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01.神霊出生の章
No.010~No.015「カミヨナナヨ」(2)
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神世七代については前項を参照。ここでは残りの三世代、「ツノグヒ・イクグヒ」「オホトノヂ・オホトノベ」「オモダル・カシコネ」について解説する。
最後の二柱「イザナキ・イザナミ」は次項以降を参照。
角杙神と、その妹・活杙神は、古事記において、神世七代の四世代目の神であり、宇比地迩神・須比智迩神の次に生まれた一代の神である。
日本書紀の本文には登場せず、三段目の一書にその記述がある。
「一書に曰はく、男女耦ひ生る神、先ず埿土煑尊・沙土煑尊有す。次に角樴尊・活樴尊有す。次に面足尊・惶根尊有す。次に伊弉諾尊・伊弉冉尊有す。樴は橛なり」
先代旧事本紀では三代目の神として、日本書紀と同じく角樴尊(または角龍魂尊)・妹活樴尊(または角活魂尊)の名前が見られる。
杙と樴は同じく「クイ」のことで、地中に打ち込んでおくもの。一世代前のウヒヂニ・スヒヂニで泥だった地面が、農耕に適した固さへとなったことの象徴だろうか。
また、角ぐむという言葉があるとおり、「角(ツノ)」は植物などが芽生えることを表し、「活(イク)」は生命力の高さを意味している。「タツ」は「立つ」だろうか。
意冨斗能地神と、その妹・大斗乃弁神は、古事記において、神世七代の五世代目の神である。日本書記や先代旧事本紀においても、同様に五世代目の神である。
日本書紀の本文では、大戸之道尊(大戸之辺、大戸摩彦尊、大富道尊)・大苫辺尊(大戸摩姫尊、大富辺尊)と表記する。
先代旧事本紀では、大苫彦尊(大戸之道、大冨道、大戸麻彦)と、その妹である大苫姫尊(大戸辺、大冨辺、大戸摩姫)の名で登場する。
オホトノヂの「ヂ」は、叔父・伯父(ヲヂ)や父(チチ)などに関連して男性を表し、オホトノベの「ベ」は女(メ)の変化である。「ト」は戸(門)を意味し、瀬戸(浅く狭い水流)や喉(食べ物が通過する場所)のように、狭い通路・通過点のことを指す。
また、記紀にはミトノマグハヒという語があり、これは交合を意味する(詳細は『No.016「イザナキ」、No.017「イザナミ」』にて)。
つまり「ト」とは男女を象徴する器官のことであり、「大きいトの男性」「大きいトの女性」を表している。ここで初めて、男女が対偶して登場することになる。ただし古事記や先代旧事本紀では、スヒチニの時点で「妹(古代では妻の意味も含む)」と明記されている。
助詞ノは、ナの形になることが稀ではない(眼や掌など)。そのためオホトノヂ・オホトノベではなく、オホトナヂ・オホトナベという読み方も存在していたと見られる。
オホトマヂ・オホトマベは「m」と「n」が交替した形であるとされ、オホトマヒコ・オホトマヒメは男・女の部分を彦・姫に変えただけで意味は同じである。
古事記において、神世七代の六世代目に生まれたのは、於母陀流神と、その妹・阿夜訶志古泥神。日本書紀や先代旧事本紀においても、六世代目の神である。
日本書紀の本文では、面足尊と惶根尊(吾屋惶根尊、忌橿城尊、青橿城根尊、吾屋橿城尊)と表記される。
先代旧事本紀では、青橿城根尊(沫蕩尊、面足尊)と、その妹・吾屋橿城尊(惶根尊、蚊鳫姫尊)の名で登場する。
神話の世界では、大地が出現したという話が、クニノトコタチとして定立され、混沌として雲のように漂っていたという話が、トヨクモノとして定立されるように、男女が交わした「面立ちの整った美しい女よ」「なんと畏れ多いこと」という会話が、神として現れたものと思われる。
オホトノヂ・オホトノベによって男女が登場し、この男女がお互いに誘い合って子供を作る前段階として、男女が会話を交わした言葉がここでは、オモダル・カシコネという神にされているものと思われる。
面足は顔面が足りていることを意味し、カシコは畏まること、ネはベやメと同様に女性を示している。ア・ヤはどちらも感動詞。ア・ヲは間投詞。男性から美しいと言われ、それに返答する女性を指しているのだろう(ただし先代旧事本紀では、男神も女神も、どちらも「カシコネ」だが)。
カシキは「Ko」から「Kï」へ変化したものされる。イムカシキは、古事記にある「妹(imo)」が変化したもので、「o」から「u」という交替は例が多い。
二段目の一書第一では、青橿城根尊の子供が伊弉諾尊・伊弉冉尊であるとしている。
「一書に曰はく、此の二の神は、青橿城根尊の子なり」
また、先代旧事本紀に記された青橿城根尊の別名・沫蕩尊は、同じく二段目の一書第二で、伊弉諾尊を生んだ神とされている。
「一書に曰はく、国常立尊、天鏡尊を生む。天鏡尊、天万尊を生む。天万尊、沫蕩尊を生む。沫蕩尊、伊弉諾尊を生む。沫蕩、此をば阿和那伎と云ふ」
ちなみに天鏡尊は、先代旧事本紀では埿土煑尊・妹沙土煑尊とともに生まれた四世代目の神・別天合尊の別名とされている。
最後の二柱「イザナキ・イザナミ」は次項以降を参照。
角杙神と、その妹・活杙神は、古事記において、神世七代の四世代目の神であり、宇比地迩神・須比智迩神の次に生まれた一代の神である。
日本書紀の本文には登場せず、三段目の一書にその記述がある。
「一書に曰はく、男女耦ひ生る神、先ず埿土煑尊・沙土煑尊有す。次に角樴尊・活樴尊有す。次に面足尊・惶根尊有す。次に伊弉諾尊・伊弉冉尊有す。樴は橛なり」
先代旧事本紀では三代目の神として、日本書紀と同じく角樴尊(または角龍魂尊)・妹活樴尊(または角活魂尊)の名前が見られる。
杙と樴は同じく「クイ」のことで、地中に打ち込んでおくもの。一世代前のウヒヂニ・スヒヂニで泥だった地面が、農耕に適した固さへとなったことの象徴だろうか。
また、角ぐむという言葉があるとおり、「角(ツノ)」は植物などが芽生えることを表し、「活(イク)」は生命力の高さを意味している。「タツ」は「立つ」だろうか。
意冨斗能地神と、その妹・大斗乃弁神は、古事記において、神世七代の五世代目の神である。日本書記や先代旧事本紀においても、同様に五世代目の神である。
日本書紀の本文では、大戸之道尊(大戸之辺、大戸摩彦尊、大富道尊)・大苫辺尊(大戸摩姫尊、大富辺尊)と表記する。
先代旧事本紀では、大苫彦尊(大戸之道、大冨道、大戸麻彦)と、その妹である大苫姫尊(大戸辺、大冨辺、大戸摩姫)の名で登場する。
オホトノヂの「ヂ」は、叔父・伯父(ヲヂ)や父(チチ)などに関連して男性を表し、オホトノベの「ベ」は女(メ)の変化である。「ト」は戸(門)を意味し、瀬戸(浅く狭い水流)や喉(食べ物が通過する場所)のように、狭い通路・通過点のことを指す。
また、記紀にはミトノマグハヒという語があり、これは交合を意味する(詳細は『No.016「イザナキ」、No.017「イザナミ」』にて)。
つまり「ト」とは男女を象徴する器官のことであり、「大きいトの男性」「大きいトの女性」を表している。ここで初めて、男女が対偶して登場することになる。ただし古事記や先代旧事本紀では、スヒチニの時点で「妹(古代では妻の意味も含む)」と明記されている。
助詞ノは、ナの形になることが稀ではない(眼や掌など)。そのためオホトノヂ・オホトノベではなく、オホトナヂ・オホトナベという読み方も存在していたと見られる。
オホトマヂ・オホトマベは「m」と「n」が交替した形であるとされ、オホトマヒコ・オホトマヒメは男・女の部分を彦・姫に変えただけで意味は同じである。
古事記において、神世七代の六世代目に生まれたのは、於母陀流神と、その妹・阿夜訶志古泥神。日本書紀や先代旧事本紀においても、六世代目の神である。
日本書紀の本文では、面足尊と惶根尊(吾屋惶根尊、忌橿城尊、青橿城根尊、吾屋橿城尊)と表記される。
先代旧事本紀では、青橿城根尊(沫蕩尊、面足尊)と、その妹・吾屋橿城尊(惶根尊、蚊鳫姫尊)の名で登場する。
神話の世界では、大地が出現したという話が、クニノトコタチとして定立され、混沌として雲のように漂っていたという話が、トヨクモノとして定立されるように、男女が交わした「面立ちの整った美しい女よ」「なんと畏れ多いこと」という会話が、神として現れたものと思われる。
オホトノヂ・オホトノベによって男女が登場し、この男女がお互いに誘い合って子供を作る前段階として、男女が会話を交わした言葉がここでは、オモダル・カシコネという神にされているものと思われる。
面足は顔面が足りていることを意味し、カシコは畏まること、ネはベやメと同様に女性を示している。ア・ヤはどちらも感動詞。ア・ヲは間投詞。男性から美しいと言われ、それに返答する女性を指しているのだろう(ただし先代旧事本紀では、男神も女神も、どちらも「カシコネ」だが)。
カシキは「Ko」から「Kï」へ変化したものされる。イムカシキは、古事記にある「妹(imo)」が変化したもので、「o」から「u」という交替は例が多い。
二段目の一書第一では、青橿城根尊の子供が伊弉諾尊・伊弉冉尊であるとしている。
「一書に曰はく、此の二の神は、青橿城根尊の子なり」
また、先代旧事本紀に記された青橿城根尊の別名・沫蕩尊は、同じく二段目の一書第二で、伊弉諾尊を生んだ神とされている。
「一書に曰はく、国常立尊、天鏡尊を生む。天鏡尊、天万尊を生む。天万尊、沫蕩尊を生む。沫蕩尊、伊弉諾尊を生む。沫蕩、此をば阿和那伎と云ふ」
ちなみに天鏡尊は、先代旧事本紀では埿土煑尊・妹沙土煑尊とともに生まれた四世代目の神・別天合尊の別名とされている。
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