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19.壁の向こう
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ヴィクターを除いた三人で朝食を食べ終えた後も、雨は降り続いていた。
それどころか激しさを増しており、石畳の地面の上を溜まった雨水が流れていく。空を覆う雨雲が去るのはまだまだ先になりそうだ。
「雨って面倒臭いよなぁ。空から水が降ってきたら、ぜーんぶ濡れるんだぞ。しかも音がうるさいし」
ハイドラは廊下の窓を睨みつけながら溜め息をついた。レイティスでは雨が降らないそうで、マルリーナ国に来たばかりの時は恐怖すら覚えたらしい。
今はすっかり慣れて怖くはなくなったものの、それでも憂鬱な気分にはなる。
普段正反対な考えを持っているアグリッパだが、雨に関しては彼も同意見だという。
「あいつ、お前の前だから隠してるけど内心テンション下がりっぱなしだぞ」
「そんな風には全然見えませんでした……」
「自分の弱い部分を隠すのが上手いんだよ。ヴィクターも、アグリッパも」
それはきっと自分を苦しみから守るためだろうと、サリサは思う。他者だけでなく自分自身に対しても辛くない、痛くない振りをしていれば、いつか本当に何も感じなくなる。
サリサはそうやって水の刃で肌を刻まれる痛みから逃れた。
けれど家族やテレンスからの言葉で心が傷つくことには最後まで慣れなかった。怯えて、悲しんで、苦しむ自分を誤魔化せなかった。
そうして人間は、肉体より心の方が脆くて繊細な生き物なのだと学んだ。
「まあ、その分私は迷惑が足生やしたような生き方をしてるからちょうどいいだろ」
「で、でもハイドラ様は優しい方だと思います。自分のお仕事もきっちりこなされてますし」
「それは私がやりたくてやってることだからだ。迷惑っていうのは仕事をサボったとかそんなのじゃなくて、もっとこう……ああ、つまり私が言いたいのはお前も私たちに迷惑をかけまくれって話だ」
「駄目です! 無理です! できません!」
サリサは首を横に大きく振って拒否するものの、
「駄目じゃないし、無理でもない。できる」
と断言されてしまった。
「アグリッパは見りゃ分かると思うが、ヴィクターもあれでかなりの世話好きでな。お前がわがまま言ったら内心喜んで叶えてくれるぞ」
「え、ええと……」
「それにお前はヴィクターの妻なんだ。早くそういうのを当たり前のように言い合える仲になってくれ」
そう言われても、どんなわがままを言えばいいのかサリサにはすぐに思いつかない。
食べたいものや身の回りのことについては、アグリッパとハイドラに頼めば済む。
それにヴィクターとは未だに夫婦らしいことをしていない。いや、そもそも──。
「よし、ここだ」
ハイドラの声がサリサを思考の海から浮上させた。が、二人が辿り着いたのは廊下の突き当たり。汚れ一つない白い壁の前だ。
ハイドラは何かを探すように、両手を壁に這わせ始める。
「確かにこの辺に魔法障壁を消すスイッチが……あ、こっちか? いや、違うな……」
ぶつぶつと呟きながら手を動かしていたがお目当てのものが見つからず、メイドはついに強行手段に出た。
「オラッ!」
「ハイドラ様!?」
壁を思い切り蹴ったのである。
思わず彼女の名を呼んだサリサだったが、雨の音に紛れてパキンッと硝子や陶器が割れるような音が微かに聞こえた。
ハイドラの暴力に屈するように白い壁が消失し、現れたのは下り階段だった。
それどころか激しさを増しており、石畳の地面の上を溜まった雨水が流れていく。空を覆う雨雲が去るのはまだまだ先になりそうだ。
「雨って面倒臭いよなぁ。空から水が降ってきたら、ぜーんぶ濡れるんだぞ。しかも音がうるさいし」
ハイドラは廊下の窓を睨みつけながら溜め息をついた。レイティスでは雨が降らないそうで、マルリーナ国に来たばかりの時は恐怖すら覚えたらしい。
今はすっかり慣れて怖くはなくなったものの、それでも憂鬱な気分にはなる。
普段正反対な考えを持っているアグリッパだが、雨に関しては彼も同意見だという。
「あいつ、お前の前だから隠してるけど内心テンション下がりっぱなしだぞ」
「そんな風には全然見えませんでした……」
「自分の弱い部分を隠すのが上手いんだよ。ヴィクターも、アグリッパも」
それはきっと自分を苦しみから守るためだろうと、サリサは思う。他者だけでなく自分自身に対しても辛くない、痛くない振りをしていれば、いつか本当に何も感じなくなる。
サリサはそうやって水の刃で肌を刻まれる痛みから逃れた。
けれど家族やテレンスからの言葉で心が傷つくことには最後まで慣れなかった。怯えて、悲しんで、苦しむ自分を誤魔化せなかった。
そうして人間は、肉体より心の方が脆くて繊細な生き物なのだと学んだ。
「まあ、その分私は迷惑が足生やしたような生き方をしてるからちょうどいいだろ」
「で、でもハイドラ様は優しい方だと思います。自分のお仕事もきっちりこなされてますし」
「それは私がやりたくてやってることだからだ。迷惑っていうのは仕事をサボったとかそんなのじゃなくて、もっとこう……ああ、つまり私が言いたいのはお前も私たちに迷惑をかけまくれって話だ」
「駄目です! 無理です! できません!」
サリサは首を横に大きく振って拒否するものの、
「駄目じゃないし、無理でもない。できる」
と断言されてしまった。
「アグリッパは見りゃ分かると思うが、ヴィクターもあれでかなりの世話好きでな。お前がわがまま言ったら内心喜んで叶えてくれるぞ」
「え、ええと……」
「それにお前はヴィクターの妻なんだ。早くそういうのを当たり前のように言い合える仲になってくれ」
そう言われても、どんなわがままを言えばいいのかサリサにはすぐに思いつかない。
食べたいものや身の回りのことについては、アグリッパとハイドラに頼めば済む。
それにヴィクターとは未だに夫婦らしいことをしていない。いや、そもそも──。
「よし、ここだ」
ハイドラの声がサリサを思考の海から浮上させた。が、二人が辿り着いたのは廊下の突き当たり。汚れ一つない白い壁の前だ。
ハイドラは何かを探すように、両手を壁に這わせ始める。
「確かにこの辺に魔法障壁を消すスイッチが……あ、こっちか? いや、違うな……」
ぶつぶつと呟きながら手を動かしていたがお目当てのものが見つからず、メイドはついに強行手段に出た。
「オラッ!」
「ハイドラ様!?」
壁を思い切り蹴ったのである。
思わず彼女の名を呼んだサリサだったが、雨の音に紛れてパキンッと硝子や陶器が割れるような音が微かに聞こえた。
ハイドラの暴力に屈するように白い壁が消失し、現れたのは下り階段だった。
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