145 / 223
第九章
初めての訪問(一)
しおりを挟む
「ルシアナ、すまない。やることができたから先に帰っていてくれないか」
戻って来たレオンハルトにバルコニーに連れ出され言われた言葉に、ルシアナは目を瞬かせる。
ユーディットとディートリヒと共に戻って来たことを考えれば、彼らと何か大事な話をしていたのだろうことは容易に察せる。
だから、ここは「わかりました」と返さなければいない。
そう思うものの、ルシアナの手は自然とレオンハルトのジャケットの裾を掴んでいた。
「遅くなりますか……?」
縋るような弱々しい声。眉も下がり、寂しいという気持ちが全身から溢れ出しているだろうことは、ルシアナ自身わかっていた。
レオンハルトもわずかに眉を下げると、ルシアナの手を優しく取って抱き寄せた。
「なるべく早く戻る。起きて待っていてくれるか?」
こめかみへの軽い口付けを受け、ルシアナは小さく頷く。
「すまない。ありがとう」
頭に口付けを落とし、そっと離れたレオンハルトを笑みを浮かべて見送ると、ルシアナは小さく息を吐く。
(寂しいけれど、安心もしている……不思議な感覚ね)
帰りの馬車もレオンハルトの隣に座れるだろうかと期待した。
邸に着いたら湯浴みのため一度別れる必要があるものの、約束があるからすぐにまた会える。そうしたら、きっと甘い時間を二人で過ごせると期待した。
期待していたからこそ、それらが無くなり時間が減ってしまうことは寂しい。
しかしその一方で、彼が彼のやるべきことを優先して行う姿を見ると安堵する。
彼は自分という存在を得ても揺るがないのだと思うと、その凛とした軸のぶれない精神に、どうしようもなく心惹かれた。
自分の存在がまったく響いていないとは思わないが、彼という人間の根幹を自分が揺るがすことはできないだろう。それが尊くて、愛おしくて、彼の気高さに敬意を表したくなる。
(わたくしとは違うわ)
自分の中で物事の基準がレオンハルトになりかけていることは、ルシアナ自身自覚していた。今現在、ルシアナの世界の中心がレオンハルトになっているのだ。
これは、自分の世界が塔にいたころと変わらず狭いことが理由だろう。それを理解しているからこそあまり危機感はないが、自分の世界を広げようと目を輝かせていたテレーゼを思うと、自分ももっとちゃんと周りに目を向けなければという気がしてくる。
しかし、これまで行動範囲も行動内容も制限された生活を続けていたせいか、テレーゼほど外に目を向け切れていないのも事実だった。
(やりたいことはあるけれど……結局どれも、最初はレオンハルト様と行いたいものばかりだわ)
今は何を考えてもレオンハルトに行きついてしまう。
外に自分の世界が出来上がっていないのだから、こればかりは仕方ない、とルシアナは半月が輝く空に目を向ける。
(今はまだ……もう少しだけ、恋に溺れていたいわ。決して、レオンハルト様の重荷になるようなことはしないから)
ルシアナは、ふっと息を吐き出すと、倍以上の空気を肺いっぱいに取り込んだ。
(とは言え、恋に現を抜かしてばかりではいけないわ。エブルのこととエーリクの呪いのこと、それから子どものことについてきちんと言わなくては。それに、レオンハルト様にもシュペール侯爵令嬢のことをお伺いしなくてはいけないわ)
レオンハルトに言われた通り先に帰宅したルシアナは、湯浴みを終えいつも通り夜用の衣服に身を包んだあと、寝酒と軽くつまめる果物をワゴンに載せて、レオンハルトの寝室へと向かっていた。
もともと身一つで行くつもりだったが、レオンハルトの寝室を訪ねるつもりだと伝えたら、使用人たちがいろいろと用意してくれたのだ。
(寝酒はわたくしの要望だけれど)
ルシアナは、ワゴンに載った薄桃色のボトルへ視線を向ける。
それは、パーティーから帰る際、手土産として配られた、ヘレナの出身地で造られたという桃の酒だ。
狩猟大会が中止となり、優勝者の表彰がなくなってしまっため、肉や野菜、酒など、会場で振る舞われたものの一部を、王家が手土産として持たせてくれたのだ。捕らえた獲物の毛皮などとともに後日邸へ届けてもいいし、このまま持ち帰っても構わないという話だったので、酒だけ先に持ち帰ることにした。
発泡性のものは確かに苦手だが、どんな味がするのか気になっていたのだ。
おそらく一口以上は飲めないが、そこは素直にレオンハルトに甘えようと思った。
(……着いたわ)
レオンハルトの寝室の前まで辿り着くと、ルシアナは一度大きく深呼吸をする。
寝室を訪ねるのは無論初めてだが、そもそもルシアナの部屋とレオンハルトの部屋は邸の左右に分かれているため、こっちのほうに来ること自体が稀だった。
(日中、衣裳部屋へ行ったのが、初めてこちら側に足を踏み入れた瞬間だったわ)
緊張しているのか、少しドキドキと高鳴っている胸を押さえながら、ルシアナはレオンハルトの部屋の扉をノックした。
戻って来たレオンハルトにバルコニーに連れ出され言われた言葉に、ルシアナは目を瞬かせる。
ユーディットとディートリヒと共に戻って来たことを考えれば、彼らと何か大事な話をしていたのだろうことは容易に察せる。
だから、ここは「わかりました」と返さなければいない。
そう思うものの、ルシアナの手は自然とレオンハルトのジャケットの裾を掴んでいた。
「遅くなりますか……?」
縋るような弱々しい声。眉も下がり、寂しいという気持ちが全身から溢れ出しているだろうことは、ルシアナ自身わかっていた。
レオンハルトもわずかに眉を下げると、ルシアナの手を優しく取って抱き寄せた。
「なるべく早く戻る。起きて待っていてくれるか?」
こめかみへの軽い口付けを受け、ルシアナは小さく頷く。
「すまない。ありがとう」
頭に口付けを落とし、そっと離れたレオンハルトを笑みを浮かべて見送ると、ルシアナは小さく息を吐く。
(寂しいけれど、安心もしている……不思議な感覚ね)
帰りの馬車もレオンハルトの隣に座れるだろうかと期待した。
邸に着いたら湯浴みのため一度別れる必要があるものの、約束があるからすぐにまた会える。そうしたら、きっと甘い時間を二人で過ごせると期待した。
期待していたからこそ、それらが無くなり時間が減ってしまうことは寂しい。
しかしその一方で、彼が彼のやるべきことを優先して行う姿を見ると安堵する。
彼は自分という存在を得ても揺るがないのだと思うと、その凛とした軸のぶれない精神に、どうしようもなく心惹かれた。
自分の存在がまったく響いていないとは思わないが、彼という人間の根幹を自分が揺るがすことはできないだろう。それが尊くて、愛おしくて、彼の気高さに敬意を表したくなる。
(わたくしとは違うわ)
自分の中で物事の基準がレオンハルトになりかけていることは、ルシアナ自身自覚していた。今現在、ルシアナの世界の中心がレオンハルトになっているのだ。
これは、自分の世界が塔にいたころと変わらず狭いことが理由だろう。それを理解しているからこそあまり危機感はないが、自分の世界を広げようと目を輝かせていたテレーゼを思うと、自分ももっとちゃんと周りに目を向けなければという気がしてくる。
しかし、これまで行動範囲も行動内容も制限された生活を続けていたせいか、テレーゼほど外に目を向け切れていないのも事実だった。
(やりたいことはあるけれど……結局どれも、最初はレオンハルト様と行いたいものばかりだわ)
今は何を考えてもレオンハルトに行きついてしまう。
外に自分の世界が出来上がっていないのだから、こればかりは仕方ない、とルシアナは半月が輝く空に目を向ける。
(今はまだ……もう少しだけ、恋に溺れていたいわ。決して、レオンハルト様の重荷になるようなことはしないから)
ルシアナは、ふっと息を吐き出すと、倍以上の空気を肺いっぱいに取り込んだ。
(とは言え、恋に現を抜かしてばかりではいけないわ。エブルのこととエーリクの呪いのこと、それから子どものことについてきちんと言わなくては。それに、レオンハルト様にもシュペール侯爵令嬢のことをお伺いしなくてはいけないわ)
レオンハルトに言われた通り先に帰宅したルシアナは、湯浴みを終えいつも通り夜用の衣服に身を包んだあと、寝酒と軽くつまめる果物をワゴンに載せて、レオンハルトの寝室へと向かっていた。
もともと身一つで行くつもりだったが、レオンハルトの寝室を訪ねるつもりだと伝えたら、使用人たちがいろいろと用意してくれたのだ。
(寝酒はわたくしの要望だけれど)
ルシアナは、ワゴンに載った薄桃色のボトルへ視線を向ける。
それは、パーティーから帰る際、手土産として配られた、ヘレナの出身地で造られたという桃の酒だ。
狩猟大会が中止となり、優勝者の表彰がなくなってしまっため、肉や野菜、酒など、会場で振る舞われたものの一部を、王家が手土産として持たせてくれたのだ。捕らえた獲物の毛皮などとともに後日邸へ届けてもいいし、このまま持ち帰っても構わないという話だったので、酒だけ先に持ち帰ることにした。
発泡性のものは確かに苦手だが、どんな味がするのか気になっていたのだ。
おそらく一口以上は飲めないが、そこは素直にレオンハルトに甘えようと思った。
(……着いたわ)
レオンハルトの寝室の前まで辿り着くと、ルシアナは一度大きく深呼吸をする。
寝室を訪ねるのは無論初めてだが、そもそもルシアナの部屋とレオンハルトの部屋は邸の左右に分かれているため、こっちのほうに来ること自体が稀だった。
(日中、衣裳部屋へ行ったのが、初めてこちら側に足を踏み入れた瞬間だったわ)
緊張しているのか、少しドキドキと高鳴っている胸を押さえながら、ルシアナはレオンハルトの部屋の扉をノックした。
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される
めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」
ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!
テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。
『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。
新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。
アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる