ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第十章

もう、七ヶ月。まだ、七ヶ月(一)

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 レオンハルトの寝室で、レオンハルトのベッドに座りながら、ルシアナは困ったように首を傾げた。

「あの、レオンハルト様?」
「……」

 目の前で床に両膝をついている人物は、問いかけても何も答えず、下を向いたまま微動だにしない。
 コンスタンツェたちが帰り、共に夕食を取ってから今に至るまで、彼はずっとこのような状態だった。

(いえ、短いながらも返答があるだけよかったかしら。こうして膝をつかれることもなかったし……)

 ルシアナが寝室を訪ねると、レオンハルトはすぐさまルシアナをベッドに運び、今の体勢をとった。突然のことに驚いたルシアナは、慌ててベッドから降りたものの、瞬く間にベッドに戻され、彼もこの体勢へと戻っていった。

(やっぱり、レオンハルト様がお話ししたくなるまで待っていたほうがいいのかしら)

 少々迷ったすえ、ルシアナはもう一度「レオンハルト様」と声を掛ける。

「用意していただいたお部屋はとても気に入っております。それは紛れもない事実で、好みかどうかは些細なことですわ。わたくしがどのようなものを好むのか……わたくしがどのような人物なのかわからない状態で、最善を尽くして準備してくださったのだと、きちんと伝わっております。そのお気持ちが、何よりも嬉しいのです。ですから、どうか――」
「ルシアナ」

 力強く名前を呼ばれ、ルシアナは反射的に口を閉じる。
 レオンハルトはゆっくり顔を上げると、真っ直ぐルシアナを見つめた。

「貴女がこの邸に住み始めて、どのくらい経ったと思う?」
「……えっ?」

 突然どうしたのだろう、と思いながら、ルシアナは「ええと……」と言葉を続ける。

「七ヶ月ほど、でしょうか」
「そう、七ヶ月だ。貴女が初めてこの邸を訪れてから、もう七ヵ月も経った。なのに俺は、貴女が使っている部屋について、使い心地や、不足しているものがないかなど、貴女に一度も尋ねなかった。あの部屋が貴女に合っていないことはわかっていたのに、貴女好みに変えていいと伝えることすら怠った。貴女が何も言わないのをいいことに……放置してしまったんだ」

 眉根を寄せ、後悔の滲む表情で訴えるレオンハルトを、ルシアナはじっと見つめ返す。
 “大丈夫だ”と、“気にしなくていい”と、“何も言わなかったのは現状で満足しているからだ”と、そう伝えたいのに、すぐに言葉が出なかった。

(合っていない……)

 それは、自分でも何度も思ってきたことだ。
 白と瑠璃色と銀の三色で整えられた部屋。ルシアナが使うには大人びた雰囲気で、ルシアナが使うには少々大きい家具たち。
 いつまで経っても部屋に馴染めず、馴染んでいないのを悟られたくなくて、「自分が部屋を訪ねる」というレオンハルトの申し出も断った。彼の用意した部屋に合っていない自分を、レオンハルトには見られたくなかったのだ。
 だからだろうか。彼に直接「合っていない」と言われたのは、想像以上の衝撃をルシアナに与えた。

(……わたくしが、もっとトゥルエノらしい見た目だったらよかったのに)

 ルシアナはきつく拳を握ると、視線を下げた。

「……申し訳ありません、レオンハルト様」
「っ何故、貴女が謝る! 貴女が謝ることは何もない!」
「いいえ。わたくしがあのお部屋に見合う人間だったなら……そうしたら、レオンハルト様にそのようなお顔をさせることはなく、そのように思い悩ませることもありませんでした。わたくしが――」
「ちがっ、違う! そういうつもりで言ったんじゃない!」

 レオンハルトは素早く立ち上がるとルシアナを抱き上げ、ベッドに座った自分の足の上に横向きに座らせた。
 ルシアナをきつく抱き締めながら、レオンハルトはその頭に顔をすり寄せる。

「ルシアナ、違うんだ。ただもっと……貴女に寄り添えばよかったと……寄り添うべきだったと、後悔していると伝えたかったんだ。貴女を蔑ろにするつもりはないのに、結局そうなってしまっているのが申し訳ないと……だから、もっと遠慮せずに気持ちを伝えてほしいと、そう言いたかっただけなんだ」

 小さく「すまない」と呟いたレオンハルトは、ルシアナの頭に唇を押し当てた。
 伝わる熱い吐息に、切実そうな、愛の籠った声。背中を撫でる手は優しく、発言に他意はなかったのだと示しているようだった。

(……わかっているわ。レオンハルト様にそんなつもりがなかったことも、今のわたくしを愛してくださっていることも。だから、これはわたくしの問題。……もうこれ以上成長しないとわかったときに折り合いをつけたはずなのに……今更こんな風に縛られるなんて)

 手の届かないものを欲するのはやめた。
 今の自分ができる精一杯のことをしようと決めた。
 これ以上が望めないのなら、これ以下にならないよう気を付ければいいと思った。
 現状で最善を尽くそうと、自分は自分でしかないと、納得したはずだった。

(わたくしは、わたくしを否定するつもりはないわ。自己愛の気持ちをきちんと持っているもの。けれど……)

 レオンハルトの隣に並んだとき。
 騎士として、男性として、夫として立派な彼の隣に立ったときに、彼に相応しくないと思われるのではないか。そう思われることで、レオンハルトが何か嫌な思いをするのではないかと、それが恐ろしかった。

(わたくしはどちらかと言うと、自分に自信を持っているほうだと思っていたけれど……)

 たった七ヶ月でずいぶんと弱くなってしまったな、と思いながら、ルシアナは身じろぐ。
 レオンハルトの胸板を押し、体を離そうとすれば、彼は少しの躊躇ののちルシアナを解放した。
 ルシアナはレオンハルトの足を跨ぐように座り直すと、正面からレオンハルトを見つめる。
 どこか苦しそうに眉を寄せ、瞳に自分への愛を湛えた人を見ながら、ルシアナは彼の頬に手を添えた。

「レオンハルト様。レオンハルト様は十分寄り添ってくださっていますわ。それに、蔑ろにされたと思ったことは一度もありません。ですから、そのように悩まれる必要はありませんわ」

 微笑みながら、「ね?」と首を傾げれば、レオンハルトは頬に添えられた手を取り、手のひらに口付けながらルシアナを見た。

「足りない。まだ、足りない、ルシアナ。まだ、もっと、貴女のために手を尽くしたい。だから、すべてを伝えてほしい。どんなことだっていい。どんな些細なことでもいいんだ。貴女が望むことを、望むものを、すべて教えてほしい。叶えることが難しいことでも、貴女の望む形に近付くよう努力するから」

 熱い吐息とともに発せられた言葉は、甘美で、蠱惑的で、甘い毒のような――懇願だった。

(……レオンハルト様はこんなにも一途に、献身的に、わたくしを愛してくれているのに、何故わたくしは不安に思うのかしら)

 この愛に盲目的に溺れられればいいのに、と思いながら、ルシアナはレオンハルトに口付ける。この不安がなくなればいい。なくしてしまいたい。そんな思いで触れるだけの口付けを繰り返していると、レオンハルトに口元を押さえられた。
 どうして、とその双眸を見つめれば、澄んだシアンの瞳に、射貫くように見つめ返される。
 少しの沈黙のすえ、彼はゆっくりと口を開いた。
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