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第十四章 逆三角

逆三角 第五節

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緑一つ生やさず、瘴気と溶岩だけが亀裂から血膿が如く吐き出され続ける魔山、パルデモン山脈。この世界において最も恐ろしい魔境の空を覆う黒雲は不気味に赤みを帯び、まるで大地の呻き声のような地鳴りが耐えずに低く鳴り響く。

大小様々で奇怪な形をした岩が群れ成す林の中を、マティとクラリスはさらに濃くなった毒ガス対策のマスクで鼻口を覆いながら、光の軌跡を辿っていた。馬は山脈の入口あたりで、さらに精霊の加護を施しては置いていた。地形は馬には適さないし、この瘴気や毒ガスの中では、自分達を守るだけでも精一杯なのだから。

「大丈夫ですかクラリス殿」
「は、はいっ、大丈夫ですっ」
早足で先頭を歩いていたマティは時々振り返ってクラリスの様子を見ていた。険悪な地形ではあるが、曲りなりにも自然と共に生きるエル族のエルフ。歩き難い地形でも難なく前進するマティだが、クラリスの方はそうでもなかった。

靴を通して感じるほどの地面の高熱、そして毒ガスに瘴気。この中でマティを早足で追うには、負担はいささか大きかった。息切れ気味な彼女は額の汗を拭いながら、必死にマティに追いつこうと自分を奮い立たせる。

「今はこれぐらいでへたばる訳にはいきません。早く教団に追いつかないと聖剣が…きゃあっ!?」
「クラリス殿!」
地面に引っかかって危うく転びそうになるクラリスを引張った途端に、彼女が倒れこもうとした方向の地面から高熱の蒸気が毒ガスとともに噴きだした。
「危ないところでした…大丈夫でしたか」
「え、ええ…」

彼女の無事を確認し、マティは改めて周りを見渡した。
「危険な地形に加えて複雑に入り込んだ岩の林の迷路…ルートを知らなければまず通り抜けることはできませんね。教団が身を隠す本拠地とするのも頷けます」
一方、乱れた息を整えようとするクラリスはマティを、そしてさきほど蒸気が噴出した地面を見ては歯軋りする。

「…マティ殿、どうか先に行ってください。私は後から追いつきますから」
「クラリス殿?しかし――」
「お願いですっ、今は聖剣を取り戻すことが先決ですっ。…これ以上、恥をかくには…っ」
最後は小声で呟いては俯くクラリスに、マティは何か言おうとするが、思いとどまった。

「…分かりました。光の軌跡はすぐには消えませんので、そのまま辿って追ってきてください」
「承知しました」
最後にクラリスに頷くと、マティは軽やかな足運びで追跡を続けた。一瞬にして奥へと消える彼の姿を見届ける彼女は複雑そうな表情を浮かべ、息を整えては追うように再び歩き出した。


******


「あ、ウィルさんあれ」
服を新調したエリネが、フィロース町の小さな交差口にある噴泉を指差す。水が弛まず流し出される噴泉の彫刻は、一人の女神と神々しい鳥の意匠が施されていた。
「これは確か…大きな鳥があるから女神スティーナか?」
「うん。しもべである神鳥ネイフェを従わせる星の女神スティーナ様。このエステラ王国の建国の祖でもある勇者カーナ様が授かれた腕輪、聖環ヴェーダはスティーナ様からのものですから、ここではスティーナ様関連のものが結構見られますよね」

二人は噴水前のベンチに座り、ずっと歩き続けた足を休ませるよう、エリネが大きく手足を伸ばす。
「ん、んっ~~~。本当にとても楽しかったです。エステラ王国は初めてですけど、町を歩いてるのにまるで花園か森の中を歩いてるみたいで素敵ですよね」
「そうだな。空気も心なしか他の町よりも新鮮に感じられるし、建物の風格も俺にとって正におとぎ話みたいに感じられるよ」

「そっか。私達にとってのおとぎ話と、ウィルさんが思うおとぎ話って基準は少し違いますよね」
「ああ、ここには魔法や精霊が実際にあるからな。俺の世界でのおとぎ話はここでは童話とかなんらかの物語って感じになるか。細かい違いだが、ちょっと面白いな」
「うん。ウィルさんがこの世界に来たことの方が、私達にとってのおとぎ話みたいな話なのかもしれませんね」
「言われてみればそうだな」

他愛もない雑談に二人は興じる。こうした思いつきの話でも、時間が残り少ないウィルフレッド達にとっては何よりも貴重な思い出になるのだから。
「…ええと、ウィルさん?」
ふと、エリネが少し緊張した口調になる。
「どうしたんだいエリー?」
「その、実は一つ、おやつを用意してあるんですけど…」
「おやつ?」

エリネはバッグから、一つ小さな箱を取り出した。
「さっきデートのお誘いをした時、私、準備時間が欲しいって言いましたよね?あれはこれを作っていたんです」
ウィルフレッドは箱を受け取り、それをゆっくり開けていく。
「あ、これ…」
そこには、苺タルトが一つ。エリネがいつも作った大きなものではなく小さなサイズだが、苺やベリーなど、非常に緻密に盛り付けされていた。

「ふふ。私特製の、エリネスペシャル!です。まだ誰にも食べさせたことのない私の秘蔵レシピなんですよ。この前の告白用のタルトのリベンジですっ」
少し得意げに微笑むエリネ。
「エリー…っ」

タルトを持つ手が感激のあまりに震え、視界がかすかにぼやける。食べずとも、外見を見るだけに伝わるタルトに込められた気持ちが、すでに甘いぐらい心をとろけさせていた。彼の声の表情にエリネもつられて照れてしまう。
「えへへ…早く食べてください。今度は潰さないようにね」
「あ、ああ。でもこれ、食べるの凄く勿体無いな…」
「ウィルさんったら、食べないと味は分からないですよ」

それでも、ウィルフレッドはまるで宝物のようにタルトを手に持って暫く眺めてた。
「そ、それじゃ、いただきます」
「はいっ」
決して落とさないようにゆっくりと口元に運ぶと、さくりと一口齧った。

さっぱりとした苺の酸味、ベリーの異なるベクトルの爽やかさ、スカリアの実の粉の独特な渋みが、特製カスタードのまろやかさとシロップの甘味と渾然一体な味を作り出す。生地がもたらす舌触りが更にそれらと調和し、至高のハーモニーが口の中で奏でられる。

外観と味、匂いの全てから、エリネがこのタルトに込められた気持ちをありありと感じられるし、それ以上に、これが愛するエリネが自分だけに作ったという事実が、この世全てを置き去りにするほどの美味として、愛おしくウィルフレッドの胸を熱くする。

「ど、どうですか…?」
「美味しい…っ、すごく甘くて、さっぱりしてて…っ、とにかく美味しい、美味しいよエリーっ」
ずっと聞きたかった言葉をようやく聞けて、おずおずしてたエリネの顔が綻んでは安心の涙が流れた。
「良かった…っ、ふふっ、気にってもらえて嬉しいですっ」

残りのタルトを、ウィルフレッドはゆっくりと丁寧に一口一口齧り、じっくりとその味を堪能する。ようやく食べ終え、指についた生地屑も綺麗さっぱり舐めては、最後まで幸福の味の余韻を噛み締めるように意識を口の中に集中した。
「ありがとうエリー、本当に幸せ一杯の美味しいタルトだ…っ。俺も何か返礼をしないといけないな」
「別に良いですよ。こうして二人で、で、デートできるのが、一番の返礼なんですから…」
「エリー…」

恥ずかしさに俯いて自分の三つ編みをいじるエリネを、ウィルフレッドは愛おしく見つめる。まるで女神スティーナによる采配のように、広場は不思議と他の人はいない。二人の甘い思慕だけが、その場に満ち溢れていた。

「そ、そうだっ。お礼という訳ではないですけど、一つお願いしたいことがあります」
「なんだい?俺ができることなら何でも言ってくれ」
「ええとですね、その…、ウィルさんの顔を、触ってみたいです」
「俺の顔を?」

「うん。ほら私、皆のことはいつも声で聞き分けしているんですけど、親しい人達とはやっぱりどんな感じの顔になってるのか気になるのですから。シスターやお兄ちゃんは小さい頃から顔を触れてきたし、ラナ様やアイシャさん達もこの旅で触れてましたけど、ウィルさんのはまだ触れたことがなくて…」

他の人達とは違って、恋人であるウィルフレッドだからこそか、エリネの口調に気恥ずかしさが混じっていく。
「だから、大好きなウィルさんの顔も、できれば触れてどんな感じなのか知りたいです…。いいの、でしょうか」

ウィルフレッドは優しく微笑んだ。
「ああ、勿論さ。エリーの気が済むまで触れてくれ」
「はいっ。それじゃ…行きますね」
まるで何かに挑戦するかのように小さく息を吸って吐いては、エリネはそっと両手を彼の顔に伸ばす。ウィルフレッドもまた目を閉じて、顔を少し前に出した。

繊細そうな彼女の指が、最初に触れた。それがゆっくりと顔を滑り、やがて手のひら全体の感触が伝わった。愛するエリネの小さな手。いつも自分を癒してくれる、優しい手。彼女の指と掌が顔全体を触れていくと同時に、その体温もまた流れ込んでくる。不思議にも落ち着く感じだった。

「なるほど…こんな感じになって…」
その片手が後ろ頭に移ると、自分の髪を興味深そうに撫でていく。
「わあ、ウィルさんの髪、ぼさぼさしてて本当に狼さんぽいです。ふふ」
「…っ」
ウィルフレッドの胸が高鳴る。後ろ髪を撫でるために両手を後ろに回したエリネの顔が自分に急接近したからだ。

(エ、エリーっ、ちか…っ)
それを言い出そうと言い出せないウィルフレッドだった。地球にいた頃、たとえギルバート達に引張られてそういうタイプの店に行った時でも、今のように動悸することなんて一度もなかった。

彼女が発するこの世界特有の天然な香り、流れるように綺麗な長髪の匂い、元気さと清楚さが共存する美しい服、少し顔を寄せれば触れそうな唇。そして、それが大好きなエリネのものだということが、まだ口に残ってるタルトの味とともに彼の頭に猛攻を仕掛けた。

(だ、だめだ。落ち着け…っ、落ち着かないと…っ)
暴れる鼓動を無理やり抑え、行き場をなくしてた手を落ち着かせるよう背中に回し、ウィルフレッドは必死に凌いだ。

「…うんっ。だいたい分かりましたっ」
エリネが両手を下ろすと、色んな意味で安心して彼は息を吐いた。

「ウィルさん、やっぱりお兄ちゃんよりもカッコイイ人ですね」
「そ、そうだろうか?あまり良く分からないけど、カイも十分カッコイイ感じだと思うが…」
「…えへへ、本当は私もカッコイイ外見ってのよく分からないですけど、大好きなウィルさんの顔だから、カッコイイに決まってますよ」
「そ、そうか…?」

二人がいじらしく照れ笑いする。丁度その時、夕方が近づいたことを告げる涼しい風がウィルフレッド達を薙いだ。
「あ…ひょっとしたら…もうすぐ夕方ですか…?」
「ああ、そのようだ」

それは二人にとって、シンデレラに魔法の時間の終わりを告げる鐘の音と同じものだった。
「…そろそろ、宿にもどる時間、ですよね」
「そう、だな」
暫く沈黙が続いた。次にまたこうしていられるかも知らないから、少しでもこの至福の時間を長く伸ばすように。

「…ウィルさん。今日は本当にありがとうございます。こんなに楽しく感じられたの、涙が出るぐらい幸せに感じられたの、本当に初めてで…」
「俺こそデートに応じてくれてありがとう、エリー…。君がくれたこの気持ち、ちゃんと大事にするから…」
「私だって…っ」

二人の目が零れ出ようとする涙で潤う。この儚い雰囲気を一掃するように、エリネが元気に小さく胸を張る。
「…えへへ、それじゃ最後にデートのお礼として、ウィルさんの願いを一つ聞いてあげましょう」
「願い?」
「うんっ。私のできることでしたら精一杯応えますから、ウィルさんは何かして欲しいこととか、欲しいものとかありますか?」

ドキンとウィルフレッドの胸に再び理性と欲望の戦火が切られる。その導火線を埋めたのは、アイシャだった。
(((いいですかウィルくん、デーのト締めとは即ちクライマックス、そうという雰囲気を感じましたら、すべき行動は一つだけですよ。つまり――)))

「そ、そのっ…、できることって…た、たとえば…」
「うんっ」
「……き、きっ、キス、も…?」
「……………、え」
エリネが正に予想だにしなかったような表情を浮かべた。男女の交流に疎かった故にそこまで想像力が及ばなかったのだ。

「え、ええぇ~~っ!?あ、あのっ、キスってそのっ、つまり、え、ええと…っ、口と口を、あれで…っ」
先ほど食べた苺みたいに赤くなるエリネに、同じように慌てふためくウィルフレッド。
「あっ、いや!別に思いついたことを言っただけで…っ、本当にしたいって訳ではないんだっ!初デートなのにいきなりキスまで行くのってさすがにこの世界ここではマズイなっ!はははははっ…」

なんとか誤魔化そうと笑うウィルフレッドに、湯気が見えるほど顔が真っ赤に茹でて俯くエリネ。色んな意味で気まずい雰囲気が場を包み、互いに無言になってしまう。

そしてついに、もじもじと両手の指をいじってたエリネがポツリと囁いた。
「――――――です、よ」
「…えっ」
「いい、ですよ。ウィルさんとなら…き、キス、しても」

頭の中の戦場に欲望の超弩級レールガンが打ち込まれる。アイシャの言葉が助燃剤となってぶち撒かれる。
(((キスこそデートの究極の形にして唯一の到達点ゴール。これさえできればデートのパーフェクトフィニッシュが完璧に決められますっ)))

この後アイシャがカイやラナ達にまだキスは早いと咎められても、ウィルフレッドの脳内戦場にそれらはもはや消えかけの灯火。しまいにはアオトやキース達の幻聴までが、援軍としてアイシャの助言を後押しした。
(((ここで姫君のキスを貰うのがハッピーエンドへの鍵だよウィル!)))
(((女性が良いと言ってるのに応じないのは流石によくないなウィル)))
(((おうなに臆病風吹いてやがるウィル!やれるん時はやるんだよこのチキンっ!)))

「お、お願いはそれで、いいですか?その、キスってことで…」
両手を女の子らしく絡め、目が見えなくとも上目遣いだと分かるほどの、愛らしいエリネの熱を含んだ言葉。

再び沈黙が訪れた。噴水の音だけが、吹いてくる午後の風と共に聞こえてくる。いま広場に他の人がいたら、間違いなく二人が発する甘い熱気に当てられてしまうぐらいの、熱い雰囲気が醸し出されていた。

ウィルフレッドにとっては長い戦いでもあった。永遠に続くと思われたアイシャの軍勢と自分の理性の軍勢との戦いに終止符が打たれると、エリネの手を握った。彼女の体がピクリと震え、頭が完全に沸騰する。

(あ、あわわわわ~~どどどどどどうしようどうしようどうしようっ!?さっきああ言ってたけど一度もしたことないのにもしキスに失敗したらどうしようっ?口ちゃんと洗ってたからいいよねっ!?初めてはレモンの味って言われてるけど本当なのかなっ!?こっちは何もしなくて良いのっ?私――)

「エリー…」
「はっ、はい!」
思考が暴走するエリネに、ウィルフレッドは願いを告げた。

「君の…君の目を、見せてくれないか?」
「う、うんっ!よ、よろしくお願い……………って、えっ、目?」
意外な願いにエリネがきょとんとした。ウィルフレッドは恥ずかしそうに口を手で隠しながら続けた。

「ああ。エリーの目はいつも閉じてるから、どんな感じなのか全然分からないけど、多分とても綺麗だといつも思ってたんだ。だからできれば見せてくれないかな、君の目を」

思いがけない願いにエリネは暫く固まると、少し安心したと同時に妙な不満も沸き立つ複雑な心境を感じては小さく笑い出した。
「…ぷふっ、もうウィルさんったら、いきなり驚かせたらそういうお願いして、結構ずるいですね」
「す、すまない…」

緊張をほぐすようエリネは大きく吐息をして座りなおした。
「本当に、お礼はそれでいいのですか?…その、キスでも私…構わないのですけれど…」
「あ、ああ…。そういうのは、もう少し交際?を深めた方がいいと思って…。それとも、目を見られるのは嫌なんだろうか」
「そんなことありませんよ。目を閉じてたのはシスターの言いつけがあっただけですし」
「言いつけ?」

「うん。シスターやお兄ちゃんとか、本当に信頼できる人以外にはうかつに目を見せてはいけないと言われただけ、理由は分からないけど」
「そんなことが…」
「でもこの前の検査でミーナ様には見せてるし…大好きなウィルさんのお願いですからね。だから、大丈夫ですよ」

キスではないにしても、普段あまりしないことにやはり少し緊張するエリネ。
「それじゃ…開けますね」
「ああ…」

お互いゴクリと唾を飲むと、エリネはずっと閉じていた瞼をゆっくりと開けていった。

ウィルフレッドは思わず見とれた。美しく透き通った青色の瞳だった。潤いのある瞳が映す光はさながら輝く星のようで、堪えた青色はどことなく星空を連想させるほどに綺麗だった。
「…ど、どうでしょうかウィルさん」
「あ、ああ…凄く綺麗だ、エリー。空色みたいな瞳で凄く魅力的だよ」

熱の帯びた賞賛にエリネもまた照れてしまう。
「ふふ、ウィルさんにそう言われると、なんだかシスターの時よりも嬉しく感じます」

暫く、ウィルフレッドはただじっと見とれていた。大好きなエリネの、自分だけに向けられる目を。視線がなくとも間違いなく感情が籠った瞳を。盲目のエリネでさえもその熱い注視が感じられるほどに。

「…え、えへへ、なんだか照れちゃいますね…」
あまりもの気恥ずかしさにエリネが俯く。
「あっ、もう少し―――」
「ぁ…」
エリネの頬に添えられるウィルフレッドの大きな手が、優しく彼女顔を自分に向かせた。

自分達以外の世界が止まったかのようだ。優しく自分の頬を包む彼の手から体温が、鼓動が今までになく感じられる。小さな彼女の頬から愛しいほどの柔らかさと暖かさの感触が伝わってくる。先ほどの思慮などとっくに流され、互いへの思慕が全てを支配した。

「エリー…」
大好きな彼の自分を呼ぶ声が、意識をとろけさせる。
「ウィル、さん…」
愛する彼女の自分を呼ぶ声が、意識を酔わせていく。

ウィルフレッドの親指が触れる。柔らかで潤いのあるエリネの桜色の唇に。熱のこもった動きで。そのたびに心地よい熱がエリネの全身を駆け巡る、力が抜けていく。

見えない目を開いたままにした。それを綺麗と言った彼の為に。残り少ない時間の中で、確かな絆を築くよう、顔をさらに上げて唇を差し出した。大好きな彼になら全てを任せられる。委ねられる。そう思ったから。

お互いの鼓動を感じる距離。
お互いの吐息が届く距離。
その隔てさえも消すように、二人は顔を近づけた――


「…エリーっ」
「? ウィルさん…?」
エリネは困惑した、動きを止めたウィルフレッドのあげた声は、驚愕に満ちたものだったのだから。

それもそのはず、彼は見たのだ。透き通るエリネの左目の奥にある、星の形をした印を。



【続く】
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