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五章
冷たい影の穴の中で…。 その2
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「最悪だわ…!」
アリアが苦々しそうに言った。
セリアがその端正な顔に不安を点らせて、アリアに向き直る。
「またこの道かよ…!」
ランディはさらに苦しそうな表情でその言葉だけを発した。
セリアと出会って、しばし休んだ。
小一時間ほどして野営を解いて、地上とおぼしき方角へ進んだ。
しかしながら、彼女たちが太陽に近づくことはなかった。
あのセリアと出会った場所にまた戻ってきてしまった。
もう三回目である。
いい加減、行けそうな道はなくなっていた。
「だけど、ここが閉鎖された空間というのも考えづらいわ。どこかにまだ私たちが見つけていない道があるか、それともなんらかの隠し扉があるはずだわ」
アリアはそう言ったが、自分で言っときながら半信半疑だった。
なにせ、崩れた建物がある。
かつてはその建物の中にそう言ったものがあったかも知れない。
地上へと続く道があったかも知れない。
しかし、それらは崩れた建物の下敷きになっているかも知れない。
この迷宮内でそれらが起こっている確率はそれほど低いとは思えないのだ。
「わたしたち…ここから出られないんでしょうか?」
今にも泣き出しそうな顔つきでセリアが言う。
そんな表情をされると、アリアとしても辛い。
自然アリアはセリアの細い身体を抱きしめていた。
「…大丈夫…大丈夫…きっとなんとかなるから。どこかに地上に出るための道があるはず。地上へ出たら温かいお湯で身体を拭いてあげる。そして、美味しいものを食べて、服も買いに行こう。わたしが似合うのを選んであげる…!」
そういったやりとりをランディは横目で見ていた。
何か声をかけるでもなく、ただそのやりとりをジッと見ていた。
「あの、何か聞こえませんか?」
今まで泣きそうな顔つきをしていたセリアの表情にやや怖々としたものが差した。
ランディとアリアは耳を澄ませて、セリアが聞いた音を拾おうとしていた。
確かに聞こえる。
金属のこすれるような音。そして、雑踏。
なにか人の群れがこちらに向かってきているのだろうか。
もしかしたら自分たちと同じように迷った冒険者かも知れない。
だが、それにしては松明やランタンの明かりは見えない。
そして、冒険者にしては足音の数が多いような気がした。
「おいおい…! 最悪かもな…!」
ランディが舌打ちした。
そのフローズン・シャドウホールの闇の奥から現れたのはいく人もの冒険者や《深きから忍び寄るものたち》とおぼしき姿形をした者たちだった。
ただ、皆一様に目に生気はない。
目であった場所は、まるでくりぬかれた空洞に闇が詰まっているかのような趣である。
そして、わずかな邪悪な鈍い光がその眼の穴の奥から差してきているのみである。
「《闇魂憑依屍鬼》…!」
憎々しげにアリアは言う。その場にいた誰しもが、その運命を呪わずにはいられなかった。
◆◇◆
走った。三人はとにかく走った。
その場所がどこなのかどちらへ向かっているかなどはどうでも良かった。
とにかく目の前に現れた《闇魂憑依屍鬼》たちを巻かなければならない。
その思いだけでアリアとランディとセリアは走った。
《闇魂》という存在がいる。
このフローズン・シャドウホールのような迷宮の比較的奥深くに存在する。
その性質は闇そのものとも言われている。
その《闇魂》が迷宮内で倒れた者たちに憑依して自在に操っている存在のことを《闇魂憑依屍鬼》と呼んだ。
ただの《死人》とは違い、こちらは知能があり、生前の技能なども使ってくる。
もしも剣の達人がこの《闇魂憑依屍鬼》と化した場合は生前と同じような動きで生者を追い詰めてくるだろう。
それゆえにどうしても一筋縄ではゆかず、かなり厄介な相手として認識されている。
そういった魔物の一団に出くわしていた。
数は十数体ほど。
こちらとしては戦えないであろうセリアを含めて三人。
相手の強さも分からない。
戦う理由もない。
何よりも数が多すぎる。
逃げの一手を選択し、今はただがむしゃらに逃げていた。
厄介なことに相手はこちらを認知して探しているような動きを示している。
動きも普通の人間と同じような速度である。
走っていれば、どこかで追いつかれるかも知れない。
ここは崩れた神殿の瓦礫の影にでも隠れるしかないだろう。
自然、大きな柱の陰に三人は隠れた。
アリアはセリアをかばうようにして抱き締めていた。
腕を通してこの小さな身体を震わせているのが分かる。
どれだけ怖い思いをしているのか。
いきなりこんな場所に飛ばされ、名前を含めた記憶もなくし、今また知能ある死者の群れに追いかけ回されている。
それが不安でないはずがない。むしろ、失禁したり、気を失わずにいるだけ気丈だとさえ思えるのだ。
影から様子をうかがう。
二体の《闇魂憑依屍鬼》がこちらを探している。
傍らにいるランディの袖を引っ張り、彼の耳元でアリアは囁くようにして提案した。
「やる?」
「…だめだ。俺たちがあいつらを襲えば、音が出る。特にアリア。お前のムチはとてつもない音が出る。それを聞きつけたここにはいない《闇魂憑依屍鬼》が大挙してやってくるぞ!」
「だけどどうするの?」
「やり過ごすんだ…」
「どうやって? いずれこのままでは見つかってしまう!」
アリアが訊ね返すと、ランディは足下を指さした。
そこには倒壊した柱が重なり、人が一人なんとかくぐれるほどの穴が見えていた。
「そこに隠れろ。もしかしたら神殿の中に入れるかも知れない。そこでしばらく隠れるんだ。アリア、お前はセリアを連れてそこに身を隠すんだ…!」
小声かつしっかりとした声でランディは言った。
「あなたはどうするの…!? バカなことは止めてよね…!」
アリアが怒ったようにも見える顔つきで言った。
「生憎とそこは小さい穴だ。俺の身体は入りそうにない。いいか、良く聞け…アリア…! 俺が飛び出してあいつらを引き寄せて、別な場所に誘導する。その間隠れてやり過ごせ」
「ダメよ…! それなら私も一緒に…!」
「そんなことをしたらセリアが一人になっちまうだろ…! お前は色々と彼女とした約束があるだろうが…!」
そう言って、半ば強引にランディはアリアとセリアの身体を穴の中に押し込める。
そして、松明を片手にした。
「俺もなんとか巻いて逃げてみせる。まあ、なんとかなる。こんなクソみたいな迷宮で死んでたまるか!」
「…」
「じゃあな、アリア」
そう言って、ランディは柱の影から飛び出した。
穴の中でセリアと抱き合いながらその背中が闇の中に消えていくのを見守った。
「…なによ。逃げるとか言ってるくせに『じゃあな』とか言わないでよ…!」
目をつむり、声を必死に殺して、アリアは嗚咽が漏れないようにこらえていた。
その胸元辺りで、セリアは何かが自身の頬に落ちてくるのに気づいていたのだった。
アリアが苦々しそうに言った。
セリアがその端正な顔に不安を点らせて、アリアに向き直る。
「またこの道かよ…!」
ランディはさらに苦しそうな表情でその言葉だけを発した。
セリアと出会って、しばし休んだ。
小一時間ほどして野営を解いて、地上とおぼしき方角へ進んだ。
しかしながら、彼女たちが太陽に近づくことはなかった。
あのセリアと出会った場所にまた戻ってきてしまった。
もう三回目である。
いい加減、行けそうな道はなくなっていた。
「だけど、ここが閉鎖された空間というのも考えづらいわ。どこかにまだ私たちが見つけていない道があるか、それともなんらかの隠し扉があるはずだわ」
アリアはそう言ったが、自分で言っときながら半信半疑だった。
なにせ、崩れた建物がある。
かつてはその建物の中にそう言ったものがあったかも知れない。
地上へと続く道があったかも知れない。
しかし、それらは崩れた建物の下敷きになっているかも知れない。
この迷宮内でそれらが起こっている確率はそれほど低いとは思えないのだ。
「わたしたち…ここから出られないんでしょうか?」
今にも泣き出しそうな顔つきでセリアが言う。
そんな表情をされると、アリアとしても辛い。
自然アリアはセリアの細い身体を抱きしめていた。
「…大丈夫…大丈夫…きっとなんとかなるから。どこかに地上に出るための道があるはず。地上へ出たら温かいお湯で身体を拭いてあげる。そして、美味しいものを食べて、服も買いに行こう。わたしが似合うのを選んであげる…!」
そういったやりとりをランディは横目で見ていた。
何か声をかけるでもなく、ただそのやりとりをジッと見ていた。
「あの、何か聞こえませんか?」
今まで泣きそうな顔つきをしていたセリアの表情にやや怖々としたものが差した。
ランディとアリアは耳を澄ませて、セリアが聞いた音を拾おうとしていた。
確かに聞こえる。
金属のこすれるような音。そして、雑踏。
なにか人の群れがこちらに向かってきているのだろうか。
もしかしたら自分たちと同じように迷った冒険者かも知れない。
だが、それにしては松明やランタンの明かりは見えない。
そして、冒険者にしては足音の数が多いような気がした。
「おいおい…! 最悪かもな…!」
ランディが舌打ちした。
そのフローズン・シャドウホールの闇の奥から現れたのはいく人もの冒険者や《深きから忍び寄るものたち》とおぼしき姿形をした者たちだった。
ただ、皆一様に目に生気はない。
目であった場所は、まるでくりぬかれた空洞に闇が詰まっているかのような趣である。
そして、わずかな邪悪な鈍い光がその眼の穴の奥から差してきているのみである。
「《闇魂憑依屍鬼》…!」
憎々しげにアリアは言う。その場にいた誰しもが、その運命を呪わずにはいられなかった。
◆◇◆
走った。三人はとにかく走った。
その場所がどこなのかどちらへ向かっているかなどはどうでも良かった。
とにかく目の前に現れた《闇魂憑依屍鬼》たちを巻かなければならない。
その思いだけでアリアとランディとセリアは走った。
《闇魂》という存在がいる。
このフローズン・シャドウホールのような迷宮の比較的奥深くに存在する。
その性質は闇そのものとも言われている。
その《闇魂》が迷宮内で倒れた者たちに憑依して自在に操っている存在のことを《闇魂憑依屍鬼》と呼んだ。
ただの《死人》とは違い、こちらは知能があり、生前の技能なども使ってくる。
もしも剣の達人がこの《闇魂憑依屍鬼》と化した場合は生前と同じような動きで生者を追い詰めてくるだろう。
それゆえにどうしても一筋縄ではゆかず、かなり厄介な相手として認識されている。
そういった魔物の一団に出くわしていた。
数は十数体ほど。
こちらとしては戦えないであろうセリアを含めて三人。
相手の強さも分からない。
戦う理由もない。
何よりも数が多すぎる。
逃げの一手を選択し、今はただがむしゃらに逃げていた。
厄介なことに相手はこちらを認知して探しているような動きを示している。
動きも普通の人間と同じような速度である。
走っていれば、どこかで追いつかれるかも知れない。
ここは崩れた神殿の瓦礫の影にでも隠れるしかないだろう。
自然、大きな柱の陰に三人は隠れた。
アリアはセリアをかばうようにして抱き締めていた。
腕を通してこの小さな身体を震わせているのが分かる。
どれだけ怖い思いをしているのか。
いきなりこんな場所に飛ばされ、名前を含めた記憶もなくし、今また知能ある死者の群れに追いかけ回されている。
それが不安でないはずがない。むしろ、失禁したり、気を失わずにいるだけ気丈だとさえ思えるのだ。
影から様子をうかがう。
二体の《闇魂憑依屍鬼》がこちらを探している。
傍らにいるランディの袖を引っ張り、彼の耳元でアリアは囁くようにして提案した。
「やる?」
「…だめだ。俺たちがあいつらを襲えば、音が出る。特にアリア。お前のムチはとてつもない音が出る。それを聞きつけたここにはいない《闇魂憑依屍鬼》が大挙してやってくるぞ!」
「だけどどうするの?」
「やり過ごすんだ…」
「どうやって? いずれこのままでは見つかってしまう!」
アリアが訊ね返すと、ランディは足下を指さした。
そこには倒壊した柱が重なり、人が一人なんとかくぐれるほどの穴が見えていた。
「そこに隠れろ。もしかしたら神殿の中に入れるかも知れない。そこでしばらく隠れるんだ。アリア、お前はセリアを連れてそこに身を隠すんだ…!」
小声かつしっかりとした声でランディは言った。
「あなたはどうするの…!? バカなことは止めてよね…!」
アリアが怒ったようにも見える顔つきで言った。
「生憎とそこは小さい穴だ。俺の身体は入りそうにない。いいか、良く聞け…アリア…! 俺が飛び出してあいつらを引き寄せて、別な場所に誘導する。その間隠れてやり過ごせ」
「ダメよ…! それなら私も一緒に…!」
「そんなことをしたらセリアが一人になっちまうだろ…! お前は色々と彼女とした約束があるだろうが…!」
そう言って、半ば強引にランディはアリアとセリアの身体を穴の中に押し込める。
そして、松明を片手にした。
「俺もなんとか巻いて逃げてみせる。まあ、なんとかなる。こんなクソみたいな迷宮で死んでたまるか!」
「…」
「じゃあな、アリア」
そう言って、ランディは柱の影から飛び出した。
穴の中でセリアと抱き合いながらその背中が闇の中に消えていくのを見守った。
「…なによ。逃げるとか言ってるくせに『じゃあな』とか言わないでよ…!」
目をつむり、声を必死に殺して、アリアは嗚咽が漏れないようにこらえていた。
その胸元辺りで、セリアは何かが自身の頬に落ちてくるのに気づいていたのだった。
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