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第十一章
レオンハルトの精霊、のそのあと(一)
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腕の中で、ルシアナは静かに寝息を立てている。
彼女を起こさないよう、そっと抱き上げ足の上に乗せると、ゆっくりガウンの腰紐を解いた。余計なものを脱がせ、シュミーズ姿にすると、彼女頭に軽く口付けベッドに寝かせる。
サイドテーブルで煌々と光る照明の灯りを消すと、レオンハルトもルシアナの隣で横になった。
華奢なルシアナの体を抱き締め、柔らかな髪に指を通しながら、深く息を吐き出す。
(俺も……皆と同じくらい、貴女の回復を喜びたかった)
あのとき。精霊がルシアナの怪我を治し、ルシアナの状態を確認してもらうために医師のフーゴを呼んだとき。呼ばれたフーゴだけではなく、両親やエーリク、ヴァルター、ルシアナの侍女やメイドはもちろん、他の多くの使用人が部屋の前まで集まり、ルシアナの様子を見守っていた。
その光景に少々驚きはしたものの、ルシアナが人々から愛されるのは当然なため、何ら不思議でもなかった。しかし、ルシアナがたどたどしくも、しっかりと話すのを見て、皆が一様に安堵の表情を浮かべたのを見たとき、レオンハルトは言い知れぬ寂しさのようなものを感じた。
(俺が眠っていた間、貴女はどんな風に過ごしていたんだろうな)
眠っている間のことやルシアナの状態については、テオバルドが帰ったあとにフーゴや両親から説明を受けた。
両親とフーゴを連れて来たのはコンスタンツェで、コンスタンツェと共に来ていたセザールという魔法術師が、マナを安定させるために尽力してくれたこと。
ルシアナが結界を張るようコンスタンツェに頼んでいたため、あの日の出来事は外に漏れていないこと。
領地へ行くのが遅れるという連絡もすでに済んでいることなど、気になっていたことは一通り確認することができた。
その流れで、両親たちはルシアナについても言及した。
寝ていた自分より状態が悪いこと。
夜あまり眠れていない様子だということ。
怪我のせいではなく精神的なものが原因で憔悴してしまっていること。
周りがどれだけ大丈夫だと言っても日を追うごとに気落ちしていってること。
それなのに、人前では気丈に振る舞う姿が痛ましくて、レオンハルトが目覚めてくれて本当によかった、と母のユーディットは深く息を吐き出した。
その話を聞いたとき、レオンハルトは確かに、ルシアナの痛みに寄り添ったはずだった。
誰もがルシアナを気にかけ、心配している姿を見て、きっと大変な状況だったのだろう、とルシアナの気持ちを理解したつもりだった。
(結局、つもりはつもりだ。貴女は辛い思いをしたのだと頭では理解しても……ずっとその姿を見ていた者たちと同じ熱量を持つことはできない)
ルシアナが言葉を発したことに、多くの者が安堵を浮かべた。
一度だけとは言え、ルシアナが言葉を発せない姿をレオンハルトも見ていたため、その気持ちには共感できた。
他の者との大きな差を感じたのは、その後の夕食の場面だ。
ルシアナ用に、と運ばれて来た食事を見て、レオンハルトは一体何の冗談かと思った。
ルシアナの前には、煮崩れた小さな野菜が入ってるだけの、何とも味気ないスープが一皿、置かれたのだ。
昏睡から目覚めたばかりのレオンハルトも、胃の負担を考え、食事は質素なものが用意された。しかし、それでもパンやサラダは付いていたし、スープの野菜は煮崩れておらず、肉も入っていた。
ルシアナが口にできる物に制限があることはフーゴの説明でわかっていたが、喉の怪我が治った以上、自分のようにサラダやパンを食べても問題ないだろう、とレオンハルトは考えた。
しかし、その考えはルシアナの状態を何も理解していなかっただけなのだと、レオンハルトはすぐに痛感した。
ルシアナは、その質素すぎるスープを何とも一生懸命食べていたのだ。
まるで何日間も食事をしていなかったかのように、慎重にスープを口に運び、柔らかいであろう煮崩れた野菜を懸命に噛み、まるで大層な食事をしているかのように時間をかけて、たった一皿のスープを食べきった。
そして、ルシアナが最後のひと口を飲み込んだのを見て、全員が喜んだのだ。ルシアナの侍女であるエステルは涙を流し、いつの間にか様子を見に来ていた料理長も目尻を光らせていた。
ユーディットは「よかった」とルシアナを抱き締め、ディートリヒでさえ「もっと必要だったら言いなさい」と目元を和らげていた。
その光景をまるで他人事のように見つめながら、レオンハルトは何とも言えない悔しさのようなものを感じていた。
ルシアナの悲しみや辛さ、痛みに一番に寄り添えなかったことが、ルシアナの喜びを一緒に分かち合えなかったことが、どうしても許せなかった。
一番近くでルシアナを支えるのは自分でありたかった。
ルシアナが感じる喜怒哀楽のすべてを、誰よりも自分が一番共感していたかった。
(……そもそも、俺が昏睡状態などにならなければ、貴女はこれほど憔悴しなかったのかもしれないが……だが、それでも……俺が今の貴女について誰よりも理解できていないことが、貴女の傍にいられなかった数日間が……恨めしい)
隙間を埋めるように体を密着させながら、ルシアナの頭に口付ける。
(貴女が大変な思いをしていたときに、傍にいられなくてすまない。これからは時間の許す限り貴女といるから)
『お前は、お前自身のことも大切にしろ、レオンハルト』
ベルに言われた言葉を噛み締めながら、レオンハルトはルシアナの香りを取り込むように、大きく息を吸い込んだ。
(貴女をただ苦しませてしまった俺を。貴女に寄り添えなかった俺を。どうか許してくれ、ルシアナ)
今にも折れてしまいそうなルシアナの体を優しく抱き締めながら、レオンハルトは目を閉じた。
彼女を起こさないよう、そっと抱き上げ足の上に乗せると、ゆっくりガウンの腰紐を解いた。余計なものを脱がせ、シュミーズ姿にすると、彼女頭に軽く口付けベッドに寝かせる。
サイドテーブルで煌々と光る照明の灯りを消すと、レオンハルトもルシアナの隣で横になった。
華奢なルシアナの体を抱き締め、柔らかな髪に指を通しながら、深く息を吐き出す。
(俺も……皆と同じくらい、貴女の回復を喜びたかった)
あのとき。精霊がルシアナの怪我を治し、ルシアナの状態を確認してもらうために医師のフーゴを呼んだとき。呼ばれたフーゴだけではなく、両親やエーリク、ヴァルター、ルシアナの侍女やメイドはもちろん、他の多くの使用人が部屋の前まで集まり、ルシアナの様子を見守っていた。
その光景に少々驚きはしたものの、ルシアナが人々から愛されるのは当然なため、何ら不思議でもなかった。しかし、ルシアナがたどたどしくも、しっかりと話すのを見て、皆が一様に安堵の表情を浮かべたのを見たとき、レオンハルトは言い知れぬ寂しさのようなものを感じた。
(俺が眠っていた間、貴女はどんな風に過ごしていたんだろうな)
眠っている間のことやルシアナの状態については、テオバルドが帰ったあとにフーゴや両親から説明を受けた。
両親とフーゴを連れて来たのはコンスタンツェで、コンスタンツェと共に来ていたセザールという魔法術師が、マナを安定させるために尽力してくれたこと。
ルシアナが結界を張るようコンスタンツェに頼んでいたため、あの日の出来事は外に漏れていないこと。
領地へ行くのが遅れるという連絡もすでに済んでいることなど、気になっていたことは一通り確認することができた。
その流れで、両親たちはルシアナについても言及した。
寝ていた自分より状態が悪いこと。
夜あまり眠れていない様子だということ。
怪我のせいではなく精神的なものが原因で憔悴してしまっていること。
周りがどれだけ大丈夫だと言っても日を追うごとに気落ちしていってること。
それなのに、人前では気丈に振る舞う姿が痛ましくて、レオンハルトが目覚めてくれて本当によかった、と母のユーディットは深く息を吐き出した。
その話を聞いたとき、レオンハルトは確かに、ルシアナの痛みに寄り添ったはずだった。
誰もがルシアナを気にかけ、心配している姿を見て、きっと大変な状況だったのだろう、とルシアナの気持ちを理解したつもりだった。
(結局、つもりはつもりだ。貴女は辛い思いをしたのだと頭では理解しても……ずっとその姿を見ていた者たちと同じ熱量を持つことはできない)
ルシアナが言葉を発したことに、多くの者が安堵を浮かべた。
一度だけとは言え、ルシアナが言葉を発せない姿をレオンハルトも見ていたため、その気持ちには共感できた。
他の者との大きな差を感じたのは、その後の夕食の場面だ。
ルシアナ用に、と運ばれて来た食事を見て、レオンハルトは一体何の冗談かと思った。
ルシアナの前には、煮崩れた小さな野菜が入ってるだけの、何とも味気ないスープが一皿、置かれたのだ。
昏睡から目覚めたばかりのレオンハルトも、胃の負担を考え、食事は質素なものが用意された。しかし、それでもパンやサラダは付いていたし、スープの野菜は煮崩れておらず、肉も入っていた。
ルシアナが口にできる物に制限があることはフーゴの説明でわかっていたが、喉の怪我が治った以上、自分のようにサラダやパンを食べても問題ないだろう、とレオンハルトは考えた。
しかし、その考えはルシアナの状態を何も理解していなかっただけなのだと、レオンハルトはすぐに痛感した。
ルシアナは、その質素すぎるスープを何とも一生懸命食べていたのだ。
まるで何日間も食事をしていなかったかのように、慎重にスープを口に運び、柔らかいであろう煮崩れた野菜を懸命に噛み、まるで大層な食事をしているかのように時間をかけて、たった一皿のスープを食べきった。
そして、ルシアナが最後のひと口を飲み込んだのを見て、全員が喜んだのだ。ルシアナの侍女であるエステルは涙を流し、いつの間にか様子を見に来ていた料理長も目尻を光らせていた。
ユーディットは「よかった」とルシアナを抱き締め、ディートリヒでさえ「もっと必要だったら言いなさい」と目元を和らげていた。
その光景をまるで他人事のように見つめながら、レオンハルトは何とも言えない悔しさのようなものを感じていた。
ルシアナの悲しみや辛さ、痛みに一番に寄り添えなかったことが、ルシアナの喜びを一緒に分かち合えなかったことが、どうしても許せなかった。
一番近くでルシアナを支えるのは自分でありたかった。
ルシアナが感じる喜怒哀楽のすべてを、誰よりも自分が一番共感していたかった。
(……そもそも、俺が昏睡状態などにならなければ、貴女はこれほど憔悴しなかったのかもしれないが……だが、それでも……俺が今の貴女について誰よりも理解できていないことが、貴女の傍にいられなかった数日間が……恨めしい)
隙間を埋めるように体を密着させながら、ルシアナの頭に口付ける。
(貴女が大変な思いをしていたときに、傍にいられなくてすまない。これからは時間の許す限り貴女といるから)
『お前は、お前自身のことも大切にしろ、レオンハルト』
ベルに言われた言葉を噛み締めながら、レオンハルトはルシアナの香りを取り込むように、大きく息を吸い込んだ。
(貴女をただ苦しませてしまった俺を。貴女に寄り添えなかった俺を。どうか許してくれ、ルシアナ)
今にも折れてしまいそうなルシアナの体を優しく抱き締めながら、レオンハルトは目を閉じた。
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