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第四章:一世一代の商談

幕間13:貧相な建前

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 ミカエリアの中心から外れた川辺。昼間でも人通りが少なく、一人になりたいときには打ってつけの場所だ。

 俺は昨日の“供物”を燃やす。灰が風に攫われて、どこへともなく飛んでいく。気休めでしかないけど、俺にできる贖罪なんてこれくらいしかない。

 都会の奴らなんてちょろいもんだ。俺なんかの手品で目をキラキラさせるんだから。去年の冬にミカエリアへ来て、春を迎えた。路上でも、孤児院でも、老若男女、俺の手品に魅入ってた。

 バカバカしい。俺みたいな奴の子供騙しで幸せそうな顔するんだ。どうかしてる。

 なにも背負うものがない奴らは、安穏と日々を過ごす。その中にちょっと刺激を差し込むだけで、簡単に満足しちまうんだ。

「……あの笑顔も、拍手も、俺なんかにあげんなよ。バカばっかで嫌になる」

 得意げに披露している手品は、俺のものじゃない。譲り受けたーーいいや、違うね。人から奪ったものだ。だから、称賛されるのは俺であってはならない。

 けど、それを話したからってどうなる? なにかが変わるのか? 観客は観客でしかない。俺の事情なんて知ったこっちゃない。

 退屈が紛れる。そんな考えの、怠惰で身勝手な観客には反吐が出る。でも、出しちゃいけない。エンターテイナーは真摯であるべきだ。どんなクズ共だろうが、観客である以上楽しませる。

 ーーそう教えてくれただろ。

「……なに勝手に死んでんだよ、ボケ」

「死者をなじるのは感心しないね」

 突然聞こえてきた声に振り返る。そこにいたのは、あの日のエルフ。確か名前は……。

「オルフェ、つったっけ」

「あれ、どうして僕の名前を?」

「リオちゃんが言ってたから。つーかこんな場所になんの用だ? 川しかねぇんだから帰った方がいいぜ」

「生憎、帰る場所は作らない主義でね。隣に座ってもいいかい?」

「好きにしな」

 こいつ、読めない。なにを考えてんのかちっとも掴めやしない。観客みたいに単純な頭してりゃあ愛想くらい振り撒けるんだがな。

 だからこそ、なにを話してもいい気がした。後腐れなさそうだし、こいつ自身もそういう関係しか望んでいないように思える。

「ここでなにをしていたの?」

「……供養、かねぇ」

「ボケ、なんて言う人に?」

「そう。無責任なボケに供養してたんだよ」

 あいつが死ななけりゃ、俺がこんなことしなくて済んだのに。自分の役目をなんだと思ってたんだ。あいつにしかできないことなのに。どうして俺に任せたりしたんだ。

「大切に思っていたんだね」

「……そりゃな。尊敬してたからさ」

「故人は生前なにをしていたの?」

「……俺がいまやってること。すげぇ奴だったのに、放り出して死んだんだ。俺に任せるっつってさ。だからやってんだよ。才能がないのに」

 俺がやってることは、全部あいつがやるべきだった。なのに、いつの間にか死んで、その上役目を俺に押し付けて。自分勝手にも程がある。

 オルフェはなにも言わない。視線は感じる。目は見れなかった。見透かされそうだったから。

 ーー見透かされたから、なんだっていうんだ?

 後腐れない関係にしたいのは俺もオルフェも同じ。だったら目を見れるはずだ。なのに、どうして避ける? その問いは俺の中にしかない。

 オルフェはため息を吐く。

「貧相な建前だ」

「はあ?」

 たまらずオルフェを見る。その瞳には苛立たせるようななにかが灯っていた。軽蔑か。違う。これは哀れみだ。拳を握る俺のことなど関係ない、オルフェは続けた。

「才能がないのにやっている? 本当にそう思うなら、突っ撥ねてしまえばよかったんだ。自分以外に適任がいると思うなら、その人に押し付けてしまえばよかったんだ」

「死んだ奴の想いを蔑ろにしろってのか?」

「その選択肢もあった。でもきみは選ばなかった。だから聞かせて。きみはなぜ、エンターテイナーを演じている?」

「なぜって……」

 ーーあれ? なんで……なんでだ?

 怒りが急速に引いていく。代わりに胸を満たしたのは、疑念。俺自身への猜疑心だった。

 オルフェの言う通り、俺は選べたはずだ。あいつの願いを突っ撥ねて、どこかへ姿をくらますことだってできた。なのにどうしてエンターテイナーで在ろうとする? 贖罪……の、つもりだった。

 贖罪じゃないなら、俺はなんでこんなことを続けてるんだろう。

 早鐘を打つ心臓に手をやる。息も微かに乱れていた。

「見て見ぬ振りをするなら止めはしない。けれどきみが目を逸らした現実は、ずっときみを苦しめる」

「……お前は俺のなにを知ってんだ?」

「知ってるわけじゃない。“わかる”だけさ。安物の張りぼてに隠れて生きるのは僕も同じだから」

「俺はそんなつもり……」

「ない、と思い込んでいるだけだよ。本当に違うなら、きみは役者になるべきだ。でも、人間はそれほど器用な生き物じゃない。僕は知っている」

 わかったような口を利くオルフェ。けど、その顔には確かなものが映っているように見えた。人間の不器用さを間近で見た、とでも言いたげな顔だ。

 怒りはもう、腹の底からも消えてしまった。適当なことを言ってるわけじゃないと、直感が告げたから。

 オルフェは立ち上がり、背を向ける。話は終わりのようだ。

「お節介だけど、小言を一つ残しておく。恐怖を乗り越えて、張りぼての裏側を見てごらん。“ギル・ミラー”はそこにいるはずだよ」

「……へいへい、ご忠告どーも」

 オルフェの言葉は耳が痛い。小言と言ったが、悪意はない。俺のことをある程度見透かして、その上で諭すような言葉を突きつけてくる。

 けど、優しさとも違う。寄り添うわけではなく、導くわけでもなく、ただそっとしるべを残すだけ。そこに進むかは、俺に選ばせるつもりだ。

 オルフェが去った後、一人。まだ燃やしていなかった写真を見る。屈託のない、いい笑顔だ。それが俺に向けられている。そう。この笑顔は、俺が貰ったものなんだ。

「……“ギル”、お前はどうしたい?」

 問いかけて、笑う。俺が尋ねたって、答えを返すのは他でもない俺自身。

 ーーいつか、答えを出せる日が来るのかね。

 答えが出るまで、写真は胸のポケットに仕舞っておくことにした。
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