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プロポーズ
しおりを挟む業務提携も白紙になった事で、羽美の周辺は落ち着いた日常が戻って来た。
それでも、羽美の実家の店は大変で、料理人の航が居ない穴埋めを両親が埋めねばならず、平日はなんとかなるものの、週末は羽美が手伝う様になっていた。
「そうじゃねぇ!包丁の向き違う!……だぁ!………痛って!」
航は骨折の完治だけの為、退院して店の料理人見習いスタッフに指導している。骨折のせいで、包丁が握れず、料理も出来ないので、専ら口だけ出すというストレスを溜めていた。普段以上に口煩い先輩になっている気がしてならないのは、皆一緒だろう。
「羽美さん、なんとか航さんなりませんか?」
「………はぁ……お兄ちゃん!お兄ちゃんのせいで、料理人になれなかったら如何するの!」
「………くっ!しっかりやりやがれ!」
「お兄ちゃん、もどかしいのは分かるけど、皆頑張ってくれてるんだから」
「分かってるよ!」
そんな週末はこの繰り返しだ。
「やっと終わった~」
「ありがとうね、羽美………貴女も仕事してるのに」
「お母さん、今迄も週末は手伝ってたじゃない」
座敷に足を伸ばして、疲れた身体を休めている羽美。まだテーブルにはバッシングしなければならない食器が山積みだ。
「貴女は主婦にもなったでしょ……律也さんに申し訳ないわ……」
「律也さんが、手伝っておいで、て言ってくれたのよ………律也さん、料理人顔負けで料理上手だし、家事全般やれちゃうから、私がする事もあまりないのよ」
「あぁ?何だよ、料理出来るのか?アイツ」
「航、律也さんを『アイツ』呼びしないの!」
「まだ羽美の旦那と認めてねぇもん」
店のビールではないビールをガブ飲みしながら、お盆を持って片付けをしようとするのか、ホールへ入って来る。
「結婚した、て言っても、契約的にだろうが……準備も何もしてねぇ、プロポーズも指輪もねぇ、結婚式も挙げてねぇ……傍から見たら、ただの同棲」
「ま、まぁ……でも、律也さんのご家族は私を嫁扱いしてくれて、ついつい忘れちゃうけど、結婚式もしてないもんね……」
―――プロポーズも無かったし……
「もう、白河酒造の事は解決したんなら帰って来い、羽美……荷物もそんなに持ってってないんだから、身1つで戻って来れるだろ?離婚届、取りに行って来てやるよ」
「それは困るんですけどね、航さん」
「げっ!来た……」
閉店時間に、羽美を迎えに来た律也。スーツ姿ではなく、ティシャツとデニムパンツと、カジュアルなジャケットを着ている。
「羽美、着物姿も可愛い」
「あ、着替えなきゃ……」
「羽美、律也さん迎えに来たから、もう帰りなさい」
「お袋!………俺はまだ認めてねぇぞ!早く離婚しろ!」
「しませんよ、離婚なんて」
「何!」
「航………もう、妹離れしなさいよ」
「あんな結婚の形で、羽美が幸せになれる訳ねぇ!」
血の気の多い航の相手をするのには、もう慣れてきた律也。
「ご両親もお揃いですし、俺も本腰入れようと思ってましてね………羽美が来たら言いますよ、ちゃんとした形にする為に」
「…………え……ま、マジか……」
「航さんも、聞いといて下さいよ?聞いてない、なんて言わせませんから」
「…………お、俺……風呂入って来……」
「航!お前も聞かんか!羽美の幸せを願ってたんだろ!」
「お、親父………やだ……聞きたくねぇ……」
まるで、航は花嫁の父だ。
「な、何?お父さんの怒鳴り声聞こえたんだけど………」
キョロキョロと見回すと、父は帽子を脱ぎ、前掛けを外すとカウンターから出て来て、母も座敷の片付けを中断し、航は涙腺を必死に止めようとしているのか、天井を見上げてる。
ただならぬ雰囲気に、羽美は身体を強張らせていた。
「羽美」
「あ、はい」
声を掛けられた後に、律也は羽美の手を取って握る。手にはジュエリーボックスだ。
その存在を確認させた律也は、羽美の手を包み込み、その優しい手と同じ様に優しい微笑みを羽美に贈る。
「変わった結婚した状況になってしまったが、改めて言わせて欲しい………遅ればせながら、俺の嫁さんになって下さい」
「…………は、はい……あ、あの……宜しくお願いします……」
表情からも、手からも律也の優しさが羽美に伝わる。
急な展開な結婚になってしまったが、一緒に住む様になってから、羽美に対する気遣いや、律也の価値観を知り、もっと好きになっていた羽美は断る選択肢等は無い。
「ゔっ………羽美~!」
航が、我慢出来ずに泣いてしまった。緊張感もそれで崩れていく。
「うわっ!お兄ちゃん泣いてる!」
「お義父さん、お義母さん、お義兄さん、必ず羽美を幸せにしますから」
「はい、娘を宜しくお願いします」
「羽美、幸せになりなさい」
「うん………」
「羽美………左手」
「…………あ……」
律也に羽美の左手を取られ、指輪がはめられた。
「綺麗………」
「羽美の花嫁姿も綺麗だろうな……」
「結婚式もするんですか?」
「嫌なのか?」
「………いえ、嬉しいです」
「羽美~~~っ」
「………まだ泣いてる」
「因みに航さんと俺同じ歳なんだがな……」
「お兄ちゃん9月生まれ………律也さんは?」
「俺?5月」
「タメってか!…………嫌だぁ……」
「君呼びしようか、航君」
「気持ち悪い!止めろ!」
律也に揶揄われた航。自然に涙は止まり、罵る航を軽くあしらう律也の関係が何故か出来上がった気がした。
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