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9. 記憶にございません
しおりを挟むそんな事を呟いていたら、ちょうど部屋の扉がノックされお兄様が入って来た。
「──ユディット! 目が覚めたのか!」
「お兄様……」
お兄様が慌てて駆け寄ってくる。
「突然、頭を抱えて倒れたから心配したぞ」
「ごめんなさい。でも、もう大丈夫です」
私が謝るとお兄様は静かに微笑みながら私の頭を撫でた。
「……しばらくはお妃教育も休みにして安静にしていた方がいい」
「ですが……」
「バーナード殿下が死ぬほど心配してくるぞ?」
「うっ!」
殿下の事だから、また公務の合間に突撃訪問しかねない。
“訪問”で思い出した。
「……はっ! お兄様、か、彼女……あの馬車の女性……目覚めたのですよね? どうなったのですか?」
ジュディス王女にそっくりな、とまでは言えなかった。
王女様の顔を知らないはずの私と違ってお兄様はジュディス王女の顔を知っていた。だから、お兄様は挙動不審で様子がおかしかったのだと分かる。
(生きていた……という噂が本当だった、ということ?)
でも、それならなぜ、モンテルラン王国にいるの?
今まで、どこで何をしていたの?
なぜ、我が家の馬車の前に飛び出したの? これは偶然────?
「……ユディット」
私が、そう訊ねるとお兄様がそれまでの微笑みを消して顔を強ばらせた。
「お兄様?」
「……ユディットも倒れる前に姿を見たと思うんだが、彼女……目は覚めたんだ」
「はい」
夢の中のジュディス王女とそっくりだったわ。
「だけど彼女は────」
(……え?)
私は、お兄様の言葉を聞いて驚き、目を大きく見開いた。
─────
「……はじめまして。この家の娘でユディットと申します」
「あ、えっと、はじめまして……」
私が挨拶をすると、目の前の彼女も戸惑ったように挨拶を返してくれた。
「……すみません、名乗れる名前が無くて」
「いえ、隣にいる兄から聞きましたわ。なんでも……記憶喪失……なのだとか」
私がそう口にすると、目の前の彼女は悲しそうに目を伏せた。
「…………何も、覚えていないのです。私はどこの誰で、どこから来たのか……」
彼女は不安そうな顔でそう口にした。
目が覚めて、お兄様からあの女性が記憶喪失らしいと聞いた。
名前を訊ねても、どうしてあんな所にいたのかを訊ねても全く覚えていないと口にしたという。
(まさか……記憶喪失だなんて)
これでは、彼女が本物のジュディス王女なのか、それともただの他人の空似なのか分からない。
とりあえず、直接顔を見て話がしてみたい!
そう思った私は、まだ動くな! と言うお兄様を説得して彼女の元へと向かったのだけど。
「……お世話になりました。もう、これ以上は見ず知らずの方々に迷惑をかけられません」
そう言ってジュディス王女のそっくりさんは両手で顔を覆うと泣き出してしまった。
さすがにこうも目の前で泣かれると……
(目が覚めて良かったですね、では、さようなら! という訳にはいかない……)
それに、もしも本物の王女だった場合を考えると……
お兄様と私は静かに顔を見合わせた。
「と……とりあえず、怪我……が良くなるまではこの邸で過ごすといい」
「え? 本当ですか!?」
お兄様が発したその言葉に、泣いていた女性が泣き止んでパッと顔を上げる。
(……あれ?)
私は彼女のその顔を見て違和感を覚える。
さっきまで泣いていた……のよね? 涙の跡が……え? 気のせい?
「その間にあなたがどこの令嬢なのかも調べてみようと思う」
「そ、そんな恐れ多いです……!」
「いや。どこかの家の令嬢なら、きっと行方を探しているはずだからすぐ見つかるだろう」
「ありがとう……ございます」
だけど、嬉しそうに微笑むその女性は本当に美人だった。
こうして、謎のジュディス王女のそっくりさんは、我が家で面倒を見る事になったのだけど───
❋❋❋
それから、数日後。
「え? 令嬢が行方不明になっていると言っている家はない?」
「……もちろん、全ての家に確認したわけでは無いが、今の所、捜索願を出しているような家は無い」
その日の仕事を終えて帰って来たお兄様が、またまた疲れきった顔でそう言った。
「父上の方も色々と当たってくれているみたいなんだが、どうも結果は同じらしい」
「そんな事が……?」
そうなると、彼女は平民か、もしくは本物の───
「……とりあえず、ロベリアの事はそのまま様子見だ」
「はい……」
ジュディス王女のそっくりさんの彼女、いつまでも名無しでは……ということで私達は彼女を“ロベリア”と呼ぶ事にした。
たまたま庭に咲いていた花から取った名前なのに彼女はにこにこ笑って「ありがとうございます」と微笑んだ。
「それからユディット。殿下から手紙を預かった」
「殿下からですか!?」
「ああ。お前の顔が数日間も見れていないと言って殿下は、元気をなくしてだんだん萎れていっている」
「萎……」
私達が会えていないのはここ数日、お妃教育の休みを頂いていたせいだった。
お兄様から手紙を受け取って見慣れた殿下の文字が見えると私の胸が疼いた。
(私も寂しいわ……)
「殿下は、ユディットが倒れた話をしたらかなり動揺していて、お見舞いに行く! と言っていたんだが……」
「あ……」
“ロベリア”が我が家にいるから、お兄様は全力で止めたのだと思う。
噂を知ったばかりで、かなり断定的にジュディス王女の生存を否定していた殿下だもの。
ロベリアが何者なのか分からないうちに、下手に顔を合わせるような真似をするわけにはいかないわよね……
「そういうわけで、俺が手紙の配達人を請け負ったわけだ」
「ありがとうございます、お兄様」
私も早速、返事を書いてお兄様に託そう!
私とお兄様が顔を見合せてそんな話をしていた時だった。
「……ローラン様? おかえりなさいませ」
「「!」」
ちょうどそこにロベリアが姿を見せる。
この数日で彼女は邸内を歩き回れるほど回復していた。
「玄関先で声がしましたので」
「あぁ、今日も特に収穫は無かった。すまない」
「……そうですか」
ロベリアは自分の身元に関する情報が手に入ったかが気になって部屋から出て来たけれど、何の情報も得られないと分かると、明らかにがっかりしていた。
「……あら? ユディット様、手に持っているそれは……手紙、ですか?」
ロベリアは私が手に持っていた殿下からの手紙を見つけたのか、訊ねてくる。
「え、ええ……」
「もしかして! 婚約者の方からのお手紙ですか? 素敵ですね! 羨ましいです!」
目を輝かせたロベリアが私にずんずんと近付いて来る。
「ユディット様の婚約者の方って“王子様”なんですよね? さすが、公爵家の令嬢は違いますよねー……本当に羨ましい……」
「え?」
なぜ、ロベリアがこうも興味津々に近寄ってくるのかが分からず、私はたじろいだ。
「───王子様…………殿下からの、手紙……ね」
一瞬、ロベリアが目を伏せて小さな声で何かを呟いた。
「ロ、ロベリア?」
ロベリアはパッと笑顔になって私に訊ねる。
「あ、ユディット様! 王子様からの手紙って、やっぱり高級な紙とか使われているんですか?」
「……え?」
「見てみたいです~」
「え、ちょっと……!」
そう言ってロベリアが私の持っている手紙に手を伸ばそうとする。
「お、おい! ロベリア!」
お兄様もさすがに何をしているんだ、と、止めに入ろうとした。
「えー? もちろん中身は読みませんよ? ただ、どんな手紙なのかを見たかっただけで──……」
いいじゃないですか、減るものでもないですし……と、ロベリアは平気な顔で口にする。
(な、なんなの? この人……)
ここ数日間を共に過ごす中で初めてみるロベリアの表情だった。
そして、あまりの発言に呆気に取られて油断してしまい手紙が奪われてしまう。
「わ~、やっぱり高級そうですねぇ……」
しまった、と思った私は慌てて手を伸ばす。
「か、返して!」
「え? そんなに焦らなくても返しますよ、ユディット様。だから引っ張らないで下さ…………あっ!」
「っ!!」
ビリッ
その瞬間、手紙からは破けたような……そんな音が聞こえた。
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