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第八章
社交界の閉幕(三)
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(……!)
レオンハルトの静かな瞳と予想外に目が合ってしまい、ルシアナは肩が跳ねそうになる。それをなんとか堪えると、にこっと貼り付けた笑みをレオンハルトに向けた。
レオンハルトはしばし無言でルシアナを見つめると、すっと視線を逸らしテオバルドを見た。
「王太子殿下、少々お時間よろしいでしょうか」
「ん? ああ、もちろんだ。悪い、ヘレナ。少し外す。ルシアナ殿、ではまた」
軽く手を挙げ去って行くテオバルドに、ヘレナは手を振り返し、ルシアナは軽く腰を落とした。
隣からレオンハルトがいなくなったことで、ルシアナは弧を描いた口の隙間から大きく息を吐き出す。
「ふふ、隅のほうに移動しましょうか」
「……ありがとうございます、ヘレナ様」
背に添えられた手に、ほっと息を吐きながら、ルシアナはヘレナと共に壁際まで移動する。
「お話を聞くくらいなら、私にもできますよ」
グラスに口を付けていたルシアナは、小さく囁かれた言葉に口の中のものを飲み込む。そっと視線を上げれば、ヘレナが優しげにその金の瞳を細めていた。
ルシアナは少し迷ったすえ、困ったように眉を下げて微笑む。
「……何かがあったわけではないのですが、ただ……」
言いかけて、口を閉じる。レオンハルトが近くにいるわけではないのに、彼のことを考えるだけで顔に熱が集まっていく。
酒を飲んだ後だから、顔が赤くても誤魔化せるだろうか。しかし、酒のせいで顔が赤いとなったら、逆に心配をかけるだろうか。そんなことをぐるぐると考えながら、ヘレナにだけ聞こえるぎりぎりの声量で、ぽつりと呟く。
「……ただ、わたくしがレオンハルト様をお慕いしすぎているだけなのです。人の目も気にできないほど……人前なのに気持ちが溢れてきてしまって……」
言いながら、レオンハルトが傍を離れて安堵したはずなのに、レオンハルトが傍にいないことにすでに寂しさを感じていることに気が付く。
そんなルシアナの気持ちを察したのか、ヘレナは微笑ましそうに目尻を下げると、少し身を屈めてルシアナに顔を寄せる。
「無理に隠そうとしなくてよろしいと思いますよ。お二人は新婚でいらっしゃるんですから」
「……そう、でしょうか」
一般的に、感情をわかりやすく晒すのはよくない行いだとされている。トゥルエノ王国では感情を無理に隠す必要はないと教えられるが、一方で、隙は見せるな、とも言われている。
(わかりやすくレオンハルト様をお慕いしている姿を見せるのは、隙に当たるのではないかしら)
レオンハルトとの仲が良好であることを示したほうがいいのはわかっている。むしろ、そのつもりで今日はこの場に来たのだ。しかし、それは己の感情のまま彼への愛を示すということではなく、理性的に、周りから自分たちがどう見えているのか考えながら行動するという意味だった。
それなのに、レオンハルトが近くにいて、優しい目を向けられると、彼しか視界に入らず周りの目などどうでもよくなってしまう。ただ自分はレオンハルトが好きなのだと、恋に溺れた姿を晒しそうになってしまう。
そんな姿を晒して、レオンハルトに呆れられてしまったらどうしよう、と思い至ったところで、ルシアナは自分の本心に気が付いた。
(わたくしは、公爵夫人らしくない……レオンハルト様の妻に相応しくない振る舞いをして、レオンハルト様に呆れられてしまうのが怖かったのね)
レオンハルトを意識するようになってから、自分は本当にレオンハルトのことばかりだな、と内心苦笑を漏らしながら、ルシアナはヘレナに微笑を向ける。
「ありがとうございます、ヘレナ様。お話を聞いていただいたことで、だいぶ冷静になれましたわ」
「それならよかったです。お話を聞くぐらいしかできませんが、何かあれば、いつでも頼ってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
安堵したように笑んだヘレナに、ルシアナも満面の笑みを返す。
そのあとは、酒の話や狩猟大会で捕らえた獲物の話などを軽くして、ヘレナとは別れた。ヘレナはレオンハルトたちが戻るまで一緒にいようとしてくれたが、彼女の友人たちが集まっているのを見て、遠慮しなくていい、と友人たちの元へと送り出した。
一人になったルシアナは、どうしようか、と迷ったすえ、バルコニーに出た。
王城の保温魔法はバルコニーも範囲内なのか、外に出ても暖かかった。しかし、中に比べると空気は澄んでいて、ルシアナは思わずほっと息を吐き出す。
(やっぱり人目に晒されるというのは、多少なりとも疲れるのね)
自分に向けられた好奇心や興味を孕んだ視線を思い出し、ふっと小さく笑う。
婚約期間中に流したカルロスとの噂も完全に消えたようで、以前に比べると悪感情を含んだ視線はまったくと言っていいほどなかった。
(シュペール侯爵令嬢はもちろん、ブロムベルク公爵令嬢も、レーブライン伯爵令嬢も、デデキント伯爵令嬢もいらっしゃらないから、余計かしら)
ブロムベルク公爵はさすがに参加しているようだったが、他の三つの家門は誰一人姿を見せていない。
(……シュペール侯爵令嬢はどうなるのかしら)
これまで聞く機会がなかったが、そろそろレオンハルトに確認しなければな、とやるべきことを確認する。
(それに、コリダリスの自生する土地――エブルをトゥルエノに差し出したことも、まだわたくしの口から伝えていないわ)
レオンハルトと再会してから、日々があっという間に過ぎてしまったため、離れている間に考えていた話したいことを何一つ伝えられていない。
レオンハルトが休みに入ってから話し合う時間を設ければいいだろうか、と考えていると、後ろでキイと扉の開く音がした。
レオンハルトの静かな瞳と予想外に目が合ってしまい、ルシアナは肩が跳ねそうになる。それをなんとか堪えると、にこっと貼り付けた笑みをレオンハルトに向けた。
レオンハルトはしばし無言でルシアナを見つめると、すっと視線を逸らしテオバルドを見た。
「王太子殿下、少々お時間よろしいでしょうか」
「ん? ああ、もちろんだ。悪い、ヘレナ。少し外す。ルシアナ殿、ではまた」
軽く手を挙げ去って行くテオバルドに、ヘレナは手を振り返し、ルシアナは軽く腰を落とした。
隣からレオンハルトがいなくなったことで、ルシアナは弧を描いた口の隙間から大きく息を吐き出す。
「ふふ、隅のほうに移動しましょうか」
「……ありがとうございます、ヘレナ様」
背に添えられた手に、ほっと息を吐きながら、ルシアナはヘレナと共に壁際まで移動する。
「お話を聞くくらいなら、私にもできますよ」
グラスに口を付けていたルシアナは、小さく囁かれた言葉に口の中のものを飲み込む。そっと視線を上げれば、ヘレナが優しげにその金の瞳を細めていた。
ルシアナは少し迷ったすえ、困ったように眉を下げて微笑む。
「……何かがあったわけではないのですが、ただ……」
言いかけて、口を閉じる。レオンハルトが近くにいるわけではないのに、彼のことを考えるだけで顔に熱が集まっていく。
酒を飲んだ後だから、顔が赤くても誤魔化せるだろうか。しかし、酒のせいで顔が赤いとなったら、逆に心配をかけるだろうか。そんなことをぐるぐると考えながら、ヘレナにだけ聞こえるぎりぎりの声量で、ぽつりと呟く。
「……ただ、わたくしがレオンハルト様をお慕いしすぎているだけなのです。人の目も気にできないほど……人前なのに気持ちが溢れてきてしまって……」
言いながら、レオンハルトが傍を離れて安堵したはずなのに、レオンハルトが傍にいないことにすでに寂しさを感じていることに気が付く。
そんなルシアナの気持ちを察したのか、ヘレナは微笑ましそうに目尻を下げると、少し身を屈めてルシアナに顔を寄せる。
「無理に隠そうとしなくてよろしいと思いますよ。お二人は新婚でいらっしゃるんですから」
「……そう、でしょうか」
一般的に、感情をわかりやすく晒すのはよくない行いだとされている。トゥルエノ王国では感情を無理に隠す必要はないと教えられるが、一方で、隙は見せるな、とも言われている。
(わかりやすくレオンハルト様をお慕いしている姿を見せるのは、隙に当たるのではないかしら)
レオンハルトとの仲が良好であることを示したほうがいいのはわかっている。むしろ、そのつもりで今日はこの場に来たのだ。しかし、それは己の感情のまま彼への愛を示すということではなく、理性的に、周りから自分たちがどう見えているのか考えながら行動するという意味だった。
それなのに、レオンハルトが近くにいて、優しい目を向けられると、彼しか視界に入らず周りの目などどうでもよくなってしまう。ただ自分はレオンハルトが好きなのだと、恋に溺れた姿を晒しそうになってしまう。
そんな姿を晒して、レオンハルトに呆れられてしまったらどうしよう、と思い至ったところで、ルシアナは自分の本心に気が付いた。
(わたくしは、公爵夫人らしくない……レオンハルト様の妻に相応しくない振る舞いをして、レオンハルト様に呆れられてしまうのが怖かったのね)
レオンハルトを意識するようになってから、自分は本当にレオンハルトのことばかりだな、と内心苦笑を漏らしながら、ルシアナはヘレナに微笑を向ける。
「ありがとうございます、ヘレナ様。お話を聞いていただいたことで、だいぶ冷静になれましたわ」
「それならよかったです。お話を聞くぐらいしかできませんが、何かあれば、いつでも頼ってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
安堵したように笑んだヘレナに、ルシアナも満面の笑みを返す。
そのあとは、酒の話や狩猟大会で捕らえた獲物の話などを軽くして、ヘレナとは別れた。ヘレナはレオンハルトたちが戻るまで一緒にいようとしてくれたが、彼女の友人たちが集まっているのを見て、遠慮しなくていい、と友人たちの元へと送り出した。
一人になったルシアナは、どうしようか、と迷ったすえ、バルコニーに出た。
王城の保温魔法はバルコニーも範囲内なのか、外に出ても暖かかった。しかし、中に比べると空気は澄んでいて、ルシアナは思わずほっと息を吐き出す。
(やっぱり人目に晒されるというのは、多少なりとも疲れるのね)
自分に向けられた好奇心や興味を孕んだ視線を思い出し、ふっと小さく笑う。
婚約期間中に流したカルロスとの噂も完全に消えたようで、以前に比べると悪感情を含んだ視線はまったくと言っていいほどなかった。
(シュペール侯爵令嬢はもちろん、ブロムベルク公爵令嬢も、レーブライン伯爵令嬢も、デデキント伯爵令嬢もいらっしゃらないから、余計かしら)
ブロムベルク公爵はさすがに参加しているようだったが、他の三つの家門は誰一人姿を見せていない。
(……シュペール侯爵令嬢はどうなるのかしら)
これまで聞く機会がなかったが、そろそろレオンハルトに確認しなければな、とやるべきことを確認する。
(それに、コリダリスの自生する土地――エブルをトゥルエノに差し出したことも、まだわたくしの口から伝えていないわ)
レオンハルトと再会してから、日々があっという間に過ぎてしまったため、離れている間に考えていた話したいことを何一つ伝えられていない。
レオンハルトが休みに入ってから話し合う時間を設ければいいだろうか、と考えていると、後ろでキイと扉の開く音がした。
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