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第十一章 呼ぶ声は耳を掠めて
#2
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エディリーンは涼しい顔でこちらを見下ろす二人を、ぎりりと睨み上げる。
「ああ、お前もいたんだ、零番目」
少年は酷薄そうな笑みを浮かべる。
「あれが例の連中か、エディリーン嬢」
ユリウスがシャルロッテ姫を庇いながら、エディリーンとアーネストの元へ合流する。
エディリーンは黒ずくめの二人から目を離さずに首肯する。寒さが堪える季節ではないとはいえ、濡れ鼠では身体が冷えてしまう。シャルロッテは寒さか、はたまた恐怖からか、小さく震えていた。
「まあいいや、お前はまた今度ね。今は……」
言いながら少年は、抱えていた漆黒の表紙の魔術書を開く。それは、マナを操る才を持たない人間が見ても明らかな禍々しさを感じられるほどの、どす黒い気を放っていた。
少年は左手で本を支え、開かれた頁の上に右手をかざす。すると、そこから黒い野犬――否、狼のような形をしたものが、何体も飛び出した。その数、ざっと十数体。
「シャルロッテ王女、悪いけど、あんたにはここで死んでもらうよ」
その言葉を合図に、狼の群れが一斉に飛びかかってきた。
エディリーンは咄嗟に周囲の雨粒を集め、厚い水流の壁を前面に打ち立てる。何体かはそれに阻まれたが、突破した二体ほどが姫にその牙を向ける。
だが、王子とその近衛騎士が、凶行を許しはしない。二人の剣が、狼の身体を狙い違わず切り裂く。
しかし、黒い体液を散らしながら地面にのたうったと思った黒い獣の傷は、瞬きの間にふさがり、再び起き上がった。
獣が脚に力を込め跳躍する前に、エディリーンはその懐に飛び込むようにして手を伸ばす。鉤爪が服の袖を掠め、肌に赤い筋と痛みが走るが、構ってはいられない。自分の指が狼のような獣に触れるかどうかの刹那、エディリーンはそれを構成する核を見つけ出し、力を込める。
獣はびくりと身体を痙攣させ、霧のように霧散した。残っていた獣も向かってくるが、同じようにそれぞれ剣で斬り、怯んだ隙にエディリーンが核を散らす。
「――!? なんなのだ、これは!」
ユリウスが驚愕の声を上げる。エディリーンにもこれが何なのか正確にはわからないが、何らかの魔術的なものであることは確かだ。そして、先日まで見えた靄のような精霊と気配は似ているが、これは斬ることができる。つまり、実体があるということだ。
「へえ、やるじゃん。でも、これで終わりじゃないよ」
少年が魔術書を掲げると、再び黒い獣が形作られていく。
視界の隅に、同じくこちら側の岸に残されていたニコラとレーヴェの近衛騎士たちが獣に襲われているのが見えたが、助けに行く余裕はない。
「あいつらの相手はわたしがやる。あんたたちは逃げろ」
エディリーンは素早くアーネストに囁いた。この近くにはグレイス家の屋敷がある。あの少年たちから逃げることも先決だが、このまま雨に濡れていてはどうにかなってしまう。まずはどこか屋根の下で、王子王女の身の安全を確保しなくてはならなかった。
アーネストは束の間逡巡したようだが、微かに首を縦に振った。どのみち、自分たちではあの魔術師の相手はできないと判断したのだろう。
「勝算はあるのか?」
「当たり前だ。わたしはあんたと違って、自分の命を犠牲にして王子を助ける義務なんてないからな」
空中の少年たちから目を離さずに言ったエディリーンにもう一度頷きを返すと、アーネストは王子王女を促して、街道から逸れた山道に入っていく。
「おっと、行かせないよ」
少年は当然のようにその背に追撃を放とうとするが、エディリーンは思い切り地面を蹴ってその眼前まで跳躍する。
「それはこっちの台詞だ」
エディリーンは懐に手を入れ、細い銀の鎖の束を取り出した。それは生き物のように少年の周囲を取り巻き、その身体を縛る。
「はっ、こんなもの――」
少年は拘束から逃れようとするが、
「流れ堰き止め、地に縫い留めよ!」
エディリーンが言霊を放つと、少年は一切の力を失ったように全身を硬直させ、重力に引かれるまま落下した。
少し離れた所で傍観していたもう一人の黒ずくめの青年がその後を追って急降下し、少年が地面に激突する寸前でそれを受け止める。
絡まった鎖に指をかけるが、簡単には解けそうにないことを悟ると、そのまま少年を抱えて木立の向こうへ飛び去った。
ややあって、彼らの気配が消える。本当に遠くへ去ったのか、隠蔽の術か何かを使ったのか定かではないので、まだ油断はできないが、エディリーンはひとまず緊張を解いた。
あの鎖は、マナの流れを滞らせ、魔術の発動を封じる術式を込めたものだった。初めて、しかもあまり時間がない中で作ったものだから成功するかわからなかったし、術の構築も不安定でいつもの無詠唱が使えず、言霊を必要としたが、上手くいったようで助かった。
ニコラ達を襲っていた獣も消えて、彼らは息も絶え絶えに、呆然としていた。
「……大丈夫か?」
ニコラと近衛騎士団の騎士は、腹部や肩から血を流していた。雨に流れてどの程度の出血か正確にはわからないが、軽傷ではなさそうだ。
「はい。ここはわたしが引き受けます。あなたは殿下方を」
クロードだけが比較的軽傷だったようで、布をかき集めて彼らの手当てをしていた。
「わかった」
エディリーンは踵を返し、アーネストたちの後を追った。
「ああ、お前もいたんだ、零番目」
少年は酷薄そうな笑みを浮かべる。
「あれが例の連中か、エディリーン嬢」
ユリウスがシャルロッテ姫を庇いながら、エディリーンとアーネストの元へ合流する。
エディリーンは黒ずくめの二人から目を離さずに首肯する。寒さが堪える季節ではないとはいえ、濡れ鼠では身体が冷えてしまう。シャルロッテは寒さか、はたまた恐怖からか、小さく震えていた。
「まあいいや、お前はまた今度ね。今は……」
言いながら少年は、抱えていた漆黒の表紙の魔術書を開く。それは、マナを操る才を持たない人間が見ても明らかな禍々しさを感じられるほどの、どす黒い気を放っていた。
少年は左手で本を支え、開かれた頁の上に右手をかざす。すると、そこから黒い野犬――否、狼のような形をしたものが、何体も飛び出した。その数、ざっと十数体。
「シャルロッテ王女、悪いけど、あんたにはここで死んでもらうよ」
その言葉を合図に、狼の群れが一斉に飛びかかってきた。
エディリーンは咄嗟に周囲の雨粒を集め、厚い水流の壁を前面に打ち立てる。何体かはそれに阻まれたが、突破した二体ほどが姫にその牙を向ける。
だが、王子とその近衛騎士が、凶行を許しはしない。二人の剣が、狼の身体を狙い違わず切り裂く。
しかし、黒い体液を散らしながら地面にのたうったと思った黒い獣の傷は、瞬きの間にふさがり、再び起き上がった。
獣が脚に力を込め跳躍する前に、エディリーンはその懐に飛び込むようにして手を伸ばす。鉤爪が服の袖を掠め、肌に赤い筋と痛みが走るが、構ってはいられない。自分の指が狼のような獣に触れるかどうかの刹那、エディリーンはそれを構成する核を見つけ出し、力を込める。
獣はびくりと身体を痙攣させ、霧のように霧散した。残っていた獣も向かってくるが、同じようにそれぞれ剣で斬り、怯んだ隙にエディリーンが核を散らす。
「――!? なんなのだ、これは!」
ユリウスが驚愕の声を上げる。エディリーンにもこれが何なのか正確にはわからないが、何らかの魔術的なものであることは確かだ。そして、先日まで見えた靄のような精霊と気配は似ているが、これは斬ることができる。つまり、実体があるということだ。
「へえ、やるじゃん。でも、これで終わりじゃないよ」
少年が魔術書を掲げると、再び黒い獣が形作られていく。
視界の隅に、同じくこちら側の岸に残されていたニコラとレーヴェの近衛騎士たちが獣に襲われているのが見えたが、助けに行く余裕はない。
「あいつらの相手はわたしがやる。あんたたちは逃げろ」
エディリーンは素早くアーネストに囁いた。この近くにはグレイス家の屋敷がある。あの少年たちから逃げることも先決だが、このまま雨に濡れていてはどうにかなってしまう。まずはどこか屋根の下で、王子王女の身の安全を確保しなくてはならなかった。
アーネストは束の間逡巡したようだが、微かに首を縦に振った。どのみち、自分たちではあの魔術師の相手はできないと判断したのだろう。
「勝算はあるのか?」
「当たり前だ。わたしはあんたと違って、自分の命を犠牲にして王子を助ける義務なんてないからな」
空中の少年たちから目を離さずに言ったエディリーンにもう一度頷きを返すと、アーネストは王子王女を促して、街道から逸れた山道に入っていく。
「おっと、行かせないよ」
少年は当然のようにその背に追撃を放とうとするが、エディリーンは思い切り地面を蹴ってその眼前まで跳躍する。
「それはこっちの台詞だ」
エディリーンは懐に手を入れ、細い銀の鎖の束を取り出した。それは生き物のように少年の周囲を取り巻き、その身体を縛る。
「はっ、こんなもの――」
少年は拘束から逃れようとするが、
「流れ堰き止め、地に縫い留めよ!」
エディリーンが言霊を放つと、少年は一切の力を失ったように全身を硬直させ、重力に引かれるまま落下した。
少し離れた所で傍観していたもう一人の黒ずくめの青年がその後を追って急降下し、少年が地面に激突する寸前でそれを受け止める。
絡まった鎖に指をかけるが、簡単には解けそうにないことを悟ると、そのまま少年を抱えて木立の向こうへ飛び去った。
ややあって、彼らの気配が消える。本当に遠くへ去ったのか、隠蔽の術か何かを使ったのか定かではないので、まだ油断はできないが、エディリーンはひとまず緊張を解いた。
あの鎖は、マナの流れを滞らせ、魔術の発動を封じる術式を込めたものだった。初めて、しかもあまり時間がない中で作ったものだから成功するかわからなかったし、術の構築も不安定でいつもの無詠唱が使えず、言霊を必要としたが、上手くいったようで助かった。
ニコラ達を襲っていた獣も消えて、彼らは息も絶え絶えに、呆然としていた。
「……大丈夫か?」
ニコラと近衛騎士団の騎士は、腹部や肩から血を流していた。雨に流れてどの程度の出血か正確にはわからないが、軽傷ではなさそうだ。
「はい。ここはわたしが引き受けます。あなたは殿下方を」
クロードだけが比較的軽傷だったようで、布をかき集めて彼らの手当てをしていた。
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エディリーンは踵を返し、アーネストたちの後を追った。
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