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秋 二歌
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【夕暮れに 君が隣にいるだけで】
実験棟のロビーで、高子は紙コップのオレンジジュースをもてあそんでいた。そこへ、階段を降りてきた、最近顔見知りになった人物が遠慮なく隣に座る。
「ゴメンね。男どもは考察が甘くて困るよ。教授のOKもらえるまでもう少し待っててやって」
隣に座った、渚が自分の事のように謝る。
「実験って、大変なんですね……」
文学部には縁のないモノだ、高子は高校の理科の実験を思い出していた。
「そうか……高子ちゃんは、文学部だもんね。
良かったら白衣貸すから、実験、見に行く? 」
悪戯っぽく、渚は聞く。
「彼氏のカッコ良い実験姿見たら、惚れ直すかもよ?」
そう言って、カバンの中の白衣を出そうとした。
「えっ、いいえ。大丈夫です。ここで待ってますから……」
白衣を着て覗きに行く勇気は、高子にはとてもなかった。
「渚さん、清原渚ですよね」
改めて名前を確認されて、渚は困惑する。
「うん、そうだけど、何か?」
渚は高子から真面目な視線を向けられ、少し緊張した。
「清少納言を知ってますよね。あの方の本名が『清原諾子』なんです」
「きよはらなぎこ?」
「そうです、渚さんと一字違い……」
高子の嬉しそうな笑顔に圧倒され、渚は多少のけぞりながらも話に聞き入った。
「清少納言はあの有名な『枕草子』の作者で、女性には珍しく漢詩にも詳しい最先端のインテリ女子だったんです。だから、渚さんみたいに、浮ついた歌を読んでくる男たちを理詰めで、ぎゃふんと言うくらい論破しちゃたんじゃないのかな?」
実に楽しそうに話す。渚もつられてこう返した。
「わたし、こう見えても尽くすタイプなんだけど……」
わざと不満げに口をとがらしてみる。
「え、以外」
素で驚く高子に、渚は空手チョップをお見舞いした。軽く触れるだけのだが……。
「今は令和の時代なんだから、平安時代とは全然違うの。愛する人を待ちわびて枕を濡らすなんてナンセンス。いっそ、枕抱えて押しかけたら」
どこまでが本気なのか分からないが、渚の言葉には妙に説得力があった。
「……」
高子が真面目に考え込む。
「まあ、わたしみたいに相手が『糸の切れた凧』みたいな人だと、自然とそうなっちゃうのかもね」
「誰が『糸の切れた凧』だって?」
ちょうど階段を降りてきた、業が言う。
「ごめんなさい。待たせました。でしょう」
そう言って渚は男どもを軽く睨んだ。
☆ ☆ ☆
ロビーで少し話をしてから。俺は高子と駅へと向かう。最近は、日の沈むのも早くなってきた感じがする。
ホームで横に並ぶ高子が、少しはにかみながらこう言い出した。
「ねえ、夕飯作るから。食べに来ない?」
「……良いの?」
「……うん」
小さくうなずいた高子は、しばらくこちらを見てはくれなかった。
駅を降りて高子のアパートへと向かう。正面には暮れかかる夕日があった。
俺はふと思い出し高子に聞いた。
「秋は夕暮れ……だっけ?」
正面の夕日を見直し、高子は嬉しそうに口ずさむ。
「そう、秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり」
「秋は夕暮れが素敵なの。夕日が山々に沈もうとする頃に、カラスが家に帰って行くの……素敵でしょ」
微笑んだ高子はそう言って、再び夕日を見つめる。その横顔を見て俺は言った。
「夕暮れって、なんか寂しい感じがしてたんだけど……何だろう、隣に君がいる夕日は違うんだな」
「何処も同じ秋の夕暮れって、言ってた歌人もいるけど」
横目で高子が悪戯っぽく俺を覗き見る。
「……茶化すなよ」
俺は不満げに立ち止まって、しっかりと高子を見つめた。
「一番大切な人と見る夕日だ、特別でないわけがないだろう」
「……わたしで良いの……」
下を向いた高子がささやくようにつぶやく。
「ああ、君が良いんだ」
俺は目をそらさないで高子が微笑むまでずっと見つめていた。
秋の虫の音が聞こえ始めた九月の末だった。
【夕暮れに 君が隣にいるだけで 特別なもの 大切な時】
実験棟のロビーで、高子は紙コップのオレンジジュースをもてあそんでいた。そこへ、階段を降りてきた、最近顔見知りになった人物が遠慮なく隣に座る。
「ゴメンね。男どもは考察が甘くて困るよ。教授のOKもらえるまでもう少し待っててやって」
隣に座った、渚が自分の事のように謝る。
「実験って、大変なんですね……」
文学部には縁のないモノだ、高子は高校の理科の実験を思い出していた。
「そうか……高子ちゃんは、文学部だもんね。
良かったら白衣貸すから、実験、見に行く? 」
悪戯っぽく、渚は聞く。
「彼氏のカッコ良い実験姿見たら、惚れ直すかもよ?」
そう言って、カバンの中の白衣を出そうとした。
「えっ、いいえ。大丈夫です。ここで待ってますから……」
白衣を着て覗きに行く勇気は、高子にはとてもなかった。
「渚さん、清原渚ですよね」
改めて名前を確認されて、渚は困惑する。
「うん、そうだけど、何か?」
渚は高子から真面目な視線を向けられ、少し緊張した。
「清少納言を知ってますよね。あの方の本名が『清原諾子』なんです」
「きよはらなぎこ?」
「そうです、渚さんと一字違い……」
高子の嬉しそうな笑顔に圧倒され、渚は多少のけぞりながらも話に聞き入った。
「清少納言はあの有名な『枕草子』の作者で、女性には珍しく漢詩にも詳しい最先端のインテリ女子だったんです。だから、渚さんみたいに、浮ついた歌を読んでくる男たちを理詰めで、ぎゃふんと言うくらい論破しちゃたんじゃないのかな?」
実に楽しそうに話す。渚もつられてこう返した。
「わたし、こう見えても尽くすタイプなんだけど……」
わざと不満げに口をとがらしてみる。
「え、以外」
素で驚く高子に、渚は空手チョップをお見舞いした。軽く触れるだけのだが……。
「今は令和の時代なんだから、平安時代とは全然違うの。愛する人を待ちわびて枕を濡らすなんてナンセンス。いっそ、枕抱えて押しかけたら」
どこまでが本気なのか分からないが、渚の言葉には妙に説得力があった。
「……」
高子が真面目に考え込む。
「まあ、わたしみたいに相手が『糸の切れた凧』みたいな人だと、自然とそうなっちゃうのかもね」
「誰が『糸の切れた凧』だって?」
ちょうど階段を降りてきた、業が言う。
「ごめんなさい。待たせました。でしょう」
そう言って渚は男どもを軽く睨んだ。
☆ ☆ ☆
ロビーで少し話をしてから。俺は高子と駅へと向かう。最近は、日の沈むのも早くなってきた感じがする。
ホームで横に並ぶ高子が、少しはにかみながらこう言い出した。
「ねえ、夕飯作るから。食べに来ない?」
「……良いの?」
「……うん」
小さくうなずいた高子は、しばらくこちらを見てはくれなかった。
駅を降りて高子のアパートへと向かう。正面には暮れかかる夕日があった。
俺はふと思い出し高子に聞いた。
「秋は夕暮れ……だっけ?」
正面の夕日を見直し、高子は嬉しそうに口ずさむ。
「そう、秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり」
「秋は夕暮れが素敵なの。夕日が山々に沈もうとする頃に、カラスが家に帰って行くの……素敵でしょ」
微笑んだ高子はそう言って、再び夕日を見つめる。その横顔を見て俺は言った。
「夕暮れって、なんか寂しい感じがしてたんだけど……何だろう、隣に君がいる夕日は違うんだな」
「何処も同じ秋の夕暮れって、言ってた歌人もいるけど」
横目で高子が悪戯っぽく俺を覗き見る。
「……茶化すなよ」
俺は不満げに立ち止まって、しっかりと高子を見つめた。
「一番大切な人と見る夕日だ、特別でないわけがないだろう」
「……わたしで良いの……」
下を向いた高子がささやくようにつぶやく。
「ああ、君が良いんだ」
俺は目をそらさないで高子が微笑むまでずっと見つめていた。
秋の虫の音が聞こえ始めた九月の末だった。
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