエイダに、私は何も言い返せなかった。だって、その通りだったからだ。
「殿下は、リラ様に飽きてしまったのかしらね。リラ様は血筋は良いけれど、それだけですもの。顔立ちもリリーナ様に比べたらさして華やかでもないですし、半獣族のように優れた身体能力があるわけでもありませんし。……リリーナ様の娘という理由で、リラ様を婚約者にしなければならなかった殿下がお可哀想」
エイダは一方的に私を落ち着いた口調で罵倒した。
嫌われていることは知っていたけれど、直接言葉をぶつけられたのははじめてだ。
私は今まで悪意とは縁遠い場所で生きてきたから、あまりのことに吃驚してしまった。
何も言わない私に呆れたのか、エイダは「言い返す気概もないのね」と大げさに嘆息した。
エイダの背後に控えていた取り巻きたちが、くすくすと笑った。
私は恥ずかしくて、悔しくて、悲しくて。
こんなことなら、婚約者になんて選ばれなければ良かったと心底思った。
◆◆◆
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