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第四章:一世一代の商談

39:私だけの言葉

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 暗がりは熱気に包まれている。愛情と期待の混じった空気、覚えがある。私、なにしてたっけ? ここはどこ?

 周りを見てもなにもない。懐かしい空気だけが、ここにはあった。真っ暗闇なのに、不思議と怖くない。夢でも見てるのかな?

 そんな折ーーどこからか光が差した。それは遥か遠く、ある一点を照らしている。空気が爆発した。割れんばかりの喝采が鼓膜を貫き、たまらず耳を覆う。

「……!? え、え? 嘘……!」

 聞き覚えのあるイントロ。高揚感が鳥肌を立てる。生前、何度も何度も聞き返した歌声が飛び込んできた。

 光の中には七人の男の子。華やかな衣装に身を包み、マイクを握って弾むようにステップを踏んでいる。

 間違いない。光に照らされているのは、セブンスビートの面々だ。この空気はライブ会場のものだったのか。ファーストライブに行くことは叶わなかったけど、この際夢でも幻覚でもいい。

 通勤時間に応援してくれた歌、仕事でミスした夜に寄り添ってくれた歌……私の人生の一部になっていた音楽が、目の前にある。

 隣の人がサイリウムを振り上げる。私も釣られて腕を上げた。歓声に負けないくらい、大きな声を届ける。

 セブンスビート最高! 大好き! 一生応援してる……!

 =====

「ーーオ、リオ!」

「ふがっ……んぇ……?」

 頬を叩く音と同時、男性の声が聞こえてきた。重たいまぶたをこじ開けると、うん。切羽詰まった顔貌が飛び込んでくる。イアンさんだ。

 なにこの状況? 起こしにきたのかな。幼馴染みみたい。でも起こしに来るのって普通女の子だよね、私のはずだよね。なんで私が起こされる側?

 いまだ夢見心地の私に、イアンさんはため息を漏らす。

「もう昼前だぞ。いつまでも起きてこねぇから心配した」

「うっそぉ……おはようございます、ご迷惑おかけしました……」

「いや、いい。随分幸せそうな顔してたから、起こしていいか迷ってた俺も悪い」

 そんなにだらしない顔を見せていたのか、私。恥ずかしくなってきた。大丈夫だろうか、ちゃんと女の子の寝顔だったかな……。

 っていうか、幸せそうな顔? どんな夢見てたんだっけ。確かーー

「……アアアァアアァアァア! ウワァアァア!」

 イアンさんが飛び退いた。それくらい大きな声だった。そりゃこんな声も出ますよ。箱推しアイドルの夢を見てたんだから!

 セブンスビートが! いた! ライブしていた! 私と目が合った! 手を振ってくれた! そんな幸せな夢を邪魔したのはあなたか!? あなただな!

 叫びながら枕を持って飛びかかる私。ごめんなさいとは思ってる。でも仕方ないと思ってほしい。絶対に許さない、その気持ちを枕に乗せて叩きつける。イアンさんがなにか訴えているがそんなのは関係ない。

 アンコール! アンコールの前まででよかった! 熱が高まってきたタイミングで現実に戻される私の気持ちがわかるか! わかるはずがない! あなたもアイドルにハマってしまえ! ドルオタなら誰もがわかるはずだ! 知らぬなら! 教えてやろうか! この無念!

「ーーいて! リオさん! 落ち着いてください!」

「ワアアアァァアァァァア……! ……え? え、え? エリオットくん……? おはよう……」

 その声は背中から聞こえてきた。正気が帰ってくる、おかえりなさい。いやそれより、エリオットくんに羽交い締めにされている。なんで?

「ようやく離れたか……びっくりさせやがってこの野郎……」

 イアンさんが恨むような目で私を睨む。ああそうだ、枕でボコボコにしていました。幾らなんでも余裕がなさすぎた。

「失礼致しました……寝起きで動揺していたみたいです……」

「いや、いい……相当幸せな夢だったんだろうってわかったからよ……」

「え、寝起きで……?」

 戦慄の顔を向けてくるエリオットくん。きみには見せたくなかったよ、こんな姿。お姉ちゃん代わりでいたかったよ。ドルオタの痛ましい姿なんて知らなくてもよかったのに。

 ひとまずは落ち着いて、遅めの朝食を摂ることにする。なにはともあれお腹が減っていたら話にならない。

「そうだ、リオさん」

「ハァイ……」

「な、なんでそんなこの世の終わりみたいな顔を……?」

「ううん、なんでもないの……それで、どうしたの?」

「アイドルについて、教えてくれませんか?」

 真っ直ぐな瞳のエリオットくん。私はどもりながら尋ねる。

「お、教えていいの?」

「はい! どんなアイドルになればいいのか、ぼくには判断がつかないから、参考にしたいなぁって」

 この子、なんて健気なんだ。真面目が過ぎる、向上心の塊か。落ち着いて、牧野理央。教えるならば冷静に。熱を持って語れば怖がられること請け合いだ。

「そ、それじゃあ、話していくね……」

 感情が入り過ぎないように、丁寧に語る。センターの加賀谷大地くんはとにかく天真爛漫、一生懸命な子。彼の隣に立つことが多い南雲空くんは穏やかで理知的で、なにかと危うい加賀谷くんをフォローしたり……。

 そんな風に、思い出を掘り起こしながら、私が夢中になったアイドルの姿を伝えていく。エリオットくんは、うんうんと頷いてはメモを走らせていた。イアンさんも頬杖をつきながらではあるが、真面目に聞いてくれていた。

 そうして、セブンスビートについて語り尽くす。エリオットくんはキラキラした眼差しで私を見つめた。

「すごいです……! アイドルって! ぼく、なれるかな……」

「エリオットくんにその気があれば、絶対なれるよ。私が目をつけたんだもん、大丈夫」

「提案したのは俺だけどな」

 イアンさんはニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。私はもっと前から目をつけてました~、この子は美少年の可能性を秘めてるって思ってましたも~ん。

「他の人には声かけたんですか?」

「それが……」

 アレンくん、ギルさん、オルフェさんに声をかけたことを話す。アレンくんは両親の許可待ち。ギルさんとオルフェさんには断られたことを伝えた。

 エリオットくんは心配そうに眉を下げる。そうなるよね、頼りないマネージャーでごめんね。

「リオさん、どんな風に声をかけたんですか?」

「あなたが欲しい、かな……」

「……それだけ?」

「うん……」

 エリオットくんは顎に手を当てて俯く。なにか考えがあるのかな。こんな年下っぽい子にフォローさせるなんて、情けないな。

「さっき話してくれたアイドルのこと、みんなが言ってたことですか?」

「え……? うーん、みんなが言ってたこともあるけど、私から見たみんなって感じかな……」

「だったら、それを伝えましょう! みんなから言われてるような言葉じゃなくて、リオさんだから言える言葉で! そうしたら、きっと特別なものに感じるはずです!」

 私だから言える言葉……?

 アイドルを見る目は肥やしてきた。だから、目に見えるものだけでなく、そこに隠れたものも見ることはできるはず。

 誰もが言えることじゃない。私だから言える、その特別さを知ってくれたなら。少しは揺らいでくれるかもしれない。

 思い出して。私は元社畜。合言葉はなんだ? 声に出せ、言霊を信じろ。

「ケセラセラ……」

「あ?」

「なるようになる、っていう意味です。やってみれば、なるようになる。やってみなきゃ、なるものもならない」

 イアンさんは怪訝そうに私を見つめている。エリオットくんに目をやると、安心させられたかな、笑顔を見せてくれた。

「やってみる。私にしか言えない言葉で、もう一回スカウトしてみるよ」

「……はい! 頑張ってください!」

「ま、フォローは任せろ。部下のケツは上司が拭くもんだからな」

 イアンさんも協力してくれるなら、恐れも躊躇も要らない。アレンくんはともかく、ギルさんとオルフェさんは絶対に口説き落としてみせる。

 まずは二人の情報を掻き集めることから。上辺だけの言葉で契約は取れない。心からの口説き文句を紡ぐために駆け出す。

 この人生は、妥協せずに謳歌してやる。その決意さえ失くさなければいいんだ。
 
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