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本章

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 玄関を開けると、リビングの扉は開けっぱなしになっていて、部屋からはひとの気配を感じた。

「願子? どうしたこんな朝早く。出かけてたのか?」

 お父さんがシャツに袖を通しながらリビングから出てきた。

「うん、早く起きちゃって。せっかくだから走ってきた。お父さんも早くない? もう仕事行くの?」

 まだ五時を少し過ぎたくらいだ。


「ああ、今日は現場に直行なんだよ。少し遠い場所だから、早めに出ないと間に合わないんだ。前乗りしても良かったんだけど、それも面倒でね」


 話しながらリビングを通りキッチンに行くと、お父さんの朝食は既に用意されていた。
 お母さんはお父さんが早く出るからと言って一緒に起きてきたりはしない。なんなら普段でも、お父さんに起床時間を合わせてはいない。
 お父さんがそれを望んでいないからだ。
 それぞれが、それぞれの都合でやることをやるのだから、合わせなくて良いと言うことらしい。
 なのでお母さんは次の日の朝食を夜のうちに用意している。お父さんは朝食の用意もしなくて良いと言っていたが、こっちはお母さんの方の考えで、必ず用意している。

 それぞれの主張を押し付け合わず、それぞれへの強要や干渉はなるべく少なく、それぞれを尊重しあっているような関係性に、少しドライさを感じながらも、お父さんとお母さんらしい在り方で、今更ながらなんだか好感が持てた。


 冷蔵庫からリンゴジュースを出し、コップに注いで一気に飲んだ。

「シャワー使わないよね?」

 念の為に訊いた。

「ああ、洗面所ももう使わないから入っちゃって良いぞ。歯磨きはキッチンでするよ」


「うん、ありがとう。あ、あと......」


 朝食を食べ始めていたお父さんがこちらを向いた。


「もう知っているかもしれないけど。安達さんから返事きた。採用してくれるって」

「そうか、おめでとう」

「うん。お父さんが繋いでくれたから。ありがとう」


 この企画が動き出して、安達さんとのアポイントが決まった時にも、祷と一緒に、わたしの口からもお父さんにお礼の言葉は伝えてあった。

 でも、もう一度言いたかった。

 今のわたしの気持ちで改めて。

 すべてが、わたしに関わってくれたひとたちのお陰であることを、改めて実感し、それを言葉にして他者に伝えた、今のわたしの言葉で。


「俺は担当者の情報を調べて祷に伝えただけだよ。広報部長に『よろしく』くらいは言ったかもしらんが、他意のない挨拶だし、実際なんら強制力や忖度があったわけじゃない」

 
 広報部にとっても、担当にとっても、仕事のうちのひとつだった。
 だから無理なことや無駄なことはしていない。
 有益だと思えたなら、仕事なのだから当たり前に時間を割くし、効果まで見込めるなら、採用し予算だって組むだろう。


「会うに値すると思わせる内容を祷が伝えたからアポイントになったのだし、採用し予算をかけるに能うと判断するプレゼンを願子がしたから、得られた結果だ」

 企業も社員も基本的には損得で動くものだ。向こうは向こうの都合と判断で益があると評価したのだ。益を提供できるものを作り上げた自分たちを誇れば良い。礼など無用だと、相変わらずドライなことを言うお父さん。


「それでも、お父さんが繋いでくれた縁のおかげで辿り着けた結果だから。お礼言いたかったの。ありがとう。
忙しいのは知ってるし、遠いから大変だと思うけど、イベントの日できれば観にきて欲しい」


 お母さんと一緒に。


 そう言って、わたしは返事も聞かずにシャワーを浴びに行った。



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