4 / 46
4.森の中
しおりを挟む
馬車に揺られているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
気がつくと、窓の外は青々とした緑が広がっていた。
もう国境の近くまで来ていたようだ。
サリサは震えそうになる手をぎゅっと握り締め、恐怖に耐えた。
テレーゼから言われた時は自分でも驚くくらいあっさり受け入れたのに、今更になって恐ろしさが全身を駆け巡る。
どんな扱いを受けるのだろう。
そればかりを考えていると、急に馬車が止まった。
御者の「な、何だお前!」と引き攣れた声が聞こえてくる。
(……何?)
開けた窓から顔を出して前方を見れば、馬車の前方に一人の男が立っている。
気品ある黒いタキシードを着こなし、長い黒髪を後ろで結んだ若い青年だ。
その佇まいは執事そのものだが、ここは森の中だ。
こんなところに執事などいるはずがなく、御者が戸惑うのも無理はない。
「……そちらの馬車に乗っていらっしゃるのがテレーゼ様、でよろしいでしょうか?」
怜悧な笑みを口元に貼りつけながら、青年が御者に問いかける。
テレーゼと偽って、サリサをヴィクターの元に送り届けるように。サリサの父からそう命じられていた御者は何度も頷いた。
「そ、そうだ。中にいる御方は確かにテレーゼ様だが、それがどうした?」
「でしたら、今この場にテレーゼ様を置いて立ち去りなさい。この私がヴィクター様の下へ彼女を連れて行きます」
「何だと? お前は一体……」
「私の名はアグリッパ。ヴィクター様にお仕えする者です」
ヴィクター。その名前を出され、サリサは窓から出していた頭を引っ込めた。
ドクン、ドクンと心臓が脈打つ音が速くなる。
一方御者は動揺しつつも、アグリッパと名乗った男を嘲るような笑みを見せた。
「はっ、そーかい。ゴブリンってのは顔が綺麗なら野郎でもいいってことか……」
「おや、それは私の容姿を褒めている……と思ってよろしいでしょうか」
「好きなように捉えるんだな……っと」
御者は御者台から降りると、馬車のドアを開いた。
そして中で震えていたサリサの腕を掴み、強引に引きずり出す。
「きゃ……っ!」
「もたもたすんな、さっさと降りてこい!」
アグリッパはそれを止めるでもなく、笑顔のまま眺めていた。
同情など一切感じさせない、灰色の双眸で。
それはサリサが御者に突き飛ばされて、自分の足元に倒れ込んでも変わらなかった。
「俺だってこんな不気味な森から一刻も早く出たいと思ってたんだ。この方が楽で助かるよ。じゃあな!」
サリサに謝罪の一つもなく、馬車は再び走り出す。
もう後戻りは出来ない。誰も助けてはもらえない。
サリサはどうにか馬車から持ち出せたバッグを抱き締め、俯いていた。
「見捨てられてしまいましたね、可哀想に。彼もあなたより我が身が大切なようだ」
アグリッパの冷たい言葉が胸に突き刺さる。
彼の顔を見るのが怖くて、視線を地面から上げることができない。
すると、馬車から無理矢理下ろされた時のように腕を掴まれ、立たされた。
勇気を出して顔を上げれば、侮蔑の眼差しがサリサを、いやテレーゼを待っていた。
「さあ、行きましょうか『聖流』のテレーゼ様。あなた様の夫となる御方がお待ちになっています」
そう言ってアグリッパが歩き始める。サリサもその後を追いかける。
こんな見知らぬ森で取り残されたら最後、永遠に迷い続けることになってしまう。
(だけど不思議な森……)
普通森には小動物や昆虫に小鳥、場所によっては大型の動物も暮らしているものだが、彼らの気配が感じられない。
自分たちを取り囲む木々も、どこか作り物のように思えてしまう。
生命が存在しない。一言で言えばそんな森だ。
ゴブリンの領域であることが関係しているのだろうか。そう考えながら、アグリッパの後ろを歩き続けていると、急に振り返られた。
「アグリッパ様? 一体何か……」
「いえ、一切文句を仰らないのだなと……」
「はい……?」
何に対する文句なのか。目を瞬かせるサリサに、アグリッパは少し考える素振りをしてから手を差し出した。
「よろしければ、そちらの鞄お持ち致しますか……?」
「だ、大丈夫です。自分で持てますので……」
下着しか入っていないバッグを男性に預けるのは流石に嫌だ。
断ると黒髪の執事は怪訝そうに首を捻った。
気がつくと、窓の外は青々とした緑が広がっていた。
もう国境の近くまで来ていたようだ。
サリサは震えそうになる手をぎゅっと握り締め、恐怖に耐えた。
テレーゼから言われた時は自分でも驚くくらいあっさり受け入れたのに、今更になって恐ろしさが全身を駆け巡る。
どんな扱いを受けるのだろう。
そればかりを考えていると、急に馬車が止まった。
御者の「な、何だお前!」と引き攣れた声が聞こえてくる。
(……何?)
開けた窓から顔を出して前方を見れば、馬車の前方に一人の男が立っている。
気品ある黒いタキシードを着こなし、長い黒髪を後ろで結んだ若い青年だ。
その佇まいは執事そのものだが、ここは森の中だ。
こんなところに執事などいるはずがなく、御者が戸惑うのも無理はない。
「……そちらの馬車に乗っていらっしゃるのがテレーゼ様、でよろしいでしょうか?」
怜悧な笑みを口元に貼りつけながら、青年が御者に問いかける。
テレーゼと偽って、サリサをヴィクターの元に送り届けるように。サリサの父からそう命じられていた御者は何度も頷いた。
「そ、そうだ。中にいる御方は確かにテレーゼ様だが、それがどうした?」
「でしたら、今この場にテレーゼ様を置いて立ち去りなさい。この私がヴィクター様の下へ彼女を連れて行きます」
「何だと? お前は一体……」
「私の名はアグリッパ。ヴィクター様にお仕えする者です」
ヴィクター。その名前を出され、サリサは窓から出していた頭を引っ込めた。
ドクン、ドクンと心臓が脈打つ音が速くなる。
一方御者は動揺しつつも、アグリッパと名乗った男を嘲るような笑みを見せた。
「はっ、そーかい。ゴブリンってのは顔が綺麗なら野郎でもいいってことか……」
「おや、それは私の容姿を褒めている……と思ってよろしいでしょうか」
「好きなように捉えるんだな……っと」
御者は御者台から降りると、馬車のドアを開いた。
そして中で震えていたサリサの腕を掴み、強引に引きずり出す。
「きゃ……っ!」
「もたもたすんな、さっさと降りてこい!」
アグリッパはそれを止めるでもなく、笑顔のまま眺めていた。
同情など一切感じさせない、灰色の双眸で。
それはサリサが御者に突き飛ばされて、自分の足元に倒れ込んでも変わらなかった。
「俺だってこんな不気味な森から一刻も早く出たいと思ってたんだ。この方が楽で助かるよ。じゃあな!」
サリサに謝罪の一つもなく、馬車は再び走り出す。
もう後戻りは出来ない。誰も助けてはもらえない。
サリサはどうにか馬車から持ち出せたバッグを抱き締め、俯いていた。
「見捨てられてしまいましたね、可哀想に。彼もあなたより我が身が大切なようだ」
アグリッパの冷たい言葉が胸に突き刺さる。
彼の顔を見るのが怖くて、視線を地面から上げることができない。
すると、馬車から無理矢理下ろされた時のように腕を掴まれ、立たされた。
勇気を出して顔を上げれば、侮蔑の眼差しがサリサを、いやテレーゼを待っていた。
「さあ、行きましょうか『聖流』のテレーゼ様。あなた様の夫となる御方がお待ちになっています」
そう言ってアグリッパが歩き始める。サリサもその後を追いかける。
こんな見知らぬ森で取り残されたら最後、永遠に迷い続けることになってしまう。
(だけど不思議な森……)
普通森には小動物や昆虫に小鳥、場所によっては大型の動物も暮らしているものだが、彼らの気配が感じられない。
自分たちを取り囲む木々も、どこか作り物のように思えてしまう。
生命が存在しない。一言で言えばそんな森だ。
ゴブリンの領域であることが関係しているのだろうか。そう考えながら、アグリッパの後ろを歩き続けていると、急に振り返られた。
「アグリッパ様? 一体何か……」
「いえ、一切文句を仰らないのだなと……」
「はい……?」
何に対する文句なのか。目を瞬かせるサリサに、アグリッパは少し考える素振りをしてから手を差し出した。
「よろしければ、そちらの鞄お持ち致しますか……?」
「だ、大丈夫です。自分で持てますので……」
下着しか入っていないバッグを男性に預けるのは流石に嫌だ。
断ると黒髪の執事は怪訝そうに首を捻った。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
5,957
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる