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三章 首無し騎士と幻想無し

出発進行中

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 どこまでも広がる地平線。空は蒼く、晴れ渡り、澄みき、浮かぶ雲もさぞかし気持ちいいだろう。
 西の地平線のその先には何やら大きな山脈がうっすらと見え、俺の心に日本の象徴である富士山を思い出させた。

 どこまでも広がる草の海。その中を黄土色の地面が真っ直ぐに伸び草原を二つに割っていた。この草の海に身を投げ出せば、さぞかし雄大な自然の香りを堪能たんのうできる事だろう。
 彼方かなたをかける牛によく似た動物の群れはこぞって雄大な自然を食んでいた。

 どこまでも感じる臀部でんぶからの振動。かれこれ数時間はこの振動を俺の臀部は受けていて、さぞかし悲鳴の声を上げているだろう。防弾チョッキに89小銃、弾薬類などのフル装備。俺自身の体重、さらには硬い木の椅子も相まって揺れる中。

 もはや俺の身体……いや尻は限界を迎えていた。

「なぁ、ジェリコ。どこまで行くんだ? ケツが二つに割れちまうぞ?」

「ケツが二つに割れるなんて羨ましいねぇ。俺なんてほら、尻肉無いからもっと痛いんだぜ?」

 狭く揺れる馬車の中でジェリコは両手でバランスを取りながら立ち上がり俺の方に尻を向けてくる。自己紹介の時は普通のズボンを履いていたジェリコだったのだが、今は簡素な腰布を纏うだけであり尚且つ擦れてボロになっている。

 俺は目の前に出された尻に思いっきり拳を叩き込み、短い悲鳴の声を大きく裂けた口から出させる。

「痛えよ!? ハジメちゃんって暴力的だよね? ルチアちゃんに嫌われるよ!」

「ハジメ? 私の剣使っていいよ。その邪魔な尻尾叩っ斬ってちょうだい」

「んな殺生な……」

 俺の横にいるルチアからの冷たい言葉にジェリコはすっかりと意気消沈し、小さくなってからまた座る。尻尾を器用にくねらせ座ると近くの荷物から一枚の地図を手に取り俺に渡してきた。

「これがあれか、この世界の地図か?」

 受け取った地図には山のような絵や城のような絵。その周りには海を模しているのだろうか、青い絵の具によって塗り潰されている。所々に文字が書かれているが、当然俺が読める文字では無い。
 俺は地図を食い入るようにじっくりと見て、時には幌馬車ほろばしゃの窓から外を覗き、懐から取り出したコンパスを何度も地図と比べては目線を動かす。

「何かわかったの?」

「いや、全然わからん」

 首を傾けながら聞いてきたルチアに対し俺は地図を綺麗に折り畳むことで答える。

 地図判読というのは思っているよりも難しい。
 自己位置の判定や周辺の著名な建造物、方角、時間、その他諸々の情報が合わさった複雑な計算が必要であり、その解を出してようやく現在地というのは分かるのだ。
 見せてもらった地図の縮図は実際の地形の何万分の一の地図なのかも分からない上に、文字も読めない、地図の記号も分からないでは到底現在地など分かるはずもない。

「ルチアは分かるのか?」

「ん、全然分かんない!」

 快晴の空にも負けぬ程清々しい笑顔で答えるルチアは、俺が折り畳んだ地図を受け取ると中身も見ずにジェリコへ渡した。

「ジェリコは?」

異世界ここで三十年ぐらい生きてんだから何となく分かるんだけどよ。ほら、あれだよ。俺も文字読めないって言ったじゃん?」

 ジェリコは裂けた口を閉じたままに端を歪ませる。手入れの行き届いた爪で空に文字を書くと、クエスチョンマークが何も無い空間に二つ並び、そのまま消えていく。
 その動きがどうにもキザっぽくて他人ひとの神経を逆撫でし、俺はイラつき眉をあげる。

「三十年ね。それなら誰が道を知ってんだ?」

「僕だよ」

 俺の最もな疑問に答える声は馬車の御者ぎょしゃ席から聞こえた。

「誰だ?」

「え、ハジメ……誰なのか知らないの?」

 声が聞こえた方向を訝しげに見る俺を、ルチアが俺と同じいぶしげな目で見ながら声を出す。
 半ば呆れるような声のルチアへ俺は言い訳するように手を真っ直ぐ出して口を開く。

「昨日の夜に幻想調査隊に入るって決めて、次の日の朝には出発って言われたんだぜ? 準備で忙しくて誰が来るかとか聞くどころじゃなかったんだよ」

 昨日の夜に決めた決意を翌日の朝には撤回したくなるほどに、話は急展開に進んだ。

 やれ、今回の試験兼調査は失敗しないようにだとか。
 やれ、無駄弾を使わず弾薬は出来るだけ残すだとか。
 やれ、隊長のウェスタは仕事でどこぞへ向かうとか。

 入るという決意表明した後に色々と言われ、俺は質問をする間も無く準備に追わていたのだ。
 グロリヤス王国の城門近くに移動された装甲車内で準備と食事と僅かな仮眠を終えるとあっという間に朝が来て現在に至っている。

(本当は聞きたいことがあったんだけどな……)

 聞きたいことの一つにはウェスタこと西野が何故あの年齢なのかがある。
 俺の知ってる後輩とは別人に様変わりした西野ウェスタ。俺がつい先日にこの世界に来たというのに、ジェリコの話が正しければ三十年前に転生してきたと言う事だ。

(そのタイムラグは何だ? 死んだ時の条件はほぼ同じだろうにな)

 疑問に対し思考する。物思いに耽るのは俺の良い癖でもあり、時に悪い癖にもなる。そして今回は悪い癖の方に働いた。

「……っ!? 危ねぇ!」

「うわ、危なッ!?」

「プギィッ!?」

 下を向いて考え事をしていた俺の狭い視界の隅から突如として何かが飛んでくる。反射的に避けたのだが、そのせいで本来俺に当たるはずだった物体は俺を避け、ルチアを躱し、ジェリコの鼻っ面に直撃する。

「……今、僕が説明してあげたのに聞いてなかったでしょ? 上の空で聞かれちゃ困るなぁ。ハジメ君」

「お前は……ケツ蹴り野郎か?」

 明るい外の光を背景に浮かぶ人影は、俺の尻を執拗に蹴りつけた仮面を被った子供だった。
 身を包む外套マントは旅用なのだろう。地面の色と同色の黄土色が上から下まで小さな身体を覆い、フードから覗く唯一剥き出しの仮面をより異質に見せてくれる。

「イオンちゃんッ! 鞭は投げる物じゃ無いよ? ジェリコさんの自慢の顔が腫れちゃうよ!?」

「……鞭は家畜を黙らせる為の物だろう?」

「ふぁっ!?」

 投げられた馬打ち用の鞭を片手にワナワナと手を小刻みに揺らすジェリコを、全く視界に入れず前を向いたまま答えるイオンの人を人と思わぬ発言に、ジェリコは思わず絶句して黙りこんでしまった。

「て、手厳しい……みんなもっと俺に優しくしてくんない?」

「冗談はお前の人生だけにしろ」
「第一印象がブン殴りたいって人は逆に凄いと思うよ?」
「さっさと鞭返せ。いつまで持ってる」

「手厳し過ぎるよッ!? え、イジメなのこれ?」

 まさか全員から辛辣な言葉を浴びせられると思って無かったのだろう。さすがのお調子者であるジェリコも表情に影が差し、力無い手でイオンに自身の顔を打った鞭を渡す。

「やれやれ。全く……」

 鞭を受け取ったイオンはその鞭を本来の使用法である馬に使わず、自分の荷物入れにしまう。
 そして馬に一声二声言葉を掛けると馬車の速度は徐々に落ち、やがて止まった。

「お馬鹿なハジメ君にもう一度説明してやりたいところだが、僕はお腹が減った」

イオンはお腹を何度かさすり、荷物入れを何やらゴソゴソと漁ってなにかの袋を取り出すと一度こちらを見る。

「でも、僕は優しいから食事しながら教えてあげる。良いだろ?」

 そう言ったイオンは俺の返事を待たずして御者席から飛び降り音も無く着地した。まるで猫のような軽い身のこなしに感嘆の息を吐いてしまうほどだ。

(たしかに腹減ったな……)

 そういえば、朝から何も食べていないことを思い出し不意に湧いてきた空腹感を抑えるために、俺は腹を押さえながら馬車を降りて行った。
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