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龍神の花嫁

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 男性たちに連れられて玄関を出ると、道に馬引き車が停まっていた。
 はじめて乗る馬引き車の窓からは、道ゆく人々や、薄曇りの空が見えた。

 いつもなら商店に買い物に出かけたり、それから、お洗濯をしたりする時間だ。どこで、間違えてしまったのだろう。私はどうして、見知らぬ男性と馬引き車に乗っているのだろう。

 神主のような男性は、むっつりと押し黙っていた。
 スーツの男性は、熱くもないのにじっとりと汗ばんでいる顔を、ハンカチで何度も拭っていた。

「大丈夫なのか、祥平さん。龍神様の儀から、もう二日も遅れてしまっている。今回はたまたま、六谷さんが名乗り出てくれたからなんとかなったが、いつまでこんなことを続けなければならないのか」

 沈黙に耐えかねたように、スーツの男性が口を開く。

「手配が遅れたのは、村長であるあなたの責任だろう、五味さん。君の父は立派に十年に一度の務めを果たしたというのに。孤児でも、口減らしの子供でも、なんでも良いから、買えと伝えたはずだ」

「だって、子供は可哀想じゃないか」

「龍神様に花嫁を捧げなければ、村は滅ぶ。古くから、この村は龍神様を崇めてきた。故に、村の平和が保たれているのだ。君の代で村を滅ぼすつもりなのか?」

「そういうわけではないけれど、……だがなぁ」

「五味さんの役割は、花嫁を準備するところまでだ。花嫁は、二十歳前の生娘であれば良い。あとは私に任せて、五味さんは帰っても良い」

「いや、最後まで見ているよ。十年に一度なのだろう。滅多にない機会だ」

 男性たちは、私など存在していないかのように言葉を交わした。
 時折スーツの肥えた男がちらちらと私を見ていたけれど、私は俯いたまま黙っていた。
 乱れた着物を引っ張って、自分の体を隠すことぐらいしか、私にできることはなかった。

「本当に、この娘は色狂いなのか」

「妙な気を起こすなよ、五味さん。大切な神事のための巫女だ。どんな出自であっても、心の病であっても、構いはしない」

 舐め回すような視線に、ぞわりと肌が怖気だつ。
 私は馬引き車の座席の端の方で、体を縮こまらせた。
 男性たちはそれからしばらく黙り込んでいた。

 私を乗せた馬引き車は、村の奥にある大きな神社、蒼龍神社へと到着した。
 祥平さんと呼ばれていた神主に「来なさい」と促されて、私は馬引き車から降りた。

 蒼龍神社には、一度だけきたことがある。あれは、朱鷺子さんの七五三のお祝いだっただろうか。
 良く思い出せない。ただ、その時はとても賑わっていたような記憶がある。
 今日は参拝客は一人も見当たらなかった。

 見上げるほどに大きい朱色の鳥居の奥に、巫女装束を着た、白い布で顔を隠した女性の姿がある。
 彼女は私たちが馬引き車から降りると、こちらにやってきた。
 それから私の手を引いて、社の奥へと連れていった。

 私はまず湯浴みをさせられた。
 それから、白い着物に着替えて、丁寧に髪をとかして貰った。
 女性はずっと顔を白い布で隠していて、何も話をしなかった。

 これから、何がおこるのだろう。きっと、とても怖いことなのだろう。
 頭のどこかでそれを理解しているのに、逃げなければいけないとわかっているのに、私はまるで人形のように、されるがままになっていた。

 昨日の夜からずっと私は混乱していて、ともすれば大声で叫んで泣き出してしまいそうで、何かを考えたり行動を起こすことがとても難しかった。指示に従っていた方が、楽だった。
 綺麗な白い着物に着替えて、長い黒髪を紐で結わかれた私は、巫女服の女性に手を引かれて神主の元へ連れて行かれた。

 そこはどうやら、神社の更に奥にある、山道の入り口のようだ。
 神社は山を背にしていて、拝殿のさらに奥、本殿を抜けなければ辿り着けない場所に、山に入ることができる山道がある。

 山道は、いくつもの鳥居が連なっている。
 まだ昼間なのだろうけれど、どことなく薄暗い。冷たい風が、山の木々を揺らしている。
 山からは色々な音がした。

 木々のざわめきや、鳥の声。それから、動物の鳴き声だろうか。
 風の音に紛れて、騒々しい音が、私と神主と巫女、それから五味さんというおそらく村長らしき男しかいない、静まり返った境内に響いている。

「龍神池までは、しばらく歩く。さぁ、いくぞ、娘」

「……私は、どうなるのですか?」

 私は神主に尋ねた。
 山道の奥に進むことを考えると、足がすくんだ。
 きっと何か、良くないことが起こる。

「お前は龍神様に捧げられる。それはとても、光栄なことなんだよ」

 神主は、はじめて青白い顔に笑みを浮かべた。
 それから巫女に何かを命じた。

 私の顔に、唐突に布があてられる。
 視界が暗くなり、驚いた私は手足をばたつかせた。

 男の手が、私を押さえつけている。冷たく硬い手に、痛いぐらいに手首を掴まれて、昨夜の記憶が、思い出したくもないぬるい吐息が、おぞましい声が、まるで幸次郎さんがすぐそこにいるようにして、勝手に想起された。

「いや、やめてください、嫌っ!」

「五味さん、手伝え。大人しいのかと思っていたが、やはり駄目だな」

 暴れないようにだろう、体に食い込む縄の感触がある。
 私は目隠しをされて、それから、多分縄で縛られているようだった。

 体を引っ張られて、転びそうになる。私の背中を、柔らかい手が押した。巫女装束を着ている女性のものだろう。
 何も見えないまま、縄でひかれて前に進んでいく。

 まるで、罪人のようだ。
 どこからか、百舌鳥の鳴き声が聞こえた。

 それはまるでーーお前は、早贄なのだと、私に告げているかのようだった。

「喜べ、娘。お前の尊い志が、村を天災から救うのだから」

 神主の静かな声が聞こえる。

「……すまないね、君。六谷さんの娘さん。蜜葉さんだったかな。十年に一度の祭事に、君は選ばれたんだ。これはとても、名誉なことなんだよ」

 そのあと、五味さんという名前の男が、どこか言い訳をするようにして言った。
 逃げなければと思う。
 でも、どこへ?

 帰る家もない。頼る人もない。お金もない。私には、何もないのに。

 ーーもう良いのかもしれない。
 私はうまれてきてはいけなかったのだろう。
 だから、もう。
 どれぐらい歩いただろうか。
 縄でひかれる感触がなくなり、男性たちが足を止めたのがわかった。
 何も見えないからここがどこなのかわからないけれど、多分、龍神池と呼ばれる場所なのだろう。

 神主の朗々とした祝詞が、長い間響いていた。
 それから、体に鈍い衝撃を感じた。

 ーー落ちている?
 そう気づいた時には、身を切るような冷たい痛みが全身に走った。

 水の中に、落とされたみたいだ。
 激しい水音が聞こえた。ごぼりと、水が口の中に入ってくる。
 苦しい。
 でも、縛られた体では、身じろぐことしかできない。
 水を飲み込んでしまい、息苦しさに咳き込んだ。咳き込むほどに、水は口の中へと入ってくる。
 意識が黒く濁っていく。

 ーーこれで、終わり。
 でも、もう良いかなと思う。

 私はどこにもいけない。誰も、私には誰もいない。私はひとり。役立たずで、愚図で、何もできない。
 走馬灯の中に、せめて楽しい思い出が一つでもあれば良いと思った。
 けれど何も、思い出せそうになかった。


 
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