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第十一章
精霊具というもの(四)
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レオンハルトに対しこれまで何度か感じたことのある、生物としての根源的な恐怖。腹を空かせた狂暴な肉食獣の前にのこのこと現れてしまった獲物のような心地が、全身を支配した。意思に関わらず、体が勝手に身震いする。
「……ルシアナ」
レオンハルトの声はどこまでも優しい。口元にだって、薄っすらと笑みが浮かんでいる。だというのに彼の瞳は鋭く、その瞳の奥にはどろりとまとわりつくような熱が湛えられていて、ルシアナは息をするのでさえ、慎重にならざるを得なかった。
(何かしら……開けてはいけない箱を開けてしまったような……)
「ルシアナ」
彼の指先が頬を撫で、体が小さく揺れた。
「ルシアナ」
「……は、い」
なんとか絞り出すように返事をすると、レオンハルトはわずかに目を細めた。「ルシアナ」と呟きながら、彼は顔中に口付けを繰り返す。
ルシアナはただされるがまま、人形のように大人しくレオンハルトの口付けを受け入れる。
顔中余すところなく口付け満足したのか、レオンハルトは顔を離すとルシアナの髪を梳いた。
「俺の足を跨いで、向き合うように座れるか?」
変わらず鋭いままの視線を受けながら、ルシアナは小さく頷くとレオンハルトの足を跨いで向かい合うように座る。レオンハルトは隙間を埋めるように腰を抱き寄せると、頭の後ろに手を回し、その頭に唇を押し当てた。
「話の腰を折ったな。まだ訊きたいことがあるんだが、いいか?」
「は、はい」
レオンハルトのジレを掴みながら頷くと、小さく笑った声が聞こえた。
(……普段はお顔を見たいけれど、今はこのほうが安心するわ)
顔をレオンハルトの肩に乗せて目を閉じれば、レオンハルトが優しく髪を梳いてくれる感覚だけが伝わって来る。強張っていた体からは自然と力が抜けていき、ルシアナは安堵の息を吐いた。
それに気付いているのかいないのか、レオンハルトは指先でルシアナのうなじを軽くくすぐると、再び髪に指を通す。
「ルシアナはさっき、剣と弓と言ったが、持てる精霊具は一つではないのか?」
「……精霊石があれば、その限りではありませんわ。精霊石は精霊が覚醒した際に必ず一つ生み出されるのですが、それ以外にも精霊の意志によって作り出すことが可能です。精霊界に戻る必要があるので、いつでも、すぐに、とは参りませんが」
「なるほどな……その精霊石というのは、頼めばいくらでも作ってくれるのか?」
「いいえ。わたくしも詳しいことはわかりませんが、覚醒以外で精霊石を作り出すにはいくつか条件があって、そのうちの一つに精霊王の許可があるそうです」
「……それはまた恐ろしい条件だな」
髪を梳く手を止めたレオンハルトは、「それこそ」と呟きながら、ルシアナの耳元に口を寄せた。
「火の精霊王の寵愛を受けたトゥルエノでなければ難しいだろうな」
「そ、のような、ことは……」
くすぐったさに身じろいだルシアナは、目を開けるとレオンハルトを窺う。
彼の瞳の鋭さはもうなく、いつも通りの凪いだシアンの瞳がそこにはあった。また遠い存在のように感じてしまっただろうか、と不安に思っていたルシアナだったが、特にそういった様子がなく、ほっと息をつく。
「……? どうかなさいましたか……?」
至近距離でじっと見つめ続けてくるレオンハルト に小首を傾げれば、レオンハルトは「いや?」と口元に笑みを浮かべた。
「なんでもない」
レオンハルトはルシアナの頬に口付けると、背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。天井からぶら下がるランプの光が、彼の瞳の中で煌めく。
その輝きの美しさに、ルシアナは小さく喉を鳴らした。
(……好き)
レオンハルトの気迫に気圧されることがある。それに本能が恐怖を感じることがある。それでも、ルシアナの心はいつだって、レオンハルトへの愛で溢れていた。
(いつか、あの支配者のような視線にも慣れるかしら……思わず体が固まってしまうけれど、あの目で見つめられるのは嫌ではないもの。……生き物としての本能が警鐘を鳴らしているだけで、わたくしの心は、本当は――)
「魔精石と精霊石の入れ替えは精霊が行うのか?」
「――っえ、あ、はい……!」
レオンハルトの瞳の輝きに見惚れていたルシアナは、レオンハルトの言葉で我に返る。
「精霊が、行ってくれますわ」
このままで話に集中できないかもしれない、と思考を切り替えるようにルシアナは視線を下げた。
(いけないわ。大事なことだから、しっかりしないと……)
ルシアナがひそかに気持ちを入れ替えている間にも、レオンハルトは話を続ける。
「剣……精霊具から外れた魔精石はそのまま持つのか?」
「ええと、精霊がこちらの望む形に加工してくれますわ。わたくしはネックレスにして、服の下に隠すように身に着けています。魔精石は弱点となり得るものですし、精霊石がついたものは魔精石の中に収納することが可能ですので、なるべく人目につかず、持ち運びやすい形を選びました」
「……なるほど。だからルシアナは、剣を自在に出し入れできるのは魔精石のおかげだと言ったのか」
「その通りですわ」
下を向きつつ、こくこくと頷くと、視界の先で彼の指先が揺れる毛先を摘まんだ。そのまま指に絡めて弄りながら、レオンハルトは「そうだな」と小さく漏らす。
「結局のところ、精霊が覚醒してくれなければどうしようもないということだな」
重い溜息にそろそろと視線を上げると、彼はルシアナの髪の毛を弄る手元を見下ろしていた。
思案するようなその眼差しに、ルシアナは口を開いたものの、すぐに閉じる。それから少しの逡巡ののち「レオンハルト様」と声を掛けた。
「精霊の覚醒は、精霊ごとにその条件や時期が異なります。ですので、これが確実だ、ということは言えないのですが……レオンハルト様の精霊に関しては、一つだけ、もしかしたらという可能性がある、とベルが……」
「……可能性?」
絡んだ視線に、胸が小さく鳴った。切り替えたはずの気持ちと思考が戻ってきそうで、ルシアナは視線を逸らしながら、静かに息を吸った。
「……レオンハルト様の精霊は、もしかしたら少々特殊かもしれないそうです」
「……ルシアナ」
レオンハルトの声はどこまでも優しい。口元にだって、薄っすらと笑みが浮かんでいる。だというのに彼の瞳は鋭く、その瞳の奥にはどろりとまとわりつくような熱が湛えられていて、ルシアナは息をするのでさえ、慎重にならざるを得なかった。
(何かしら……開けてはいけない箱を開けてしまったような……)
「ルシアナ」
彼の指先が頬を撫で、体が小さく揺れた。
「ルシアナ」
「……は、い」
なんとか絞り出すように返事をすると、レオンハルトはわずかに目を細めた。「ルシアナ」と呟きながら、彼は顔中に口付けを繰り返す。
ルシアナはただされるがまま、人形のように大人しくレオンハルトの口付けを受け入れる。
顔中余すところなく口付け満足したのか、レオンハルトは顔を離すとルシアナの髪を梳いた。
「俺の足を跨いで、向き合うように座れるか?」
変わらず鋭いままの視線を受けながら、ルシアナは小さく頷くとレオンハルトの足を跨いで向かい合うように座る。レオンハルトは隙間を埋めるように腰を抱き寄せると、頭の後ろに手を回し、その頭に唇を押し当てた。
「話の腰を折ったな。まだ訊きたいことがあるんだが、いいか?」
「は、はい」
レオンハルトのジレを掴みながら頷くと、小さく笑った声が聞こえた。
(……普段はお顔を見たいけれど、今はこのほうが安心するわ)
顔をレオンハルトの肩に乗せて目を閉じれば、レオンハルトが優しく髪を梳いてくれる感覚だけが伝わって来る。強張っていた体からは自然と力が抜けていき、ルシアナは安堵の息を吐いた。
それに気付いているのかいないのか、レオンハルトは指先でルシアナのうなじを軽くくすぐると、再び髪に指を通す。
「ルシアナはさっき、剣と弓と言ったが、持てる精霊具は一つではないのか?」
「……精霊石があれば、その限りではありませんわ。精霊石は精霊が覚醒した際に必ず一つ生み出されるのですが、それ以外にも精霊の意志によって作り出すことが可能です。精霊界に戻る必要があるので、いつでも、すぐに、とは参りませんが」
「なるほどな……その精霊石というのは、頼めばいくらでも作ってくれるのか?」
「いいえ。わたくしも詳しいことはわかりませんが、覚醒以外で精霊石を作り出すにはいくつか条件があって、そのうちの一つに精霊王の許可があるそうです」
「……それはまた恐ろしい条件だな」
髪を梳く手を止めたレオンハルトは、「それこそ」と呟きながら、ルシアナの耳元に口を寄せた。
「火の精霊王の寵愛を受けたトゥルエノでなければ難しいだろうな」
「そ、のような、ことは……」
くすぐったさに身じろいだルシアナは、目を開けるとレオンハルトを窺う。
彼の瞳の鋭さはもうなく、いつも通りの凪いだシアンの瞳がそこにはあった。また遠い存在のように感じてしまっただろうか、と不安に思っていたルシアナだったが、特にそういった様子がなく、ほっと息をつく。
「……? どうかなさいましたか……?」
至近距離でじっと見つめ続けてくるレオンハルト に小首を傾げれば、レオンハルトは「いや?」と口元に笑みを浮かべた。
「なんでもない」
レオンハルトはルシアナの頬に口付けると、背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。天井からぶら下がるランプの光が、彼の瞳の中で煌めく。
その輝きの美しさに、ルシアナは小さく喉を鳴らした。
(……好き)
レオンハルトの気迫に気圧されることがある。それに本能が恐怖を感じることがある。それでも、ルシアナの心はいつだって、レオンハルトへの愛で溢れていた。
(いつか、あの支配者のような視線にも慣れるかしら……思わず体が固まってしまうけれど、あの目で見つめられるのは嫌ではないもの。……生き物としての本能が警鐘を鳴らしているだけで、わたくしの心は、本当は――)
「魔精石と精霊石の入れ替えは精霊が行うのか?」
「――っえ、あ、はい……!」
レオンハルトの瞳の輝きに見惚れていたルシアナは、レオンハルトの言葉で我に返る。
「精霊が、行ってくれますわ」
このままで話に集中できないかもしれない、と思考を切り替えるようにルシアナは視線を下げた。
(いけないわ。大事なことだから、しっかりしないと……)
ルシアナがひそかに気持ちを入れ替えている間にも、レオンハルトは話を続ける。
「剣……精霊具から外れた魔精石はそのまま持つのか?」
「ええと、精霊がこちらの望む形に加工してくれますわ。わたくしはネックレスにして、服の下に隠すように身に着けています。魔精石は弱点となり得るものですし、精霊石がついたものは魔精石の中に収納することが可能ですので、なるべく人目につかず、持ち運びやすい形を選びました」
「……なるほど。だからルシアナは、剣を自在に出し入れできるのは魔精石のおかげだと言ったのか」
「その通りですわ」
下を向きつつ、こくこくと頷くと、視界の先で彼の指先が揺れる毛先を摘まんだ。そのまま指に絡めて弄りながら、レオンハルトは「そうだな」と小さく漏らす。
「結局のところ、精霊が覚醒してくれなければどうしようもないということだな」
重い溜息にそろそろと視線を上げると、彼はルシアナの髪の毛を弄る手元を見下ろしていた。
思案するようなその眼差しに、ルシアナは口を開いたものの、すぐに閉じる。それから少しの逡巡ののち「レオンハルト様」と声を掛けた。
「精霊の覚醒は、精霊ごとにその条件や時期が異なります。ですので、これが確実だ、ということは言えないのですが……レオンハルト様の精霊に関しては、一つだけ、もしかしたらという可能性がある、とベルが……」
「……可能性?」
絡んだ視線に、胸が小さく鳴った。切り替えたはずの気持ちと思考が戻ってきそうで、ルシアナは視線を逸らしながら、静かに息を吸った。
「……レオンハルト様の精霊は、もしかしたら少々特殊かもしれないそうです」
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