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第8章 泣き虫な王子様
(4)犯人かも
しおりを挟むジェレメール・ラプソールは病院のベッドでぼんやりと空を眺めていた。四角い窓を囲む白いカーテンが、日差しを柔らかく遮り、明るい空は額縁の絵のように留まって見えた。
雪が止んで静かな朝。何もない。記憶の彼方に消えて、全て消失した。
心もとない。自分は一体誰なのか、それがわからなければただあの空の雲のように漂うだけなのか、ジェレメールという名前を知っている人を探さなければならない。
自分が何者なのかわからなければ、人生を失うのも同じことだと、褐色の肌に青黒く疲れの滲む瞼を閉じた。
ローランが読み物を買って来た。
「もし、行くところがなければ僕の別荘に来るかい。君が何者なのか直ぐにわかるさ。新聞社に頼めば良いんだ。こちらの住所を知らせずに、知り合いを探すことができる」
「私は怖いのです。悪いことばかり考えてしまいます。もしも自分が犯罪者だったらとか……」
「もしもそうならどうするんだい」
「警察に行きます」
「それなら安心だ。是非、僕の別荘にいらっしゃい。何の心配も要らない。僕は少しはその、生活に不安のない者だから」
ジェレメールは美しく笑った。
「あなたに負担がかかってしまいます」
「構わないさ。安心して良いよ」
夕べ、バーで気勢を上げて飲み語り世界を変えようと約束したあの三人にも、ジェレメールを紹介しよう。自ずと解決しそうな希望が沸き上がる。
ジェレメールを退院させて、グルーネヴァルトの森の近くのタワンセブ別荘に住まわせることにして、夜の食事にカナンデラ・ザカリー探偵事務所の三人を招待することにした。
「ふふ、ローランったら苦し紛れに夕飯招待なんてさ、育ちがお宜しいこと。何か持って行く」
遅い朝食は午後を回っていた。
「トロッケンベーレンアウスレーゼを買おう。高貴な腐敗と呼ばれる菌の葡萄で作られる世界最高峰の甘口ワインだ。ラナンタータの好みかもな」
昨日、食べ損ねたレストランは、ドイツ風の幾何学的な雰囲気で様々な白を上手く組み合わせた清潔なイメージが、料理を際立たせる。
「ふふ……はは……ふふふ」
「気持ち悪いぞ、メフィストフェレス。お前ら朝まで俺様の部屋で飲んだ癖に元気だな」
「潰れてソファーで寝た」
「お前をベッドに運んで俺様がソファーで寝たんだ。このおバカ悪魔め。お前の横でラルポアも寝たっていうのに、お前は何にもしなかったのか、ラナンタータ。お前、ボディーガードを酔わせて襲うんじゃなかったのか、出来損ないだな、悪魔ちゃん」
ラナンタータはきょとんとした。
「そんな記憶はない。しまった。夕べは飲みすぎて流石に潰れてしまった」
「お前が飲んだのはレモネードだったはずだが」
「あれ、そうだったっけ。まあ、疲れていたし、冒険のあとはレモネードでも酔うのだよ、ワトソン君」
ふふっとラルポアが笑う。
「お前、貞操が守れたからと言っておいらたちを嘲笑うなよ、ラルポア。ラナンタータを逃がさないように捕まえておけ。俺様は爆破事件はこりごりだ」
「爆破事件の後始末はどうなったんだろう」
「お前、レストランで話すことではないぞ。母国語でも危険だ」
「でもさ、夕べはローランが夕食招待の話をしたから誤魔化されたけどさ、何かあるよね、リヒターと」
「ラナンタータ、何故ラナンタータはリヒターとローランが怪しいと思うの」
「あ、あ……」そうか、訳を話せば通風口トリックがバレる。何のトリックでもないけど、わざとラルポアを待っていたことがバレる。ああ……「あのね、パーティー会場で言っていたの、そういう話し」
ラルポアは耳が引っ張られるように張りつめた。
「ローランと会場で会ったのか」
ローランが僕を陛下と呼んで会場に招待状無しで入れたいきさつは、夕べ話した。ローランにもラナンタータを探して貰った。
「ううん、リヒターが……リヒターが怪しかったから。所長室で何とかって……」
「なんだ。ラルポアの考えすぎだ。ラナンタータもローランもタイミングが悪いだけだ。それより俺様はエレベーター殺人事件の情報が」
「夕べの美女。ほら、真っ赤な毛皮のお知り合い」
悪魔のタイミングかジュエリア・ロイチャスが緋色に染めた毛皮を着てレストランに入って来た。ラルポアに気づいて会釈する。
「そう言えばあのとき彼女は何処から来たの。エレベーターから降りたんじゃない。殺人事件のあったエレベーター……」
彫り物と宝飾された金色の柄のナイフ……
美女に似合いそうだし『はい、ラルポア』って言った。確かに言った。ラルポアは私の婚約者だ。嘘の婚約者だけど、まだ婚約破棄してはいない。誰……彼女は誰……もしかして犯人かも……もしかしなくても犯人にしてしまいたいような……迷うな、私。
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